いきなり、脳死です
近頃トピック・ニュースといえば、もっぱら脳死移植ですね。 日本初の試みで、三月十日現在、臓器提供を受けた方の快復も順調らしく、めでたいこと。こうして多くの命が助かるなら、すばらしい。 けれど、それでも僕は思うのです。 脳死は人の死ではない、と。 これは数年前僕が実際に脳死患者をたびたび見舞った経験から言うのです。たしかにその人は「死んだも同然」で、生きてれば普通できることができませんでした。呼吸すら機械に頼ってるありさまです。 それでも、その人はまだ生きていました。だから、僕はそこで多くの歌を詠めたのです。(それは五月に出す本に入れるつもりです).。 僕にはこの問題には論理の転倒があるとしかどうしても思えません。 つまり「今の法秩序では、脳死が死でないと、臓器提供者を殺すことになるから、移植手術ができない。だから脳死は死なのだ」
この主張は、どこかの国でワニを守るため、魚類保護の法律を強引にあてはめたというエピソードを想い出させてくれます。ワニを保護したいから、ワニは魚だというわけです。 ワニを魚だと言いくるめるのは、苦肉の策、まだ微笑ましい部類でしょう。 しかし、脳死を死とするのは、命の問題、生死の問題と絡み、笑ってすませられない話だと思います。 どうしてワニを魚だとせず、ワニを保護する為の法律ができないのでしょう。どうして脳死を死とせず臓器移植法が成立しないのでしよう。 そこでは、法の精神が根本的に歪んでしまっているのでは、あるいは、現実とうまく対応できていないのでは、と僕は危ぶむのです。一人の人間として。 もちろん、これから移植手術が定着することそのものは、善い事なのでしょうけど。
|