2010.06.30 眺望が利いている
昨夜はブラゼル選手の三打席連続ホームランを中継でぽかーんと視た。たいしたもんだ。でも、家でW杯サッカー日本対パラグアイ戦を視ることもなく、野球場に来ている大観衆だってたいしたものだね。別の球場では八本もスタンドにたたきこんだチームもあったとか。そこにも大観衆は居たのだそうだ。良かった。
今朝は晴れたので勝上嶽に登る。山の展望台から伊豆大島が見えたということは、眺望が利いているということ。好い日だ。
ふと脈絡もなく「シザー・シスターズは今頃どうしているのだろう」と思う。
簡単な昼食を済ませて、書いたのは電子メール。それでも推敲をたっぷり練った。明日、送信しよう。
今日は作歌の日ではなかったらしい。こんな日もある。
2010.06.28 無駄遣いは止めよう
雨の降らないまま日が照るに従って蒸してきた。さして気温は高くないはずなのに、汗がにじむ。
出版社からの連絡がまったく無い。良い仕事をしようしても、社会との接点がうまくつながらなくてはね。とりあえず書きながら待つほかないか。書いて、書いて、書いて、もっと書け。
だから今日も一人で、暇だ。これが自分の物書きとしての最大の宝かと思えば、その皮肉に苦笑するほかない。
トラブル続きの角界は大嶽親方と大関琴光喜の追放等で事を収めるのだとか。ほかに同罪と名前の挙がっている人達との処分の差はいったい何なのだろう。
それにしても、今回の大相撲の件といい、先のオリンピックの件といい、何かメディアが騒ぐたびに、政府なり、官公庁なりに今後の指導を預ける形で納めようという意見が出てくるけど、それこそ税金の無駄遣いだ。国やお役所にはもっと重要な仕事が山積しているはず。そんなところに人や金をつぎ込んで、人手も予算も足りないから増税だなんて悪循環やってたら、いくら国税があっても足りない。気が付いたら、外部有識者会議メンバーも、協会上層部も、官僚の天下り先になっていた、なんてことになっても知らないよ。
夕方にやっとひと雨きた。ふう。
2010.06.27 カラスも鳴かない
晴れるかなと思ったら、しだいに雨足が強まって、また晴れてきたかと思えば、雨音が聞こえ、独り、その音色を楽しむ。雨があまり強いと、鳥もカラスすら鳴かないからね。端(はた)から見れば、頬杖などついて、退屈にしているようにしか見えないのだろうな。
ラジオから流れるポップミュージックに心地好く浸る。アナウンサーが伝える情報によれば、こんな空でも隣町の海では泳いでいる人がいるとか。ヤケクソだな。
今週には地元でも海開きがある。海辺で遊ぶのも良いけど、気力と体力がなければ、水に入ったら沈んでしまうだろうな。
それでも懸命にあれこれ書いたよ。
2010.06.26 ロンド・ア・カプリッチョ
また梅雨に戻った。朝食後から小雨がずっと降り続いている。止んだ時間があったとしても屋内では気付かない程度だ。
先週18日の時間差日記に「痩せた」と書いたら、病院へ往くよう勧めるメールが、きのう今日と二件やってきた。
夕方、CDで「ロンド・ア・カプリッチョ」等を聴いていたら、終日外で遊びほうけていた子供が寄って来たので、話す。
「赤ん坊がベートーヴェンに生まれて、彼は揺り籠をのぞきこんで言ったよ。赤んベー」
楽しげに笑っている。もちろんその場で思い付いたままのフィクション。子供が本当にいたとしても、ベートーヴェンは、そんな話はしなかったろうな。
サッカーたっぷり視て、野球はタイガースだけを注目している間に、いつのまにか楽天がパ・リーグの最下位に。ああ、あ。
そして夜、雨中ずぶ濡れの韓国対ウルグアイ中継を観戦。ウルグアイが挙げたコーナーキックからの決勝点はすばらしかった。誰かが「芸術的」と形容しそう。いや、いや、僕だって、と、身を震わせた。
2010.06.25 美味しいのかな
机で仕事をして、ふと気付いたら午前三時を大きくまわっていたので、サッカーを視る。ひと昔前と違い、反則の少ない、気持良い試合だった。
試合終了のホイッスルが鳴った時は、すでに明け方。さすがに少々眠い。でも、気分通りに好い天気だ。
夕食は鯨肉の醤油焼きだった。安価だそうだけど、意外に美味しい。それに比べ、むかし小学校の給食に出た鯨肉の不味かったこと。
そういえばイルカ漁を取材した映画が、一部の人の抗議活動により各地で上映中止になっているとか。この映画で舞台になっている町ならば十数年前に往ったことがあるのに、その時イルカは食べなかった。美味しいのかなと、今ごろ気になる。
映画が良い宣伝になって、知名度も、売り上げも伸びていれば善いね。
2010.06.23 路上で観賞
いかにも梅雨らしい曇り空。晴れ間と小雨が交互する下、アジサイを観賞して歩いた。わざわざ植物園とか庭園とかへ行かなくとも、道々に花がいっぱいだ。
散文を書いたり、インターネットできのうの野球を視たりして過ごす。ああ、二十一世紀の精神よ。
そしてぽつりぽつりと歌を詠む。
イングランド対スロベニア戦サッカーを夜TV観戦。なかなかの好試合。それにしても英国はしたたかだった。
2010.06.22 謎の整髪代
朝の連続テレビドラマで極貧にあえいでいるはずの夫婦があまりに身綺麗だから、あの二人は整髪代に食費の何倍かけているか、という件を朝食の話のネタに、大いに笑う。作者の思惑などまったく無視したこういうナンセンスをひと昔前大真面目に論じていた文芸評論家がいたな。
でも、このドラマは昭和が舞台という設定だから可笑しいので、平成の貧乏人は電気代が払えなくても車のガソリン代は払っていそうだ。
僕なら書籍と、コンサートと、…いや、それは必要経費みたいな物か。
そういえばしばらく床屋に行ってなかったな。
ときおり微雨の混じる朝。午後から薄雲を通して陽射しが降り注ぐ。きのうとよく似た空模様だ。もっとも昨昼の方が青空が多く、陽射しは今日の方が強いかな。
きょうは一日、読書で暮れたよ。
2010.06.19 危機意識を持つべきだ
厚い雲から微雨が降ってるのかいないのか屋内では区別がつかない天気。こういうのが梅雨空なんだと、つくづく思い返していたら、午後から晴れた。心地好く。
午後からプロ野球横浜対阪神、夜はサッカーW杯日蘭戦と、スポーツTV観戦の一日。どちらも見所があって、楽しめた。
それにしても連日の報道で漏れ伝わる大相撲について、子供の頃からの一人のファンとしてつくづく残念なのは、ここ数年過熱報道のある度にこの危機をどうして脱するかという意気が協会側から感じられないことで、この期に及んでもどうせまた内輪で揉めているのだろうとか、嵐の日の亀のようにしばらく甲羅の中に収まっていれば嵐は過ぎると考えているのだろうというような冷めた目でしか見られないよ。
誰もが危機意識を持つべきだ。そして僕はそれを歌うのさ。
二階から外を眺めれば、庭や道端に紫のアジサイが咲き誇っている。去年は生えてなかった場所だ。誰が植えたにせよ、とても好い。
2010.06.18 「あっ、アトム!」
近頃いやに痩せている。去年ベルト要らずだったジーンズパンツはウエストを18センチも超えてぶかぶかだし、トランクスまでがずり落ちそう、しかも腕や足まで目立って細くなっているときては、いささか病的ではないか。にもかかわらず、体は健康そのもので、食欲旺盛なのだから、我ながら理解に苦しむ。
蒸し暑い一日。数分だけ強く降って、曇り空の時間が長々と続くことをしばらく繰り返していた。
天神社を散策する。
小学生が多い。絵筆塚という石碑にはめ込まれた多くの漫画家の絵を指さして、
「藤子不二雄だ」
「あっ、アトム!」
と、やってるところは、おそらく子供の頃の僕でも同様だったろうと思えば、微笑ましく見える。
道々のアジサイも、紫、青、紅と、しだいに色付いてきたよ。
2010.06.17 静かになる
気持良い朝。昼には暑くなりそうで、今夏はじめてTシャツ一枚となる。
正午、案の定、暑い。
とりあえず、しばらく作歌に集中。どのような境遇であろうと、人は与えられたものを元に生きねばならないので、僕に与えられたものが詩歌句の才ならば、毎日詩を書き、歌を詠み、句を捻るほかないのだから。
しばらく部屋をうろうろしていた蟻はいつのまにか来なくなった。先月数日置きに姿を見せていたアシダカグモは半月足らずで消えたし、またここも静かになる。
歌が聞こえる。
2010.06.16 移植された大銀杏
今にも降りだしそうな空なので、ずっと内に居ようかとも思ったけど、なんかそれではいけない気がして玄関を出たら、すぐに晴れた。暑い。
大石段脇の元・大銀杏は、隣に植えられた幹から緑がしっかり伸びて、折れて残った根元は表面を生い茂った若葉ですっかり覆い隠されて幹なんか全然見えなかった。たいしたものだ。
頼まれていた歌の色紙を仕上げる。気候が良いから、よく乾くよ。まったく。
この家で生産的労働をしているのは僕一人。べつに珍しいことじゃない。珍しいのは、このヘタクソな字がそれのひとつだということさ。
夜、眠くなってきたので、早寝した。
2010.06.15 白いアジサイ
梅雨晴れ間の朝、チョコクロワッサンを齧りながら、きのう小惑星探査機が史上初めて月以外の天体に着陸して無事に地球へ帰還した件とか、W杯サッカー日本対カメルーン戦の件とかの話などする。1対〇のまま試合終了までの最後約十分は冷やひやで、日本辛勝後の都内では深夜、勝利の興奮で群衆が騒乱状態の場所もあったとか。あの雲の白さのように多少浮き立った空気が周囲にあふれている。
郵便局へ行き、封筒を二通投函。路傍のアジサイはまだ白い。
日が暮れてから、また降ったり、止んだりの空だった。
2010.06.13 青空など見えないのに
薄雲がかかっているのか、青空など見えないのに日なたの庭に咲き残った紅の差した白い躑躅が、まばらに並んでいる。明るい。
ずっと部屋に一人あれこれ考えて過ごす。考えるということは書くこと。書かなければ何もしないで寝ているだけだ。
夕方、近くの浜ではそろそろ神輿が海に入っている頃だろう。御身渡しか。
本日、全日程を終えたプロ野球交流戦は、まさかのオリックス優勝。今シーズン当初はともかく、その長い低迷から脱する気配は先月までほとんど感じられなかったのに。こういうこともあるんだな。
二十三時頃、雨になる。強い。でも、就寝前に雨音は止んでいた。
2010.06.12 ヒトの運
起床時から心地良い快晴。梅雨入りまでにこんな空が、あと何回あることやら。
お土地柄か、「平家物語」ならばすぐ耳に入る。朗読会か何かしているのだろうか。
「御運はもはや末になったと見えます。ひとの運命が傾くと必ず悪事を思い立つものでございます」
昔の語りでそういうセリフが聞こえた。斜陽まっただなかの数名の名前をちらほら思い浮かべる。まだこれ以上の悪事を重ねるなら救われないな。用心、用心。
2010.06.11 書面不備
読書に一区切り付けて、そろそろ午後の珈琲でも飲もうかと考えていたら、
「電話があった」
と知らされた。
なんでも昨日某所へ郵送した書面に不備があったとかで、FAXや電子メールでは片づかない用件だから、やむなく大急ぎで書面を調え、玄関を出たら、それまで曇っていた空に雲の切れ間ができた。ようやっと晴れたか。
夜、W杯南アフリカ大会開会式コンサートの映像を観る。ここはアメリカかと思うほどUSAのミュージシャンばかり。サッカー界は各国が切磋琢磨しているのに、芸能界は一国の独壇場か。
2010.06.10 ハムシの類い
やっと夏らしい青空だ。
ふと思いついて、しばらく昆虫大図鑑と睨めっこ。子供と一緒に居ると、昆虫だの花々だのを指さしては「あれなあに」「これなあに」であるのは佳い事だけど、こちらが子供の頃ならばすらすらと口にできた虫や花の名が、頭の引き出しの何処に入れたやら、絶句するその度、自己嫌悪に陥らされてはたまらない。
知らなければ、もちろん文筆の仕事にも差し障りができる。
もっとも、この辺りにはハムシの類いが多いので、判らなければ「ハムシのなかま」でおそらく正しい。
午後、推定八十歳の人と書面で話す。あちらはこちらについて幾つかの事実を知らないふりして話をしようとする。でも、それでは対話にならない。物事は共通の理解のもとでしか進まないのだから。
そうしてやっと話がつながる。で、なければ、決裂するしかない。
しなかったよ。
2010.06.09 それこそが怠惰
いつものように散策に出ようとしたところで、雨が降ってきた。傘を差して歩くのも億劫なので、とりやめると半時間ほどで止んだ。でも、もう出る気にはなれない。空は厚い雲でいっぱいだ。それでも不思議にたびたび陽が射し込んできている。部屋は暖かい。
昨日同様、一日中ここ数年の内で印象に残った数冊の本を読み返した。
終日ここ数年の内で印象に残った数冊の本を読み返す。そういうつもりではなかったのだけど、結果的にそういう一日になった。読んでいるうちはとても怠惰な気分だったのだけど、過ぎてしまえば、こういう一日も偶には必要だと思えてくる、それこそが怠惰ではないかと非難し始めれば切りがない。
2010.06.07 蹴鞠の神
サッカーW杯本大会開催日が近づいて、その類いの報道を見聞きすることが増えてきた。蹴鞠の神を祀っていることで近年知られるようになった京都の白峯神宮でW杯勝利を祈りに参拝してくる人達を取材した記事を読む。しかし、実はあそこはもともと芸事に関する所で、少女たちが手芸や和歌の上達を願う場所だったはず。蹴鞠と和歌の家である飛鳥井家ゆかりの神社だから。
それなら、むしろ僕が歌の上達を祈った方が、その主旨に適うわけか。鳥居の前を通ったことは何度もあるけど、境内には入ったことがない。一度くらい参っておくべきだったかな。でも、縁が無かったのだから、悔やむようなことでもないさ。
晴天、雲天の繰り返しの下、読んだり、書いたり。CDラジカセではアマンダ・マックブルームが「死ぬことを恐れていては生きるということを学べない」と唄っている。
梅雨が近いのだろうか。
2010.06.06 八福神
北鎌倉へ行く途中、陰陽師安倍晴明の碑を見つけ、その前で談笑。安倍晴明が北鎌倉に来たという伝承があるから、ここが居宅跡の伝承地もしくは推定地かも、と話す。
それから、ひさしぶりの東慶寺。
始めての浄智寺では釣鐘草、花菖蒲、螢袋などの花々が見られた。門前に鎌倉七福神の幟が立っている。後でちょっと調べたら、これで江ノ島弁財天を含めて八つ総てを廻った事になるらしい。ふむ。
七福神なのに八つとはね。そういえば八王子七福神も八体だったっけ。さすがに九福神は何処にもないと思う。たぶん。
帰りに源氏池の横をかすめると、水面から亀が首を長々と伸ばしていた。
2010.06.05 面識のない人たち
未明、遠雷が鳴り始めてしばらくしたら豪雨になる。三十分ほどで止んだ。
朝まだ湿りを残した町を歩いていたら大巧寺のそばで初対面の青年に名を呼ばれた。ずいぶん上ずった声だ。
「ホームページの写真と同じ服だから、すぐわかりました」
改めて自分の姿を見直す。たしかに。
彼と別れた後、これまた見知らぬ初老の御婦人から
「あがっていたのよ」
と言われる。彼のことらしい。そうだったのだろうか。それならあんなにあがっている人を間近にしたのは始めてだよ。たぶん。
それにしても、僕は見知らぬ人に話しかけるのが苦手で、これまで面識のない人に話しかけたことは数えるほどしかないのに、話しかけられる事は後を絶たない。生活はそれで成り立っているようなものだな。まったく。
2010.06.04 十王岩にて
午前中、大塔宮の横の川端康成旧居地を過ぎてハイキングコースに入り、展望所の十王岩へと歩いていたら、次々と小学生の一団が傍らを通り過ぎて行った。一度、
「すみません。八幡宮の方へはどう行きますか」
と少年に尋ねられて、驚く。後になって、十王岩には標識の類いがないからうっかり岩の前を素通りしてしまったのだと思い当たったのだけど、その時はいったい何処へ行くつもりなのだろうと、ただただ不思議だった。
普通に、覚園寺へ進む道と建長寺へ戻る道を地図上で指し示す。もう一本、今宮の方へ抜ける道があってそこが一番近いのだけど、あそこは完全な山道で観光向けの地図には載ってないし、迷子になられても困るから、教えなかった。
十王岩の上から南へ海辺の町を見下ろす。湾内は、お椀に注いだ藍液のように静かで、青い。
岩から降りて歩き始めた所で、誰に話しているのか、耳の上に白髪を残した男が北を指さして、
「横浜のランドタワーが見えます」
さまざまなものが見えるものだ。
夕方インターネットの天気予報で「夏のような暑さ」という一文を見かけましたが、今は初夏。それももうすぐ終わり、間もなく仲夏です。
2010.06.02 半袖
外へ出れば、緑が佳く光に映えていて、気持良い。勇んで半袖を着たけど、途行く人のほとんどはまだ長袖か中袖、もしくは長袖を肘までたくしあげた姿だった。それほど涼しいとも思えないのにな。
正午過ぎ、首相と幹事長の辞任表明の報を聞く。
子供がその母親に絵本を読んでもらっている。と思っていたら、絵本の後は母子でワガノワ・バレエ団のDVD「くるみ割り人形」を鑑賞し始めた。御相伴は遠慮する。
2010.06.01 夏のセーター
世の中は衣替えの季節だそうだけど、少なくともこの家はそんな気候に遠い。白昼も薄手のセーターを着なければいけない。まあ、この異常気象も、どうせ明日あさってまでの事さ。
天気が不安定だから外出も控えめ。最後に喫茶店で珈琲を飲んだのはいつだったろう。マスターのブログは読んでいたりするのにな。
昼食後「ビリー・ザ・キッド / 21才の生涯」の特別版DVDを鑑賞。むかし公開された劇場版と試写版の映像を数年前に混ぜ合わせて出来たシロモノ。三つも異なるヴァージョンを観た映画作品はこれが最初ではないか。そんなに好きかと尋ねられれば「よくわからない」と答えるしかないな。
2010.05.31 毎日座禅(のようなもの)
少し涼しい青空野の下、黙々と詠歌。あまり捗らない。
夜テレビの紀行番組でレポーターの芸能人がいきなり寺を訪ねて、和尚に導かれるままに座禅を組み始めた。
「最初は妄想に襲われます」
「妄想でいっぱいです」
そんなやりとりがあって、ふと自分は毎日妄想ばかりしてその後ときおり詩歌句など書いて生きているのだから、人に普段は何をしているのか尋ねられた場合、
「座禅を毎日組んでいるようなものです」
と答えたら、なかなか高尚に聞こえるのではないか、などと思ったりする。
少し気も晴れて寝た。
2010.05.30 日本代表また負けた
就寝前に日英サッカー中継を観戦。そんなにひどい試合でもなかった。でも結局負けちゃうのだな。彼等は日本代表になりたがり、そして選ばれたのだから、負けたら罵声が飛ぶのも当然。
現在政治の日本代表である鳩山首相が普天間問題で闘った相手が具体的に誰なのか、自民党なのか、官僚なのか、マスコミなのか、地域エゴなのか、はたまたアメリカなのか、あるいはその全部なのかは知らないけど、どうやら彼は負けたらしい。だから罵声が今飛んでいる。
政治をサッカーと一緒にするなと言われそうだけど、この場合はちょっと違う。政治をサッカーに似せているのではなく、サッカー日本代表チームこそがスポーツを政治利用にしたひとつの結果なのだから。
今月また厚手のセーターを着なければならなくなるとは、まったくなんて気候だ。涼しいなどというものじゃない。でも、雨は降らなかったよ。
2010.05.29 芭蕉の世代
元大関・出島の断髪式の日は、ちょっと夏とは思えない冷え込み。そして降りそうで降らない雨。また厚手のセーターを着なければならなくなるとは、まったくなんて気候だ。涼しいなどというものじゃない。
ただぼんやりと過ごすことだけが心の栄養源だ。
午後なんとなく「奥の細道」を再読して驚く。松尾芭蕉がこの紀行文の元となった東北旅行を決行したのは、今の僕と大差ない年齢だったのだ。高校生の初読時は、おじいさんの話だとばかり思っていたのに。道理であの道のりを徒歩で完遂できるはずだ。今の倍の年だったら、違う職業の人でないと難しいだろう。
2010.05.28 読書のかたち
iPad、iPadと、マスコミはかまびすしい。読書のかたちを変える可能性がある機器だそうだけど、それなら三宅惺の周囲も少しは改善してくれないか。
ともあれ、山にも海にも雲がかかっているのに、天上天下はことごとく晴れ。そんな町中を半日歩いて過ごした。気持好い。
毎日ひたすらどのように生き、どう過ごすべきかを考え続けている。ただ立っている時、ノートに書いている時、畳に寝転んでいる時、CDを鳴らしている時、パソコンを眺めている時、布団に伏している時、いつも、だ。そうしなければ生きてこれなかったし、生きてゆけない。難問はいつもそこにある。
ぼんやりと万葉集を読む。「伝統こそが、絶えず『現実』を窺えと勧めてくれて、また、或る一人の誰かに盲目的服従することを防いでくれるのです」と誰かが言ったと、うろ覚え。ロダンだっけ。ちゃんとメモしておくべきだな。
2010.05.27 直後ではなく、直前
天気予報士がサンプルにしそうな「晴れのち曇り」の一日。
夕べ、或る今は亡き小説家の全集を読んで、雑文・エッセイがある時期から文学青年のような文体から流行作家のようなそれに突然変化していることに気付いた。年譜をひもとくと、その小説家はその年の終わりに文壇の寵児となる長編を発表している。つまり流行作家になる直前だ。
直後ではなく、この直前というところにひどく引かれる。
「少し気が早くないか」と、この若者のオッチョコチョイぶりを笑ってしまえばそれで済むことだけど、それは間違いではないかという疑問がどうしても頭を去らない。不思議といえば不思議。
2010.05.26 再開
起床後パンをぱくぱくと口に放り込んで、強い陽射しの下、小町大路、今大路と往けば、あちこちに紅のツツジが花開いている。もうみんな散ってしまったと思っていたから驚いた。ある所にはあるものだ。
崩れた体調はほぼ完治したけど、まだ頭が重い。変な夢を続けざまに見る。いや、変ではない。むしろその意味は明瞭だ。変なのは、それを受け止めるこちら側にある。
しだいに曇って、夕暮には豪雨。
仕事が捗り始めて、あれこれと書く。でも、今日は書いている時間よりも、頭をかかえている時間、考え込んでいる時間の方が長かった。とりあえず、それで良しとせねばなるまい。
2010.05.23 意識は完全にとんでいる
雨。
小鳥の啼鳴が疎らな中、普段は静かなカラスが、カー、カーと声をはりあげているのが可笑しい。
夕方、体調を崩して横になる。風邪だろうか。なんとなくそのまま寝ていた。意識は完全にとんでいる。目を塞いだら、たちまち数時間が過ぎていた。疲労。
三宅惺事務所は連日の開店休業です。
2010.05.21 追想と展開
「海は故郷への追想を奪うことによって、同時にその富裕を展開する」
と、ハイデッガーがヘルダーリン論で書いていた。
そう、その海だ。
早くもサーファーや犬の首紐を引いている人達がたむろしている砂浜をしばらく歩いて、正午前の部屋に戻れば、本棚の『三宅惺歌集』がずいぶん誇らしげに胸を張って待っていた。今まで何処にいるのか判らないほど奥ゆかしく収まっていたのに、また勇ましく元気が良いな。
快晴。いかにこの土地が涼しいとはいえ、ついにカーペットを片付け、クッションも、スリッパも夏用に換えた。
夏が始まる。
2010.05.19 Ari, get out!
朝食後、雨。いつしか止んで薄日が射したものの、散歩は中止にして、部屋に籠っていたら、午後から本降りとなった。
数日前から日が暮れるとアシダカグモが家中を徘徊するようになった。一説によれば、害虫駆除のため外国から呼び寄せたら住み着いてしまったという外来種。去年も十日ほど姿を見せていたけど、餌が見つからなかったのか、あるいは食べ尽くしたかして、まもなく居なくなった。それで結構。早く食べ尽くしてくれ。
やはり数日前から二階の一番日当たりの佳い和室に蟻が出没するようになった。菓子を口にすることすら滅多にない部屋だというのに、いったい何を求めているのやら。昔の曲のサビで「エリー, my love, so sweet」のメロディーに合わせて、「アリ, ill luck, get out!」と唱えてみた。つまり「蟻、出てけ」。効果があると良い。
すると、効果があったか、午後には蟻の姿が消えた。これは良い。
2010.05.18 もっと派手にゆきたいな
世界は晴れ。
ひさしぶりに視たナイター中継では、最終回二死からの逆転勝利を見とどけられた。決勝点は新井選手の犠牲フライ。全日本の四番バッターをも務めた男だからさすがに結果は出すけど、なんか派手さがないというか。これも人柄だろうか。
むかし読んだ本をぱらぱらとめくって、歌を詠んで、一日は過ぎる。なんと歌人にふさわしい一日。ほかに何もない。
2010.05.17 引き際は難しい
小説でも読もうと本を開いたけど、ぜんぜん頭に入らないので、閉じて昼寝。
好い天気だ。初夏とはこうでなくてはいけない。
初めて披露宴の招待状なる物を受け取った。会場の前で二人並んだスナップ入りというのが、いかにも初々しい。結婚式を挙げなかった僕が茶々を入れるのはよそう。都合が悪いから、どうせ欠席しなければならないのだし。
柔道の谷亮子選手が記者会見を開いて、主婦業・母親業をこなしながら、次のオリンピックと参院選の候補に立候補するとか。現役の代議士として五輪に出場して今はすっかり議員としての姿が定着してしまった橋本聖子さんのような方もいるのだから、試みるのは結構だけど。それにしても何にせよ引き際というのは難しいものだな。
2010.05.16 いきなり普天間
朝、町を歩くと、ツツジの花がすっかり消えていた。時折しぼんだ花びらが葉の間にのぞいている。陽射しがあるから暖かいけど、部屋に戻ればしだいに気温が低めだと、ひしひしと身に染みてゆく。べつに寒くはないけどね。
正午前、おそらく軍用機の低空飛行による爆音で、うちが音をたてて揺れた。いきなり普天間に引っ越して来たような気分。どうなっているのかな、これは。
それでも一日快晴。
2010.05.15 ラジオを切ると
ラジオを点けると開口一番「お洗濯日和です」と言ったが、そういう日に限ってこちらに洗濯物はないものだ。
高尾山の麓近くに居た頃ラジオはもっぱらJ-WAVEだったけど、引っ越して最近はFM YOKOHAMAに合わせることが多い。家で聞くと音が鮮明で綺麗というのが最大の理由。J-WAVE開局当初の斬新なノリがすっかり一般化されてしまったというのもあるけど。
もっとも先日初めてインターネットでラジオ局の番組を聞いたら、意外なほど良い音だった。まあ、インターネットをつないでいる時は、別の方法で何か聞くことの方がどうしても多くなるとは思うけどね。
独りでこうしてラジオなど聞いてたら、ここ数十年なにも変わることなく過ごしてきたような気がする。実際は様々な出来事があったはずだけど。十歳の頃は「こんな生活は嫌だ」と思いながら日々を送っていたはずなのに、今ではすっかり馴染んでしまった。その時々で周囲の拍手や声援が大きかったり、小さかったりしただけ。
ラジオを切ると、聞こえるのは歌詠鳥の声ばかり。ウグイスの別名だよ。
2010.05.13 カードを使わないから
朝、快晴の下、北鎌倉まで散歩。円覚寺舎利殿に御挨拶した後、松嶺院と黄梅院へ出向く。石楠花それからピンクの躑躅の花をこの町で初めて見た。建物はいずれも一般に公開されていなくて、入れるのは庭、松嶺院の場合はむしろ墓地だ。無縁仏の墓もきれいに掃除がゆきとどいている。好いな。
駅前に出ると、最寄りの大手ミュージックショップがからっぽに。撤退だとか。近場で、CD、DVD、楽器、楽譜などを購入することはできなくなったわけで、いよいよインターネットに頼るほかなさそう。もっともカードを使わない僕には購入できるショップも限られているのだな。
ほかにも心配な店はある。よその町でも状況は似たようなものなのか、それともここが特殊なのか、どちらだろう。
昼食後は知人と無駄話。先日、話題になったロシア人から今年没後100年を迎えたトルストイと生誕150年を迎えたチェーホフについてロシアでの様子を伝えられた、と。日本ではショパンの生誕200年くらいしか話題になっていないのではないか。去年は太宰治の生誕100年等があったけど。
午後二時頃から少し雲が出て、でも陽射しはある。それが夕食前に強い通り雨。いかにも初夏らしいね。
2010.05.12 セロの話
午前中、勝上嶽から薄暗い海と厚い雲を眺める。降りる途中、半僧坊の廂の下に置かれたベンチに座り下界を見つめていると、大粒の雨が落ちてきた。小学生たちが、傘を広げたり、合羽をリュックサックから引っぱり出したり。しばらく雨宿りをしていたけど止みそうもないので、鞄から折畳傘を取り出す。石段では樹木の剪定、降りきると敷石の敷設と、さまざまな作業が行われていた。
午後には晴れる。
夕刻、うちにチェロを肩にかかえた人が来て、初めてその楽器に触れてみた。硬い。
その人が言うに、この楽器は一時期アメリカで「セロ」と発音していて、それが十九世紀の日本に伝わったそうだけど、今ではそのアメリカでも「チェロ」と呼ぶのだとか。童話「セロ弾きのゴーシュ」の作者・宮沢賢治に教えてやりたい話だな。
2010.05.11 降り籠められたペール・ギュント
未明、雨音を気にも掛けないでぐっすり寝入っていたから、玄関から外をのぞいて、濡れた路面と降り止んだ空を不思議な目でみる。結局晴れないまま再び正午前には降り籠められた。
子供に付きあって、きのうはプロコフィエフの「ピーターと狼」、そして今夜はグリーグの「ペール・ギュント」を観る。
どうやら自分は彼に父性を与えてやることはできそうもない。遊び友だちとしてもクラスメートたちに座を譲るから、僕の役目は結局「詩人」という社会人として生活を成り立たせることに集約されてゆくのだろう。ほかにやるべきことも、やれることもなさそうだ。
劇の感想は「聞き覚えはあるけど、いつ何処で観たのだろう」とか「このメロディーに大貫妙子が日本語の歌詞をのせて唄っていたなあ」などという、くだらないものでしかない。
言葉とか、物語とかに気を取られて、音に集中できないせいだろうか。いっそのことバラッドかトーキング・ブルースかラップにしてしまえば、同じ音楽でも言葉や物語が楽しめるのにな。
2010.05.10 扱いやすいヒト
昼食はトマトそうめん。コーンとハムの冷ややかさが夏にふさわしい。きのうの気候ならぴったりだったけど、今日はときおり陽が射す程度で、悪くない、と、いったところか、
午後、サッカーW杯日本代表メンバーをインターネットでチェック。僕でもその名を知っている有力選手がいない。監督には扱いにくい選手だったのだろうか。味方にとって扱いやすい者は、しばしば敵にとっても扱いやすい者であったりするのが少々不安。さて、この顔ぶれでどんな結果が出るのやら。
歌稿ノートをじっくり睨んで、成果少々。むなしい。
2010.05.09 三輪車に蓑虫
きのうは正午まではしっかりしていたのに、午後どうしてだか曜日感覚が狂い始めて、土曜日にやるべきことを粗方忘れてしまっていた。土曜日なのに。
それでも、ピーター・バラカン氏と菅野ヘッケル氏のラジオ対談だけは聞き逃さなかったけど。
「2010ボブ・ディラン日本ライヴの演奏は13日の大阪公演がもっとも優れていた」
と、菅野氏。たった一日しか観ていない僕は、
「でも自分が観た東京最終日のパフォーマンスほど高いテンションと感激はなかったでしょう」
と、自己満足に浸る。
今日はまぎれもない日曜日だ。
午前、庭に出ていた相方さんが、
「三輪車にミノムシが這ってる」
と言う。
のぞくと、サドルを覆っているグレーのカバーの上に、葉の蓑を身にまとった虫がのそのそ進んでいる。何処かの枝から風で吹き飛ばされたのだろうか。とりあえずツツジの葉の上に乗せてやる。そこからどの木へ移動しようと勝手だけど、三輪車にいつまでも留まられては困るからね。
その時ふと思った。僕も何かの風に吹き飛ばされてこの土地に来たようなものか、と。おそらく東日本の何処かで息絶えるのだろう。客死するのでなければ。それとも今ここで死んだとしても客死みたいなものだろうか。
そんな莫迦なこと考えていたから、夕方はずっと寝転んで天井ばかり睨んで過ごした。
2010.05.08 「少年カフカ」の件
昨日は午後二時ごろ雨らしい雨が降ったほか、傘の必要がない微雨が稀にあるだけの曇り日だった。
「村上春樹さんの『少年カフカ』に三宅さんのメールが載ってるってほんとですか」
昨夜こういう内容の匿名メールが届いたので、返事をしたためる。
「実名を伏せろとは要求されていないし、八年も前の話だから、もう時効かな。本当です。僕が自分で書いて、自分で送信し、書籍化にも応じました。ただし全文は当時インターネット上に公開されただけで、もうそのサイトは閉鎖されているから読めません。著書に掲載されているのは後半部のみで、そこでは揮毫とか放浪家タイプとかについて書いてます。興味があれば探してみてください」
今日は晴ればれとした好い天気だ。
2010.05.06 哀れなチワワ
今月ずっと晴れていたけど、今朝は少し薄雲が懸かっている。でも、陽射しは強い。それから風も。
もう夏なのだ。
先日、近所の人から貰ったラデッシュという野菜が朝食に出た。なんとなくタマネギみたいに苦味のある物かと思っていたら、ダイコンみたいにあっさりした味。ドレッシングをかけて食べた。
屋戸の空をたくさんの鳶が舞っている。
今朝うちへ来た人から、鎌倉の海岸にチワワなどの犬を抱いて立っている人がいるのは、1キロくらいの子犬を遊ばせていたら鳶がさらっていってしまうからで、先日そういうことが実際にあった、そう教えられて、しばし絶句。リスくらいなら不思議でもないけど、犬とはね。たんなる都市伝説というわけではないのかな。
午後こいのぼりをさっさと片付けて昼寝。ゴールデンウィークの9連戦を終えてホッとしている野球選手のように休んでいた。
2010.05.05 作家らしくない
快晴だから朝から歩いているとはいえ、大型連休最終日のせいか道によってはまっすぐ進むのも困難なほどの混雑ぶり。人込みを避けて、古書店に入る。
或る文豪の全集をぱらぱらめくると、口絵写真にその作家と妻子を含む数人が街路を歩く一枚があった。むかし文学アルバムで見た彼の写真はほぼ総てが作家にふさわしい気取りにあふれた物だったので、あまりに無防備な家族とのスマップに虚を突かれた形に。物珍しさもあるのだろうけど、こんな物を世に出すのならもっと率先して出すべき物があるだろうと、今は故人であるその文豪が哀れだった。
さて、明日から多くの人が普段通りの生活に戻るわけで、僕もまたその人達と渡りあわねばならない。気を引き締めてゆこう。
2010.05.04 藤と躑躅のみどりの日
散歩日和だから、朝から外出。町中、ツツジとフジが目に付いた。
たとえば大町大路を東に行けば、別願寺の門の右側に大きな藤の木が紫の花を垂らし、その先には安養院田代寺のツツジの生け垣が続いている。山門をくぐると、やはり紅と紅白のツツジがあちこちと植えてあり、「南無阿弥陀仏」と陰刻された石塔の前を通り過ぎ、本堂の裏手に出ると大きな宝篋印塔が紅のツツジを背負うような姿でたたずんでいた。あるいはツツジに慕い添われているようでもあるな。
午後は『萬葉秀歌』を拾い読みしながらパ・リーグの野球中継を視たりする。
何をしようとそれで善いのだ。なにしろ今日は五月四日、みどりの日なのだから。
2010.05.03 トマトの歌
午後三時頃から薄雲が出てきて空は真っ白なのに、あいかわらずの陽射しで、ベランダの外はずっと日なた。それほど太陽が輝いている。ときおりこいのぼりが真横になびいて風車が急回転するのも一興。
きょう知人に聞いた話。先日、ロシアの女性から「あなたはマチ・タワラのトマトの歌をどうおもうか」と尋ねられたので、「そういうの、ぜんぜん知らない」と答えたとか。
トマトの歌、ね。
そういえば、むかし読んだタワラさんの歌集では主人公の故郷の家の庭にトマトが生っている等、トマトの歌が書中に頻出する。指摘されるまで、僕はすっかり忘れていたけど。
米原万理さんの著書に、駐露日本大使がエリツィン元露大統領夫人に来日を要請したところ、
「わたしが日本にいったらわたしの(育てている)トマトはどうなるの」
と拒否されたというエピソードが紹介されていたけど、その噂の真偽はともかく、ロシア人の頭の中がトマトでいっぱいだという説は本当かもしれない。
さぞかし彼の国でトマトの歌は好評を博したのではないか。斎藤茂吉の有名な赤茄子、つまりトマトの歌も紹介されているのだろうか。
2010.05.02 故人を思う日
昼食時ネギケーキを切り分けていたら、ラジオからRCサクセションの「スローバラード」が流れてきて、今日はロック・ヴォーカリスト忌野清志郎の一周期だと気付いた。今日はXの元ギタリストの命日でもあるのだな。多くのひとが故人のことを思う一日だったわけだ。楽しい想い出がある人は好いね。
その死に悲嘆してくれる人の数で幸不幸の、死後に惜しんでくれる人の数と時の経過によるその増減で人の価値は計れるのだろう。だから現状における幸不幸ならば、自分自身にもはっきり解る。人の価値は…言うだけ野暮か。
午後、さまざまな出来事を思い出しながら、書類の整理。
きのうボールを落としそうになったキャッチャーがきちんと握り直そうとしている間に、ランナーがホームベースに手を付いたうえ、何故か審判が「アウト!」を宣告までしていて、キャッチャーがランナーにタッチしようと差し出しかけた手をあわてて引っ込める珍事があったのをテレビで目撃した。当然ランナーは激昂、審判につかみかかってしまい、退場処分に。そのランナーは元阪神で現ヤクルトの藤本選手。よくよく運のない男だ。
そして今夜は阪神・巨人戦中継。両チームともホームランとエラーまみれの凡戦だった。それでもこれで勝った阪神が首位だとか。ふう。
2010.05.01 不通の切通し
訪ねてきた人がついでのように、「釈迦堂口切通し」と呼ばれている歩道が倒壊して通れない、と知らせてくれた。
ひょっとしたら近道かもと思いながら、通ることもなくきた道。実は、とうの昔に通行禁止ということになっていたとか。観光客まで通っていると聞いていたけどな。
倒壊してしまったら、きちんと整備してただの道にするか、廃道にするしかないのだろうな。ほかにも雨で通行止めになっている箇所があるとか。
近頃の天候はまったくどうかしている。
今日はまたさっぱりした青空だけど。
なんとなく散歩は午後にしたら、近所の人と次々に出会い、ツツジとか、こいのぼりとかについて話す。
みなさんゴールデンウィーク中は家とその周辺でゆっくりする人達なのかもしれないな。どうやら今年は僕も同じさ。
2010.04.30 あの日も庭に
きのう、猛烈な風が吹き荒れたゴールデン・ウィーク初日。空模様もなんとなく不安定だったので、済ませるつもりが風等の天候不順で掲げられなかったこいのぼり、手作りパン口に放り込んだ後、ポールをおっ立て、さっさと泳がせて、外出。
市立図書館にて江戸時代末期に描かれた鎌倉の図絵をみせてもらう。鶴岡八幡宮は当時お寺でもあったと、知識としては知っていたけど、絵を見たら多宝塔などが立ち並んでいて、それなのに鳥居らしき物もあり、神仏混交ぶりをまざまざと感じた。
うちに戻り、斎藤茂吉の『萬葉秀歌』を読み始める。これまでずいぶん万葉集の関連本を読んできたけど、こういう初心者向けの本はあまり読んでこなかった。でも、GWに拾い読みするにはぴったりな気がして、ぱらぱらめくる。もっとも万葉集を理解するには当然ながら学説も情報も古く、まだ読み始めたばかりでこんなことを言うのもなんだけどそもそも茂吉は優れた表現こそが学問としても正しいと考えている節があり、今では初心者向けとしては参考にすべきでない本だけど、秀歌の滋味はたっぷり味わえそう。さて、読了はいつの事だろうか。
庭のツツジも幾輪か花を開き始めた。ここに住んでほぼ一年、あの日もこの庭にツツジが咲いていたっけ。やれやれ、いろんな事がありました。でも、それを逐一くりかえして説明したくはないね。
2010.04.28 大雨強風警報のサイレン
大雨強風警報のサイレンで目覚める。ときおり強い雨音がするので、雨戸を閉めきっておいた。
でも、体調はほぼ快復。
外へ遊びに行けない子供がやってきたので、頭をたたいて追い払う。
机に向かうも、なかなか散文がまとまらない。うんざりする。
この悪天候の中で鳴いている鳥のいるのが不思議。
チェン三姉弟の誰かが演奏しているらしいフランク作曲のヴァイオリン・ソナタ イ長調を聴きながら、昼食。フランクは七十年近くも寿命がありながらオルガン奏者などやって、代表作をつくったのは晩年の数年。こういう人を評して「地位や名誉にとらわれず」というけど、世の中には地位や名誉が嫌いな人だっているのではないか。まあ、地位や名誉と遠ざかりたいから作品をつくらないとか、つくっても発表しないとかというところまでゆくと、僕にはまったく理解不能だけども。
大雨警報は夕方ようやく解除された。ふう。
2010.04.27 短歌本業者
曇り空。午後からときどき強い雨にみまわれ、冷えてきた。でも、もう冬の再来とは感じない。季節は確実に前へ進んでいる。
うちの専業主婦さんは、サザンオールスターズにも、桑田佳祐氏にも関心がないのに、サザンのキーボード担当ならびに桑田夫人である原由子さんの熱烈なファンで、もちろん「原由子」名義のCDは全部持っているのに、サザンのCDは二枚組を一セットだけ購入してその収録曲の中で聞くのは原由子ヴォーカルの一曲のみ、サザンのコンサートに行かないのは聞きたい曲が原由子ヴォーカル作品だけだからという人なので、「原由子ベストアルバム発売、サザン名義の曲も収録」の一報に朝から浮かれていた。率直に言って、僕には理解できない嗜好です。
村上龍氏が職業一覧本『十七歳のハローワーク』の改訂版を出版されるとか。七年前の版では「詩」と「俳句」はあったけど「短歌」はなかったので、「自分は詩人なのか」と慰めた。それにしても、短歌本業者の数がいないのも事実だけど、生活が成り立っているというのならば僕を含めて何人かいたろうし、この本に掲載されてる他の業界就業者がすべてもっと堅調であるとも思えない。さて、今回「短歌」の項はあるのだろうか。
2010.04.26 大銀杏も、崖も緑
目覚めると、どうやら体調が回復した様。まだちょっと喉が痛むけど、これなら活動できると、散歩に出る。
ひさしぶりに八幡宮大石段の方へ往く。折れた大銀杏の天辺は若芽で緑に覆いつくされていた。隣の植えた幹からは側面からちらほらと葉が伸びている。どうやら少なくともどちらかは元気に生えてゆきそうだ。
NHKのカメラが大銀杏を映している。マスコミもまだまだ関心があるらしい。
補強工事を終えた、うちの裏の崖も、芝が生えそろってきた。工事の終わった直後は、樹木が切り倒されて土が天にさらされているだけだったけど、緑になると見栄えがする。木の根よりも芝の根で支えた方が丈夫というのが工事の趣旨だそうで、とりあえず信じるほかない。
夜はずっと書き物。あれこれと。
2010.04.25 風邪気味
少し暖かくなったようだけど、一連の天候不順のせいか、きのうから風邪気味。特に喉が焼けるように痛い。
晴天のもと、終日を寝て過ごした。
今日、病状はさらに悪化し、ほとんど声が出ない。頭痛がするので、ずっと伏せっている。
文章もうまく書けない。
外は風邪なんかすぐ吹き飛んでしまいそうな陽気。できれば本当に吹き飛んで欲しいよ。
2010.04.23 ツツジとマフラー
小雨。
朝、傘を差して、段葛を歩いた。紅白のツツジが色を添えてくる。濡れた花びらがなかなか煽情的、エロティックだ。
でも、通り過ぎるのはセーターやマフラーを着込んだ人ばかり。寒い。これでは体調が良いはずもないよ。
奈良では平城宮大極殿が復元され、完成記念式典が行われたとか。平城宮のそばには一年足らず住んだことがある。感慨深く配信記事を読んだ。
夕方、歌を乱作。
2010.04.22 巣作りどころでなく
桜が散った後のこの寒気はいくらなんでもナンセンスだろう。しかも夜半からときおり雨が降った。きのうの暖かさに慣れた体には少々こたえる。
鳥の声も聞こえない。蜂も巣作りどころではなく、もとの巣の奥にでも籠っているのだろう。姿が見えない。あきらめて何処かへと消えてくれたのなら良いのだけどな。
外はなかなか明るくならないなと思っているうちに日が暮れた。明日は如何に。
2010.04.21 「イイカゲンニシロー」
朝、駅前に行く途中、晴れているのに、マスク姿の人がいない。半袖Tシャツの人さえいる。僕も上着を脱いだ。夏が近い。
子供のお稽古事の手続きを銀行で済ませた後、本屋でふと育児マンガを立ち読みしてしまい、こんな時期もあったなと思ったところで、ああ、俺はあいつが赤ん坊だった頃を思い返したかったのかと気付いた。そう、もうあれも赤ん坊ではないのだ。
夕食後、読書をしていると子供がときおりやってきて中断する。しばらく放っておいたら、
「オッパイ、オッパイ、ウンチ、ウンチ、オシッコ、オシッコ、オナラ、オナラ、オッパイ、オッパイ、(以下省略)」
「バカー、イイカゲンニシロー」
「シンデシマエー」
と、近ごろ口が悪くなるばかりで、耳を引っぱったら、
「オトーサントハ、モー、アソンデヤンナイ!」
それなら出ていってくれよ。
2010.04.20 昔の歌ができる場所
目覚めたら、意外と涼しい。曇り日で、鳥の声も少ない。ウグイスだけが元気だ。
ときおり雨がぱらつく。
「源実朝の歌にゆかりの鎌倉の場所って何処?」
そんな質問をうちの専業主婦さんから受けて、
「実朝旧居跡にあたる、旧法華堂跡から大倉幕府跡。それから勝長寿院跡、八幡宮寺」
うんぬんと、今は私立小学校を含む新しい高級住宅街、それは一件一件がそれぞれ個性を主張している建物が並んだユニークなお土地柄の名を挙げていったものの、じつは鎌倉から箱根二所詣へのルートにあたる街道筋を除けば、実朝が歌に詠んだ土地は、吉野山、志賀の都、鴨川など、往きもしないで想像した関西の歌枕が多く、当時は歌の素材になる地名は歌枕という限定された土地に限るとする時代だから、勅撰集などのアンソロジーに掲載されているのもそうした歌が中心、二所詣の歌などが高く評価されだしたのは江戸時代以降だから、
「詠歌の場所が書いてなければ全部鎌倉ゆかりの歌ということで」
などと答えた。歌ができた場には違いないよ。
2010.04.18 世界はダイナミック
春が戻ってきた。陽射しが短くて、ほとんどベランダの内に射し込まなくなったのに、暖かい。
一階のベランダに蜂が巣を作り始めていると気付き、すぐ椅子に乗ってたたき壊した。この季節、五日も留守にしたらどうなるか知れたものではないな。
欧州では火山の爆発で飛行機が飛ばない。中国では地震で大勢の人が死んだ。連続フルイニング出場の世界記録を更新中だったプロ野球の金本選手の記録が怪我でストップした。
世界はダイナミックだ。
2010.04.17 あれもこれも好き(なわけがない)
厚い雲に覆われていた朝が、正午には心地好い春の陽射しに移って、外に出た。しばらくのあいだ。
夜、新古今和歌集をぼんやり眺めて過ごす。この集で僕が好きな歌人は、西行、式子内親王、定家だ。この集には入ってないけど定家の弟子・実朝もすばらしい。定家は西行が勧進した二見浦百首で世に出してもらい、式子内親王を慕っていた。四人とも互いに相手の力量を評価していたのだと思う。
そして、慈円、良経、後鳥羽院などはあまり趣味じゃない。
でも、当然ながら僕とまったく同じ趣味というわけではない人も大勢おられるので、偏狭な人などは、たとえば、
「定家と実朝がどちらも好きだなんて信じられない」
とか、
「西行と慈円(あるいは定家と良経、もしくは実朝と後鳥羽院)は作風が似ているのに」
などと言う。見ている処が違うのだろう。
僕だって、つい先日ある人に「ビヨンセとジミー・ペイジが両方好きだなんて」と口に出しかけて噤んだばかりだから、言いたくなる気持は解らなくもないけどね。
2010.04.16 もし運命というものがあるならば
葉桜の季節としては寒いから、真冬の服を装い、朝の散歩。春なので、紅、黄など原色の花々に目を楽しまされる。
途中、書店に寄って購入した小説を午後の間ずっと読んでいた。さまざまなことを一から考え直すことに没頭する。
こうして誰かの作品を受け取るために何かを差し出し、誰かに作品を渡して何かを受け取ることの繰り返し。結果的にそれだけが僕と周囲の人達の生活への意欲を支えている。そうして何かを受け取るたびに、これまでとは違う場所へと、一段、一段、僕は引き上げられてきたようだ。そして、十代半ばで広義の「詩人」として、二十歳過ぎで主に歌人として身を立てて生きてゆこうと決めてから、その思いだけは揺るぎもしない。もし運命というものがあるならば、そういうことを指すのだろう。
けれども、今日の仕事は進まなかった。善いのか、それで。
2010.04.15 鬼っ子ではなく
微雨が、思い出したように強まり、ほぼ止んで、さまざまな鳥の声が聞こえたりする。
今月から放送時間が改まったのでときおり目にしてきたNHK朝の連続テレビ小説、原作本より百倍つまらないと思ってきたけど、きのうヒロインの夫「水木しげる」役が登場してきて以降、やっとストーリーにテンポが乗ってきた。冒頭をここから始めれば良かったのに。
さて、ドラマは立ち直るのかな。
午後、郵便受けに地域のミニコミ誌の類いが投げ込まれていて、驚いたことに、こんな処にまで数首の口語短歌が掲載されている。何はともあれ、僕の始めた口語短歌がこのようにしっかり動き始めているのを目の当たりにするのは、悪い気はしない。それがケータイ短歌や平成ただごと歌のような鬼っ子でなければ。
鬼っ子というのは、「ああいうものはこちらの知ったことではない」と僕が言えば「無責任」と謗(そし)る人々が実際にいるから、鬼っ子とでも表現するほかないのだよ。
そういえば水木しげるの妖怪マンガに鬼っ子は居ただろうか。頭をひねったけど想い出せない。あるいは、鬼は妖怪ではないのかな。
ところで今日は、四月としては十四年ぶりの寒波襲来だったとか。凍死しないで乗りきろう。
2010.04.14 嬉しいこと
朝からあちこち出かけて、雲の多い空だけど、だいたい僕の下には陽射しが降り注ぐ暖かな一日だ。
昨夜は東京ドームにて後半6点差を五本のホームランで引っ繰り返る珍事があり、画面越しにそれを見届けた。もっとも巨人はベテランとはいえ二線級投手が先発で、阪神は一番白星を計算できる投手が投げたのだから、負けなくて良かったといったところか。
そして今夜は投手戦を制し、阪神が二連勝。結構、けっこう。
生活は読書で暮れた。
散歩の途中、妙隆寺の門前で、ひさしぶりに知らない人からいきなり声を掛けられ、戸惑う。おそらく三十前で、高くて大きい声の男だ。
「毎日ブログ読んでます」
などと面と言われたのは、ひょっとすると始めてかも。もちろん読んでくれて嬉しいよ。
2010.04.13 こぼれ雨
朝食後の雑談で、先日亡くなった作家の井上ひさし氏とその親族である米原万理さんについての想い出話を聞く。面識のない僕はもっぱら聞き役だ。もっとも話している本人だってそんな深い付き合いがあったはずはないから、何処かで聞きかじったようなエピソードがほとんど。たぶん、すぐに忘れる。
そういえば、今の家に住む前に引越し先として紹介されたマンションは米原さんの家のほぼ正面だった。もっとも今にして思えば、当時すでに米原さんは闘病生活に入っておられたので、あそこに住んでも米原さんを見る機会はなかったのだろうな。
心の向くままに詠歌、数首。
深夜インターネットでうろうろしていたら、あるサイトの音源で、まだ無名時代のベット・ミドラーが「バケツひっくり返したような雨、あなたがやるべきことをやればうまくゆくわ」という歌を「こぼれ雨、あなたがやるべきことをやれば苦しむわ」と詞を替えて唄ってくれた。ああ、そう。「うまくゆく(well)」ではなく「苦しむ(bad)」にすれば、前後の行末は"had"と"glad"で"bad"と脚韻が踏めるってわけだね、作詞者どの。凝り過ぎだよ。
2010.04.12 僕の「ステージ」
きのうは今年初めてポロシャツ姿になったというのに、今日はまたトレーナー姿。べつに寒くはないけどね。
朝から小雨で、ずっと雨戸を閉めたまま、夕方から本降りとなる。世界、魂心、芸術について考え込むにはふさわしいけど、これで今年のソメイヨシノはおしまいだな、などと脱線したりして。
ただ最近、世相はすさんで、とげとげしい事この上ないから、あまりそれにふさわしい時代ではないのだろう。
二十四時間、創作のために過ごす。それは、誠実に生きるということ。
それにしても広義の意味での「詩人」に専念するというのは奇妙なことだ。それは多かれ少なかれ「活動しすぎないこと」つまり自分にセーヴをかけることになる。むろん週刊誌に詩を連載するというような戦略で生きるならば話は別だけど、僕がそんなことしたら作歌数を発表数が超えるオーヴァーペースになり、いずれストックは尽きるから、とても長続きはすまい。短期間でおしまいだろう。
先日ボブ・ディランのライヴに往き、こんなふうに数千、数万の観客を熱狂させられるならば舞台の上に立つのもさぞ楽しいだろうと思った。そしてライヴの合間あいまに新作を書き上げるのだ。不特定多数の観客に望まれて、パフォーマンスにも熱が入ろう。
まあ、僕には僕の「ステージ」がある。そこに立ち続けることだ、今日も。
2010.04.11 鎌倉まつり
早朝からぐんぐん気温が上がり、たちまち初夏のような陽気に。今年初めてポロシャツ姿になった。外はいつのまにか菜の花畑だ。ソメイヨシノに花はまだあるけど、葉が茂っている。そして、風もないのに、ときおり花びらが舞っていた。
休日だから少し足を伸ばして、旧宮家のお宅に上がり、洋菓子や珈琲などいただく。今は市の所有になっている御屋敷。案内に立ってくれた人達とあちこちで話がはずんだ。こういうこともある。
午後は、八幡宮で舞の奉納を見物。あでやかに舞う女性の背が、それから大銀杏の跡に生えた若芽がすっくと伸びて、堪能した。
すべて「鎌倉まつり」という行事の一環だそうだよ。
2010.04.10 ヨリトモさまを飾る
好天だけど今日は閉居。
つれづれにアルバムを繰(く)っていたら、十五年前に木曽の源義仲一族の墓のそばで写した一枚が目に留まる。べつに義仲のもとに往こうとしたのではなく、時間があったから寄っただけ。そして今、源頼朝の墓の近所に住んでいる。奇縁だな。
部屋に五月人形を飾る。それを見たうちの四歳児が、
「ヨリトモさまだ」
と言った。ヨシツネさまでも、ノブナガさまでもない所が、ここのお土地柄による教育の賜物だろうか。僕は教えてないよ。
ティータイムで手作りのアップルケーキを食べながらCDを聴かされる。子供のころ何度もなんども繰り返し聴いていたメンデルスゾーンの曲名をすっかり忘れていたけど、ひさしぶりに耳にしたところで、
「春の歌」
と告げられた。そうだったか。
2010.04.09 大学サークル勧誘のように
晴れた朝、玄関を出た時は少し肌寒かったけど、正午前には暑くてシャツを一枚、路上で脱いだ。
小学校の正門前で、スーツ姿の大人が十数人もたむろして、
「ぼく、サッカーやらない?」
「セミナー案内の者ですが」
と、学校帰りの子供につぎつぎ声を掛けている。僕の体験上、大学のサークル勧誘ぐらいでしか見られない光景だ。これが親の同伴していない小学生を相手に大人がする事とは、なんと立派な教育環境。
路上でしているのだから、キャバレーの呼び込みと大差ない。これが世の流れの必然ならば、
「これが今話題のベストセラーだよ」
と、そのうち本屋でも路上でパフォーマンスを演じなければならなくなるのかも。
その時は、ちょっと見てみたいな。
午後、資料の整理をする。文書を揃え、写真を並べ、そんなこんなでたちまち数時間が過ぎた。
しだいに日が翳り、薄暗くなるなか、次々に歌を詠む。さて秀歌だろうか。悪くないとは思うけど。
2010.04.07 海棠とウグイス
朝めざめたら、ウグイスの声がした。庭にきているらしい。いつもならば床から起きてすぐCDの音楽をかけるところだけど、今朝は布団の上でしばらくウグイスを聞いていた。
曇りだけど、空がうっすら蒼い。
源氏池のほとりに立って桜を眺めていると、韓国のことばを交わしている一組の男女からデジタルカメラを差し出された。撮って欲しいらしい。シャッターを押してカメラを返すと、その場でカメラを二人でのぞきこみ何か言っている。そんなつもりはなかったけど、ひょっしたら、
「ピンボケだ」
などと言わわれてるのかもしれない。知ったことか。
妙本寺の海棠は満開だった。やっぱり盛りの花はすばらしい。見栄えがする。明後日あたりが一番良さそうだ。また来よう。
2010.04.06 満開の段葛
きのうは、一、二度、数分間ざっときたほかは、雨が降っているのか、いないのか、路を歩かなければはっきりしない天候が、寒の戻りとともに、夕暮まで続いて、終日、考え込んでは歌を詠み、本を読んでは考え込み、さて、これがどれほど人々のためになるのか、などと悩むのは煩悩というもの、だろうかと、うんぬん。
それが今日は、しだいに晴れて、春らしい暖かな日和。
すっかり躁で、周囲に意味もなく弁舌留まること知らずのありさま。BGMがヴァイオリン・ソナタ《春》だろうと、ピアノ・ソナタ《悲愴》だろうと、関係ない。我ながら異様。
夕食後、満開の夜桜を観に段葛へ。段葛は鶴岡八幡宮の参道にあたる。ソメイヨシノの下、一本道をぐるりと往復した。
近所はソメイヨシノでいっぱいで、そのまま池のほとり、幼稚園園庭、小学校と中学校の校庭、旧法華堂跡までの並木道と、ずっと桜、さくら、満開だ。
2010.04.04 長谷で鳶をにらむ
花冷えと曇り空の一日。満開のソメイヨシノでいっぱいの町を離れ、長谷で遊ぶ。
ぼたん、みつまた、花桃などなど様々に彩られた長谷寺本殿の後ろには、おととい目にしたのと同様に、やっぱりすらりと立つ桜一本。境内の花々を眺めながら、木の机に荷を広げ昼食にしようとしたところで、隣の席が鳶に襲われるのを目撃。野外の鎌倉で食事をする時は、食べ物を奪おうとする鳶に絶えず気を配らななければいけない。花見は、ときおり鳶を睨んで、おにぎりを頬張ることだ。
夜、きのう借りたばかりの小説を読むと、三ページで読み始めたことを少し後悔するような悪文。ドストエフスキー、トルストイ等を読んでいる人が出てくるけど、近年こういう登場人物はろくでもない奴が多く、その人物が主役だろうと、脇役だろうとに関わりなく、本の読後感は最悪だったりする。このあいだ読んだ話では主人公がラストで殺人未遂事件を引き起こしていたけど、今回は主人公が無差別大量殺人を犯して、幕。やっぱり最悪だ。
そういう物はもう読み飽きましたよ、作者さま。
2010.04.03 仕事部屋
薄雲がかかっているけど、陽射しの強い一日。
午後、応援歌風「ハイサイおじさん」の賑やかな甲子園大会決勝戦を横目に、東京から来た人達と雑談。A君、部屋に入るなり、
「殺風景ですね」
そうかもしれない。
彼の話によれば、三島由紀夫の書斎は、洋館なのにグレーのオフィスデスクを並べて、会社の事務室みたいだそうだ。宮崎県の牧水記念館と岩手県の啄木新婚の家で見たそれぞれの簡素な木机などについて話すと、二人とも静かに聞いていた。
十代の頃からとりあえず書いて、書いて、人生の上で何かやり遂げたことといえばほとんどそれだけの僕だから、本心かお世辞かに頓着しなければ、必然的に面と向かってこれまで僕の書き残した言葉に賛辞をくれた人達の数も増えにふえて、もはやその人数を把握することも、その人の顔を逐一おもいだすこともできない。
その代わり、もちろん陰口だって相当な量になっているのだろう。
生きるというのはそういうことなのだ。たぶん。
2010.04.02 新芽
昨夜、八幡宮の倒れた大銀杏の元の根から新芽が幾つか生えた、という情報をインターネットで受けて、朝食後、見に出かける。まだ一センチ程というからどうせ見えないとは思いながらも。
外は小雨まじりの暴風。たいして降ってないけど、傘が使える風ではないので、しっとり濡れた。
八幡宮境内に入ると、白旗社の社殿の背後から桜が一本すっくと伸びているのが目に留まる。神々しい、ような気がする。
大石段から根株をのぞきこんだら、小さな緑の芽がたしかに生えていた。人間どもが懸命に植え直したその隣の根元部分からはまだ何の成果もないそうで、本来そなわっている自然の力を感じる。まあ、あちらは芽よりも先に根を生えさなければいけないのだろうけどね。さて、育つかどうか。
正午前には雨風も止み、鳥がにぎやかに歌っている。
2010.04.01 メール消去
曇り空なのに、どんどん気温が上がり、ときおり陽が射し込んでくる。風が強い。
午後そろそろお茶にしようかと思っていたところで、一時小雨。甲子園大会準決勝は雨で第二試合だけを明日以降に順延したとか。ここはそういう雨ではなく、すぐに止んで、また晴れた。
本日、目を通さないまま捨てたアナログメール二通、消去した電子メール三十九件。読んだメール、ゼロ。この世はゴミとクズばかりなり。
午後、珈琲とチョコバームを口にしつつ、ベートーヴェンのピアノソナタ32番を聴いていたら、アニメの「のだめ」が最終回でこれを弾いていたのを想い出して、最後の方でちょっとジャズっぽい雰囲気になるから、もしのだめが実在してこの曲を最後まで演奏していたら、もっとジャズっぽいものになったに違いないと考えて、相好を崩した。
さて、詩の時間だ。
2010.03.31 海棠はつぼみ
朝は材木座海岸をうろついて、逗子市から大町に入る。
境内の海棠は、桜がほぼ満開なのに、ひと枝にそれぞれまだ数輪ずつ花を付けているばかり。それでも赤いつぼみがいずれも大きくふくらんで、
「海棠は花が開いちゃダメだ。この時期が一番良い」
などと大声で話している老爺までいた。本当かどうか、満開の時期を楽しみに待とう。
午後は仕事がしたくて、でもうまくできなくて、いらいらして過ごす。すらすらとできる時はできるのに、できない時は何もできない。焦ってどうなるものでもないか。
2010.03.30 イタンシャでユウミン
昨夜の余韻にまだ浸っている。
未明、匿名のメールが届いていた。「おまえはイタンシャでユウミンだ」と書いてある。詩壇歌壇俳壇から外れた韻文界の異端者で、庶民の対義語としての、プロスポーツ選手やバーのホステスのような人々を指す遊民、という意味だとすれば、それも良いだろう。まさか「ソングライターのユーミンのようだ」と言いたいわけではあるまいよ。
報道によれば、十五年前の警察庁長官狙撃事件が時効になったとか。報道はその事実だけで充分、説得力のない検証記事を載せるくらいならば良識ある者は黙っていた方がマシたよ。ほかにも、拉致被害者家族会が会員の拉致家族を追放したとか、いろいろあるらしい。
書かねばという思いと、その無意味さ、不毛さの認識が、心を突き上げてくる。「現実とは常に時代錯誤的なものなのだ」とは、ボルヘスもよくぞ言ったものだよ。
それでも、朝から快晴だ。これでさぞかし桜が開くだろう。
昨夜、八幡宮参道の段葛を通ったら、桜並木は三分咲きといったところだった。今日中に五分咲きになるかもしれないな。
2010.03.29 ボブ・ディランとのグルーヴィーな夜
半日を文学評論集を読んで過ごした。
終日、降雨と蒼穹を繰り返す、定まらない空模様。だから折りたたみ傘を持って、夕刻、外出。
ボブ・ディランのライヴハウス最終公演。入場後なんとなく適当な所で足を止めたら、そこは箱の中央より少し手前といった位置取り、音がとてもクリアに響き、ボブがセンターマイクに立ったら真っ正面、おかげでデュエット気分を味わえた。
ライヴに当たり外れは付き物だけど、僕はこれがまだ二度目のディラン・コンサートながら、前回の2001年武道館といい、今日といい、バッチリの当たり。それほどグルーヴィーな夜だった。
帰りはJRの各駅停車。文庫本も開かないで、さきほど耳にした音をずっと反芻していたよ。
2010.03.28 この半生のあちこちで
午前中ときおり薄日さす曇り空の下、十二所(じゅうにそ)まで足を伸ばした。旧法華堂前の桜並木はなかなか見栄えがしてきたけど、十二所神社前の桜は、まだ数輪しか開いていない。明王院の茅葺屋根がひなびた雰囲気で好かった。境内にはミツマタ、レンギョウ、ボケ、ショカッサイ(だと思う)。もうじき春の盛りだ。
午後、高校野球の途中に把瑠都の大関昇進のニュースが入る。先場所後引退した朝青龍にとうとう一度も勝てなかった把瑠都では、もし今場所も負けていたら昇進は厳しかったわけで、把瑠都のせいではないけれどその速報にもシラけてしまうのは如何ともしがたい。
夕方、仕事。
就寝前の子供と一緒にアニメ「アルプスの少女ハイジ」を視ていたら、ハイジのせいでフランクフルトのゼーゼマン家内が猫だらけの騒乱となるシーンで、BGMに使われていたのはモーツァルト。ぜんぜん覚えていない。子供の頃に視ているはずだから、当時は知りもしないで笑って視ていたのだな。似たようなことがこの半生のあちこちであったのだろう、たぶん。
2010.03.27 二階堂の桜
朝から好く晴れていたのだけど、なんとなく仕事にかまけて部屋に閉じ籠もっていたら、昼食後、散歩に誘われる。それで二階堂へ行った。
今年のソメイヨシノは、木々によって咲き様がまちまちだ。満開の木から数メートル歩いたところに一分咲きの木がある。旧法華堂前の桜並木でさえも、まるで揃っていない。花見シーズン本番の来週どうなっているか、気掛かりだ。
もっと差し迫った気掛かりが身近にあるのは、もちろんだけど。
就寝前、一時半頃から歌作を始めて、気付いたら三時だった。明朝はゆっくりしよう。
2010.03.26 僕が開花宣言
午前中、曇り空の下を散歩。
妙本寺は早くも桜が見事。三分咲きといったところか。海棠はほころんだ花びらが五、六輪。本日、僕が開花宣言をしよう。小林秀雄がこの境内のこの木について書いたエッセイの一節一節が頭をよぎる。
そんなことを考えていたら、いつのまにやら晴れてきた。ひさしぶりの太陽。
それからはずっと青空だ。
甲子園大会を視聴しながら、昼食は鯨のステーキという珍品。子供の頃「生臭い」という印象しかなかった鯨肉だけど、ニンニクをたっぷりかけたら、なかなか美味だった。試合は、リードしていた相手のミスで帝京校が星を拾っていったよ。
2010.03.25 シロウトとは違う
ニュースによれば今日は豪雪の地方もあるそうで、甲子園大会は二日連続全試合順延、そして、こちらは冷たく激しい雨。きのう同様タートルネックシャツを着て、炬燵に入り、窓を眺める。ここはさすがに雪にはならないか。
マンガ「ヒカルの碁」で元平安貴族の霊が窓越しに現代の雪を眺めて「千年の時を経てもなんら変わることなくこの世にある雪も、(略)、人の心も」うんぬんと感じる心持が、僕の胸をよぎる。何処かに彼の霊がいそうな気がして、そんな自分がおかしくて、また歌集に目を落とした。
そして、また歌を詠む。こうして創作の世界に没入することが、自分にも、人にも、世の中にも務めを果たすことになると信じて。
そのまま万葉集の第六巻をぼんやり完読したりして、昼食後はインターネット。ロックシンガーの泉谷しげるさんが自分のブログに昨日のボブ・ディランのライヴの感想を書いている。ディランの発声について述べたあたり、さすがにプロの歌手は、見ている処、聞いている処がシロウトとは違っていた。
大切なのは、そこだね。
2010.03.24 お公家根性
雨がしだいに強くなった。しばらく降ったり、止んだりとなりそうだ。
朝、傘を差して、町を歩く。何処からかシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーの「Kiss me」が聞こえる。以前からおかしなバンド名だと思っていたら、先日児童文学にくわしい人から「ナルニア国物語」の作者C.S.ルイスの著書からの引用だと知らされたばかり。同じバンド名でも「ジョン・ウェズリー・ハーディング」と比べれば、わざわざ「引用」と断わるほどの言葉でもないと思うけど。「6ペンスでは金持ちじゃない」なんて言われなくても解ってる。
寝っころがって織田信長の本など読んでみる。
明智光秀が本能寺で信長を討ったのは貴族にそそのかされたのだという説があるそうな。いかにもお公家根性というか、ありそうな話だ。そんな権謀術策つかっても、信長亡き後は足軽上がりの秀吉、源氏の子孫だなどとデタラメをほざく家康と、貴族には一層ろくでもない人間が現われるだけなのに。
2010.03.23 時刻表をにらむ
ときおり薄日が差す曇り空の一日。
昼食時、次の旅行先をめぐって激論。その気になれば、
「明日、某へ往く」
で決まってしまうのは自明だけど、それでも、あちこちのパンフレットを引っ張り出し、船や鉄道の時刻表をにらみ、結局、詳細はまたいずれとなるまでに二時間を要した。時間の無駄というなかれ。これもまた人生さ。
2010.03.22 渋滞後のオリックス
勝上嶽山頂から富士山が一望できそうな空。朝のバスに乗り、金沢街道で朝比奈峠を抜けようとしたら、十二所(じゅうにそ)辺りで渋滞につかまった。霊園のそばだから、春彼岸の所為だろう。それとも三連休の最終日だからかな。
動物園。座り込んだまま動かないオリックスの前で昼食をとる。左隣のロバはうろうろ足を休める気配なく、右隣は生まれて間もない子供キリンのおかげで人がごったがえしていた。
そういえば、プロ野球チームのオリックスは開幕試合からいきなり楽天を圧倒していたけど、今シーズンのオリックスに期待を寄せて良いのか、楽天を心配すべきなのか、どちらなのだろう。
ぼんやりベンチに腰掛けて、歌句を幾つか捻った。できたのは、べつに場所が動物園である必然性は何もない作ばかり。そういうのもありだろう。
夕方、同じ道を戻ると、反対車線の金沢への道は朝より長い車の列。ごくろうさま。
2010.03.21 今日は春分
今日は春分。きのう同様、異常な暖風が吹き荒れる。
午前中、部屋に籠ってぽつぽつ散文を書いた。
甲子園大会の第一試合たまたま敦賀気比高校が粘りで逆転するシーンを視る。
そして夜、地上波で映画「パイレーツ・オブ・カビリアン」を観て、スカッとした。なかなかああいうわくわくする、楽しくて、低俗でない映画も無い。
もっとも、お定まりの如くパート2以降はただのエンターテイメントになってしまったようだけれどもね。
2010.03.20 早くも満開に近い
風もひどいが、暖かさも異状な一日。
近頃、寒の戻りは昔と大差ないのに、気温が高い日は暖かいなんてものではなく、暑い日がたびたびある。だから、日によって寒暖差が大きく、それで体を壊しやすい。この気候が、これからの春の傾向なのだろうか。
外へ出ると、向かいの家の白木蓮がみごと。バス道を渡れば、だれかの庭から道に向けて、早くも満開に近い桜が枝を伸ばしている。
これから僕にも、もっと、もっと佳いものができる。それでこそ過去は浄化へと舵をきるきっかけをつかめるわけだ。他の人々にも、若干名の例外は除いて。そのつもりがなければチャンスは永遠にただのチャンスにとどまるよ。
そして歩きにあるいて朝が終わった。正午だ。
2010.03.19 現代の庵
朝、八幡宮境内を通り、石段の左下から見上げたら本宮を隠していた樹の枝がなくなっていると、よくわかる。さっぱりし過ぎて、景色が急に小じんまりと片づいてしまった様子だ。やっぱり欠落は大きい。
大銀杏の倒木以来ひさしぶりに本宮への石段が開放されていたので、上からわずかに残った株をのぞき込むと、老い古びて乾燥した幹が、でこぼこの表面をさらしている。むろん一枚の葉もなく、これでふたたび枝を伸ばせるのかな。
「別のうちに引っ越そう」
と、就寝前の子供が訴えてくる。その不満の根本が何処にあるのか、今一つ不明。
僕としては、西行やランボーのように自室でない家々を住み移り続けたり小さな庵に居を構えたりすることも、源実朝やボブ・ディランのように豪邸に住むのも、憧れのひとつだったわけで、かつてはその狭い居住空間を現代の庵のごとく楽しんでいたわけだけど、現在の住まいは庵の空間に必要最小限の生活スペースが張り付いている形だ。
しかし、今の人員構成で住むにはこれ以下のスペースでは支障が大きいから、現代の庵もこれが精一杯。そこが思案のしどころだ。
2010.03.18 「私自身でありたい」けど
ときおり曇りつつも、だいたい晴れていた。
こうして言葉をつらねながら、ときおりむなしさに襲われる。言葉は結局多くの誤解をふれまわるだけではいかと。
実際、同じ言葉であっても、使い方によってそれはまるで違う意味になりうるように、違う言葉でも時には似たような意味になりうる。
たとえば、「私自身であれ」と「成りたい自分であれ」というふたつの言葉は、一見、前者は保守的で、後者は革新的と、方向性がまるで異なるのだけど、その「私自身」なり「成りたい自分」なりが、「これまで通りの私」「昔から理想としてきた姿へ一歩一歩近付いている自分」という似たような結果になることもありうるし、「本当の私」「これまでと違う自分」というこれまた似たような指向をさすこともありうる。だから、わずか数ヶ月でまるで違う外見の髪形や衣服に変わり続けながら「私自身でありたい」と言っている人もいれば、他人の目には五十年間ほとんど大差のない姿で「成りたい自分でありたい」と言っている人だっているわけだ。
そう考えると、短い短詩型で伝わることにほとんど絶望してしまう。まあ、そう短気になるなよ、自分。ほとんど絶望だろうが、完璧なる夢心地だろうが、その先へと突破してゆくほかないのだから。
2010.03.17 懐かしのポー
朝、寒の戻りで、少し冷え込んだ町を歩く。
夕刻。長年、本棚の飾りとなっていた文庫本を開くと、エドガー・ポーの詩論を自分なりに論じた紙片が挟んであった。たぶん大学に通っていたころ書いたものだろう。昔はこんなことを考えていたのかと、笑みが自然とこぼれる。
歌稿の整理は今日でひと区切り付けた。さて、続きはいつやろう。
2010.03.16 屈折した優越心に似たもの
早朝、八幡宮へ。折れた大銀杏は幹の根元部分を数メートル切り落として、元の根株の隣に移植されていた。石段の脇に二本の太くて低いイチョウが並んだことになる。さて、根付くのかな。
隅には大きな割り木がたくさん重ねてあった。あれが幹かと思うと、あの大きな樹をと、なんだか惜しい気がする。御神木を使えば、こうごうしい神像、鎌倉彫の逸品ほか何かできそうだけど、奪い合いになるのも愚かだし。
ところで東京都都議会は、都の審議会が出版物をいわゆる「不健全図書」と指定できる法律改正案を提出したとか。外見等から十八歳未満と判断できるキャラクターの性描写を規制するということだそうだから、手塚治虫の「奇子」、マンガ版「源氏物語」、アニメ版「太陽の季節」はダメなのだろう。拡大解釈すれば、浮世絵、実写映画、小説など当てはまる作品は枚挙にいとまがない。文化・芸術ならばOKで、ほかはダメというのならば、都がそれぞれの作品を文化・芸術か否かを認定するとでもいうのだろうか。
自省を込めて言うと、僕はなんだかこの法律改正案にカルチャー側のサブカルチャー(ポップカルチャー)への屈折した優越心に似たものが感じられないでもないね。鳥肌、立ちそう。
2010.03.14 DVDアニメ「火の鳥」はちょっと
粛々と歌稿の整理を続ける。今日も快晴。気温はそれほど上がっていないけど、こんなに暖かいと感じたのは今年最初。春だ。
大相撲春場所が始まったけど、スポーツ新聞のネタはいまだに引退した朝青龍だとか。白鵬はもっともっと盛大に巡業や稽古をさぼらないと記事にはしてもらえないそうもないな。これまでもまめに出席しているとの情報には接していないけど。
夕食後、DVD「火の鳥 ヤマト篇」を鑑賞。ヒロインのカジカは原作漫画の手塚キャラとほど遠い絵。むしろ「うる星やつら」のラムちゃんに似ていたのが御愛嬌か。
横笛を奏でる主人公の影響か、子供がパジャマに着替えるまでリコーダーを吹いていたよ。
古代から未来までを壮大な構想で描かれたSF漫画「火の鳥」は、初読の十代当時はずいぶん惹き込まれたものの、制作が角川にせよ、NHKにせよ、改めてこうして見直すと、フィクションとしてはとても魅力的だけど、アニメ脚本家のオリジナルを無視しても、歴史への無理解、ズレっぷりなど多くの点で不満をおぼえた。もっとも「黎明篇」に影響を与えている騎馬民族渡来説などは当時の学会を大いに賑わせた最新の学説で、今となっては一顧の価値すらないとしても、これをもって手塚の勉強ぶりを讃えないで無知の罪とするのは公平でない、とはいえ、作品の傷となっているのはどうしようもない。ともあれ、手塚の代表作として後世に残すべきものは、他にあるのだろうな。
2010.03.13 ディランのチロルチョコ
ソメイヨシノのつぼみがふくらみそうな、初夏を思わせる陽気。
インターネットで、先日大阪にてスタートしたボブ・ディラン日本公演の情報を拾いながら、家人に声をかけた。
「コンサートグッズとしてディランのアルバムジャケットをあしらったチロルチョコセットをライヴ会場で売っているらしい」
「東京公演で買ってきてくれるの?」
さて、どうしよう。五十個二千円らしいから一個三十円の方なら自分のために買えなくもないけど、もし一個十円の方だったらプレゼント用か。いずれにせよ遊びとしてはなかなかシャレてるね。
ちなみに日本オリジナル菓子製品であるチロルチョコはディランと同い年、つまりチロルチョコが初めて世に出た年はディランの生誕年だとか。おかしな偶然。
午後のお茶の後、八幡宮境内を通ると、たいへんな人手。お目当ては倒れた大銀杏なのだろう。僕も今ひとと会えば大銀杏の話になってしまう。
鎌倉駅前近くを店をのぞきながら歩いていると、電信柱にぶつかりそうになった。最近、電線などは地下に埋めてしまう土地が多いというのに、観光地なのだからそういう処はよそを見習って欲しいものだと思う。それとも、電信柱が嫌なら段葛を通れ、とでも言うのだろうか。そうさせてもらおう。
2010.03.12 試読でわらう
朝、ひとに伝言を頼むと伝えないで帰ってくる。電話をすると不在。そうして俗事にかまけているうちに歌ができる。まったくばかばかしい。
数日前から都民でもないのに東京の新聞を試読している。
八幡宮で倒れたイチョウの木は、株を残したり、隣に植木をしたりする計画が持ち上がってるとか。いずれにしてもそれはもう「大銀杏」ではない、低い「小銀杏」だ。昨夜インターネット上に「凶兆では」と畏れている人がいたな。何もしないよりはマシなのだろう。たぶん。
ほかの記事にも目を通す。普天間基地移設はどうやら尻すぼみ。とうにアメリカでは公開されていて今さら密約とも呼べない密約の問題。金本と新井というスター選手を欠く阪神タイガースは、オープン戦とはいえ、点が取れず、投手起用も不可解千万で、負けっぱなし。コメントする意欲もおこらない。
天は忠言し、僕は嗤う。それも理性と良心しだい。
購読の本契約には至りそうもないか。
2010.03.11 自信はあります
心が疲れて、仕事にも何もなりはしない。ひさしぶりに朝から完璧な日本晴れだというのに。
寝転がって、囲碁なんかちっとも知らないのにマンガ「ヒカルの碁」四冊と「女の子ものがたり」を読了。
そういえばむかし読んだ「名人」という囲碁小説は好かったな。どれほどおもしろがろうと、おそらくおもしろがり方が僕と作者では大きく違うので、こちらは囲碁といえばいまだに五目並べだ。
そのままインターネット。
ミス・ユニヴァース・ジャパンの優勝者インタビュー映像をぼんやり眺めて、
「国際大会への自信は」
「あります」
というやりとりに、現代を感じる。昔の日本には「謙譲の美徳」などというものがあったけど、今はこういう質問に「あります」と答えられない輩は「自分に自信を持てない者は資格なし」と判断されて、相手にもしてもらえない。まあ、こういう場所に古風な美女が出てくるはずもないのだけど。
そんなふうにぼーっと過ごしていたら、夕方ぼこっと歌ができた。変なの。
2010.03.10 倒れた大銀杏
「鶴岡八幡宮の<隠れ大銀杏>が倒れた」
と、朝から周辺がざわめいている。早朝の出来事らしい。
八幡宮本宮の正面へと至る石段の左脇にある巨木で、僕もたびたび目にしていたから、驚いた。
鎌倉幕府三代将軍実朝の暗殺時に実行犯の公暁がこの樹の陰に隠れていた、という伝説で知られているけど、史書『吾妻鏡』には凶行は石段の途中で行なわれたと記されているだけ。それは神殿内での禍事を隠蔽したものという風説も聞く。
いずれにせよ、樹齢千年ともいわれる名木は惜しいね。きのう午後から冷え込んで、つめたい雨、屋内に居た僕は気付かなかったけど時には強風、雪までちらついたらしいから、その所為もあったのか。
その雨も、ようやく昼過ぎに晴れる。
あちらこちらで俗事を済ませ、夕刻、八幡宮を訪ねると、石段下に建つ舞殿の左側から石段上までを封鎖して、真下へ倒れ込んでいる裸木に向かい整列した神官と巫女により神事が執り行われていた。御神木の葬礼だろう。その場で耳にした話によれば、祝詞まで唱えられたとか。厳めしい。折れた幹の付け根を小さなリスが走っていた。
2010.03.09 桜の歌
朝から雲、雲。ラジオから女性シンガーが唄う福山雅治の「桜」が聞こえた。すでに近所では河津桜が咲いているし、ソメイヨシノもいずれ続くだろう。
この季節になると「花の歌人」西行法師の歌集を開いて、その秀でた世界に遊びたくなる。ほんとうに桜の歌が多い。
小説家の志賀直哉が法隆寺で「夢殿の救世観音を見ているとその作者という様な事は全く浮かんで来ない」と述べた後、作者というものから完全に離れた作品こそが理想という文学論を展開していた。桜といえば「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」という和歌を思い出す人は多いだろうけど、その作者である紀友則を思い出す人はほとんどいないだろうから、そういうのが志賀直哉のような人の理想なのだろう。
僕は友則よりも西行にあこがれる。これは本人の趣味なのか、それとも業なのか、何なのだろうね。
でも、とりあえず朝はまず仕事だ。
2010.03.07 親離れ・子離れ
生暖かい春の小雨が、止んだり、激しく降ったりの一日。雪だ、雪だと天気予報が騒いでいたけど、北の方では結局降ったのだろうか。
もっともそれは、おとといはシャツ一枚の春着だったのに、今日はタートルネック・セーターを着た上での感想だ。そして、独り、個室に閉居。
夕食時、子供はバスに乗ったことを楽しそうに喋っていた。
ひさしぶりにブラックではなくクリーミーパウダーを入れたインスタントコーヒーなど飲みながら、「親離れできない子供が多過ぎる」という理由で「十八歳以上の若者は親との別居を義務づける法律」制定をイタリアの閣僚が訴えたという記事を興味深く読む。親との同居は失業率の高さと低所得人口の増加ゆえ経済的に自立できない人の多いことが背景にあるそうだけど、日本で制定したら親に依存する「ひきこもり」の問題は解決するだろうか。無理だろうな。日本には子離れできない親も多いから。
もっとも、そういう僕だって、読者と彼等とのパイプ役を引き受けてくれている人達を除けば、ほとんど人間関係はないのだから、こうして終日閉居していた日はほとんどひきこもりかな。
2010.03.06 二十歳までになおすべきこと
朝食後すぐ傘を差して、病院へ先日の検査結果を聞きに行く。
「内蔵はまったく健康。でも、あなた、典型的なアレルギー体質ね。子供の頃から、エビ、イカ、カニと、症状あったんでしょ? 二十歳までに治しておくものだよ。後は加齢と共に悪くなるだけ。テレサ・テンだってそれで死んだんだからね。彼女、享年四十二だっけ」
と、言われ放題、いや、懇切丁寧な診断をありがたく傾聴した。僕はアレルギーでも、喘息ではないのだけどな。
午後ひと仕事終えて、モーツァルトK.189を始めにクラシックをぼんやり聴く。べつにききたいわけじゃない。死んでいないのだから何かをするだけだ。
結局、CD三枚も聴いてしまったよ。
2010.03.05 環境に大差なし
曇り空の朝、隣町まで歩く。紅梅、白木蓮、河津桜と、町々を目で楽しむ。
デパートで、自分に靴下、子供におもちゃを買う。ここの玩具売り場のレジは、平日の午前中、閉鎖されているらしい。たしかにほとんど無人だ。唯一その場に居た二歳くらいの女の子が、母親の隣から不思議そうな目をして僕を見上げていた。ほかにさしたる収穫もなし。
午後は仕事。
夕食後、皇太子の御息女が同級生の男児に乱暴されて登校拒否のニュースに驚いた。そういう事実があることにも、この件が堂々トップニュースとして掲げられていることにも。今この国には何処であろうと環境に大差がないと示す事例ではあるか。
2010.03.04 平静ではいられない
曇り空。夕方から小雨。
午後、雑誌『漫画少年』初出版「ジャングル大帝」を読む。
去年から『完全復刻版 新寳島』だの、雑誌『少年』初出版『鉄腕アトム』だの、DVD「完全復刻版 鉄腕アトム」だの、手塚作品が矢継ぎ早に発行されている。手塚作品は雑誌初出、発刊、再発刊のたびに大幅な描き直しがある例が珍しくなく、ファンなら一度はそれに目を通したくなっても不自然ではないから、もしこの調子で雑誌『COM』初出版『火の鳥』、『完全復刻版 ブラックジャック』等と続いて全部購入したらたいへんな出費、全国の手塚ファン宅で家庭争議が勃発しそうな勢いだ。
僕はそこまでするつもりはない。でも、詩歌句の世界に手塚ほどの天才が存命していたら、さすがに平静ではいられないだろうな。
それにしても、この初出版を読んで驚いたのが、文字の多さ。セリフのほかにも場面説明や作者の解説がある。これまで手塚が創始した日本のストーリーマンガはディズニーアニメーションを書籍にした物だと思っていたけど、この先駆作品をみると、小説と無声映画の影響が強いのではないかと思えてきたよ。
夜は自作の詩歌句に向き合う。疲れた。
2010.03.03 歌い継がれるか
朝ぶらぶら散歩していたら、しだいに晴れてくる。
正午、インターネットで「十代が選ぶ卒業ソングベスト10」を見ると、当然といえば当然ながらすべて平成の唄。「蛍の光」のような戦前のものはもちろん、昭和の曲などひとつもない。長年うたいつがれてゆきそうだったヒット曲もこうして過去のものとなるのかと思えば、創作を続けている者の一人として、暗然とする。
午後の仕事の後、ルー・リードの「ストリート・ハッスル」を聴きながら、雛菓子を口にして、発表時から現在まで一度もメジャーになっていない、こういう曲の方が細々と残ってゆくのだろうかと考えた。いつか昭和の名曲が復活することだって充分ありうるけれど。
お茶を終えてから、またあれこれと書いて過ごした。
2010.03.02 デカダン復興
深夜の豪雨を経て、明け方から降ってはいないけど晴れそうな気配はまったくない一日。
ここ数年、麻薬汚染に関する事件報道が絶えない。バブル崩壊からそろそろ二十年、ジブリ映画「ゲド戦記」のテーマソングはデカダンスの詩人・萩原朔太郎を現代語訳したようなものだったし、いよいよ日本もデカダンス精神復興の時だろうか。頽廃的イメージの強い「デカダンス」と「復興」が結び付くのも変だけど。
僕の理性は、森鴎外にならって、絶望しつつ建設するレジグナシオン精神を選べと告げている。でも、たとえ本人はそのつもりでも、はたから見れば、崩壊から新しい世界観を作ろうと訴えるヴァレリーのような建設的デカダンと区別がつかないかも。どっちらけ。
だから、僕はこれまでどおりに往くのさ。皆にも勧めたいな。
2010.03.01 ロング・メイ・ユー・ラン
ひさしぶりに、すかっとした晴れ。どうやら裏の崖の補強工事は先月末で完全に終了したらしく、ひさしぶりに静かな朝だ。
ニール・ヤング、ニッケルバック、アヴリル・ラヴィーン、アラニス・モリセット等々と五輪閉会式の音楽を聞きながら、パソコンを打ったり、不要な書類を捨てたり。それにしても、カナダだからそれ相応のミュージシャンが出演するはずという、こちらの勝手な期待に違わぬ顔ぶれ。オリジナルはスティルス・ヤング・バンド名義で発表された「ロング・メイ・ユー・ラン」が、こんなに好い曲だとは知りませんでしたよ、ニールさん。
ポピュラーミュージック、録画映像、こういう場所ではサブカルチャー(嫌な言葉だ)がやはり強いな。ロシアのパレリーナでさえも、主役じゃなく、添え物にしか見えない。どうにもならないよ。
午後は歌稿に取り組む。旧作を再読すると、気に入らないものは改稿して、できるかぎり残しておこうとは思っても、どうにも手がつけられず没にするしかないものも、ちらほら。佳いものがあるなら、それでも良い。佳いものがあるなら。
2010.02.28 津波警報
暗い朝。午前十時過ぎ、雨の町にサイレンが鳴り、津波警報発令のアナウンスが響いた。正午の後しだいに晴れてきたけど、テレビは「スピードスケート百分の二秒差で惜しくも銀メダル」をも脇に置いて、津波情報を夜まで放送。大津波警報が出た地方もあるとか。少々さむい。
それでも津波に気付かない情報過疎の人だっているのだろうな。
終日、読書。
2010.02.27 涙雨
夜、未明に大雨。きのう念願の金メダルを逃した直後インタヴュー中に泣いた銀メダリスト・浅田さんの涙雨か、それに釣られてもらい泣きした人達の分も含めてかと思いながら、寝床で屋根を打つ雨音を聞いていた。
しだいに雨は弱まったけど、午後まで降ったり、止んだりの繰り返し。午後二時過ぎ、ようやく雲間から日がのぞいた。
ベランダから差し込むその光を浴びて、散文「まんすりー・こめんと」の仕上げをする。以前はそうでもなかったのに、近頃その月の末日近くに載せることが増えてきた。こんなことなら市販雑誌のように二月分は一月末に発表する形にすれば良かったかな。
2010.02.26 油断した
風が強い。そして傘などなくて一向にかまわない雨の一日。
朝それでも念のために傘を持って出ようとしたら、玄関の前に出して置いた一番新しい一本が見当たらない。路上に壱万円を落としても大丈夫な町だとまでは思っていなかったけど、道からは見えない場所だから油断した。まあ、傘だからこそ罪の意識がないのかもしれないけど、けっして安物ではなかったのにな。
うちに戻って、フィギュア女子フリーをTV観戦。個人的には、キムさん、長洲さん、レピストさんの演技が好かった。初日のショート・プログラムはキムさんも浅田さんと同様、慎重すぎたか、硬く、勢いにとぼしかったのにな。
数日前どこかの放送で浅田さんについて、
「かつてのジャンプの天才少女は、いま偉大なアクセルジャンパーに」
と語っているのを耳にした。誉め言葉なのだろう。たぶん。
2010.02.25 ウィ・アー・ザ・ワールド: 25
きのう同様、桜が咲きそうな気候だけど、なんとなく散歩もやめて、部屋に籠る。
初めて「ウィ・アー・ザ・ワールド」の新録音ヴァージョン「25 フォ・ハイチ」のPVを観た。二十五年前の原曲には知らない顔はなかったのに、人選が悪いのか、こちらが無知なのかと思っていたら、ソロパートではなくコーラス・メンバーにビーチボーイズのブライアン・ウィルソン、ナタリー・コールの顔を見つけて、あぜん。映画「レイ」で主人公レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスがいるのは、二十五年前「はりきりすぎ」と揶揄されるほどのパフォーマンスを見せた御大レイの代役なのだろうか。今回全体的に目立った人がいないのは、前回ずぬけて印象に残った人がいたことへの反省なのかもしれないな。
それにしても、こういう映像を観ると、ついつい当時の自分を思い出して、いけない。もっとも自己形成はすでに終えていたから、どれもこれも小さなエピソードでしかないけれど。
夜は歌稿とにらめっこ。勝った。
2010.02.24 カーリング精神を学ぶ
朝、目覚めると、寒気がすっかり消えていた。
長らく続いていた裏の断崖の補強工事が止まっている。まだ工期が終わるまでにひと月以上あるはずだけど、騒音が消えるのならば、手放しで慶賀したい。でも、どうせ離れた場所で続きをやるのだろう。
オリンピックでカーリング女子チームが「相手に敬意を表し」ギブアップを宣したら、日本カーリング協会にテレビの一般視聴者から抗議電話が掛かってきたとか。たしかにこれまでの日本人のメンタリティーからすれば、最後まで絶対にあきらめないで闘うべき、という発想になりえたはず。
しかしながら、それぞれの競技にはそれぞれの精神があり、サッカーとマラソンと相撲を同じ精神ではやってられない。同じ野球でも投手と外野手では精神性はまるで違うだろうことは想像できる。精神の形は常に一様ではなく、ひとつの競技、ひとつの集団、ひとつの役割を知ることは、その精神を学ぶことでもあるらしい。
自由業に就いたのにサラリーマンの話ばかり書く脱サラ作家は、知識や経験ばかりではなく、その精神性が転職前と変わらないのだろう。
短歌と俳句だってその精神性は微妙に異なり、同じ短文でもツィッターとは懸け離れているのだけど、ギブアップしたカーリングチームへの怒りをツィッターにぶつけ、短歌にもぶつけるような人達だっているにちがいない、と、愚考する。たぶん。
2010.02.23 不幸な天才
上野まで出て、長谷川等伯回顧展を観る。公開初日だというのに外国からのツアー客までいた。
地方の無名仏絵師が上京してやがて画壇の主流・狩野派に対抗する勢力となり敗れる伝記から得た印象で、等伯を不幸な天才というイメージで理解していたのだけど、間近にこうして実物を目の当たりにすると、同時代の狩野永徳と比べたら、驚くほど才気走ったところがない。それでも努力と研鑽を積み、五十の坂を越えて超一流の域に達したのに、なんだかんだと結局若年期の作までがこうして残されている。案外、十六世紀画壇の頂点を極めながら作品のほとんどが現世に伝わらなかった永徳の方こそが不幸なのかも。それでも、十六世紀日本絵画のすべてが失われても、等伯の「松林図屏風」だけは後世に残ってほしいな。本物の芸術家ならみんな不幸に決まってるから。
その足で、老朽化により改修工事が決まった都美術館へ最後の御挨拶。
そこで意外にも子供のころ画集で胸ときめかしたダ・ヴィンチの「レダ」と邂逅。でも、それは模写で、本物は行方不明になっていることを初めて知らされたのだった。
横須賀線で戻ると、そこはまさに花の春でした。
2010.02.22 ナーバスな問題
ことし初めて寒気を感じない夜。こうして、しだいに暖かくなってゆくのだろう。
夕方、届いた封書を開封しないまま三通も捨てた。不動産屋、教育機関、福祉関連。見なくても中身はどれもわかりきってる。リアルな迷惑メールだ。どうにかならないものだろうか。
五輪中継フィギュアスケートのアイスダンスでアポリジニの音楽に合わせて踊るロシア人ペアの演技に子供が大喜び。でも、五輪には珍しく、冷たく、張りつめた空気だった。人種問題というのはナーバスにならざるをえないところもあるから、子供のようになかなか純粋に楽しむのは難しい面もあるのは解るけど、残念だね。
2010.02.20 勘違いに誘う本
まだ朝の散歩は寒さがこたえる。
またもパソコンがトラブルを起こし、すべて初期化。一旦サイト情報なども消えたので、また一から作り直すのだとか。更新がすんなりゆくのか心許ない。
その傍らでインターネットをしていると、映画「人間失格」のトレイラー(予告編)を見つけた。太宰治の原作小説の魅力はまったく文章の力で、あれ一冊から受けた影響で、あの主人公同様に破滅的人生を歩んだり、破滅的傾向のある周囲の誰かに惹かれたり、主人公にいったん惹かれてその惹かれた自分の未熟さに幻滅した後は彼を否定することで自分が成長したと勘違いしたまま卑俗化したりした読者が、いったいどれほどいるかと思うと、そこまで罪作りな映像にするのは簡単ではあるまいと愚考する。
今日は五輪中継も中休みなのか、地上波放送が少なかった。メダルに届きそうな日本人選手がいないというテレビ局側の判断だろう。残念。
2010.02.18 雨水の前日に雪
早朝、窓を開けると、樹々と尾根はすっかり雪に覆われていた。もっとも、外へ出ると、たいして人も、車も通らないのに、アスファルト路はただ濡れているばかり。午前十時頃にはすっかり雪も溶けたというのに、とにかく寒い。凍えながら立ちつくしていた。
午後うちへ戻ると、陽が顔をのぞかせ、気温も上がってくる。そういえば、明日は雨水、雪の季節の終わりだったな。
そしてインターネットの夜。読むほどに、近頃この国における人心の荒れようは、すさまじい。周囲のすべてに苛立ってでもいるのか、何かに当たり散らしたくてしかたがないように感じる。
政治と政党への不信はひどいもので、今なら政治的天才が一人あらわれれば本物のファシズム政権だってできそうだ。マスコミも煽り文句しか並べられまい。もっともこの国にはそんな天才が表われた過去などないけどね。
もちろん、そんなひとごとみたいな調子で語れる話ではない。でも、書き込んでいる本人が意識していようと、していまいと、ここでは言葉はすべて煽り文句だ。気を付けねば。
2010.02.17 拒否する理由もない
朝、理容店のラジオが「伊豆大島は雪です」と言っていた。本当だろうか。こちらはここ数日と同様にどんよりとした曇り、稀に陽射し。たしかに寒いな。
大学の同窓生から「卒業校の総務課が連絡を欲しがっている」と知らされ、確認すると、
「卒業生名簿に載せたいから連絡先を教えて欲しい」
なあんだ。
卒業校といっても、キャンパスと建物が同じとはいえ、大学名は吸収合併された先方の名。親しみも、想い出も多いけど、卒業校ではない。でも、名簿掲載を拒否する理由もない。
とりあえず、学校はなくなったけど、OB間の連絡網はとりあえず生きておりました、という話です。
歌稿との睨み合いが続く。一度にあまり読めないので、のらりくらりと。他人の歌を読むようにはいかない。自詠はきつい。
2010.02.15 正確かは保証できない
雨で冷えきった午後三時、酒粕のケーキなる貰い物をいただく。粕汁よりも酒臭いので、一瞬ひるんだけど、意外にも美味。酒好きのケーキ嫌いな人が、お付き合いとするには最適かも。けど、酒好きのケーキ好きならば、もっと別のメニューを選ぶだろう。
エレキギターで弾き語りをするジョン・レノンを観て、
「カッコイイ」
と喜ぶ子供。ようやくカッコイイという言葉を正確に覚えたらしいと、その隣りでパソコンのキーをたたいて文章の清書をしていたら、子供はこちらを見て、
「オトーサンもカッコイイ」
こんな調子で、詩歌を捻りながら、この小さな住居を今風の庵として生きてゆく。なんだか江戸時代の文人みたいだな。
2010.02.14 スキー女子モーグルを視て
朝ひさしぶりに晴れたと思ったのに、正午前にはもう曇ってしまった。
昼食をとりながら、五輪スキー女子モーグルをTV観戦。各選手の実力差があまりに歴然とし過ぎで、メダルを目指す選手は決勝で危険な大技をくりだして、成功すれば上位に、失敗すれば下位にと、きれいに分かれ、真ん中に劣った選手が入るというのが、この競技の現状らしいということは解った。
それにしても、最下位になるぐらいならばマシだけど、大会前日リュージュの選手が練習中に事故で死んだというし、スキーのジャンプにしても、このモーグルにしても、本番中に即死しないまでも一生半身不随になるかもしれないことなど織り込み済みでなければ、本気でトップを狙えないのだろう。金メダリストにしたって、あの速度の滑りでミスしたら致命的ではないだろうか。まあ、4位から16位くらいまでの間なら、ほとんどそんな不安なしで視ていられたけど。
でも、だからこそ得られる感動もあるというのも事実なのだな。まったく。
これは技ではない。あくまで精神の問題だ。技は一流なのに、精神に問題がある人は文筆の世界でも絶えない。でも、そういう人ほどマスコミには受けるのかもしれないな。何ものも、非合法をも恐れない精神の持ち主よりは。
2010.02.13 開会式視聴
ずいぶんな寒気。みぞれが一日中降り続いた。
土曜日だからというのでもないけど、仕事に集中できない。だから読書で時間をずいぶん潰してしまった。
夕食時、オリンピック開会式中継がちらりと目に入る。なかなかあでやかな色彩。
それにしても、日本国内のスポーツ大会の開会式は、どれもこれも、どうしてあんなに退屈で、つまらないのだろう。最近は、成人式や、高校の卒業式だって、いくらか楽しいものに変わりつつあるというのに。甲子園の高校野球大会が変われば、それを呼び水にしてちょっとはマシにならないだろうか。
いずれにせよ式次第であることに違いはないな。ふむ。
2010.02.12 「逮捕」ではなく
雪、雪と、ここ数日気象予報士がうるさかったけど、ぜんぜん降らないと思っていたら、朝こちらへ訪ねてきた人が、
「今朝七時半頃みぞれでした」
と知らせてくれた。ふむ。どうして気付かなかったのだろう。
午後は詠歌に憑かれて、そして、疲れて、突っ伏した。
夜九時過ぎからTVアニメ「ルパン三世」を視る。子供の頃からずっと視てきて、峰不二子の声優さんはパカボンのママ役と同じ人ということを思いあわせると、なんと長い年月が経ったことと感慨深い。(「ジャングル大帝」の主役レオの娘・ルッキオ役でもあったとは最近まで知らなかった)。もはや脚本に何も新味がなくなってきたし、泥棒が警察を徹底的にコケにするこの話、リアリズムなら米映画「俺たちに明日はない」のように警察が「逮捕」ではなく「復讐」に踏み切って当然の夢物語、このシリーズもそろそろ打ち止めなのかな。
2010.02.11 自分がイッパイ
世間は休日だけど、小雨が降ったり止んだりの繰り返し。僕もなんとなく一日中うちに籠っていた。
「うちにオカーサンがイッパイいたら」
と、昼食中、子供はカレーライスで上機嫌なのか不思議なことを言う。相方さんは僕に向かって、
「そちらがいっぱい居たら、みんな本読んでるんでしょうね」
それは鬱陶しそうだ。うちには一人で充分と、残りは全員外へ出てもらうが善いね。
だから午後は小説を読む。
そして結局、僕もまったく休日そのものの一日を過ごしたのだった。
2010.02.10 万葉集研究石碑
ときどき薄日が差すていどの曇り空の下、梅見をして回る。大町の八雲神社前は工事中で車両通行止め、でも徒歩には関係ない。
妙本寺境内に建つ、仙覚の万葉集研究について記した石碑の両脇にも、道を挟んで、白、赤、ピンクの梅が並んで、栄えている。十三世紀に仙覚は、この石碑の後ろにある石段を登りきった土地にあった新釈迦堂内で、和歌の学問をしていたらしい。ベンチに腰を下ろして梅の花を眺めていると、歩いている時は汗ばむほどの気候だったのに、陽射しがないからか、たちまち体が冷え込んだ。
午後から仕事に入る。きつい。
日が暮れると、いつしかまた寒気の下に居た。二月なのだから、それで当然なのだ。たぶん。
2010.02.08 屋根の修理
ここ数日、相も変わらず、夜の冷えこみがきびしい。昼はむしろ暖かいくらいなのだけど。
昼前まで、歌稿と向かいあい、すっかりくたびれてしまった。
午前九時半ごろ、工務店の店員のような人が来て、昨年末に風で傷んだ天窓付近の屋根を直してくれるという。正午まで何かを叩いたり、屋根を靴で踏みしめたりする音が、断続的に響いていた。
夜、日を跨ぐと、ずいぶんな強風。修理してもらって、良かった。
2010.02.06 どれほど散文に近付こうとも
きのう今日と白昼はさほどでもないのに、夜の冷えこみがきびしい。少量とはいえ既に杉花粉が飛んでいるのに。季節感がどうもおかしい。町の中心部ならば、それほどでもないのだろうか。
ここ数日ずっと散文を書いていて、なんだか散文家になったような錯覚をおぼえてしまう。もっとも、まだその文章は未完。いつ仕上がるのかな。
午後、ぱらぱらと詩集をめくる。そういえば、以前ある場所で歌人たちを相手に、
「短歌も詩の一ジャンルなのだから、たとえ口語で詠んでも、どれほど散文に近付こうとも、最後のところで身をかわさなけばならない」
という話を例歌まで挙げて説明したのだけど、こちらの表現が悪かったのか、あまり理解してもらえなかった。今にして思うと、むしろその場に居なくて、こちらの言葉を目にした人の中に理解した人もあったのかもしれない。
ベランダに立つと、梅の薫りがつんと鼻をついてきた。
2010.02.05 作家の日記
何かをしたという充実感のない一日だった。
何もしなかったわけではない。朝の散歩は逗子まで足を伸ばした。本を読んだ。DVDも観た。それでも何だか空虚でしかたがない。
小説の主人公が作家だと、なかなか仕事が進まないシーンばかりで、作家が日記を公にすると、すらすら書けるか、そういう場面は一切カットかのどちらか、という傾向があるように思う。なので、僕も今日は順調にあれこれと書けたことになる。嘘じゃないよ。
2010.02.04 わかってやらない
立春は、曇り空に始まり、午後から晴れた。スナフキン柄の長袖Tシャツ姿で吉野山を歩いた日のことなど回想する。或る日は暖かく、別の或る日は暑いくらいだったけど、きょうはまだまだ。
家人と横綱の引退記者会見映像を視ていたら、家人がぽつりと、
「来場所は盛り上がらないでしょうね」
と言った。まあ、これで相撲がワイドショーやスポーツ紙のトップを飾ることは当分あるまい。またリンチ殺人事件でもあれば別だけど。
あの事件の報道が過熱していたころ必死に相撲界を擁護していた人達が、今日は、
「ここ半世紀で相撲界最悪の日」
などと午後のテレビで言っていたとか。なるほど。あの頃、リンチ殺人の犯人たちをクビにするなと力説していた人達だから、最悪はあの事件ではなく今日なのだな。そのおかげなのかどうかは知らないけど、容疑者たちは、実際に逮捕されても、判決が下りるまでクビはつながっていたしね。
それにしても、外国人力士を批判するならば、その言葉は外国メディアと海外の相撲ファンにも向けた言葉であるべきなのに、彼等の言葉は、
「同じ日本人なのだからわかるでしょう、わかってください」
という類いの内向き理論ばかり。そもそもがいわゆる「論点先取」の如き騒ぎなのだから、そういう態度を示されると、こちらはたとえわかっても、わからない振りをするべきではないかと思えてくるよ。だから理解できないね。
夜、散文を長々と書く。残念ながら今は叙情詩を作りたい気分じゃない。頭は論理的、哲学的に、だ。そして、愉快に。
2010.02.03 デパ地下の陰謀
どんどん雪が溶けてゆく。今日は節分、それにふさわしい朝の町を歩いた。
こちらの留守中、家人が女性客との雑談で、先月僕が一人でぶらぶら温泉に漬かるなどして来たことを話すと、
「うちでそんなことされたら大ケンカです」
と、婦人は感想を述べたとか。一理あるけど、家人だって一日中横浜などで羽根を伸ばしたりしているし、そんなことで揉めていては連日連夜言い争い続けなければならないのでは。まあ、毎日のように喧嘩をしている夫婦だって世の中にはあるからな。いや、あの御婦人がそうだという意味ではないけれど。
ただ、うちの中に居ても、なにもできないから。
午後、家人の話では、この町もデパートは恵方巻を売っていたとか。こちらが子供の頃はそんな風習はなかったのに、もはや国土を制覇している。いや、国土を制覇しているのは「デパ地下」の方か。
夕食は、恵方巻、煎り豆、せつぶんイワシ、うちそば等、古今の節分食。デパ地下の陰謀だ。
2010.02.02 雪と真鍮
雪だ。起床して窓を開けると、勝上嶽がまっ白。もちろん玄関の外もすっかり白に覆われている。どうせすぐ溶けるだろうという予想に反し、いつまで経っても太陽は雲の中で、屋根にも、狭い庭にも雪は降り積もったまま。
ヒーターを強めて、時折おもいだしたようにベランダからぼんやり雪景色を眺め、考え事などしている。たとえば、主人公が金(きん)に成ろうとするメッキであるよりも、真鍮と侮蔑されることを我慢しようとする小説について。話のラストで心を病んでしまった。今にして、もっときちんと読むべき本があったと悔やむ。でも、真鍮と侮蔑される金の我慢を描いた話を今は読みたい。
とうとう近所の雪は溶けなかった。一日中、雪に冷やされた場所で凍えていたようなものだ。山さえも正午過ぎには平生に復していたのにな。
2010.02.01 冬の初午
朝の散歩をしていると、宇都宮稲荷神社に初午の注連縄が張られていた。今年は立春の前に初午の日を迎えたわけだ。
ここは源頼朝の重臣だった宇都宮一族の屋敷跡だとか。「たしかな証拠がない」という理由であまり世に喧伝されていないけど、市内のほかに宇都宮氏の屋敷跡と伝わる場所があるわけじゃないから、伝承を疑う必要もないだろう。宇都宮頼綱が謀反の疑いをかけられて出家し生活の場を西日本に移した後、この地に鎌倉幕府第四代将軍の屋敷が建ち、初代将軍・頼朝の「大倉幕府」に対し、「宇都宮辻子幕府」と呼ばれたわけだから。
午後から降り始めた雪は、夜みぞれに替わった。さすがに寒い。夜半、歌稿に向かっていると、その屋根に落ちる音が絶え間なく耳を打ち続けていた。
2010.01.31 「政治」より相撲
朝の空気の中を歩けば、道路の脇に、また、人家の庭に若葉の緑が日々濃くなってゆくのが判る。春はまだ先というのが信じがたくなる。
報道によれば、大相撲の高砂親方は最近の騒ぎについて「俺の責任じゃない」などと口走ったとか。まったく歯がゆい。この人が数年前のいわゆる「サッカー騒動」から何も学ばなかったことは、よく解った。火の無い所に煙を立たせ、ボヤを大炎上にしてしまうのが三流マスコミなのだから、プロ野球チームの監督や芸能事務所の社長のように相撲部屋の親方は時に火事の煙すらも消す努力が必要なのに、この人は煙とそれを見て大騒ぎしている弥次馬をただぼんやり眺めているだけに見える。もっとも、この難局をなんなく乗り切れる絶対的自信があるというのならば「お見逸れいたしました」と申し上げるほかないけれど。
おそらく現役引退して親方になっても、この人達はやっぱり力士でしかないのだろう。でも、「いや、元・力士でそれではいけない」などと利口ぶるよりも、その愚直さに拍手したい自分がいる。しようがないな。
僕が見たいのは、相撲で、「政治」じゃないよ。
2010.01.30 「この日記はニセモノである」
心地好い快晴の朝。鳥たちの声が美しい。それでも漏れ伝わる外の世界は愚行のかたまりらしい。せっかく春のような気候だというのにな。
ぼんやり文学者先生がたの御本を寝転がって読む。「この作品はニセモノである。誰それの実作にしては、かくかくなる理由で」などという論説を目にしていたら、「この時間差日記なるものは三宅某の記録にしては、交通機関を利用した機会が少なすぎる。また、仕事をしている時間もあまりに少ない。よってニセモノにちがいない」などと自分で主張したくなった。まったく、時間の無駄だ。
何処かへ行こう。
2010.01.29 訃報に喜ぶ愛読者
朝食後、散歩の途中に本屋で立ち読みなどする。店内で数ページもの立ち読みをしたのは、ひさしぶりだ。
午後、四十年以上も隠棲していた米作家J.D.サリンジャーの訃報を聞いた。インターネットを読むと、「これで隠棲中に書かれた新作が読めるかも」という類いの書き込みが、ちらほら。未発表作品が大量にあるという噂は僕も耳にしているよ。それにしても「作家本人の訃報を知らされて喜ぶ愛読者達の群れ」という光景は、なんとも寒々しい。これもサリンジャー自身が招いた業なのだろうか。
自分の訃報で喜ぶような愛読者は作りたくないね。
2010.01.28 辛い仕事
夜半にずいぶんひどい風音を聞いて就寝。
起床後も雨戸を閉めたまま、キーツが言うところの「銀行家よりも、学校の教師よりも、聖職者よりも辛い仕事」をすべく、ノートに向かいながら、午後には雨音も聞いた。
ところで、詩人キーツは銀行家や学校の教師や聖職者の仕事の辛さを本当に知っていたのだろうか。そもそも辛さの種類が違うのではないかな。
2010.01.27 低空飛行
朝、長い細道を通っていると、トビが手を伸ばせば届きそうな空を、カラスが誰かの膝にぶつかりそうな低空飛行を試みていた。広い車道に出た途端、自動車に追突しなければ良いけど。
2010.01.26 東勝寺跡の椿
昼食をとった後、散歩。初めて東勝寺跡へ足を伸ばす。山の麓に金網で立入不許可の意志をアピールしている更地だ。赤い椿が数本きれいに花をつけていた。
鎌倉幕府滅亡時にここで北条氏一族およそ九百人弱が自死したとか。ここから東へ進むと、腹切りやぐらと呼ばれる地がある。釈迦堂の奥にその多くの屍を埋葬し、主だった人達の首は瑞泉寺の裏山に葬ったというから、ここに埋められているのはその胴体だろうか。伝承によれば腹のやぐらなのだからな。
山道に入ると、しだいに赤い椿が増えてくる。佳い季節に来たものだ。さまざまな種類の鳥が鳴いている。祇園山の頂からは、海岸線と富士山がくっきり見えた。
市街に戻れば、あちらこちらで梅が紅白ともに花を付けている。或る庭には葉牡丹が並んでいた。
2010.01.25 実感する三島由紀夫
ここ数日、南向きの部屋は暖かい。陽射しがある。気温はけっして高くはないけど、一週間ほど前までの寒気は何処かに去ったとしか思えない。
どれほど知性で公平に世を眺めようとしても、おのずから限界はある。実感は裏切れない。
大戦下に十代を過ごした小説家の三島由紀夫は、若い頃「ファシズムは美しい」と書き、その早すぎる晩年には「日本がファシズム国家であったことはない」と言い、谷崎潤一郎に「細雪」の発表を許さなかった戦時下を「あれほど自由であったことはない」と語った。意味はあべこべ、でも姿勢は同じ。「細雪」は発表されなくても、三島の若書きの短編集は豪華本として世に出たのだから、その実感がものを言わせているとしたら、知性は曇っていたのか、あるいは狂っていたのか。それとも、人間にあるのは最初から姿勢と態度だけで、知性は実感を解釈する道具に過ぎないのだろうか。
案外、「細雪」なぞ三島文学に比べれば、などとというのが、本音だったかもしれない。
夜は寒いので、ようやく冬の気分。実感なんて、そんなもの。ふむ。
2010.01.24 人麿の名
横綱朝青龍の優勝者インタヴューを聞き終えた後、夕食まで時間があるので、万葉集を拾い読み。当たり前だけど、すばらしい。殊に柿本人麿は。
人麿は「古事記」「日本書紀」に名が載る柿本佐留(猨)であるという説がある。そうであってほしい。もしそうでなかったら、この国は正史に自国を代表すべき詩人の名を残さなかったことになってしまうから。
一方、人麿は光源氏のようなフィクション上の人物という説もある。すると、この国の文書は人麿詠歌の本当の作者について何一つ伝えなかったことになり、もっとひどい。恥。
いま非公開で編纂されているという国史に石川啄木や若山牧水の名前はあるのだろうか。八田知紀や高崎清風ほど「載っているに決まってる」とは確信を持てなかったりするのだけど。
その一方で、古事記には相撲の始めの姿が、その取組をとった二人の名と共に記されていたりする。さすが現代格闘技のプロがひしめく国、横綱が尊ばれるべき人物とされる国だ。いや、最近はそれほどでもないか。
少々さびしいね。
2010.01.23 不毛な時間
午後、尾根道を漫然と歩く。僕は今居るこの町がかなり気に入った。
初めての喫茶店に入る。BGMはヴィヴァルディの「フルート協奏曲集 作品15」。かつて一世を風靡しながら、最後は貧民墓地に埋葬され、約二百年もその存在を忘れられていたヴィヴァルディ。
きのうも、きょうも心は多くの言葉を呟き、論理的思考を展開しているのに、それが生活と関わりなく、文章語にもならないとは、不毛の一語に尽きる。けど、たとえ不毛だとしても、それがなによりも差し迫った苦悶であり、難問であり、必要不可欠なこと、やらねばならないことなのだとしたら、やるべきだし、やるしかない。…などと、ぼんやり考えている。
寝入ったのは午前四時だった。
2010.01.22 旗上弁天との御対面
午後、国宝館でひさしぶりに源実朝の墓と対面する。初めて旗上社の弁天木像とも直接あいまみえた。わざわざ衣装をまとっているのは、礼にはかなっているのだろうけど、こうごうしさに欠ける。江ノ島の弁財天のように堂々としていただきたかった。どうせ着衣にするなら、ついでに琵琶でもいだかせれば良いのに。もちろん悪いのは弁天ではなく、周囲の人間どもさ。
館内では浮世絵展を開催中で、北斎と広重はもちろんすばらしかったけど、懐月堂安度という、こちらの無知か、聞き慣れない絵師が好かった。
散策日和に心も弾む。これで歌もできていればな。
2010.01.21 セーターを着ていない
午前九時。由比ヶ浜はひどい荒波だった。今年初めてセーターを着ていない。曇っているのに、その必要がない気温。なんという寒中。でも、風が強いせいか、人は少なかった。
大相撲は、白鵬がもろくも破れる。フットワークが悪い。今場所の白鵬がおかしいのか、対戦相手たちの研究の成果か。後者ならば、今年の相撲は、より楽しめそうだ。
2010.01.20 白梅とかりんとう
白梅が咲いていた。朝の散歩がてら通った境内、気温は高いのだけど、穏やかな陽射しの中で。
起床時、春の服を着ようと押し入れをあさったら、忘れていた物を見つけた。四年ほど前に旅行先で懸賞の賞品として貰ったものの、僕には用がないので洋服棚の奥にしまいっぱなしになっていたネクタイ。なかなかおしゃれで、いつか誰かに差し上げようかと思っていたのに、こちらと同様、顔を合わせるのはネクタイなんぞと縁のない輩ばかり。次、ネクタイを締めるような男と私語を交わすのは、いつのことだろうか。
もはや古びてきたので、古着入れのナイロン袋に押し込む。もったいないけど、しようがない。来週ゴミの日に出そう。
午後おやつにかりんとうが出た。口に入れるのは十年ぶりくらいだろうか。塩味がきつい。でも、美味。
2010.01.19 引ったくり
去年から続いている近所の崖の補修工事は今月で工期終了のはずだったのに、とても近日終わりそうもないなと思っていたら、案の定、三月までやると通知が届いた。あの騒音とまだ二ヶ月付き合わされるのか。
朝、警官が訪ねてきて、
「すぐそこで引ったくりがありまして」
だとか。まったく、ため息をつきたくなることが続く。
日はこんなにも暖かなのに。
ひさしぶりに詠歌三昧。と、呼べるほどの佳歌かどうか。
2010.01.18 タイヤ交換
白昼を読書に費やす。
「自転車のタイヤがパンクした」
と、夕刻、報告を受けたので、十五分かけて自転車ひきずっていったら、
「後輪のタイヤが古びてます。もうダメですね」
なに? パンクでも、チューブが傷んでいるのでもなく、タイヤ交換だと!? 自転車で!! ふう…。
真暗な道、ペダルを扱いで戻った。
2010.01.17 五十五になったら
午後、文学史の本をめくって調べ物をしていたとき、偶然夏目漱石が文学博士号を辞退した時まだ数え年四十五だったことに気付いて驚いた。ちなみに、漱石が小説家デビューしたのは数え三十九。現代とは、平均寿命の伸びに伴い、年齢の感覚が違うとはいえ、博士号辞退はこの年齢にも一因があったかもしれないと思った。五十五だったら、性格、もう少し丸くなっていたかも。もっとも、漱石がその年齢を迎えることはなかったのだけど。まあ、五十五になったら人間どうなるのか、僕自身、自分で経験したわけじゃなし。
ちなみに、調べていたのは、昭和時代の小説について。大正時代の漱石のページを見るつもりじゃなかったのだけどね。
それにしても、社民党の米軍基地問題への提言を葬れない今の内閣を批判すべきか、国家元首ならびにそれを尊ぶべきと表明している保守主義者を否定すべきか、「作家たるもの政府に反抗しなければ」と考えている人達は困っていることだろう。現実の政治は、与党対野党ではなく、どうやら民主党対検察庁の泥仕合のようだけど。最後はテロリストが闖入してきて終了、などという、くだらない筋書きでないことを祈るよ。
2010.01.16 主題歌だけ
大相撲では、ついに把瑠都が横綱戦初勝利。また一歩、大関に近付いたか。彼なら良い意味で大相撲を盛り上げてくれそう。ただ面構えが優しすぎて、琴欧州ともども、人気は女性向きかな。
夕食後、たまたま1975年製作アニメ「アルプスの少女ハイジ」にチャンネルがあった。岸田衿子さんが作詞した主題歌だけ、いやにはっきり覚えている。むかし何回か目にしただけ、熱心に視てはいなかったからな。
あのころ外国の名作童話が次々アニメ化されていたけど、ぜんぶ放送されるより前に原作本を読んでいた。ということは、読書が好きな子供だったのだろうか。漫画が好きだったことはまちがいないけどね。
旅をしても、作歌は今ひとつ進まない。旅行するだけでそのたびに秀歌がぼろぼろできるなら、いくらだってやってやるのだけど、そう簡単にはいかないか。当たり前だな。あたり前田のクラッカーは現在も発売中。ホントだよ。食べたことないけど。
2010.01.15 遠白(とほしろ)く
きのうから徹夜。未明、昨日は歌会始の日だったと気付き、夕刊で披露された歌を読む。つまらない歌をネタにくだらない記事を書いている記者は、美智子皇后の歌を再読三読して、頭を洗浄すべきだ。とりあえず「芥川賞受賞者無し」よりも僕には興味深いニュースではある。
昼食時、ふと昨日の喫茶店で浴びた中年女性達の視線を思い出した。四人掛けテーブルに座った三人が一斉にじろじろとこちらを眺めている。あんなに無遠慮な、こちらに気付けとでもいうような視線は、近ごろ記憶にない。奇妙な人たち。
2010.01.14 時雨と月桂樹
厳寒でも快晴。朝湯を浴びて、この宿の玄関を出るとすぐそこが源泉で「温泉発祥の地」の石碑もあると教わり、気まぐれにそこへと足を向けたら、なんとその源泉の隣りに「飯尾宗祇終焉の地」という碑文があった。
宗祇、室町時代に初めて連歌師として生きたという、漂白の詩人。松尾芭蕉や小林一茶のあこがれの人。
近くの寺には彼の供養塔があると知らされ、昼食後にその墓苑を訪ねると決めて、喫茶店でカレーライスを注文すれば、月桂樹の葉をその形のまま煮込んだルーという珍しい味。ふむ。なかなか。
宗祇の供養塔は、後北条五代の墓石と同じ高さ、ほぼ真横の位置を占めていた。本堂正面に句碑もある。芭蕉が本歌取りしたことで有名な時雨の句。とりあえず供養塔に御挨拶して、座を辞した。
深夜は<ノイタメナ>放送待ちで読書。きょうのアニメ「のだめカンタービレ」のテーマはバッハだった。大バッハ。
2010.01.13 バカボンは英語なのだ
朝から元大関引退の噂がインターネットで飛び交っていた。そして、それは誤報ではなかった。
観光地のジャズ喫茶店に入って、美味しい珈琲を飲みながら、文庫本を読んで、時間を潰す。日常の中のささやかな贅沢だ。
多くの人は、具体的な目標やら、計画やらを立てて、その結果ひとつの道を最短距離で行こうと試みがちだ。僕はこうして何処へ行き着くか解らないまま、遠回りを重ねて、何かをつかもうとする。それが一杯の珈琲で終わっても、不満を述べたところでしようがない。一篇の詩ならば嬉しいけれど。結局なにを喜び受け入れ、なにを拒否するか、全部そこで決まる。嫌なものは嫌なのさ。
「目的や企図は、有益なものでも有効なものでもない。それは当人の目を眩ます」と喝破したのは小林秀雄だ。『モオツァルト』の11章。店のBGMはモーツァルトじゃなく、コルトレーンだけど。
夜、部屋に戻ると、子供がアニメ「元祖天才バカボン」の再放送を視ていた。原作者の赤塚不二夫によれば「バカボン」とは英語の"vagabond"、つまり放浪者、風来坊のことで、宮本武蔵を描いたあの漫画「バガボンド」と同じだそうな。
そうか、やっぱりバカボンのパパは無職だったのだな。それでいいのだ。
2010.01.11 清きに魚も住みかねて
正午過ぎ、書店をのぞいた。雑誌の見出しを眺めれば、相も変わらず不健全な芸能人、スポーツ選手への批判が大流行り。この調子で芸術家までが全員健全にでもなれば、さぞかし清らかな世の中になって、「白河の清きに魚も住みかねてもとのにごりの田沼恋しき」とばかりに、外国へなりと逃げ出したくなる人々が続出するのではと、憂国の念にとらわれたりもする。まあ、実際は電車に飛びこんだりする人が増えるだけなのだろうけど。
ちなみに先に引用した「白河の~」の歌は作者不詳。「こんな所に住んでられねえよ」が歌の主旨で、明らかに当時の政治批判を含んでいるため、匿名でなければ発表できなかった。自詠を自詠と名乗れないような世の中だけは御免だね。
大関から陥落した関脇千代大海、惨敗で連敗。いよいよ引退か。
2010.01.10 サリン事件のように
午後、コートどころか、ジャンパーすらも不要な陽気。町は、たいそうな人出だ。
近ごろ世界はまた変わりつつあると思う。地下鉄サリン事件とか、大震災とかで世の中の精神のありかたが少し軋んだように、近頃また少し軋んだように思う。どうしてだかは俄に言えないけど。去年の政権交代、WBC、オバマ大統領、米中協議…、世界はまた変わりつつある。それでも結局のところ、変わるのは色で、本質は何も変わらないに違いない。
夕暮は天覧相撲。画面に映る貴賓席の御二方は、退出時ずいぶん長い間いつまでも手を振っておられた。
2010.01.09 金田一さん事件です
朝食後、ベランダから、窓から、全開して換気するほどの陽気。それでも空気は乾いている。豪雪の地方もあるのにな。
「借りてきたDVDをみよう」
と誘われて、「犬上家の一族」のリメイク版を観た。今さらだけど。でも、石坂浩二の演じる金田一耕助はやっぱり好い。さすがに昔のように走れてはいないのはしかたないか。
ずいぶんな比較だけど、同じ日本の旧家を舞台にした映画でも、十代の僕は横溝正史の金田一シリーズは劇場公開時に全部観たのに、「男はつらいよ」シリーズは一本も観ないまま成人し、初めてLDで観たときは三十を過ぎていた。もし金田一さんに惹かれないで寅さんに惹かれていたら、僕の人生はずいぶん違ったものになったのではなかろうか。で、十代の僕なら寅さんに共感できる余地があったろうけど、しだいにそれも薄れて、二十歳の半ば頃には、「無意識広すぎ」うんぬんと、山田洋次監督のあずかり知らぬ、猛烈な寅さん批判のエッセイでも書いたかもしれない。主人公を笑いとばす映画なのに、惹かれてどうする。
実際の僕は寅さん映画に触れないまま思春期を終えた。今となっては笑い話をわらうだけ。それほど距離ができたのだ。たぶん。
でも何故か金田一さんの映画は僕にはちっとも恐くない。ホラーとか、スリラーとか、あまり好きじゃないので、恐かったら観ていなかったかも。(では、なぜ観ているのだろう)。
2010.01.08 たいしてすることもなく
さて、今日はお役人やらなんやらとお話ししたり、書類等を提出したりする日と、起床後いきなり子供を叱りつけたりして、子供を驚かせる。とはいっても、書類に名前などは人に書き込んでもらうし、お役人向きの文章は性に合わない。実際はたいしてすることもなく、ほとんどあちらこちらと半日歩きまわっていた。
途中、衣料品など買い込む。
暖かな冬晴れ。
夜、むかし精読した文章を幾つか読み比べながら、来し方行く末を思い返した。
2010.01.07 門松が消えた
早朝は寒かった。よく晴れた冬の明け方は冷えこむよ。
町中から門松が消えた。松の内は、土地によって七日までだったり、十五日までだったりするらしいけど、この辺りは七日までなのだろう。すると、鏡開きは十一日か。ちなみに、松の内が十五日までなら、鏡開きは二十日だ。
さて、自分が幼少期を過ごした場所では、七日だったか、十一日だったか、それとも四日だったかと思い出そうとしても、確かな記憶がない。当時は関心が薄かったとはいえ、見事な欠落だ。笑ってしまう。
年始から歌は詠んでいる。根を詰めない程度にね。でも今日は無しだ。また明日。
2010.01.06 居間のカレンダー
小町通りを歩いていたら、あちこちの店頭にカレンダーがぶら下がっている。中に気に入ったのがあった。しかも値引きされている。ちょうど居間に一幅飾りたいと考えていたところで、家人に相談してからにしようかどうか悩んだけど、自分自身の人生における決断は、一見ささいなことと思えることでも、絶対に自分自身で決めなければならない、少なくとも自分が本当に進みたい道ならば、いかに周囲が猛反対したとて、それをやりとげないと、ろくでもない結果になる、というこれまでの経験から、その場で購入。
うちに戻ると、家人宛の宅急便が届いていて、カレンダーが三本も入っていた。すべてうんざりするような絵柄で、もしさっき買っておかなければ、さすがに改めて買い足せないまま、一年間も不本意な絵を眺めて暮らすことになったろう。決断して、本当に好かった。
夕刻、湯神楽を近くの神社で見ようと誘われる。神殿の前でたむろしている人達から少し身を引いて見るべきとは思ったけど、小さな神殿の正面からでなければ何も見えないので、そこにまぎれて舞を鑑賞。約一時間半、立ちん坊。立ち舞台の予行練習にもなった、かもしれない。
2010.01.05 ディスクテーブル
きのうの午後、横浜まで出かけてきた人が言うには、八幡宮をはじめ各社、初詣客でいっぱいだとか。ニュースによれば、庶民はみんな初仕事で出勤しているみたいな調子だけど。不況で仕事がない人が、大勢、そういう場所で神頼みでもしているのだろうか。
今日はきのうの曇り空とはうって変わった、快晴。暖かい。
夕方になってようやく年賀状が届いた。年明けに投函された物が含まれている。そろそろ今年の打ち止めか。それにしても、こちらが元旦に届くよう出した相手から引越前の住所で今ごろ転送されてくるというのは、どういうことだろう。旧年中に投函したのが今とどいたのか、それとも元旦に受け取った相手が住所が違うことに気付かなかったのか。ふむ、解らぬ。
DVD&SACDプレーヤーの受け皿、つまりディスクテーブルが、オープンボタンを押してもなかなか作動しないので、修理に出した。戻ってくるまで、ちょっと寂しい日々か。
2010.01.03 カノン・ロック
先月末以来、雲の少ない、晴天が続いている。
朝、お雑煮を食べた後、インターネットで様々な「カノン・ロック」をぼんやりと聴き比べ。クラシックの名曲、パッヘルベルのカノンを中国のアマギタリストがロック風にアレンジして以来、この曲に世界のアマギタリスト達の挑戦した成果が、ネット上にあふれている。みんな巧い、と聴き惚れていた。同じカノンのロックアレンジである、戸川純「パンク蛹化(むし)の女」を口ずさみながら。
それにしても、ひさしぶりにあまりにオーソドックスな三が日を過ごしてしまった。去年の疲れは多少癒えたかもしれないけど、なんだかもの足りない気分もないではない。
2010.01.02 駅伝の山登り
ぼんやりと朝から箱根駅伝を視る。東洋大学の選手が、去年同様、山登りでほれぼれとする快走。ほかの選手とは走る姿までが違いすぎる。天才というのはこういうものだろう。しかし、箱根駅伝のほかにこの才能を活かせる競技が、僕には思い付かない。国際マラソン大会のコースを急坂の登りばかりにしたら、全世界から抗議の嵐だろうし。無いなら、あまりにもったいない。いっそ新しい競技を作ってしまえば良いのに。彼から勝てる。おそらく。
去年の暮、太宰治の小説「斜陽」のモデルとなった家が焼けて、ずいぶん話題になっていた。太宰文学というのは「死にたい」が「負けたい」に直結する処が、安易で、とても解りやすい美点がある。でも、時には「死にたい」けど「勝ちたい」という人だって、多くはなくともいるだろうに。もっとも、武士道では「生きたい」から「負けてもよい」という発想を恥ずべきことと一刀両断にしたけど、そういう価値観を拒否しきれないで、別の確固たる価値観もなく、死ぬ価値もない人達が大勢いらっしゃるのが、二十一世紀の日本なのだろう。
初風呂には薔薇の香りがほのかにした。ドライフラワーの紙袋が浮いている。心地良く幻を見た。そこには箱根路を勢い良く駆け登ってゆく人もいた。
2010.01.01 満月と富士と初日
ここ数年恒例、元旦未明に外出。なんと今年は満月だ。
小さな山の中腹から見渡すと、下界に浄土宗の本殿や塔、西の山の端に満月、その尾根の南端に富士山。絶景ではないか。
ふと思った。なにも今から人込みにまみれにゆく必要はない。さいわい周囲は無人。ここで富士と一対一で年明けを祝そう。
ほど経て月がうっすらと消え、富士山頂に赤みがさしてきた。六時五十分。日の出の時刻だ。手持ちの水筒を富士に向けて掲げる。
海辺に降りると、やがて東の尾根から初日が射し込んできた。それが完全な円になる。太陽とはこんなに赤かったったけ。これまでと違う光を浴びた気がする。
国道は人であふれていた。細道を行くと、人家の庭で枝々をウグイスが伝い踊っている。寒気はいつしか緩んでいた。
さて、こんな元旦でいったいどんな一年になるのやら。