惺式文歌邸

 

2009.06.30  歌の橋を渡った
 十三世紀初頭ある武士が処刑を言い渡され、冤罪の我が身を嘆く歌を荏柄天神社に奉納したら、それを目にした将軍・実朝かんじるところがあったのか彼を獄から釈放、後にその武士はその神社の参道近くに橋を架けた。それを今「歌の橋」と呼ぶというので、散歩がてらその橋を見に行った。
 草色に彩られた小さな石橋だ。川も石ころだらけで、細い。岸辺に紫陽花が咲いている。そこを渡り、天神社の参道を歩いた。歌の橋を渡った。
 そして苔むした小さな石段を登る。さて、その先に何があるのか。
 今日に限ればだいたい想像はついたよ。
2009.06.29  金銭を浄化する
 朝、買い物がてら駅前へ。
 その前に、数年前から何度かそばまで行きながら、まだ寄っていなかった銭洗弁天社へ初めて行ってみた。霊水でお金を浄化する場所なのだとか。
 たまたま先日トラブルからこころならずも受け取るほかなくなったお札がある。文筆と関係ない、こちらの働きとは無縁の収入なんて余計だ。浄めて、すぐにパッと使ってしまおう。
 あらかじめ下調べして、三社に本殿を含め、参る神殿は四つと思っていたのに、受付で渡してくれたろうそくは二本。思わず、
 「これだけ?」
と口に出すと、
 「お望みの方はこちらからどうぞ」
と笊に山と積まれたろうそくを指し示された。
 四社を回り、洞窟の奥でお札をすべて水で浄める。
 それから、子供が大きくなったのでベビー布団は来月から通わせる新しい保育園での昼寝用にし、ジュニア布団を手に入れ、写真の現像費を払い、今月の食費を精算し、新刊書をみつくろうと、金はきれいになくなった。すっからかん、カン。
 有意義な出入でしたよ。
2009.06.28  現在五位
 部屋で一人、絶望を深め、鬱を極めたところで、九回裏関本選手が逆転サヨナラ二塁打。阪神、横濱にサヨナラ勝ち。スッとした。
 スッとしたところで、こちらの周囲の事態に何ら変化はないのだけど。
 でも、現在五位の阪神は来月開催されるオールスターのファン投票で選出ゼロ。それに代わり、先日案じた通り四位の広島から大量選出。
 どんどん魅力が薄れるオールスター。どうしようもないな。
 ちなみにこの文章「でも、現在五位の阪神」以降は29日に書いた。投票結果発表が29日だったからね。しようがない。
2009.06.27  風に乗って
 快晴なので布団を干す。夕方それを取り入れようとしたら、布団の上をカマキリの子供が歩いていた。風に乗ってきたのだろうな。
2009.06.26  マイケル急死
 マイケル・ジャクソン急死、来月の復帰コンサート開催直前、しかも死因不明というニュースで明けた朝。
 今日は人の批判を聞いた。こちら宛の。
 噂はいつもデタラメ。ある人は脇目もしないで仕事に鬼と打ち込んでいると誉められ、また別のある人からは子供にきちんと向き合っていると誉められる。互いに矛盾していて、しかもどちらも裏を返せば罵詈雑言に早変わり。それでも人は人への悪口をやめない。
 マイケルも悪口を言われ通しの人生だったな。もちろんあふれるほどの声援もあった上で、だけどね。そして死の直後からいや増しに増しそうな賞讃の嵐。いまわの際のマイケルに聞こえたかどうか。
2009.06.25  サイト再開
 新橋駅からマックショップに行き、預けていたパソコンを引き取る。故障していた部品は予想通りバッテリーだけだったけど、保険が利くうちに摩耗等している部品を交換・整備してもらったりしていたら、日数がかかった。
 ようやくこれで公式サイト、メール通信等が再開できる。ほっ。
2009.06.24  ヘリコプターの唄
 傷付いた畳の表替えをしてもらう。新品の一畳に座っていると、イグサの香が心地良い。
 「へりこぷた聴きたい」
と毎日のように子供が言うのだけど、ヘリコプター? 何のことだかさっぱり判らないで数週間。今日トラヴェリング・ウィルベリーズのCDを聴いていたら、子供が
 「へれこぷた」
と呟いた。曲は"Heading for the light"。…たしかにヘリコプターと聞こえなくもない、こともない。日本人の耳だ、やっぱり。
2009.06.23  阿仏尼の墓など

 ひさしぶりに晴れたので外出。道端に色とりどりの紫陽花が咲いている。
 「いざよい日記」の作者・阿仏尼の墓と伝わる石塔を間近にする。数年前、京都の大通寺でも阿仏尼の墓ともいう石碑を見た。あの時も源実朝像を一目見たくて出かけた。そして今日は実朝の歌碑を求めて鶴岡八幡宮へ行く。何度も前を通っているのにこれまで目に入らなかった。きのう或る地図でその所在を知ったばかり。
 改めて白旗神社の鳥居をくぐると、その茂みに隠れるようにしてその石柱は在った。大正時代の震災で倒れた石の鳥居に歌を刻んだのだとか。

  山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

と、たしかに読める。まぎれもなく実朝の歌だ。
 でも、作者名は見当らない。葉に隠れていたのだろうか。きちんと書いて欲しいな。

2009.06.22  やっぱり梅雨だ
 考えなければいけないことが多すぎて、考え込んでいるうちに時間が経つ。考えたからって、それが何かの役に立つとはかぎらない。ある意味、時間の浪費だ。それでも生きているうちは考えなければならない。死ぬまで。
 気象庁の一日曇りという予報は大外れで、雨、雨。やっぱり梅雨だ。
 雨。何もない。生活は何処にもない。
 それに不満はない。
 僕の半生は文章を書くことに費やしてしまったので、それを引けば、ほとんどゼロなのは知れたこと。だから不満があるとすれば、そうして費やされた結果、つまり仕事の成果の正否しか残らない。
 どっとはらい。
2009.06.20  ティナが来た
 無料映画祭が近所の生涯学習センターにて行なわれると聞き、出かけると、そこには超高齢者の方々による長蛇の列。さすがにこの方々を押しのけて観るにはしのびなく、自宅へ戻ると、注文していた本棚が届いている。そこに配架などして半日を過ごした。
 この棚は配送業者の都合でなかなか届かず、
 「棚が来ないね」
と毎日言っていたら、そのうちにロック歌手に引っ掛けて、
 「ティナ・棚(ターナー)は来ないね」
と成り、いつしか
 「ティナは来ないね」
 そういうわけで、ついにやってきたティナを部屋に据えると、棚の前でティナ・ターナーが唄い踊っているのが見えて仕方ない。ソウルフル。
2009.06.19  手塚治虫展に行った
 銀座で食事をしたら、両国で開催されている手塚治虫展へ行こうと強く誘われる。どうせ三十枚足らずの原画が並べてある程度のショボイ展示だろうと、全く期待しなかったのだけど、実際はとても充実していた。
 原画を鑑賞中、足元や脇を何かがよぎった時は最初何だか判らなくて、ちょっと驚く。火の鳥の映像だった。ハイテク。飛んでいるのだな。
 いったん雑誌に発表されたコマを切り張りした単行本用にしあげられた原稿など初めて観た。パソコンで書いている漫画家が増えている今日では、こういう作業も過去のものかもしれない。
 テレビアニメ版「鉄腕アトム」のテーマ音楽の映像が僕の記憶とずいぶん違った。僕が視たのは再放送。書き直されていたのだろうか。
 きのうマグカップが割れたばかりだったので、ショップでアトムのアメリカ版"Astro Boy"のカップを購入。今夜からしばらくこれでコーヒーを飲もう。エクセラには合いそうだよ。
2009.06.17  似過ぎた旅行記
 ここ半月ほど歩いた路上での散策を記す。
 学生のころ夏休みの体験をもとにした北海道旅行記を学内誌に載せたら、同じ土地を巡ったフリーライターのコラム集を手に、
 「似過ぎ」
と大騒ぎした若輩者がいた。僕の書いた文章の主要舞台は函館と札幌と岩内で、フリーライターのは帯広だったけど、それでも彼には似て見えたらしい。
 彼ならこれも書店の棚の何処かから「似過ぎ」と指摘できる本を見つけられるのだろうと一瞬思ったけど、いや、読書量の少ない彼だからあれもこれも似て見えるので、読まなかったら見つけられるはずもないかと思い直す。
 でも、ひどいよ。
2009.06.16  優曇華が咲いて
 朝、玄関を出ると、ドアに優曇華が、七、八つほどぶら下がって咲いていた。三千年に一度開花するとも云う伝説の花。悪い虫を払ってもらおうかな。
 午後、某所へ出かける。担当者、相も変わらず言い訳オンパレード。挙げ句の果てに、
 「そちらが、うんぬん」
と、こちらに責任転嫁。これでは信頼関係もクソもないね。
 それでも事が運ぶまでは、話し合わねばならない。ふう。
2009.06.15  バッテリーの故障
 夜、ホームページを管理しているパワーブックが、とつぜん起動しなくなる。明日にでも専門家の意見を聞かないと確かなことは判らないけど、何の前触れもなく停止した経緯からして、おそらくバッテリーの故障。
 これで当分サイトの更新はできなくなる。やれやれ。
2009.06.14  海に神輿
 午後、子供を連れて保育園の方へ行く。そのままソフトクリームを舐めさせながら海へと向かっていると、細道を神輿二基が、
 「ワッショイ、ワッショイ」
と塞いで、バスも、人もしばし立ち往生。一時みんな見物客となる。
 半時ほど海岸で遊んでいたら、さきほどの神輿が三基に増えて国道の下をくぐって来ると、国道のそば、人の囲いの向こうでしばらく何事か為し、その後、細道で奮闘していた二基が海に入っていった。そして海上渡御。漏れ聞こえてくる人声によれば、五所神社のお祭りなのだとか。
 夏が暑い。
2009.06.13  ピーターラビットの
 駅前の書店でピーターラビットの図書カード二枚を一度に消費。ふう。
2009.06.12  「犬の餌」
 相方さんが和菓子を買ってきた。ティータイムにふさわしい忘れ時。
 でも、市境近くにある真っ当な和菓子屋の品なのに、餡はともかく、「鮎」は数日前の物だろうし、饅頭は
 「犬の餌」
 軽く見られたということか。なかなか手ごわい町だ。
 しょせんここではよそ者。でも、居心地はとても良い。ここが今じぶんの居るべき場所だと、強く、つよく感じる。
 さて、まともでない品を渡されなくなるのは、いつのことやら。まあ、犬の餌をつかませられる方も、あれだけどね。
2009.06.10  梅雨入り
 梅雨入りだとか。たしかに一日曇り空。
 ただし梅雨独特の蒸し暑さのようなものは、あまり感じない。気温は高くなっているし、多少蒸してもいるけど、あのじとっとした肌に湿気が張り付くような感触がない。これが今の気象のせいなのか、この土地のせいなのか気になるところ。
 正午過ぎ、指定された店に行く。店名を忘れたとかで、だいたいの見当でここと決めて入ったのだけど、けっきょく会えず。やはり別の店だった。  駅前にて自分の用事だけ済ませて戻る。
 次こそはその店に行こうと電話口から誘われたけど、やっぱり店名は覚えていないとかで、こう言った。
 「覚えたら連絡をくれ」
2009.06.09  モダンな顔
 きのうは満月だったのに、昼間晴れていながら、夜は曇り。その昨夜、プロ野球マツダオールスターゲームのファン投票中間発表。予想通り去年と同様に広島東洋カープの選手の得票が多い。去年からマツダこと旧東洋工業の冠が付いたゲームになったのだから、マツダさんが東洋カープの選手に大勢出場してほしい気持は理解できるけど、これではオールスターの価値は下がり、マツダの評判にも良い影響を与えないのでは。
 明けて早朝、明月院を散策し、少し時間が余ったので、近代文学館別館に寄る。
 学校の教科書で知った古賀春江作「窓外の化粧」の実物を初めて観た。川端康成がここに寄贈したとか。とてもモダンな印象だったのだけど、こうして間近で目にすると、踊り子の顔も衣装もやはり昭和初期、現代とは違い過ぎる。
 外には遠足の小中高生ばかり。どうして昭和初期と同じ顔をした子がいないのだろう。育ちなのだろうか。
2009.06.07  苦手な文章
 ひさしぶりに快晴。
 散歩の途中、手打ち蕎麦の店に寄る。店主の名前に見覚えがあり、誰だったかとさんざん思い悩み、気付いた時はため息。江戸時代の有名な学者の名前と同じなのだ。時間が早いせいか、まだ客は少ない。それでも蕎麦は美味かった。
 伝えなければいけない用件があるので、人に文書を書いて送ってもらうように依頼した。親しい人、不特定多数の方々への言葉ならばスラスラと浮かぶのに、特定の他人を相手にすると、まるで出てこない。でも、世の中には、そちらの方が得意な人もいるらしい。だから、そんな僕でも困らずにすむ。大切なのは、そういう役割を振り当てられないように気を付けること。そこで失敗すると、自分を含むすべての人達に迷惑がかかることになる。もちろん、そんなのは嫌だ。断じて。
 書籍を次々開いては閉じて、ネット検索をかけて、あれこれ考え込んで、数時間後できたのは歌二首。上々。
2009.06.06  地元えこひいき
 朝から雨。午後からしだいに晴れてきた。部屋でCDや本を楽しむ。
 未明までサッカーW杯最終予選をTV観戦。シロウトの僕でも、不可解な判定が続く。ホームタウンデジションと呼ばれる地元依怙贔屓。僕がスポーツで最も嫌いな部分のひとつだ。それにしても、ここまで露骨で善いのだろうか。舞台が東京だろうが、カルカッタだろうが、これではうんざりする。
 とりあえず、日本代表の予選突破を見届けて、寝た。
2009.06.05  パラレルワールドなんか
 雨が強くなったり、弱まったり。寒い。
 村上春樹氏の新作長編小説『1Q84 Book 2 〈7月-9月〉』を読了。『Book 1』と同時発売された本書。おそらくまだ続きがあるのだろう。
 ストーリーは1984年が1Q84年になってしまう、パラレルワールドを否定した世界、などと書いても、何のことだか読んでない人には解るまい。
 別の作品である『ねじまき鳥クロニクル 第三部 鳥刺し男編』の登場人物らしき人が二名ほど出てきた。あれの舞台設定は1985年だったから、『Book 3』以降の展開しだいでは『ねじまき鳥クロニクル』という小説は実は1984年ではなく1Q84年の話だった、ということになるのだろうか。パラレルワールドは否定されているのだから。すると『ねじまき鳥クロニクル』の読解にも多少の影響があるな。もっとも『1Q84』の作中にパラレルワールドは存在しないが、『1Q84』と『ねじまき鳥クロニクル』がパラレルワールドであって悪い理由にはならない、などという姑息な逃げ方もないではないか。…ありえない。
 そんなことを気に掛けるよりも、もっと真剣に自作を書かねばと、机に向かったら、すらすらとペンが進む、進む。パラレルワールドなんかいらない。ここで書く。
 インターネットを始めると、小説の賞をとった某後輩から腰の低いメールが届いていた。返事は来週で善いだろう。
2009.06.04  ペダルをこぐ
 お茶屋でコーヒーを飲みながら、読書。耳をかすめるジャズの音色が心地好い。
 戻ると、三輪車が届いていた。ネットショップで手に入れた新品。
 子供を乗せると、最初は足で地面を蹴るだけだったけど、横を通る自転車を見て、
 「こうする?」
と尋ねてくるのに、
 「そう」
と答えていたら、いつのまにかきちんとペダルを扱げるようになった。近くをぐるぐる回るだけのつもりだったのに、そのまま何処までも、それも思い掛けない方向へ進みたがるのに驚いた。途中までそれに合わせる。でも、最後にはこちらの独断で道を変えた。
 僕等は今同じ道を行く。はたしてそれはいつまでのことだろう。
 たどり着いたのは夕食の直前だ。
 夜は本の続きを読んだ。
2009.06.02  洋菓子屋のお引っ越し
 新居の或る部屋の蛍光燈のカバーが壊れていたので、わざわざ昔の部屋から古い物を持って来たのが、壊れたまま使っているうちにそのまま使いたくなって、今日カバーを取り寄せた。古い物は結局すてるしかあるまい。
 有名な洋菓子屋が数年前こちらの近所へ店を移したと聞かされたので、行ってみると、そこには別の名前の店が。早くもさらなる移転を重ねたらしい。
 そのお茶屋でくつろぐ。そこで本を読んだ。
 物書きで引越魔という人は珍しくないけど、こういう業界でもあちこち移りたがる人がいるらしい。移りたかったわけじゃないと強弁されたとしても事実移っているなら、嗜好じゃなくとも運命だ。僕の引越が嗜好なのか、運命なのか、誰に決められるものか。
2009.06.01  衣替えの日だというのに
 衣替えの日だというのに、ここは涼しい。一日中、長袖で過ごした。これまであまり無いことだと思う。いや、人生で始めてかも。
 それが快適ならば、悪いことではないはずだよね。
 既に梅雨入りしたのかどうかは知らないけど、そういう口振りをしているお天気アナウンサーはいる。すると今日は梅雨の晴れ間だ。とても好い。
2009.05.30  「ヤナーチェック」
 午後ひさしぶりに晴れてきて、気温も上昇。ようやく初夏らしい空に戻った。もっとも夕暮になると、また怪しげな空模様。
 近くに高価そうな花々を並べた庭がある。通りかかると、その家の主人らしき人が、満々と水をたたえたジョウロで花々に水をかけていた。四日ほどもずっと雨で、今にもまた降りそうなのに、さすがというか何というか。
 相方さんの手元にあった「シンフォニエッタ」のノイマン指揮盤とジョージ・セル指揮盤のCDを交互に聴きながら、作曲者の日本語表記は「ヤナーチェク」か「ヤナーチェック」かといった初歩的な話などする。相方さんは「ヤナーチェク」だと言い張った。
 名前は難しい。「ギョオテとはおれのことかとゲーテ言い」なんて川柳もあったな。ちなみにゲーテには「グーテ」「ゴェテ」「ゲヨーテ」等の表記もあるとか。いやはや。
 それから、その初めて聴くCDを鳴らしたまま、本を読んだ。曲は何度かリピートしていた。
2009.05.29  値下げDVD
 小雨の中、駅前まで出かけて、CD店と書店とコンビニエンスストアに入った。オンラインで購入したボブ・ディランの新譜CD+DVD付き"Japanese Edition"初回限定版を受け取る。
 CDのみにしなかったのは、DVDが見たかったのではなく、限定版に惹かれたわけでもなく、たんにCDだけの正規盤よりも店頭での価格が安かったから。人によって意見はさまざまだろうけど、僕としてはDVDが付くことで値段が安くなるのなら、どんどん付けてもらって好い。
 おととい聞いた栗本薫(中島梓)さんの訃報を受けて、相方さんから栗本さんにまつわる想い出話を聞く。故人にとってはたいしたエピソードでないのだろうけどね。
 それから栗本さんの作品の話をしたのだけど、相方さんにとって栗本さんは「グイン・サーガ」の作者で、僕にとっては「花陽炎 春の巻」の作者なのだから、話が合うわけはなかった。
 夕方、作歌。
2009.05.28  蚊とセーター
 朝方いつのまにか雨が降っていた。初めて傘を差してこの町を歩く。アジサイの花も、草の葉の色も、より鮮やかだ。
 それにしても、寒い。きのうまでここ数日、蚊が飛んでいたというのに、通りすがりにセーター姿の人が居る。何度も繰り返すけど、日の代わる度こうも寒暖差があるのでは、たまらないよ。
 近くのコンビニエンスストアに寄り、乱丁で話題を呼んだマンガ雑誌を手に取る。首都圏地域は差し替えが間に合ったので正しいページで読めるという情報通り乱れはなかった。ここは首都圏だと認められたようで、ほっとする。
 今まで問題のある雑誌や著書と関わったけど、さいわいまだ乱丁に遭ったことはない。もちろん永遠に遭いたくはないが。
2009.05.27  真夜中の散歩
 真夜中の町を歩く。サラリーマンは少ない。中心は学生達。市内に大学など建ってないから、昼間は観光客にまぎれて、在住者も目立たないのだろう。
 明るいのはコンビニエンスストアの灯ばかりだ。そのコンビニに立ち寄って、金を払ってきた。そして就寝。
 朝、目覚めたけど、あいかわらず一首一篇の作も無し。
 創作への意欲とアイディアにあふれながら、それが形にならない時ほどむなしいものはない。あと少しでできそうな時は、かゆい所に手が届かないような苛立ちを感じるけど、茫漠として手も付かない時は、むなしいばかりだ。
 書かない自分は堕落者と違いはない。いや、真の堕落者には堕落者なりの本物の作品が書けるだろう。その意味では不徹底な堕落者と呼ぶべきか。何にせよ、ろくな者じゃないよ。
2009.05.26  アジサイの始め
 朝方、税務署へ行き、三宅惺事務所を当地に移す手続きをすませる。金融機関にも出かけて、古い「三宅惺」名義口座の住所を変更した。急ぐ必要のない雑務で、後回しにされてきた形。これで公的にもほぼ完全に移転を終えたということだろう。たぶん。
 新居の住所を知らせた知人よりメールが届いた。
 「隠居したらそういう場所に住みたい」。
 僕としては、静かに創作に打ち込める環境のつもりだったのだけど、他人からすれば隠棲でもするのにふさわしい土地柄なのか。世を憂じ山と人は言ふなり。ふむ。
 公式サイト上に不具合が発生して、こちらにメールを送れない場合が出ていたのが、けさ復旧したとか。ご迷惑です。
 近所にはアジサイの名所が多い。市道の脇にも少しだけ色付き、ふくらみ始めた花を見かける。そうして、また梅雨になる。
2009.05.24  夏場所千秋楽
 大相撲千秋楽であるこの日の正午、取り組みまでまだ時間があるというのに、ひさしぶりに心が湧き立つ。こういうわくわくする心持ちがなければ、やはりなんとなく惰性で視ているということ。もっとあって好い。
 結果は、大関・日馬富士の逆転優勝、千代大海の大関残留、元関脇・稀勢の里の13勝等など。いろいろな意味で、期待は裏切られなかったよ。
 横綱二人に日馬富士の三力士と、魁皇、千代大海、琴光喜の三大関は、去年からパフォーマンスに差があり過ぎ。どちらがどうとは言いたくないけど、僕が子供の頃から馴染みのある大相撲に近いのは、前者だと思うな。
 日曜日だけど、作歌に励んだ夜でした。
2009.05.23  大塔宮まで
 大塔宮まで散歩。強い陽射しを浴びただけ。
 帰宅後、歌作。宮でのことは歌にならなかったけど、途中の道は歌になる。
 ウッドストック・コンサート40周年記念で、それぞれ出演アーティストの当時のオリジナルアルバムにその日のライヴをプラスした二枚組CDが出回るらしい。ライヴの一枚だけで充分なのに。どうゆう購買層をターゲットにしての戦略なのやら。とりあえず一枚くらい買っても善いかな。
2009.05.22  薄荷摘みか、黒船か
 朝、新型インフルエンザに政府が敗北宣言。もはや公共機関はこの病いを予防しないから、後は個々の力でしのいでくれとのこと。梅雨が明けても終了していなかったら、そのまま季節性インフルエンザの時期に突入してしまうのでは。とりあえず、これまでの努力が奏効して下火になってゆけば善いのだけど。
 午後、訪問客、一名。不審な表情で帰っていった。
 イメージと違ったかな。それとも、こちらが社会人らしくなさ過ぎたか。
 歌人という予備知識が禍(わざわい)したのかも。歌壇の人達って一般の社会人にしか見えないからね。まあ、最近は文壇も似たようなものらしいけど。それとも文壇ってもう存在しないのかな。まあ、どちらだって良いや。
 「黒船の噂も知らず薄荷摘み」。芥川の句だよ。噂を知らないのは、薄荷摘みの人も、黒船もさ。
 どちらかといえば黒船が好いな。当然。
2009.05.21  黒湯
 横浜の釜利谷町で遊ぶ。丘からぼんやり海を遠望しながらブレドールのパンを食べたり、交通量が多いのになかなか替わらない押しボタン式信号機に腹を立てたり。それで一首でも歌ができれば言うこと無しなのだけどな。
 金沢文庫駅前からバスに前のドアから乗ると、
 「何処まで?」
と運転手に尋ねられ、最初何を言われたのか判らなかった。バス乗車時、運転手に行き先を告げて小銭を払い、後ろのドアから降車する、郡部でも稀になった作法をこの港湾都市ヨコハマで体験するとは思わなかった。SuicaやPasmo等のカードを読みとる器械が故障でもしていたのだろうか。
 その後、地元の温泉を訪ねる。黒湯であるという予備知識がありながら、洗い場に置かれた洗面器の中のお湯を初めて目にした時は一瞬泥水に見えた。それでも湯に浸かれば快適。
 いよいよ周囲でもマスク姿の人をわずかながら目にするようになった。さて広まるのか、どうか。
2009.05.20  奇跡と柏餅
 月上旬に食べた柏餅が最悪だったので、いろいろな和菓子屋で試した結果、今日ようやくまずまずの品を売る店を見つけた。どうやらこの町の和菓子屋は、美味しい品がそれぞれ異なっているらしい。困るのは、その美味しい品が必ずしもその店の自慢の一押しとは限らないということ。数日前、店頭に数枚張り紙張ってアピールされていた品を食して、あぜんとしたけど、その横に置かれていた団子は佳かった。
 柏餅を食べた後、テレビで大相撲観戦。負け越したら引退かとささやかれているベテラン大関千代大海関は、今日も負けて5勝6敗。ここから挽回、勝ち越しは、もはや奇跡的。奇跡が起きるならば見届けよう。起きなくても見届けてしまうのだけど。
2009.05.19  漢検の不祥事
 ひさしぶりに喫茶店にでも寄ろうと思っていたのに、時間がなくなった。近くに有名なコーヒー店がたくさんあるのに、引っ越してからまだ一件も店のドアをくぐっていない。なんだかもったいない気もする。
 きょうは終日くもり。海辺は風が強くて、浜辺の砂が吹き上げられていた。沖を眺める。
 夕方、漢字検定協会の元トップが親子で背任容疑により逮捕、と聞いた。日本語の研究教育関連の既成雑誌が休刊・廃刊しているというのに、日本語をネタに利益を得た挙げ句、やり過ぎる人もいるわけだな。
2009.05.18  マスクがない
 正午前、買い物帰りの相方さんいわく、
 「マスクが何処の店にもないの」
 花粉症用のマスクがあるからこれ以上は要らないと、先月こちらは言ったのに、ここまで病気が広がったらインフルエンザ用がないと不安らしい。
 もっとも、この町を歩けば、道行く人はまだ誰もマスクなどしていない様子。
 そもそもマスクにどれほど予防効果があるのか、きわめて怪しい。医者に言わせれば、患者でない人が付けても、あまり意味がないはずなのにな。
 1970年代のオイルショックでトイレットペーパーがなくなり、1990年代の冷害パニックで米がなくなり、今2000年代末、新型インフルエンザでマスクがなくなる。トイレットペーパーや米袋と違い、マスクは買い置きしても場所を取らない替わりに、確実に消費してなくなるという物でもないから、来年になっても各家庭の引き出しや押し入れの中はマスクでいっぱいだろう。おそらくこちらもいずれお仲間になる。それがちょっと悔しい。
2009.05.17  いろいろな「詩」
 新型インフルエンザの日本上陸で騒がしい昨今、風と雨が強い一日。
 「このインフルエンザは毒性が低い」
 「死者の数が少ない」
などと言っているけど、ドしろうと意見を述べれば、それはたまたまこれまで罹病した患者に老人と病人が少ないというだけの現象ではないのかと疑う。判らないけど。
 先月の引っ越しからすべてがほぼ順調に運んでいただけに、けさ体調を崩したことはトピック。原因はここ数日の寝不足続きであることぐらい解っている。昨夜の睡眠は約三時間。だから昼食後すぐに寝たら、午後三時には全快。それだけのこと。
 子供は『まどさんとさかたさんのことばあそびうた』を読んでもらっている。相方さんがこちらに尋ねてきた。
 「詩集はどう?」
 いま子供が読んでもらっている本のことだと解らなかった。そうか、これは詩集なのか。気付かなかったよ。そう言われれば、たしかに詩らしい詩だってあるな。世の中にはいろいろな「詩」があるものだね。
 僕の判断力なんて、その程度のものさ。
2009.05.15  ヒコーキ
 鈍行電車がのろのろと進む。今回は往きと同じ径なので、つまらない。
 数年前に海外で話題になった"Confession of a Yakuza (The Gambler's Tale)"の原著を読んで、時間を潰した。「あのフォーク歌手ボブ・ディランが盗作?」と騒がれたネタ本。やっと初読。問題箇所を検証している英文サイトを閲覧し、ディランも引用が下手になったものだと慨嘆したことを思い出しながら、目を通した。
 新居にたどり着く前に読了。
 夕方、子供を連れて、外へ出た。夜間飛行のライトが南の空をよぎる。
 「ヒコーキのりたい」
と、子供が言った。航空旅客機ならばまた乗れるさ。
2009.05.14  カンパチ
 夕餉の卓に「魚の粗(あら)が安かった」とカンパチが出た。同じアジ科のブリに似ているけど、僕はブリほど馴染みがない。これも海辺ならではだろうか。そんなことはこれまでなかったからな。
 夜、インターネットで「有名寺院の門跡、覚醒剤使用で逮捕」の速報記事を読んだけど、たんなる誤報で、本当は得度しただけの破戒僧だった。門跡といえば、一門の統領、もしくは寺の管長だよ。ばかばかしい。覚醒剤使用ならば、二軍選手だろうと、三流ミュージシャンだろうと、ニュースになる。くだらない。
 ここ数日の出来事をメモした後、あれこれ考えたけど、今夜悩みはついに言葉にならず、詩歌にもならない。暗澹たる気分で就寝。
2009.05.13  知らない町
 明け方、JRに乗る。行き先を決めずに遠出をするのもひさしぶりだ。
 適当な駅で降りて、宿に泊まる。伊豆半島の何処かだろう。名前も知らない土地。
 そのまま歌作で唸っていたら一日が終わった。それは大袈裟か。
 僕の生活が僕の創作と一体化しているのは、そうでないと忘れてしまいそうなことに世界は充ち満ちているからだとしても、それは忘れようとしても忘れられないことがあるからだとしたら、やっぱりそれはたんに僕の趣味嗜好ということになるのだろう。
 音楽が聴きたい。次はiPodでも携帯して来ようかな。
2009.05.12  タイワンリス
 年頭に咲いたシクラメンが萎れ、実を付けた。庭に蒔いたら、また花を付けるのだろうか。
 午後から強い風が吹いた。
 庭に小動物の糞があったとか。そういえば、数日前散歩していたら、垣根から門の屋根へと小走りに走るタイワンリスを目にして、あぜんとなった。ああいう類いのものをこんな間近に見たことはない。すると、糞もその類いだろうか。
 二階で書き物をしていると、庭に水を巻く音がした。清掃中ということだろう。花でも咲けば好いのにな。
2009.05.11  仕事始め
 朝の散歩。短い山道を抜けると、草花で水面が覆われた好い池に出た。
 ここは寺の境内らしい。墓苑には小説家・葛西善蔵の墓が。端に由緒書があって、昭和末に弘前市の菩提寺から分骨して、平成に改めて墓石を建てたと。どうりで貧乏作家にしては立派な墓だ。
 山頂まで登り、ぼんやり海など眺めていた。
 戻ると、ようやっと子供が保育園へ通い始めて、うちは一層しずか。どうやら仕事になりそうだ。
2009.05.09  外は汗
 今月は、ゴールデンウィークとか、引越とか、雑務に追われて、ほとんど仕事が進まない。などと言っているけど、実態は、むかし読んだ本をつらつら再読して時間を潰しているだけ。まあ、これも詩人らしいといえば、らしいのだろうか。
 外は満月。今の季節、この家は夜ばかりではなく昼まで涼しくて、外を歩いている人は額に汗など浮かべているのに、ここでは半袖になどなろうものなら、たちまち風邪をひきそう。不思議といえば、不思議。
 で、この快適さが、静かで、何事も起こらない暮らしに繋がるのだとしたら、不毛だ。もっとも、本当に何事も起こらない暮らしなんかあるわけないので、今は昼寝でもしているほかないか。
2009.05.08  飛べ飛べ鳶
 雨が止んだので、とんびまでが気持良さげに鳴いている。もっとも、陽が出たわけではない。
 それでも、ひさしぶりに散歩して、古本で歌書など購入。路上のポスターが、とんびの被害を伝えていた。とんびじゃなくて、「トビ」と表記されてある。それなら「鳶」とでも書いてくれないと、僕にはしっくりこないね。
 夜、テレビが横浜スタジアムを映したら、どしゃぶり降りでびっくり。やがてこちらもまた降ってきたけど、いつの間にか止んでいた。
 そして深夜まで読書。
2009.05.06  生まれた時
 天気予報は大ハズレで、朝から小雨、さざれ雨、そして夕方から大雨。予定をチャラにして、閉居。
 テレビを替えたのだから、テレビ台も買って、そこに音響装置を置いたら、見ばえだけは栄えて、なんだか音まで良くなったような気分。気のせいだということは知っている。
 隣の部屋で相方さんとその子供が話しているのが聞こえてきた。
 「生まれた時どうだった」
 「ビートルズ!」
 これははたして会話なのだろうか。僕が彼にビートルズを聴かせたのは、生後一ヶ月を過ぎていたはずだけど、本人にとっては生まれた直後のようなものなのかもしれないな。とりあえずルー・リードじゃなくビートルズで善かった。
2009.05.05  ウグイスに懸ける
 もちろんすべてがうまくゆくわけではない。引越だって、そうだ。
 前の住まいでは使わなかったビニールロッカーをひさしぶりに箱から出したら、黴ていた。四台分のスペースがある駐車場に車は一台しかないのに、ここには駐輪場はなく、自転車カバーを掛けての雨ざらし。
 おまけに、子供の日だというのに、この空模様では鯉のぼりを泳がせるわけにもいかない。うちの子供は見えない相手にカードを配りながら、先月まで通っていた保育園の友だちの名前を
 「はい、みくちゃん」
 「はい、豪」
と呼んだりして、一枚ずつ置いている。いや、実はそれはカードですらなく、僕が古びて捨てると決めたカーテンのピンだ。相手がいないのだから、本物のカードである必要はない。たしかに。
 こんな空では、とんびさえも自由を描かない。でも、ウグイスは今日も元気に歌っている。
 おや、何処かの廃品業者もスピーカーでがなりながら自動車をゆっくり走らせてきた。きっと飛行機もやがて通過して行く。
 そして、いずれまた賑やかになる。
2009.05.04  引越通知
 引越通知を作り始める。
 ただ新しい住所等を書くだけじゃつまらないと、
 「海から見た富士山の写真を載せれば」
 「近くの文学館で今バラがきれいだそうよ」
などという人の意見を参考にしつつ、自宅の近影をそのまま使うことにした。ポートレートじゃなく、写っているのは家だけ。
 自分で建てたわけじゃないけど、人に今の住まいを紹介するには、これが一番じゃないかな。たぶん。
2009.05.03  段ボール箱が目障りで
 開いていない段ボール箱が目障りで、次々と開封していったら、疲れて、寝ころぷと、何ということもなく、手元の文庫本などを手に取ってぱらぱらとめくる。昭和初期の文章。散文に徹した散文といった類いの物。つまり、詩ではない。といって、日常生活を下敷きにしてもいない、ということ。
 当時は、日常生活を下敷きにしないで、散文に徹した、詩ではない詩歌などというゲテモノみたいな物が、さかんに作られていたのだけど、同時代に生きながらそういうものには見向きもしていない。それはあくまで精神の問題なのだろう。
 おもしろいのは、平成の現代大衆小説に詩を意識した作品が幾つかあること。ただし言葉は詩でない。その代わり日常生活から遊離できている。
 おかげで詩人たちの不甲斐なさがきわだった。まったく、詩もうかうかしていらいれないね。
2009.05.02  白い綿毛
 昼前、小さな庭をガラス越しにのぞくと、イモリが這っている。玄関のドアを開けると、子供が唇をとがらせて、タンポポの白い綿毛を飛ばしていた。
 小町通りを通る用事があったのだけど、まるで縁日の参道のような人、ひと。新型インフルエンザが流行っているから人込みには行くなと政府や地方の当局が幾ら言っても、ゴールデンウィークだからな。
 ロック歌手・忌野清志郎氏の訃報をインターネットで読んだ後、彼がヴォーカルを執っているザ・タイマーズの「デイ ドリーム ビリーバー」やRCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」等、むかし自然に耳に入ってきた音を聴きながら、本棚の整理をして、今夜も夜更かし。また寝不足だな。
2009.05.01  閑歩の日々
 引っ越し直前、贔屓にしてきた和菓子の店まで相方さんが「最後だから」と訪ねたら、今までの御愛顧の礼だと言って、一箱くれたとか。おかげでそれから今日まで毎日、和菓子を口にしている。もちろん悪い気はしないね。
 近ごろ注目されている宿泊施設が、これまで通りメンバーズマガジンを何事もなく送って来た。いつメンバーに成ったのだっけ。ともかく今回は、うちの子供が好きなSLを取り上げているのが、良い。それにしても長らく総務相から批判され続けている、この宿、紙面には何の反応もない。編集者にも今後どうなるのか見当もつかないのだろうけど、ね。
 とんびが低く飛んでいる。紅白のツツジがあちこち咲き乱れている路地を抜けるように歩いた。
 近くの境内を散策していたら、神主が奥から出て来られて、干支の色紙と開運の置物をいただく。「漫画家の清水崑と横山隆一が敬っていた神社」と教えられた。田河水泡がいない、そう思うのは、同時代のこの三人の漫画家が何かと一緒に論じ、紹介されているからなのだろう。神まで一緒にすることないか。
 とりあえず、いだだき物は、鄭重にいたしましょう。
2009.04.30  貴賓室みたいな
 連日、新型インフルエンザの報道ばかりで、子供の保育園に空きがなくて悩んでいた相方さんも、
 「通園できなくて良かったということになるのかな」
とポジティヴ思考になってきた。
 アシュケナージのラフマニノフ「ピアノ協奏曲第二番」を通して聴きながら昼寝。十代で初めて聴いた時は、ポピュラー歌手エリック・カルメンがたびたび引用しているのに気付いて、あれはほとんど引用だけで持っている曲なのかとあきれたけど、今ではテレビアニメ「のだめカンタービレ 巴里編」のテーマに使われていても、べつに驚かない。作中でその演奏シーンもあったからね。第三楽章の途中から覚えてないので、その辺りで寝たのだろう。きっと。
 午後は駅前の銀行へ。さんざん待たされた。窓口が順番待ちの人でいっばい、受付時間終了間近、という事情なのか、上の階の大口顧客用らしき貴賓室みたいな一室にまわされる。何故か棚に高浜虚子ほか数名の著書が。昔ここの顧客だったとでもいうのだろうか。まあ、少なくとも窓口のお姉さんの対応と椅子の座り心地だけは良かったよ。
2009.04.28  段ボールに占領されて
 前の部屋から最後の荷物が届いた。段ボール箱が部屋を占領している。
 収納ラックもやって来た。想像していた物より少し小柄。どうやら押し入れに頼らなければなるまい。
 まだ捨てた品々の補充、つまり、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、テレビ台、扇風機などなどが、後日に届く。なんとまあ。
 人々が慌ただしく動いていても、僕はノートやパソコンの前で悩む時間を止めるわけにはいかないので、一室に籠る。一首の歌すらできなかったのだけどね。
 慣れない町で夕食を求め、ようやくイタ飯もといイタリア料理店にたどり着き、食事時間は約十分。味覚を楽しめるような店でもない。
 到着する品々にお目にかかるため、明日は早寝早起き。予定は午前八時半以降だ。おやすみ。
2009.04.27  大掛かり
 モーツァルトにせよ、夏目漱石にせよ、自分の仕事に理解のない悪妻と連れ添いながら、さして不満を感じていた風もないのは、自身の作品に対する圧倒的な自信によるものだろうか、ファンへの信頼だろうか、などと考え込んで、時は経つ。いや、本音はどうだったか知らないけれども。
 大型ゴミ処理業者、電気屋、ディスカウントショップ等などが、入れ替わり立ち替わりやってきて、さまざまな品を運び出したり、置いていったり。ただぼんやりその光景を眺めていた。
 だんだん引越が大掛かりになってきている。掛かる費用も、疲労も増す一方。次の時は、さらに倍増するのだろう。
 悪いことではない、筈。
2009.04.26  風
 とにかく風が強かった。
2009.04.25  交互こうごに寒暖の日
 買い物でバスに五回乗る。初回は車内で文庫本を開けていたけど、五回目は睡魔に打ち勝てず、最後はどしゃ降りの雨のなか、三十分歩いて、下半身ずぶ濡れ。なんて日だ。
 朝から着込んでいたから一日寒くはなかったけど、明日また今日よりも10℃以上も高いという予報に、喜びつつも、ため息。こうも寒暖差のある日が交互こうごにあるのじゃ、まったくたまらないよ。
2009.04.24  お遍路計画
 近付くゴールデンウィークのせいか、町は大勢の人だかり。Tシャツ姿の若い男がいるかと思えば、厚手のタートルネックセーターや薄手のロングコートをまとった若い女性もいる。たしかに暑いのだか、寒いのだか、はっきり見定め難い空模様。こちらは薄手の長袖シャツを着て、バッグに上着を積めて、出発。
 朝から市役所の各課を彷徨。昼食のため一度駅前に出ただけで、すべての用事を済ませたら、午後二時だった。
 なんとなく浮かれた気分になる。すると聞こえる声も浮かれだす。
 「来月みんなでお遍路に行こう。一ヶ月くらい」
 「いや、旅費が尽きるまで」
 夜、身近な人にそんなことを言われた。住まいを移したばかりだから、それだけでとうぶん充分だよ。
2009.04.23  「与謝野晶子氏、鉄幹氏」
 きのう深夜、酒を飲み過ぎた男性アイドルが公園で全裸になり逮捕されたというだけで、ニュースはトップ級扱い、警察は家宅捜索だとか。別件逮捕でなければ、過剰反応としか思えない。
 おかげで、すっかり忘れていたのに、泥酔疑惑で更迭された大臣のことまで思い出してしまった。

 住まいを移したからといって、前の町と完全に縁が切れたわけではなく、野暮用だってある。その町の図書館に寄って、図書カードを返し、利用者登録を廃棄してもらったり、細かい作業はまだしばらく続くのだ。
 芥川龍之介の日記を読む。未発表稿では「与謝野晶子氏、鉄幹氏などに会う」とある箇所が、雑誌に発表した定稿では「与謝野鉄幹夫妻に会う」に直されている。妻の晶子の名前がない。
 おそらく未発表稿が芥川の本音で、定稿は当時の夫唱婦随的風潮に配慮したのだろうけど、現代では逆に批判されそう。「与謝野夫妻に会う」あたりが穏便か。
 そんなくだらない感想を述べないで、良い文章は味わっているだけで良いのだけども、うまい、おいしいだけで終わってしまうのも、ね。あじけない。
2009.04.22  葉桜と転出届
 近所にある役所の出張所に転出届を提出した。これでこの街とはお別れ。さようなら。出る前は、いつまでもここに居るわけにはいかない、早くここを去らなければという思いでいっぱいなのに、いざ立ち去るとなると、寂しい。
 なんだかんだあったけど、いろいろ実りはあった。自分の書く作品は、少なくともここに住む以前よりも飛躍的に向上したという自信がある。でも、
 「三宅惺の実作は、高尾山麓の地から離れて以降、まったくダメ」
などと言われないようにしなければと、高尾山を眺める。葉桜の色だ。
 もっと、もっと優れた作品で応えなければね。あの色に。
2009.04.21  少子化よりも
 相方さんより「市役所から電話で保育園も幼稚園もいっぱいで欠員はないと言われた」と告げられる。それから零歳児の頃から子供の主治医にしていた近所の小児科医院が、やめてしまったとか。あちらでも、こちらでも、か。
 政府は少子化対策をあれこれ立案しているようだけど、保母も小児科医も全然足りない現状で子供だけ増えたら、パニックだろうに。増えてから対策を立てた時は、とっくに手遅れだよ。
 引越の荷造りが追い込みに入ったらしい。いよいよ、か。僕も半日で自分の荷物をすべて積め終わった後、少し手伝う。
 「手際が良い」
と感心してくれた。
 住み移りを繰り返して厭きないのは、たいして負担を感じない上に、これまでそれにまつわるトラブルらしいトラブルがあまり無かったせいもある。では、トラブルだらけだったら引っ越さないかと言われれば、やっぱりそれはするんだろう。
 今回も快適にゆけば好いな。
2009.04.19  あなたに逢いたくて
 公園で若葉を下から見上げる。ふと自由について考えてしまうと、一首、歌ができそうになり、でもこの時はまとまらなかった。
 今日は休日として、何も創作のことなんか考えないで過ごしても善いはずだけど、なかなか心はそうはいかない。できなかったのだから、休日と同じようなものかな。
 駅前の本屋に寄った後、店でコーヒーを飲みながらマンガ「犬夜叉」のコミック最終巻を読んでいたら、BGMが松田聖子の「あなたに逢いたくて」に替わる。読み終えた時、この街でやり残したことはもう何もないような気がした。何故だろう。
2009.04.18  桜満つ冬の寒さに耐えてこそ
 アキさんが仕事で来る。書かなければ人生は暇だ。この不景気の世では、仕事がなくて暇であることを嘆いている人も多い。一方、忙し過ぎて、疲れきっている人も大勢いる。今のところ僕は暇でなく、忙しくもなく、ぽつりぽつりと書いている。それでも彼が満足して帰ったわけでもなさそうなのが残念ではあるな。
 今の首相が花見の会を主催して、「ふるさとにはや桜満つゆえ問えば冬の寒さに耐えてこそあれ」という自作の短歌を披露したとか。政治家と花見と歌というこの取り合わせ、なんだかタイムスリップしたような気分。好意的に読めば、冬の寒さと低支持率に耐えておられたという、切実さだけは伝わる。
 もっとも主旨は「桜満つ冬の寒さに耐えてこそ」という五七五の十七文字で全部言い尽くされてしまうから、短歌としての冗漫さは否めないね。まあ、国会質疑答弁の方は、冗漫でなく、的確、簡潔になさってください。
2009.04.17  風向きひとつで
 雨が降りそうでふらない、自分の心をじっと見つめるに最適の気候。そうして気が付いたら、数時間が過ぎている。昼寝をしているのと違いはないとも言えるな。
 先日あの甲子園球場で金本選手の三打席連続弾に驚いたら、それ以降もぽんぽん毎試合のようにホームランが敵味方に関わらず飛び出している様子。昨年度甲子園主催ゲーム61試合で38本しかなかったホームランが、今月まだ5試合で早くも11本。球場の改修工事で風向きが変化したせいではないかという憶測を聞いた。風向きひとつでそんなにも変わるものなのか。あるいは、人の運命も、うんぬん。
 明日から晴れそうだよ。
2009.04.16  知っているのがショック
 夕食後、ようやっと「らき☆すた OVA」を観る。ディープな引用が多くてイッパンジンには付いて来れないという評判を知っていたので、端から期待していなかったのだけど、ネトゲをしないからそちらネタには理解不能なシーンが多々あったものの、それを除けば何処がディープなのか、とにかく知らないアニメネタがひとつもないということに却ってショックをうけた。でも、あの時代を生きながら、
 「涙が出ちゃう、女の子だもん」
とバレーボールコートで言われて、
 「何それ」
と、とぼけるのもしらじらしくないか。本作の主人公たる女子高生のように、
 「これって日本の常識でしょ」
とまで言うつもりはないけどさ。
 ひょっとすると本作、TV地上波で未放送の没シーンを集めただけかもしれない。
 そして深夜未明。
 じっくりじっくりと歌を詠んでいたら、一時間を超えたあたりで精神力が萎えた。心がどんどん散漫あやふやになって、最後の一首は上の句(五七五の部分)で尻切れトンボのままというわけにもいかず、とりあえず完成させた、とは言っても、どうせ後で直さなければならないのは解っている。
 さて、就寝。
2009.04.15  安らぐイメージ
 朝。初めて訪ねた電気屋で家電製品をこれまで例がないほどの量を一度に注文し終えて、椅子で待たされること半時間、文庫本を五十ページ以上読んで、ようやく支払いとなった。注文品の在庫調査か、メーカーに連絡して商品を確保していたのか、配送の手配か、たんに計算が下手なのか、何にせよ、ひどい。
 正午お好み焼きの店に入ると、広島カープのカレンダーが飾ってあり、マエケンこと前田投手と大竹投手がポーズを取っていた。マエケン投手が来年のカレンダーで四月じゃなく一月に一人で写っていたら、今年のカープは驚異だろうな等と思いながら、食事。
 美術館の「氾濫するイメージ」展で、粟津潔、横尾忠則、宇野亜喜良、中村宏、木村恒久ら各氏の作品をぼんやり眺めて、午後を過ごす。'60~'70年代にはこうした人達の活動が詩歌句の世界とシンクロして、その中心に寺山修司がいたのだった。その流れが'80年代以降のポストモダニズムに結実していって、歌壇でその影響が最も強かったのは、このアート作品を観ていると、それがどれほど世界の片隅におけるハプニングであったにせよ、自然なことに思えてくる。
 それでも、ある種の他人の作品は僕を落ち着かせる。いや、そもそも自分自身の作品で落ち着いたり、安らいだりできるものなのだろうか。たとえ一千億人が僕の作品から安らぎを得られたとしてもだ。
 …得られるのかな?
 夕方もう動けないので、遅い昼寝。目覚めたら、夕食の時間は過ぎていた。やれやれ。
2009.04.14  ヒバリの祝杯
 こちらでやるべきことはすべて終えて、いや、まだ幾つか残ってはいるけど、日程の目星はついたから、さて祝杯とばかり昨夜から飲みあかす。とは言っても、ワインだけどね。
 すっかり酔いがまわり、今日はずっと寝て暮らした。
 隣の部屋では段ボール箱に荷物を積み込んでいたらしいけど、こちらはほとんど意識が戻らず、夕方かろうじて新居の大家に電話を掛けて、また眠る。電話口に出たのはまだ面識のない奥方のよう。さぞかし驚かれたであろう。
 いつのまにか部屋には、つめられた段ボール箱だらけ。子供は空きとなった本棚を不思議そうに眺めている。透いた空から鳥の声が聞こえてきそうだ。
 ヒバリかな。
2009.04.13  
 なんだか今日は疲れて散文を書く気がしない、いったい何をして疲れたのかとつらつら考えたら、歌を詠んだのだった。それならば、むしろ善いことなのだろうね。
2009.04.12  ウグイスの挨拶
 書きたいということのほかに何も本当にやりたいことがないのは、書いていれば本当にやりたいことが見つかるのではないかという期待もあったのだけど、自分の青春や人生がしだいに見通せるようになればなるほど物事の糸はこんがらがって、結局また新たに何かを書いていなければ、寝転んで空か天井を眺めているのでなければ、音楽でも聴いているだけ。青年だったあの時「僕は詩人で、それ以外の何者でもないらしい」と感じさせられたあの時に感じたことは、こういうことだったのだろうか。
 多摩森林科学園まで花見に行く。ウグイスが一羽しきりに鳴いている。太白という桜が綺麗だった。
 夜。テレビが壊れた。画像が乱れて、もはやほとんど何も映らない。新居に持って行くつもりでいたけど、もはや中古、結局寿命。新居にはアナログアンテナしかないとはいえ、今さらアナログ専用機を手に入れるほど旧式へのこだわりもないから、デジタルとアナログ両方に対応したテレビを買うことになるだろう。
 現内閣は電化製品購買推進策をいろいろ考えているらしいのに、それが施行される前に購入せざるをえないとすると、その恩恵には与れそうもない。残念。
2009.04.11  初老は遠い
 うちの三歳児は近ごろトラベリング・ウィルベリーズばかり聴いている。お気に入りの曲は"Handle with care"、直訳すると「取扱注意」、段ボール箱などに貼っておく言葉だ。ジョージ・ハリスン五十五歳の時の作品で、発表当時は初老に近付いた男の感慨と聞いていたけど、「取扱注意」というのはむしろ三歳児にふさわしい言葉かもしれないな。何をするにしても、とにかく危なっかしくてしようがないよ。
 ちなみに、かつて平均寿命が短かった時代では、「初老」とは四十歳のことだったらしい。松尾芭蕉が「翁」を名乗ったのも数え歳三十八だったとか。現代日本には、「四十歳などまだ若造じゃ」と高笑いしたがる八十歳の高齢者が、ちまたにあふれかえっているから、四十歳の誰も自分を「翁」だなんて思っていないだろうけどね。
 今では青年の期間を長く解釈した三十歳成人説まであるから、三十八歳で翁になったら、大人はたった八年間しかない。それはそれでおもしろそうだけど。
2009.04.10  「ここ夏」が"coconuts"
 石川優子とチャゲの後ろから続けざまに鳴り響くDのベース音が聴こえてきそうな快晴。つまり、もう夏みたいな気候でした。あの曲で「ここ夏」を"coconuts"に聞かせたような空耳技法が、当時の歌詞で流行っていたことも夢のまた夢、というほどでもないですけど。
 ところで、このお二人はどちらも「吠えろライオンズ」というタイトルの曲を作っておられますけど、まぎらわしいです。「Vのシナリオ~吠えろライオンズ!」がCHAGE&ASUKA作曲で、今も球場で聞ける応援歌「吠えろライオンズ」が石川さんのオリジナルだとか。一時期、混同してました。
 「おまえも気を付けろよ」という諌めが主旨なのですけど、後から真似する人もいるから、これがなかなかね。
 でも、今夜は巨人対阪神戦を生中継で視ていたので、西武ライオンズのことは知りません。
2009.04.09  あばよ
 夕方、ベランダから赤味がかった満月。それがしだいに薄くなっていった色彩が好かった。
 或る人から一風変わった連絡方法で「あばよ」というメッセージが届く。本人にその気があろうと、なかろうとに関わらず、結果として、永遠にさよならしてくれるらしい。胸を張っての退却だろうと、しっぽを巻いての退散だろうと、立ち去るなら僕も後ろ姿に手を振るだけ。あばよ。
 先月からニュースといえば延々と続いている北朝鮮関連だけど、何が不快かといって、北朝鮮の国旗がたなびいているのを毎日毎日テレビでアップで視させられるのが、一番不快。同じ映像をこんなに繰り返して、手抜きと言わせてもらいます。
2009.04.08  閑古鳥の主食
 ビートルズのオリジナルアルバムがリマスター盤発売決定とか、タイガースの41歳金本選手が甲子園球場の右中間へ二本とライトスタンドに一本で計三打席連続ホームランとか(野球好きの人なら解るでしょうがほとんどありえないことです)、話題の多い一日。
 アニメに出てくるカッコウを指差して、
 「喚子鳥とか閑古鳥とも言う」
などと子供に無駄な知識を与え、「何喰うて居るかも知らじ閑古鳥」という蕪村の句を思い出したら、『ザ・ロード』という小説にどうやって食事にありつけているのかと問いつめられる老人がいたな、名前はイーライだったか、違ったかと、思考はどんどん脱線してゆく。
 ちなみに、閑古鳥ことカッコウは、主に毛虫を食べているらしいよ。蕪村に教えてあげられないのが残念。
2009.04.07  間取り
 半日をかけて、新居の間取りをひと思案。
 きのうまではテレビのある一階の部屋を子供の寝室にして、こちらは二階でひと仕事と想像していたのだけど、さて、実際に目論見通り運ぶかというとなかなかそうはいかず、タンスを置くスペースがないという指摘を受けて、結局、音響機器は僕の仕事部屋に移された。たっぷり音楽を聴いて、たまにはDVDでも観るか。
 あれを買い、これを捨てと検討しながら、二十年近い付き合いがあった、立て机、本棚、扇風機、調味料入れ達との別れを惜しむ。冷蔵庫、洗濯機、食器棚ともサヨナラだ。苦楽を共にした物共だけど、長年の瑕、故障、汚れ等は免れない。良く持ったよ。ほんとうに。
2009.04.06  ニーチェとニジンスキー
 いつもうちの部屋を整頓しに来てくれる人が病気になったとかで、初めての人が来たらしい。どちらにせよ僕は会っていないので、違いはないわけだけど。
 バレエダンサーのニジンスキーが病気になったとき、彼の世話をしていた人が、以前雇われていた主人の症状にそっくりだと報告して、その昔の主人というのが哲人ニーチェだったという、冗談のようなエピソードを昔なにかの本で読んだ。ポーランド系ロシア人舞踏家とユダヤ系ドイツ人思想家であるこの二人が、どちらも各地を転々としていたとはいえ、そんなことがあるのかとも思ったけど、二人とも発病したのはスイスのサンモリッツと伝えるから、ありえない話ではない。ただしニーチェの病名については諸説あるので、本当に同じ病気だったかどうか。
 ともあれ、この部屋の主人は、いちおう僕なのだけど、あの人達は僕の顔もろくに知らないのだなと思うと、隔世の感があるな。
 先ほど当公式サイト内に或るブラウザではきちんと表示されないページがあることが発覚。携帯電話で意外な表示になることがあることは了解していたけど、パソコンでもブラウザによってはダメというのは、まったく困ったもの。すべてのブラウザで思い通りの表示になることを気に掛けていたら、どのサイトも似たような作りになるしかない。きちんと統一されればよいのだけど、かつて圧倒的シェアを誇ったインターネット・エクスプローラーも近ごろ斜陽らしい。なんともはや。
2009.04.04  無粋と陳腐
 駅までの道を少し遠回りして、普段は端をかすめるだけの万葉公園の奥深くまで、桜を愛でながら歩いていたら、以前来た時はすべり台とかブランコ等の木製遊具があった場所がきれいな更地になっていて、近くのベンチでは四、五才の男の子がそこを指差して泣いており、父親らしきマスク姿の男が困った顔をしていた。役所もまったく無粋なことをする。壊すなら、新しい物を建てるぐらいの配慮をすれば善いのに。
 夕方ラジオを点けっぱなしにしておくと、耳に流れ込んでくるのは、新味の無いメロディーと陳腐な言葉。どうしてこんな三十年前と変わりばえのしない音楽ばかりなのだろう。リスナーはそういうものしか求めていないのか。いや、僕にはそうとは思えない。鈍いのは発信者の方ではないのか。鋭い感性で現代を描く言葉など彼等の耳目には止まりはしないのだろう。
 一曲だけ悪くない曲が聞こえた。でも、まだエンディングが鳴り終わらないのにDJはタイトルにもアーテイストにも触れないで、さっさと次の曲に移ってしまった。
 まったく、つまらない。
 引越業者は今夜来たところに決めた。最後に見積予約をした人が一番魅力的だとは、まったく。
 でも、これで来週から心置きなく新居へ行く時間がとれそうだよ。
2009.04.03  HAPPINESS RING
 昼前、深大寺温泉に浸かって、疲れを癒す。その後、深大寺蕎麦を食べて、三鷹で古本屋めぐり。
 ソメイヨシノが満開で、ぶらぶら歩いているうちに歌まで詠めて、問題だらけの人生でも、まず心地好い春。
 うちでは、きのう人からいただいた東京こけしが、本棚の二段目から笑顔で迎えてくれた。頭でっかちで、胴体が徳利のような形をしている。そして大きな首輪。
 「これは"HAPPINESS RING"っていうんです」
 しあわせの輪、か。ひとつくらいこの土地ゆかりの物を手にして引っ越しても、罰は当たらないだろう。
 新居では、日帰りでこういうぜいたくはできないかもしれない。でも、その代わりがあれば、それで好い。
2009.04.02  サヨナラだ
 朝、高尾山奥の西山に雪が積もっていた。神奈川県北部とか、山梨県の山間部には、夜中に雪が朝まで残るほど降ったらしい。目覚めたとき、ここはもうただの春だったけど。
 今週は新居に行けそうもない。こちらでの雑事が多すぎる。
 かくして雑事をこなしながら、甲子園の決勝戦を視た。なかなかの投手戦。つまらない用事があるから、いっそう熱心に観戦することとなった。
 ところで日本プロ野球は今シーズンから最もインパクトのある最終回サヨナラ打をうった選手を表彰するサヨナラ賞を制定するとか。僕の記憶に残っているサヨナラ打を思い付くままに挙げるとすれば、
 10位 近鉄の北川「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」
 9位 広島の小早川「零封負け寸前からライトスタンドへホームラン。打たれた江川投手がこの年に引退」
 8位 西武の金森「日本シリーズで巨人の江川投手からレフト頭上を越すタイムリー打」
 7位 オリックスのイチロー「レフト線へ優勝決定サヨナラ二塁打」
 6位 巨人の末次「0対3から満塁逆転サヨナラホームラン(ラジオで聞いた)」
 5位 阪神の赤星「2003年優勝決定ポテンヒット」
 4位 日本ハムの新庄「ランナーを追い越して"幻の満塁本塁打"ヒット(野球中継の他球場速報で視た)」
 3位 阪神の新庄「敬遠球を飛びついて巨人の槙原投手からレフト前ヒット」
 2位 中日の落合「最終回途中までノーヒットにおさえていた巨人の斉藤投手から右中間ホームラン」
 1位 阪神の田淵「巨人の堀内投手と阪神の古沢投手の快投で0対0からレフトスタンドへ大放物線本塁打」
 球場もしくはテレビ生中継で観たシーンを優先。順位は適当ですが、もっともっとたくさんあります。でも、巨人の長嶋さんの天覧ホームランとか、阪神の江夏投手の完封勝利&サヨナラホームランは、まだ幼くてリアルタイムでは知りません。
 実際に見たいような、もうこれだけ見れば充分のような。でも、これからも命続く限りもっともっと見るのだろうな。
2009.04.01  エイプリル・フール
 引っ越したあと困らないように、さまざまな土地情報をインターネットや本から仕入れていたら、半日が過ぎてしまった。夕方になってからやっと仕事に掛かる。それでも歌が二首できたほか、意外に進展があったので佳しとしよう。
 四月にBob Dylanのニューアルバム発売という情報を得ていたので、ここひと月ほど続報に期待していたのだけど、日本盤はひと月先らしいという噂に失望して、きょう別のアーティストのCDを買った。それで音楽の餓えをしのごう。
 恒例のエイプリル・フール。インターネットの世界では、日本人も欧米に負けまいと智恵をしぼっているらしい。ごくろうさま。
 いつも正確な情報と正直な告白をしている人が、この日だけとはりきっている姿は微笑ましいけど、普段から「嘘も方便」を楯に勝手な言葉を振りまいている人達には、そんな特別な日は不要でしょう。だから毎年周囲の人達はこの行事に参加しないのかも。中には正直過ぎて嘘なんかつけない人もいるのかもしれないけど。
2009.03.31  引越業者
 午後、運送会社が三社、入れ替わり立ち替わり見積もりにやってきた。夕刻、交渉役を担当した相方さんから三通の見積書を見せてもらうと、どの社も似たような額だったから、それが適当なのだろう。
 十代後半からずっと創作活動を生活の中心に据えて生きている僕だけど、このように雑務にいくらか関わらないではいられない一日が、どうしてもある。嫌な世の中だ。さっさと片づけてしまおう。
 でも今週いっぱいは似たような数字を見せられることになりそうだな。
2009.03.30  開業日の偶然
 事務所ならびに生活の場の移転が正式に決定して、周囲はあちこち電話を掛け、ファックスを送信し、人と雑務の打ち合わせをして、買い物を済ませ、ゴミ処理の準備にも入るといった状況で、たいへん慌ただしい。僕は、大相撲が白鵬の独走優勝で終わったので、高校野球でも視てれば良いのだろうけど、なんとなくそんな気分にもなれないで、横で本でも読んでいた。
 すると相方さんから子供の保育園の入園届を書くよう頼まれて、子供の名前、こちらの職業としぶしぶ書き込んでいたところ、今の職場にいつから勤めているかという項目に、そんなこと覚えているわけないと、初めて印税を受け取った年に税務署へ提出した個人事業主開業届なる書類を引っ張り出して日付を見たら、たった今書き込んだばかりの子供の誕生日と月日が同じだった。それだけのことなのだけど、そんな偶然ってあるのかと、驚いた次第。
 この日付、もう忘れないよ。
2009.03.29  どす黒いまでの孤独
 きのう麻生首相が、大学生との意見交換会の席上にて、
 「首相にはどす黒いまでの孤独に耐えきれるだけの体力と精神力が要る」
と語ったとか。「どす黒いまでの孤独」とは、すばらしいボキャブラリー。マンガで鍛えられた表現力の賜物でしょうか。たとえ何かからの引用だとしても、その的確さに驚きます。
 どのような境地に至ればこのような表現に達せるのか、興味深い。もちろんそれは、どす黒い方じゃなく、体力と精神力の方だけどね。そちらがあってこその物種だから。
 そうすれば、どす黒さを突き抜けた孤独にだって至れる。きっと。
 近所の公園でさくら祭りがあったけど、まだ咲き初め。人出も少なかった。満開になったら独りで行こう。
2009.03.28  はりきる太陽
 大相撲中継を視ていたら、ふと「豪風と嘉風の区別がつかないようでは真の相撲ファンとはいえない」という標語を思いついて、うむ、旨いことが言えたと悦に入ったけど、よく考えてみれば僕自身ほんとうに区別がつくのか今一つ自信が持てないのだった。けっして似ているわけじゃないのだけどな。
 夜テレビの天気予報では「今日は真冬並みの寒さでした」と言っていたけど、不動産の社屋で新しい住まいの契約を終え、外へ出た時は、上着を脱ぎたくなるほどのぽかぽか陽気だった。こちらの周辺だけ太陽が張りきっていたのだろうか。
 それにしても最近は、業者が間に立ち、大家とはほとんど顔を合わさない形にすっかり慣れていたので、大家に引き合わされたりすると、まるで学生のような気分に帰る。大家がこちらをなんと感じたか、筋骨隆々か、俳骨稜々かは知らないけど、学生のようだとは感じていないことを祈ろう。
2009.03.27  デジタルテレビを買おうにも
 昨日いきなり提出書類と諸費用を増やされたので、朝に契約の破棄をファックスで当不動産業者に伝えると、折り返しきのうの要求すべてを撤回する一筆が送信されてきた。こちらを推し量っていたのか。ふん。
 ところで政治家さん達は、地上デジタル放送開始に向けて国民にテレビ買い替えを求めているようだけど、現在住んでいるマンションの大家も、次に移る予定の家の大家も、現在のところ地デジ対応のアンテナに換えるつもりはまったくないらしいので、住人である当方はデジタルテレビを買う環境にまったくならない。今の旧式テレビを引越先に持って行くことになるだろう。そのあたりに智恵をしぼるべきじゃないですか、与党の皆みな様。
2009.03.26  一旦頓挫
 あきれるほどとんとん拍子に進んでいた引越話は、けさ当物件の大家との顔合わせの段取りまで決めながら、ゆうがた不動産会社から送られて来たファックスで、いきなり頓挫。明日までに揃える書類も、諸費用も、ここ一週間の前言を翻し、前触れも無く唐突に増えている。
 ひょっとすると、初めから売るつもりがない、客を釣るためだけのダミー物件だったのかもしれない。びっくりするほど安価だったから。
 僕にとってどちらもゆかりの土地の代表である東京代表の早実対奈良代表の天理が、早実のサヨナラ勝ちと決まった試合をコーヒーでゆったりくつろいで視ていたのに、むなしい。いや、むなしいのは、ここ一週間これに費やした時間が無駄になりそうなこと。残念。
 夜は歌稿に精を出した。
2009.03.25  小雨まじりの甲子園
 月初めに書き上げながら、なんだか不満でそのままにしていた文章をとうとう世に出すことにした。しようがない。どこをどう直しても満足できないのなら、これが実力。満足できないというならば、これまでだって満足してはいなかった。もっと早くあきらめがついただけ。また次がんばろう。
 小雨まじりの曇り空。きのう一日あまりにも野球で盛り上がってしまったからか、今日も甲子園球場では試合をやっているのに、ほとんど関心を持てない。それでも夕方にテレビを点けると、甲子園にも雨が降っている。こちらが振り向かなくても、高校球児たちは元気にプレイしているらしい。あたりまえだけど。みんなちゃんとやるべきことをやって一日を過ごしているのだ。
 僕も書かなければな。
2009.03.24  1980年11月のニューアルバム
 未明、ラジオ「サウンド・ストリート 1980年11月 『ダブル・ファンタジー』特集」の再放送を聴いて、「ジョン・レノンの遺作」ではなく「ジョン・レノンとオノ・ヨーコの最新アルバム」としてあの曲この曲を聴いたあの時間に浸った。ジョンの「スターティング・オーヴァー」、ヨーコの「キス・キス・キス」までが、新曲としてラジオでばんばん掛かっていたなんて、その発売後半月ほどでのジョンの死とこれらの曲が切り離しづらくなってしまった今となっては、冗談のような話だな。
 そんなことをしているから夜更かしとなり、朝目覚めてテレビを点けると、もうアメリカからの野球中継は始まっていて、もうそれからメールチェックやら、昼食やら、書類記入やらしているうちに、あぜんとするしかないほど巨大な日章旗が画面に現われた時はちょっと引いたけど、そのまま試合後のイチロー選手の優勝インタビューまで付き合ってしまった。
 それにしても、クローザーを務めたダルビッシュ投手は見事だったけど、去年まで「日本一のクローザー」の名をほしいままにしていた藤川投手はその実力を披露する機会すら与えられなくて無念だろうな。その無念は、ぜひシーズン本番で、日本代表監督ではなく巨人軍監督の原さんにぶつけてください。
 気温は低いらしいけど、暖かいのは、春だからだろうか。なんだかそればかりでもない気がするよ。
2009.03.22  不審美
 きのう旧吉田茂邸全焼。昨今、旧モーガン邸、旧住友家俣野別邸など、保存運動があったり、公園化が企画されていたりしている歴史的建造物での失火が相次いでいるので、
 「同じ人がやっているのかもしれないね」
などと電車内で隣の人が話しているのを耳にしたりする。ついつい、地上げ屋の横暴か、などと妄想に奔ってしまうよ。
 滅びの美に陶酔している愉快犯だとしたら、選ばれている建物からして、かなり近代に偏った審美眼の持ち主なのだろう。それとも、たんにこの周辺には古い建築物が少ないだけなのか。いずれにせよ、不審。
 駅前の書店で、気がついたら、文庫本を三十分も立ち読みしていた。買えば良いのにと、自分でも思うよ。
2009.03.21  春彼岸
 日曜日。春彼岸だから、墓参に出かけている人たちも大勢いるのだろう。
 僕が生家の墓に参ったのは、中学校を卒業後一度だけ。血縁者に交じっても、心情としては「お客さん」にしかなれない。付き合いはあっても、とっくに縁は切れている。誰が亡くなろうとも僕は葬式に行かないし、僕があの墓に入るわけでもない。だから墓参にも縁が無い。その代わり、死後ひとに迷惑をかけないためには、自分の墓ぐらい自分で建てておかねばならないわけだ。おかげでそういう情報にずいぶん敏くなった。一向、実現にむかってはいないのだけどね。
 それよりも、雨がぱらぱら、風が少々と、あいにくの空模様、春の甲子園大会も順延だそうだから、こちらと同様に屋根の下で籠っている人達の方が多いのだろうな、きっと。
2009.03.20  縁がない人
 二日ほど前から花粉が減ったように感じる。快晴だ。
 昼食に北海道産の海鮮丼を食べつつ高校野球を視ていたら、追いつ追われつの展開のまま延長戦に突入して、そのまま十二回裏のサヨナラシーンまで目が離せなくなってしまった。心地好い春が来たらしい。
 今回の家探しでまっさきに連絡を入れた逗子市の不動産会社から、またもファックスが送られてきた。見つけた時はすぐにも物件を見に行くつもりだったのに、こちらの都合が良い日に限って、当の不動産会社が休みだったり、JRが天候で運行を停止したりで、結局ほかの家を次々と見てその中の一つが着々と進んでしまい、今はこの話がまとまらなかった場合のために保留としてある。このままあれに決まったら縁が無いと云うことなんだろうな。
2009.03.19  保証人探し
 午後から快晴となった春分の日。三月にしてはずいぶん薄着で出たのだけど、暖かすぎて、それでももう一枚上着を脱ぎたくなる。店頭で野球中継真っ最中のテレビに人だかりができていたので、のぞくと、イチロー選手がきっちり二塁打を打っていた。
 夕方に物件を押さえたという連絡が業者から入っていたようだ。本当にあの家に住むかもしれない。
 ただ興醒めたことをあえて書くと、近ごろ住宅事情はますますシビアになってきて、連帯保証人なしではもちろん、印鑑証明、源泉徴収書などがなければ、安い物件ですら手にできにくくなっている。血縁でない者を保証人に立てれば契約を拒否する業者もいまだにある。引っ越すたびに誰を保証人にするか考えるのも、なかなか鬱陶しいんだよ。
 さて、誰に頼もうかな。
 この国が保証人制度をどうしても維持するのならば、すべての不動産会社に保証会社との契約を義務づけられないものだろうかね。実現すれば、すべての物件が保証人なしで借りられる。それでずいぶん楽になるよ。
2009.03.18  ライオンとの生活
 なんとなくぼーっと野球中継を視ていた午後。回の表は好守備(ファインプレー)の連続、裏は守備のミスと四球(フォアボール)の濫発と、全然しまらない試合だった。
 夕方、住まいの相談で十数分の間にファックスと電話を双方あわせて七回の交信。この時だけ活動的だった一日。
 引っ越し先の希望地は、杉の植林地から少しでも遠い平地、つまり健康に障りのない気候、それに成育環境、等々。つまり海辺だ。
 ファックスを書きながら、BGMは『ライオンとの生活』という前衛音楽。胎内の鼓動が延々と続いた後まったくの無音になったりする。それでアーティスト本人の流産経験という予備知識がこちらにあれば、個人的心情の表現としてむしろ解りやす過ぎて、聞き込むには退屈。だからBGMになる。
 明日もファックスを送受信する日となるのだろう。たぶん。
2009.03.17  葉山周辺
 葉山で遊ぶ。途中、鶴岡八幡宮境内で桜花を見た。もう咲いているんだな。葉山はまっ白な橋と巨大なプレハブが交差する町だった。
 運転手は、本業は別なのに不動産関連も扱っている人。
 「ここにもお勧めの物件があります」
と、その帰りに案内された空き家を出たところで、
 「そこの角を曲がると、#%*!$のおうちです」
 余計なことを。それじゃあ、この空き家に僕が住んだら、あの方と御近所になるわけか。収納が狭い家だったからまったく心惹かれないので、どうやらそういう御縁は無さそうだな。
 ご挨拶するような間柄ではないので、さっさと散った。
2009.03.16  ブライアン・ジョーンズに捧げる
 芸能関連の本を読んでいたら、ロックミュージシャンのブライアン・ジョーンズは葬式で日本の俳句を捧げられた、うんぬんとあって、世の中にはまだ僕の知らないことがたくさんあるのだと、つくづく思い知った。それとも何処かで聞いたのにすっかり忘れているのかな。ブライアン・ジョーンズのファンがみんな知っている話だったとしたら悔しい。もっとも、日本の俳人がみんな知っている話ではないだろう。
 来月発売予定のボブ・ディランのニューアルバムのジャケットは、海外サイトからの情報によれば『ブルックリン・ギャング』という写真集から借用しているらしい。ギャングとか、ヤクザとか、そういうのが好きな人だな、ディランは。
 僕も誰の作品から表紙のデザインを借用しようか考えておいた方が善いのかな。もっとも、自分で選ぼうしても、なかなか感覚がフィットする物がないというのが実情だったりする。
2009.03.15  しゃぼんだまは春の季語
 快晴の午後、こどもがしきりに、
 「しゃぼんだま、しゃぼんだま」
と連呼するので、相方さんがベランダで吹いてやっていた。子供はシャボン玉専用の輪っかで上手に作る。
 石鹸玉は春の季語。風船も、また同じく。今の空に好く映えた。
 大相撲大阪場所が始まった。またもや場所前いろいろあったようだけど、今場所はこれまでよりも一番一番に集中して相撲そのものを楽しめそうな雰囲気ができつつあるような気がする。必要以上にうるさい「外野席」を無視すれば、だけどね。
 取組では新関脇がいきなり惨敗スタート。やれやれ。
2009.03.13  そうぞうにんしん
 未明、一時間半を掛けて、作歌に没頭。その後、頭が冴えて、外の暴風雨をずっと聞いていた。でも、朝になると、たいして眠いわけじゃない。うつらうつらとしていたのかな。
 しだいに体が重く、微熱気味となり,夕方には吐き気すら感じるようになる。
 「これは想像妊娠にちがいない」
と自己診断を下しても、何の慰めにもならない。何かを孕んだとすれば、子種でなければ、創造の種ぐらいしかないな。創造妊娠か。早く産まれてほしいよ。
 面会する予定だった相手にファックスを送信したり、別人宛にEメールを書いたりして過ごす。
 某菓子屋からまったく同じ文面のダイレクトメールが三通も届く。べつに仮名を使ったわけでもないのに、同じ住所と名前宛てでどうして気付かないのか、不思議。裁判員候補者調査票を死者宛に三百人以上も送付した先日のお役所仕事と大差ない。この菓子屋、洋菓子の味は好いけど、私企業がこんな調子で大丈夫なのだろうか。残念ながら、そうぞうにんしんの身では食べられそうもないよ。
2009.03.12  美本の冷笑
 相方さんが子供のために豪華な美本を買ってきた。世界中でベストセラーだとか、翻訳者は有名な詩人だとか、たしかに絵は綺麗だけど、読むと、恐ろしく悪意に満ちみちた、卑俗的ストーリーだったので、唖然。冷たい嘲笑を浮かべた、見も知らない作者の横顔が目に浮かぶ。そうだ、数年前に観た映画にこれとよく似たシチュエーション、主人公を電話で陥れる俳優が、受話器を置いた瞬間に浮かべた、あの冷笑だ。早春で快晴なのに、寒気がする。
 ブックオフへ持っていったら60円にしかならない。本屋で別の絵本を見繕ったら、たまたま子供が気に入っているシリーズ物の最新刊があったので、それを含めた二冊を選んだ。
 開くと、シリーズ最高傑作とも言って良い出来栄えだ。もう一冊も好い。やれやれ。いつもこんな風にうまくゆくなら良いのだけどな。
2009.03.11  呪いと野球
 二十四年前にプロ野球の阪神タイガースが日本一になったとき大阪の道頓堀川に投げ込まれて以来、この間タイガースが一度も日本一を達成していないことから、「カーネルサンダースの呪い」と呼ばれていた人形が、きのうの夕方、河の下流で発見されたとか。そして今朝、下半身も発見、眼鏡など小さなパーツ以外はこれでほぼ揃った。
 その場に沈むでなく、海へ流出するでなく、大阪の街中にしっかり留まっていたとは。
 それがインターネットやテレビのニュース番組で速報されるというのも、ちょっとおかしい。いや、冷静に考えると、かなりおかしいかも。
 もっとも、野球ネタで「~の呪い」と表現するのも実はアメリカからの直輸入で、アメリカのメジャー・リーグにも「バンビーノの呪い」「ビリー・ゴートの呪い」等があるから、プロスポーツの楽しみ方としては正統的なのかな。呪いだの、怨霊だのという観念は、意外に国際的なのだ。
 ちなみに、僕は昨夜Yahoo!ニュースで知ったよ。そして今日は、とうとうロイター通信、ガーディアンなど外国メディアも報じていた。みんな好きだね。
 満月がきれいだ。
2009.03.10  或るメルマガ
 俳句一句だけを本文にした日刊メールマガジンがあって、もうずいぶん以前から毎日それでなんとなく有名無名の俳人の句を読んでいた。ところが去年、俳句と作者名が一致しないことが時折あることに気付いたので、一度発行者にどういうつもりかEメールで質したところ、
 「これまで苦情がなかったもので」
という言い訳というよりもほとんど開き直りに近い返信が来て、それがきっかけだったのかメルマガは一時期休刊してしまった。
 しばらくしてまた再刊したので、こだわらず読んでいたのだけど、今日やっぱりやってくれた。全文を引く。
  「清水の上から出たり春の月  松尾芭蕉」
 これは森川許六の句だろう。ここまで来ると故意犯だ。まあ、犯罪ではないのかもしれないけど。
 それにしても、こういう人達は何が楽しくてこういうことを繰り返すのだろうね。わからないよ。
2009.03.09  未開の梅林
 昼食に豪勢なロシア料理を食した。食欲に問題はなさそうだ。
 午後、所用で市役所まで歩く。雨も、陽射しもありそうにない。
 「きのう高尾梅郷へ行ったんだけど、小仏梅林ってのが見つからなくて」
と話している女子大生風の人達と擦れ違った。小仏は山の麓から少し登った場所にあるから、開花は遅い。咲いてなければ、一般人には梅もただの裸木だろう。
 そうか、あの辺りはまだ咲いてないのだな。ここはもう充分に満開なのに。
 昨夜、思索の果てに激しい精神的動揺へと至り、
 「もう俺は歌を詠めないのではないか。そうなったら、これからどのようにして生きていけばよいのだろう」
などと、かなり真剣に考えていたのに、今朝目覚めたら、すらすらと三首できた。おやおや。そういうことだって、ある。きっと。
2009.03.08  雷雨、嵐
 気候不順で、体調も思わしくないので、一日中寝転んで過ごす。ベートーヴェン作の交響曲の中で第六番「田園」はけっして好きな方ではないのだけど、フルで三回通して聴いた。指揮はプリュッヘン。三歳の子供のリクエストにより、短い第四楽章「雷雨、嵐」のみ十回リピートする。鬱屈した空だけど、嵐とまでは呼べないのに。
 夕方から健康面の不安もしだいに薄らいできた。悪いことではない。
 そして深夜、カラヤン指揮の第七番で耳を整理しておいた。明日はベートーヴェンを聴かない。
2009.03.07  吐血でジェフ・ベック
 去年の日本シリーズ以来まともなTV野球観戦。見終わった後、隣の部屋へと立った途端、大きく咳き込んで、胃の中の物やら、血やら、ずいぶん吐いてしまった。花粉症で咳をしすぎて、喉をやられてしまったのだろうか。それとも、花粉が胃にまで入り込んでしまったのか。いずれにせよ、ありがたくない。まったくありがたくない。
 来日騒動につられて、ジェフ・ベックの音楽をときどき耳にするのだけど、あの超絶技巧のギタープレイがなければジェフ・ベックだってただのフュージョン系だったり、ブルース系だったりするんだなと、今さら芸術の微妙さ、危うさを思う。ボブ・ディランの音楽があの歌詞と独特の声と歌唱法がなければただのポップソングだという意味で。どちらも、その精神性、革新性、攻撃性等々を無視すればの話になっちゃうけど。無視しすぎ、かな。
2009.03.06  ひどい童話
 相方さんが子供に「オッペルと象」の紙芝居で遊んでやっている。宮沢賢治の原作タイトルは「オツベルと象」で、オッペルは誤植が広まった結果らしい。それで、ここにはその普及している誤植タイトルがあるわけだ。
 最後に象は手紙を書いて、月が寄越した赤い着物の童子に託した。ところが、この紙芝居バージョンでは月の童子が出てこない。しかもラストシーンが書き足されている。象はもう人間たちに目もくれず立ち去ればそれで善いはずなのに、改作者達はそこに甘ったれた精神的交流を付け加えるから、まったく無惨。CDの朗読バージョンでも実情は違わない。改悪が目白押しだ。
 「ぼくはずいぶんひどい眼にあっている。みんな出て来て助けてくれ」
 象は仲間の象たちにしたためた。そして、オッペルあるいはオツベルは、象たちにくしゃくしゃに潰される。
 助けてくれと悲鳴をあげているのは「オツベルと象」という作品そのものかもしれない。ほかにも、出世しないで最後に山へ引き籠もってしまう「一寸法師」、神様が現われないから天国に招かれないで廃棄処分されてしまう「幸福の王子」等、改作と銘打たないでオリジナルのような顔をして平然と流通している童話作品を、ここ数年でたっぷり知った。
 まったく世の中には、本にかかわらず、くしゃくしゃに潰してやりたい物が多すぎるよ。それもすぐ身近にすらね。
2009.03.05  飼いネコ
 快晴。暖かなベランダから元気に鳴いている隣のネコが見えた。今年初対面。
 鳴き声が、むかし親と住んでいた家で飼っていたのと、似ている。僕があの家に泊まった最後の日には、老いつつもまだ生きていたっけ。ああ、ネコが死んだ後、一度、真夜中に訪ねて、誰にも会わず、明け方出ていった一晩を除けば、かな。
2009.03.04  第六歌集
 某出版社員とのプライベイトな会話の途中で、共通の知人であるTさんの近況を尋ねられ、うっかり「今年は年賀状を貰っただけ」と答えてしまったのだけど、たしか一月末に「夏ごろ小説の本が一般書店に並びます」というメールをいただいたのだった。宣伝しておいてあげるべきだったかな。
 『霧のなか』『ころがる』『Cry』『月のむこうがわ』に続く第五歌集『ゆびさきの虹』の編集を終えて、ずいぶん日にちが過ぎた。これを刊行してからいろいろと動こうと考えていたのだけど、一向に話がまとまる出版社が現われないので、このさい先に第六歌集が出版されたところで問題はあるまいと、編集作業に入ることにした。当初は『ゆびさきの虹』を増補することになるのではとも思っていたのだけど、改めて読み返してみたら、とうてい一冊にまとめられそうもないほど世界が違う。おそらく入籍までの数年分の詠歌を中心にすることになるにので、違うのは当然か。
 かくして半日、机に向かっていた。とりあえず編集だけで、いつ終わるとも知れないけどね。気長にやろう。
2009.03.03  桃の節句に桜餅
 ひなまつりだというのに、花粉が飛び散っているというのに、つい先日まで暖冬だったというのに、雪である。もっとも、甘酒は飲むものの、花粉も雪も見えない屋内で、
 「去年は旅費・交通費がういた代わりに、書籍にずいぶん大枚をはたいたな」
などと考えながら、計算機をたたいていた。今年は本業の著述でもっとなんとかしないとな。
 それから桜餅も食べた。桃の節句なのにとは思うけど。季節感が違うのは旧暦と新暦の差で、しかたないところもある。もちろん現在すでに桜が咲いているわけではないけどさ。
2009.03.02  「不況だ」ダンス
 世間の話題は不況。殊に自動車などはまったく売れなくて、若者達はこれをデートの必携とは考えなくなった、うんぬんと御偉方の人達は憂いておられるそうだけど、その稀に見る好景気で、女の子達は男の誘いに応じるか否かを誘いに使うマイ・カーの車種で決めると噂されていた時代を横目で通過した僕としては、性格よりも、外見よりも、感性よりも、車で人間の価値を決めていた時代よりは、今の方が真っ当である気がしてならない。もちろん、実は当時にも、煽り文句にのらない女の子だってたくさん居たのだけどね。
 バブル景気の当時だって職安通いをしていた人達は居たのだから、そういう人達を支援することは大事だし、自衛策を講じるのも大切だけど、いたずらに「不況だ、不況だ」という掛け声に躍らされるのは、「好況だ、好況だ」というバブルの声に躍らされるのと同様、ばからしい。
 踊るなら、もっと別の音楽でやりたいね。僕の歌で。
 こういう時こそ経済関連書籍と不況特集の紙誌や番組で一儲けしようとお考えのマスコミ・出版界にとっては、そういう考え方はありがたくないのだろう。ともあれ、「不況だ」ダンスで楽しみたい人は、心ゆくまで楽しんで下さいね。
 貧乏人はそれどころじゃないよっ。
2009.03.01  府中の梅
 花粉なにするものぞで、府中まで梅見に行く。花粉なにするものぞとは言っても、さすがに西の杉林のそばへ近付いて行く気にはなれない。東行きの電車に乗った。
 早咲きの梅が散り初めと聞いていたけど、遅咲きがたくさんあるのか、足元に花びらが舞うこともなく、ほぼ満開と見えた。日和も好く、休日にふさわしい。
 或るベテランバンドの新譜がずいぶん評判が良いということなので、聴いてみた。悪くはないけど、このバンド'80年代の傑作を思えば、とうてい勝負にならないのでは。それとも、僕の要求が高過ぎるのだろうか。趣味が合わないだけ、ではないと、思うのだけどな。
2009.02.28  「クレヨンしんちゃん」でなくて好かった
 三日月がきれいな夜。
 DVDアニメ「ジャングル大帝」に影響されて、
 「オトーサマ」
 「オカーサマ」
と、うちの三歳児がこちらに話しかけるようになった。観せたのが「クレヨンしんちゃん」だったら、まったく違う結果になったであろう。
 このアニメ、僕も同じ年頃で視たはずだけど、おそらくそんな言い換えはしなかったよ。
 さて、何日続くのやら。
2009.02.27  今ごろみぞれ
 梅が咲き、スギ花粉が舞い散って、今冬は積雪がなかったなと、連日の暖かさにすっかり慣れたというのに、今ごろ未明からみぞれだなんて。ずいぶんばかにした話だ。
 午後、喫茶店でコーヒーを飲みながら、読書をしていた。周囲には、やはり一人で雑誌を開ける者、パソコンを叩く者、ノートに何か書き込んでいる者が、ちらほら。去年までは、ほとんど客席無人のこの店でそんなことをしているのは、自分だけだったのに。
 店側が繁盛中と喜んでいれば良いのだけど。
2009.02.25  レヴォリューション9
 一日中曇りという予報は外れ、朝は雨、正午に止んで、昼間は晴れた。うちの空だけなのだろうか。
 先日インターネット某動画サイトで、ザ・バンドの解散コンサートで「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」等を唄うボブ・ディランの映像を目にした時は、その映画化作品『ラスト・ワルツ』ではカットされていただけに、しかもディラン側の要望で撮影すらされなかったという情報がまかり通っていただけに、「こんな日が来ようとは」という感動でいっぱいだったけど、今夜はザ・ビートルズの「レヴォリューション」10分ヴァージョンで、これが分離されて、あの似ても似つかない「レヴォリューション1」と「レヴォリューション9」という二曲になった、という噂を信じさせるにふさわしい音源。  どちらもこれがニセモノならば脱帽モノ。真実味がありすぎる。
 「レヴォリューション9」は僕が聞き返すことの稀なビートルズソング・ナンバー1で、なにしろメロディーなし、歌詞なし、あるのはノイズだけという実験音楽、これまで十回くらいしか通して聴いてないのですけど、(レコードとCD購買者のうち三回以上聴いたのは1パーセント以下かも)、この10分ヴァージョンなら僕は何度でも全部聴けますね。
 これが本物ならば、お蔵入りで有名な「へルター・スケルター」20分ヴァージョンと合わせて、できれば正式に発表してください、ポール・マッカートニー様。
 ドストエフスキーが外国に住んでいたとき、祖国の新聞ばかり読んでいたので、その地で書いた小説の中に新聞ネタが多く引かれることになったという話がありますけど、僕は何処に住んでいても、こうした調子でインターネットから情報を得ていそうで、書く内容に大差はなさそうだな。たぶん。
2009.02.24  そろそろ揃えないと
 確定申告の資料をそろそろ揃えなければならない時期になってきた。また著述業者としてこうした書類を提出しなければならない日が来たわけだ。
 そういえば、相方さんは第二歌集『ころがる』刊行直後、僕の了承のもとに自分の友人へこの本を寄贈したところ、その相手から電話がかかってきて、幾つかの質問に答えさせられたのだけど、
 「このひと、何の職業のひと?」
という質問には答えられなかったそうだ。今は胸を張って、
 「著述業」
と答えている人だけど。
 そのとき僕は、
 「歌人と言っておけば良かったのに」
と言ったのだったな。たしか。
 こうして「そろそろ揃えないと」と考えながら一日は暮れた。善いのか、それで。
2009.02.22  のし梅
 朝食中、近くで駅伝をやっていると知らされた。外を歩くと、交通規制が行われていて、その中をたしかに女性ランナー達が次々と駆け抜けてゆく。白いふくらはぎがまぶしい。
 午後さらに遠出して、紅白の梅を眺めつつ、先日伊豆から送られてきた「のしうめ」を食した。初めて口にしたのだけど、ちょっと「わび」だね。形も短冊みたいで、好い。
 花粉症のせいか、頭痛、腹痛、咳、痰、喉の痛み、目の痛み、なんでもありだ。発熱したら、風邪に診断を改めなければならない。善いことがあるとすれば、誰にも移す心配がないことくらいか。
 心地好い快晴。気分は春だ。
2009.02.21  花粉症で医者に会った
 花粉症の症状がひどくなったので、医院へ行く。一時間以上も待ったので、一冊、文庫本を読み終えてしまった。
 医者から過去の病歴を含め、さまざまな質問を受ける。
 「薬でアレルギーが出たことはありますか」
 「いえ、ありません」
 「おや、(カルテの)ここに発疹が出たと書いてあるな」
 これでは問診も無意味だろう。そこで歌句のひとつでもできれば、医者を訪ねた意味もあるというものなのに、できなかった。残念。
 知人からメールが届いた。「詩集を自費出版をしたいので良い出版社を紹介して欲しい」とのこと。「少しでも読者の反響を期待しているならば自費出版などするな」と答えておく。本当だよ。
2009.02.20  モデムが届いた
 サイト管理者から「モデムが届いた」と連絡が。夕方には無事インターネットが繋がって、これでプロバイダー移管手続はほぼ終了。ごくろうさま。
 雨なので、こちらは読書に専念していたら、いつのまにか創作の時間になっていた。俳句が(僕にしては)たくさんできたよ。
 DVDで映画を観ようとしたら、BGMははっきり鳴るのにまったくセリフが聞こえない。こちらの今のスピーカー設定とDVD音響が合わないらしい。音量を上げると、セリフは聞こえるけど、音楽があきれるほどの大音量、もはや騒音のレベル。途中で観るのをやめた。便利になったのか、不便になったのか、判りやしない。明日、設定を改めて観よう。
2009.02.19  90円より大切なもの
 隣の駅前に用事があり、ついでにチケット店に寄る。三千円の図書カードが¥2910。九十円を軽視するつもりはないけど、近ごろネット書店での購入が多いことを考えれば、雑誌とベストセラー本が積み上がっている街頭書店でしか使えないカードはあまり意味がないか。結局なにも買わなかった。
 最近図書館に行かなくなったのは、まず手元の本を読み終えてからと思ったからだけど、夜ふと思いついて近所の図書館の「予約の多い本」ベスト50を見たら大衆小説ばかりで、小説以外の本が少ないのは読者が買ってしまうからだろうな。
 現代の詩歌句集は、相も変わらず買われも、借りられもしていない。自信を持って一般読者に推薦できる本を出さなければね。
2009.02.18  マスク姿が消えてゆく
 朝、電車内を見渡すと、立川、稲城、川崎と東南方向に進んでゆくにつれて、マスク姿の人の数が減ってゆくのが、はっきり判った。海が近いと、やっぱり花粉も楽なのかな。潮の香りに惹かれるよ。
 夕方、餅を餡で包んだ「福の舞」という生菓子を食した。餡が好い。
 良い刺激を受けたのか、歌もできた。潮も、餡も出てはこないけど。
2009.02.17  歴史的挿話、たぶん
 DVD「ラスト・コーション」を鑑賞。美しい映像だったけど、1930年代の中国の社会情勢への理解が足りなくて、愛国者のふりをして私怨をはらしたいだけの者、二重スパイ、上司を礼儀正しくあやつる部下等など、人間関係をつかみにくく閉口した。特に或る組織が下す奇妙な命令、不可解な行為に、最初これはとんだ駄作だったかと速断しかかったほど。全部伏線だったのだ。最後まで観て佳かった。
 夕方、財務大臣辞任の報を聞く。この一連の騒ぎ、千年後どこかの外国の歴史物に載っていても不思議じゃない挿話だ。笑い話として、ね。
 人にはそういう知識も必要だよ。たぶん。
2009.02.16  会見スピーチ
 外国の文学賞授賞式壇上での小説家・村上春樹氏の意味深長なスピーチが話題になっている。
 風変わりな人が多い文学の世界といえども、各国マスコミが注目するような場所で、耳目を集めるメッセージを発したというニュースには接しても、粗相したという話は最近聞かない。重要な国際会議後の記者会見で「泥酔しているのでは」と疑われた(しかも"クロ"に近い)財務大臣が実在することを思えば、不思議といえば不思議。それとも、そういう危険人物は最初から選ばれないのか、映像でお茶を濁しているのか。
 「朝日歌壇のホームレス歌人は、おまえのイタズラだろう」
というメールが届いた。
 本当にそうなら、おもしろいけど。実在のホームレスが自作を投稿しているのではなく、それを騙った誰かのいたずらだと疑われなければならない明白な理由は、何も無いはず。早急にそんな一人決めをしないでいただきたい。真相はいずれ現われる(だろう)。
2009.02.15  総合商社ではなく
 しばらく体調が優れず、固形物は控えて、お茶ばかり飲んでいた。頭を使うのもつらいから、軽めの本を開けると、「総合者」なる聞き覚えのない言葉が出てきた。ひとつの分野を究める専門者に対して、あらゆる情報を身に付けようとする、本能に基づいた才能の持ち主ということになるか。
 心地良い音感ではないけど、概念としては好い。それを目指そう。口にしたら「総合商社」と勘違いされそうなところが、玉に瑕だけど。
 今日は三歳児につきあってビートルズ「ハード・デイズ・ナイト」だけを繰り返し約二十回聴いた。さすがに心が少々荒れる。
 ただ体調は快復したようで、食欲も平常に戻った。心も快復させねばな。
2009.02.14  気の早い提案
 暖房の不要な日。ただし、外は花粉が舞い散っていると、繰り返しニュースで告げられては、出かける意欲も萎えるよ。
 にもかかかわらず何も書けないのでは、しようがないな。詩人なんて365日働いても過労死しない、稀少な身分なのにね。
 だから音楽でも聴く。ファイアーマンの『エレクトリック・アーギュメント』とボブ・ディランの『ニューポート・フォーク・フェスティバル』の日々。
 歌詞はともかく、これほどの音なのに『エレクトリック・アーギュメント』はヒットしなかったらしい。ファイアーマンのヴォーカル担当ポール・マッカートニー、この人、駄作が大ヒットすることはあっても、佳作がヒットしなかったなんてのは例がないのではないかな。運は微妙だ。
 「そちらの本の校正が終わったら、温泉に行きたい」
 傍らで相方さんは、地図帳をめくりながら、そんなことを言う。ずいぶん気の早い提案だ。早くそうなれば良いけれど。
2009.02.13  『未成年』の注文カード
 なんとなく炬燵に入って寝転んで、ぼーっと過ごした一日でした。
 慌ただしく動いているのは精神だけ。それで疲れていたりするから、人生はおもしろい。と言うか、それがつまらなかったら、何の人生よ。
 インターネットで本とCDを買い込んだら、文庫本二冊に注文カードが挟まれたままだった。抜き忘れたのかな。
 届いたのはドストエフスキーの『未成年』上下巻。これまで三度完読した小説だけど、長らく絶版状態だったので手元になかった。寿命次第ではあるけど、あと二回くらいは読むのではないか。すぐ読むつもりがないのは、今ひさしぶりに同じ作者の『白痴』上下巻を読んでいるから。古典文学などという物は、後世の者が繰り返し繰り返し読むからこそ価値があるのだよね。
 問題はそれで僕が何を得たのかということなのだろうけど。
2009.02.12  感傷的「ハッピー・クリスマス」
 昼食時、秋刀魚の照焼き丼を口にしながら、相方さんと無駄話。なんとなく会わなくなった何人かのひと達の名前が出た。中には、この場を出たら縁は切れるに違いないと思っていた人ばかりではなく、とにかくどちらかが死ぬまで連絡は取り合うだろうと考えていた人もいた。でも、そうはならなかった。
 どんなに親しい仲であっても人には言って善いことと悪いことがあり、親しい人、長い付き合いのある人ならば、そのあたりの阿吽の呼吸はつかめているだろうと思っていても、全然そうではなかったりすることがある。一度それを口にしてしまったら、もうその人と付き合うことはできない。本人に罪悪感がなく、謝罪のひとつすらもないならなおさら。
 おそらく二度と会うことはないだろう。
 子供が、ジョン・レノン「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」のクリスマスツリーやらサンタ姿のジョンやら子供達の合唱シーンやらが映っているPVを気に入ってしまい、(死体や戦傷者の写真ばかり出てくるポピュラーな映像の方ではない、断じて)、年が明け、立春も過ぎたというのに、まだクリスマスソングの映像をときどき観ている。
 今夜また「聞きたい」と言うので、観ながらなんとなく"So,this is Xmas~"と口ずさんだら、子供が"War is over~"とコーラスを付けたので、思いもかけず二人で唄うことに。ちょっと感傷的になったよ。
2009.02.11  「ジャングル大帝」BOX-SET
 TV版「ジャングル大帝」DVD15枚ボックスセットを購入。それを子供と観る。
 これまで彼のお気に入りアニメDVD、トップは「クルテク もぐらくんと森の仲間たち」で、以下「くまのプーさん 完全版」「こいぬとこねこは愉快な仲間」「セロ弾きのゴーシュ」等と続く。日本版が出ていなくても、吹き替えも、字幕も無しに嬉々としている。まあ、三歳ではどうせ字幕があっても読めないか。それにしても隣で観ていると、「思想に一貫性なし」「登場人物、いや、登場動物ども、プライド無さ過ぎ」「絵に動きが皆無」「セリフがひどい」等など、どの作品にもいろいろと文句をつけたくなってくる。
 ちなみに僕はこの「ジャングル大帝」、テレビの再放送で視ている。この子が好きになるかどうかは知らないけど、少なくとも今日観た第一話と第二話は気に入ったらしいよ。
 手塚アニメで育った自分としては、
 「「ライオンキング」なら知ってる」
なとど言われたくはないからね。
2009.02.10  梅の木
 快晴。河原を歩くと、幾本かの梅の木が満開。暖かい。
 相方さんは昼食にビーフストロガノフだの、イタリア料理だのと燃えていたけど、どうも食欲がでないのでりんごを一個だけ口にする。
 そのままうだうだと昔を振り返り、あの時ああすればとか、十年前こうしておけばとか、なんだか愚痴っぽく仮定の話を並べていたら、
 「わたしはそれよりも」
と、いきなり相方さんがきりだして、最終的に僕等が納得いく形に添うならば、現在この街でしているこの非現実的な暮らしを大学卒業時にするべきであったという結論になってしまった。
 もし今後の人生がすばらしいものであれば、そうなのだろう。きっと。たしかにそれが誰にとっても一番幸福な結果と成ったかもしれないな。
 もっとも僕は、あの頃も今も同じように暮らしているつもりなのだけど、傍(はた)からそうは見ない人もいるのだろうね。
2009.02.09  噛み合わない
 午前、モスで人に会う。この人はこちらを「センセイ」「センセイ」と呼びながら、「自分等はあなたと種類が違うのです」とどのようにアピールすれば失礼でないか、計っているように見えた。べつにアピールなんかしなくてかまわないのに。
 いや、子供の頃から僕と目が合うと、人は皆そういう態度をとりたくなるらしいから、それは何もこの人に限ったことではないので、ただ文筆生活というものがこうしたことの繰り返しならば、僕の人生は全部文筆生活みたいなものだな。まったく。
 会話は終始かみ合わなかった。
 「ふるさとは何処ですか」
 「ありません」
 「お生まれは」
 「日赤病院です」
 こんな具合だ。
 昼食中、別の件で不愉快な電話。全然こちらの話を聞いていない。誤解は最後までとけなかった。あの出版社から本を出すことは金輪際あるまい。
 ふたたび食事の席に着くと、相方さんが今朝の子供について話しかけてきた。
 「何を「飲みたい」って言ったと思う? 解熱剤よ!」
 そう言えば、数日前、飲んでいたな。美味しかったのだろうよ。
 今夜は満月だけど、おぼろ月。でも、さすがに光が鋭い。
 先週まで「火曜日は雨」といっていた気象庁は、今日「明日から暖かい晴れが続きます」に予報を改めた。そうか、晴れか。
2009.02.07  音楽は2チャンネル
 ここ数日の勢いに任せて、ヘッドフォンを購入。さっそく新品のアンプにつないで、耳に当てると、無音。何も鳴らない。何故?
 さっそくメーカーに電話。
 理由は、DVD対応のSACDプレーヤーにあった。アンプの7.1チャンネル端子にコードをつないだから、2チャンネルの音はアウトなのだ。やっぱり音楽の世界は今も2チャンネル。クラシック、ジャズ、ロック、なんであれ黄金時代の録音は2チャンネル時代の音だから、というわけでもないのだろうけど。最初から2チャンネルにセットすれば良かったのだ。今日のところヘッドフォンは、インターネットのためパソコンに繋ぐことにする。
 今更ながらアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱 第1話」(DVD第0巻)を観て、大いにウケた。主人公がほとんど登場しない第1話なんて初めて。でも、これはこれで話が全部ちゃんと主人公ハルヒの人物紹介になっており、同時に脇役達の位置も想像がつき、しかもおそろしく理解しやすく、ハチャメチャで、ユニーク。もっとも、DVD第1巻に収録されなかったのは、「奇をてらいすぎ」等と言われて支持されなかったのかも。さて第2話は…、それよりも「のだめカンタービレ」の続編は決定したのに、「らき☆すた」の続編製作発表がいまだにないのは何故だろう。
2009.02.06  シャボン玉
 マンションの階段を登りきると、廊下で二歳ほどの子供がシャボン玉を祖母らしい人に吹いてもらっていた。横を過ぎると、こちらの後をよちよちと付いて来るようで、老婆の呼ぶ声がする。後ろを振り向いて、声を掛けたら、踵を返し走って行ったので、そのままうちの中に体を運び込む。
 オーディオのアンプを買い替えた。そのため家電店との往復とそのセッティングに半日を費やす。
 もちろん高価な物じゃない。それでも聴いてみれば、たしかにこれまでよりは佳い音だ。好かった。
2009.02.05  SACDを憂える
 夕刻、ぼんやりルーフトップコンサート全曲の映像を眺めて過ごす。歌詞をまちがえたり、音が出なかったり、さんざんな演奏。それでもこれを生で、しかも通しで聴けたら、一生の自慢にできただろう。舞台はロンドン、ありえないけど。
 演奏が終わり、次の音楽が聴きたいのだけど、聴き慣れたSACDを取りに立ち上がるのも面倒で、たまたま目の前に昔聞き込んだ同じ曲のCDをラックから出してセッティング、鳴らしてみたら、なんなのだこのひどい音は、SACDに耳が慣れるというのは、こういうことかと、驚いた。SACDの音がそんなにすばらしい音だと思っていたわけじゃない。でも、やっぱり好い音だったんだ。
 近年さまざまな高品質CDが現われているけど、あまり良い評判が入ってこない。インターネット上では、リマスターCDと大差ない、などという書き込みすらある。少なくともスーパー・オーディオCD(SACD)よりも素晴らしい音だ、なんて情報は寡聞にして見当らず、うちでSACDプレーヤーの音を聴いている僕としては、ほっとしているところ。
 もっとも、SACDばかりじゃなく、CDすらも先行き怪しい音楽市場。安堵とまではなかなかいきそうにないね。
2009.02.03  長屋王邸跡地
 早朝、出版の件で関西へ行く。
 大阪で話しこみ、国道沿いに東進、長屋王邸跡地に建てられた今は亡きそごうは、外観に大差なくイトーヨーカドーになっていた。改めて遺跡破壊に腹を立てる。
 奈良で人と会い、生粋の大阪人だけど今は大阪に住んでいない男の家へ。歌人のM氏と会った時のことなど話してくれた。
 相方さんに電話すると、子供の熱は下がったとの由。それは良かった。
 原稿等を人に預けたので、身軽。とりあえず、ひとつ重い荷物をかかえて来て、それを手渡せたということは、ささやかな幸ではあるのだろうね。
2009.02.02  見当らない火山灰
 浅間山が噴火して、あちこちに灰を降らせたそうだ。けど、街路を歩いても、僕の目には入らなかった。
 子供がまた熱を出したそうだ。今度は流行りのインフルエンザかもしれない。医者が、
 「まだ発熱当日だから病名不明」
と言うからには、その可能性を疑っているのだろうな。
 珈琲店にて遅まきながら、漫画「DEATH NOTE」全巻を読了。セリフが多くて、ずいぶん時間を掛けたよ。夜、それについて書いた。おやすみ。
2009.02.01  書く人は書くのだから
 数日前、友人から「最近ほとんど筆が止まっている」というメールを受け取った。
 本人は理由をあれこれと書いているけど、少なくとも現代における創作というのは、多かれ少なかれ「もうこれ以上作れない」という境地を目指すのだから、次々と書いてゆけばいつか書けなくなるのは当然。だから自然で善い。きっと。
 もっとも中には、書けば書くほど止まらなくなる人も稀にいるのだけど。それとも、それは単に止まる前に寿命が来ただけなのだろうか。
 こういうことは自分に引き付ければ引き付けるほど判らなくなるよ。
 だから、とりあえず今日も書いておく。
2009.01.31  再出発は百分の一
 半月近くもホームページがインターネット上に存在しないことに業を煮やし、明日未明まったく未完のままアップロードすることにした。何もないより、何かあった方が良い。たぶん。急なリニューアルだったから、悲惨な外観なのは仕方ない。
 でも、そもそも今載せられるファィルは、これまで掲載していたページの百分の一以下。いずれまた公開する。とりあえず少しずつ載せてゆくかな。
 昨秋の大麻抜き打ち検査で陽性反応だからと解雇されたロシア人力士は、いまだに警察とは関わりのないままで、陰性と判断された日本人力士は昨日現行犯逮捕と、たいへん恥ずかしい展開をみせている大相撲界。はっきり言って、うんざりしてきた。大相撲をダメにしているのは、いったい誰なのだ?
2009.01.29  セピア
 一日ウェブサイトの作成。トップページの写真にセピア色を掛けろだの、もっとサイズを大きくしろだの、そんな調子だから遅々として進まない。
 ホームページ、ぜんぜんできていないけど、完成前にとりあえず現在の姿でアップロードすることを提案。これでは文章だけができて、いつまで経っても公開できそうもないから。気の逸るのが良くないのは判っているのだけどね。
 疲れて、雨模様の街を眺める。富士山はおろか、高尾山すらもうっすら霧の中。まるで歌集のタイトルのようだな。
2009.01.27  OS交換
 所用で一日ほとんどあっちうろうろ、こっちうろうろと歩き回っていた。歩くのは良いことだろうけど、あまりに忙しくてはなかなか詩もできない。それで夜に歌を詠んだ。。
 公式サイトのリニューアル案があるていど固まってきたので、さていよいよ作成に取り掛かるかとパソコンを起動させたら、OSの機種が古すぎることが判明。明日以降ヴァージョンアップすることを決定しただけ。歩みののろい亀のような進行具合である。
2009.01.25  僕はショッカー
  快晴。まるで春なので、蕪村句集の春の巻を拾い読み。
 大相撲は朝青龍の復活優勝。表彰式に主席した麻生総理。表彰状にないセリフがあったけど、聞き取りづらかった。申し訳ないけど、インタビューで絶叫した朝青龍の方が、また前回出席した小泉さんの方が、役者が数段上では。
 たらたらと文芸誌のバックナンバーを読んでいたら、「職革(しょっかく)」なる聞き覚えのない単語があった。職業革命家の略称だとか。
 それなら職業詩人は「職詩」なのか。「ショッカク」といえば普通「触覚」か「食客」だろうし、「ショクシ」といえば「食指」だろう。「ショッシ」では「書士」等に似て、発音が悪い。
 ならば「職業歌人」は「職歌」。ショッカー? 初代仮面ライダーの敵役じゃないか。
 「僕はショッカー」
 おもしろいよ。
2009.01.24  オバマと「我が祖国」
 正午前いきなり雪が降り始めた。天気予報は晴れだっただけに驚いた。気象庁によれば、きのうは「四月並みの暖かさ」だっただけに、身体が冷気に全然ついていかなくて、困る。
 オバマ新アメリカ大統領就任記念コンサートを少しだけ横目で視る。ピート・シーガーがウディ・ガスリーの「我が祖国(This Land Is Your Land)」を唄っていたのが印象に残った。
 大相撲は、日馬富士が横綱白鵬を破ってから、調子を取り戻したのか、ついに勝ち越し。安堵しているだろう。逆に快調だった白鵬はそれからおかしくなって、対戦相手の自滅で星を拾っている感じ。序盤低調だった朝青龍は相撲勘を取り戻してきているようだから、明日の千秋楽は期待しよう。
2009.01.22  味オンチ?
 昼飯は相方さん手作りでひさしぶりのモヤシ入りラチャーシューメン。思わず「美味い」と叫び、質問。
 「これ、何てラーメン?」
 「…出前一丁」
 自分の味覚に自信を無くした瞬間。近頃、ラーメン専門店やら、キッチン用の喜多方ラーメンやらばかり食っていて、すっかり出前一丁の味を忘れていた。懐かしの味ということなのだろうな。慣れた舌って恐い。
 駄歌ばかり読んでそれが快感になっているのではないかと疑われる何処かの御師匠連の感覚もこんなものなのだろうか。嫌だな。
2009.01.21  さすがロバートソン
 流出が伝えられていた映画「ラスト・ワルツ」のカットシーンであるボブ・ディランの「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」と「ヘイゼル」の演奏映像をようやくインターネット上で発見。ぜったいに有るはずと信じていただけに、ついに、ついに目にできたことに感動。
 流出品だから演奏も手直し無しのようで、ずいぶん粗い。公式盤では間奏の一部までが削られているのがはっきり判り、「ギターをちょっと録り直しました」なんてレベルではなかった。製作はロビー・ロバートソン。海賊盤が出回っていた音源をもとにアルバム『地下室』を発表した折に、たっぷり新録を加えた人だけのことはある。さすが。
 某所から人が来て「数日中に百万円を入金するからそこで静かにしていてくれ」との申し出を受ける。去年、世間が好況に沸き立っていた頃、こちらは大赤字で、まったく首が回らなかったのが、先月からまた情勢が変わってきた。
 ひょっとして三宅惺に才があるとすれば、じっと寝転がっていれば何処かの赤の他人から金が支払われる、ということではなかろうか。そうして、相方さんは嬉々とケーキなど手作りして、子供は一日で遊びきれないほどの玩具に囲まれて、喜んでいる。鬱屈しているのは僕一人だ。そういう詩歌でも詠むしかないか。
2009.01.20  マッキントッシュの悲劇
 プロバイダー解約とドメイン移管手続きを進める中、長年ホームページ作成作業を担っていたマッキントッシュ・パソコンが、突然「キュィウン」というような奇妙な音と共に息絶えた。うんとも、すんとも反応しない。天命を終えたと自ら悟ったのだろうか。
 おかげで公式サイトは真っ白のまま置き去りにされることとなった。今のMacは手元のHP作成ソフトに対応していないので、明日にでも新しいソフトを手に入れるほかないな。
 新しいプロバイダー会社と契約したこの機会に公式ホームページをリニューアルしようという案が、事務所内で出た。それならば、これまでと違うサイトでなければいけないと、三宅惺事務所とか名乗っている自室でいろいろ案を練る。簡単にはまとまりそうもない。
 そうすると、完成するまでサイトを再開しないとすれば、始めるまでさらに日にちがかかるということだろう。そんなにゆっくりしていて良いのだろうか。まあ、焦ってもしかたないか。移管手続きを完了しなければサイトは再開できないし、それが何日後なのかは新しいプロバイダー会社しだいなのだから。
 それよりもメールの受け取りができないのが気にかかるよ。こういう時に限って送信してくる間の悪い人がいないことを祈る。
2009.01.19  女性の夢
 ここ数ヶ月ほど女性の夢をたびたび見る。さまざまな女性で、筋もばらばら、一貫性はない。抜き出て出演回数の多いひとが一人いるけど。
 心理学者ユングは、男の心にひそむ女性的要素をアニマと呼び、このアニマ像の布置が人生後半の重要課題であり、それがしばしば夢に現われる、と説いていた。もしその夢が性体験を含んだ場合は、神性をおびた畏怖すべき神秘的なものを表わしているそうだ。もっとも、精神分析家フロイトによれば、たんに性欲を抑圧していることの反映ということになるのだろう。そして、同じ夢を繰り返し見るのは、その夢の意味を見ている本人が理解していないから、ということらしい。まったく、夢を見るのもたいへんだ。
2009.01.17  バカにするにもほどがある
 「管財人及び裁判所からの要請による事業譲渡の対象」うんぬんという文書が届いた。郵便だったか、宅配便だったか。
 ようするに、僕の著書を出版したS社は、去年つぶれた後、この文書を送付してきた会社に僕達作者の書籍データ、つまり著書の本文を自らの財産として売り飛ばしたらしい。売る方も売る方だけど、買う方も買う方だ。
 「著作権はもちろん現在でも著作者様のものとなります」って、そうでなかったら裁判沙汰だよ。冗談じゃない。それで企画出版するつもりはさらさらないというのだから、バカにするにもほどがある。
 封筒ごと資源ゴミの袋に押し込んだ。ばかばかしい。
2009.01.13  監獄へ
 母と子供と孫の合計五人を殺して無期懲役との判決があったというニュースを読む。「母からの精神的虐待を受けていた」ので減刑されたのだとか。それほどの罪を犯しても、理由があれば情状酌量の余地はあるものなのだな。だからといって、現実の監獄に入るのは、やっぱり嫌だね。
 新大関・日馬富士(はるまふじ)は初日から三連敗。三日ともテレビで視とどけてしまった。硬いなあ。
 公式サイト管理の人は、事が好転し始めたらしく、元気。ただ肝腎のこちらは、散文が書けなくて、ずっと頭をかかえこんだまま。歌句ができているから、悪い気は…するよ、やっぱり。
2009.01.12  「十六夜」と書いて「いざよい」と読む
 快晴。
 ベランダで月を見る。満月は昨夜だった。つまり今日はいざよい。
 こんなふうに外の世界をじっと睨みつけているだけで、おそらく人生は終わる。本がバカ売れしようと、知人が激増しようと、そのことに違いはない。恋愛感情を多くの人が、デートだの、結婚だのにつなげているのに、僕は創作活動につなげた。いや、そこにしかつながらなかった、というべきか。
 グレン・グールド演奏のモーツァルト・ピアノソナタを聴きながら、お茶。この「トルコ行進曲」、今座っているから良いけど、行進したら蹴つまずきそう。もちろん悪口ではないよ。
2009.01.11  飯能のお湯
 飯能でゆったり温泉に浸かる。体が少しずつほぐれてゆく。凝りが取れる。好いお湯だ。
 昼食前に歌を二首詠んだ。
 しばらくうだうだ部屋に籠って、歌稿整理は進んでも、創作はぴったり止まっていたから、やっぱり来て好かった。後は歌作三昧。
 外は満月。
2009.01.10  みぞれまじり
 一日中みぞれと雨が代わりばんこ。下痢で医院まで母親に連れられていった子供は、うちにたどり着くなり、
 「寒い」
と泣いた。僕はずっとヒーターの点いた部屋で歌稿とにらめっこしていたから、中で「寒そうだな」と思っていた。
 「ずっとあちこち電話を掛けまくりです。どうやらマスコミも動いているようです。」
 一方、公式サイト管理者さんもなかなかハードな一日を過ごしたらしい。報告を受けるだけで、それが解るよ。
 明日の予報は、また暖かく晴れる、とか。そうなれば好いね。
2009.01.08  「悪徳会社」
 公式サイト管理者から「話がある」と切り出された。
 なんでも現在契約しているプロバイダー会社と幾つかの問題で折衝しており、困ったことに今の所らちがあかない状態で、もし仮にドメインを含む「プライベート・プラン」というサービスの件で話がつかない場合、ログ上の「三宅惺blog: マイペースの論理」は別のアドレス(URL)に移して、その場でその会社を批判するブログを始め、最悪の場合は別の案件を主案にしてインターネットで有志を募り集団訴訟を起こすのだとか。
 なんだかやっかいな事案らしい。うまく片が付けば良いのだけど。
2009.01.07  大河ドラマ(2)

 大河ドラマといえば、去年は天璋院篤子を描いた「篤姫」、今年は直江兼続の「天地人」だとか。どちらもまったく視ていないけど、僕が大河ドラマを楽しみに視ていたのは、まだ子供の頃、平将門や藤原純友を描いた「風と雲と虹と」、大村益次郎や高杉晋作の「花神」、納屋助左衛門や石川五右衛門の「黄金の日々」の三年ほどで、いずれも学校の歴史教科書には載っていない人達。しかも「花神」では徳川慶喜とか福沢諭吉とか西郷隆盛、「黄金の日々」では豊臣秀吉といった、まさに教科書に出てくる人達が敵として主人公と闘うストーリーであるところが、最近の大河ドラマの傾向に通じるところがあるような気がしないでもない。主人公が直江兼続ならば、当然敵は徳川家康だろうからね。
 ちなみに音楽担当は「風と雲と虹と」が山本直純、「花神」が林光、「黄金の日々」は池辺晋一郎だった。そして前述の方は「龍馬がゆく」の間宮芳生。僕の世代が視られる放送作品じゃないよ。

2009.01.07  大河ドラマ

 子供がアニメーション「セロ弾きのゴーシュ」を鑑賞している横で、作中の奇妙な「インドの虎狩」という曲に惹かれ、音楽担当者の名前を見ると聞き覚えがある、その経歴をネット検索で調べてみたら、同じアニメ映画の「火垂るの墓」の音楽担当だったことには驚かなかったけど、小学校の授業で視たNHK教育テレビ「テレビの旅」のテーマソング作曲との一項には、びっくりした。あの曲はまだはっきり覚えている。誰かが「大河ドラマみたい」と言っていたけど、予想通り大河ドラマのテーマ曲も仕事一覧にちゃんとあった。やっぱりこれは自分の浅学を恥じるべきなのだろうな。 子供がアニメーション「セロ弾きのゴーシュ」を鑑賞している横で、作中の奇妙な「インドの虎狩」という曲に惹かれ、音楽担当者の名前を見ると聞き覚えがある、その経歴をネット検索で調べてみたら、同じアニメ映画の「火垂るの墓」の音楽担当だったことには驚かなかったけど、小学校の授業で視たNHK教育テレビ「テレビの旅」のテーマソング作曲との一項には、びっくりした。あの曲はまだはっきり覚えている。誰かが「大河ドラマみたい」と言っていたけど、予想通り大河ドラマのテーマ曲も仕事一覧にちゃんとあった。やっぱりこれは自分の浅学を恥じるべきなのだろうな。

2009.01.06  クサるな
 ひさしぶりに坂口安吾を拾い読みしていたら、ドストエフスキーだって作品を誉められなかったら、クサって、やる気になったのは四十歳すぎてからだったとか書いてあって、安吾が「堕落論」「白痴」を発表したのがまさに四十歳だから、四十歳になってやっと仕事を始めたのはあなたでしょうと言いたくなった。ドストエフスキーが四十歳過ぎてから名作を書き始めたのは事実としても、クサってたわけじゃないだろう。
 外的条件が整わないと名作はできないというのならば、夏目漱石が小説を書き始めたのだって三十九歳だから、正しいのだろうけど、漱石だってクサっていたわけじゃないよね。
 ひさしぶりに歌稿の清書に精を出す。あまり根を詰めると、すぐ体重が減るので、適当なところで休む。今日も晴天。心地好い。
2009.01.04  ゆく河の流れ
 いきなり去年発見された釋迢空の未発表短歌について話しかけられた時、テレビは夜のニュース、CDは『ビートルズ・アット・ザ・BBC』、DVDは短編アニメーション「クルテク」を映していた。テレビが桂離宮の映像に替わって、たちまち喧騒が吹き飛び、ほっとした僕を誰に罵ることができよう。
 離宮は月影に照らされている。僕の文運に楽観的な相方さんは、午後、今年初めてのデパートで買い物を楽しんできたらしく、子供の食器を棚に並べて、鼻歌など口ずさんでいる。まったく次から次へと絶え間なく割れてゆくものだ。文運が尽きなければ、食器の替えも尽きない。ゆく河の流れのようなことを言っている。

 

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