和歌・君が代
また日の丸・君が代が注目されてますね。国旗・国歌か、否か、と。日本共産党も以前ほど強硬でなく、強硬なのはむしろ一部官僚のようですが、さて、ついに積年の問題が解決するのでしょうか。 このふたつを分けて考えれば、日の丸はおそらくかたづくでしょう。本来は政府が海外に遣わせる船の印だったとか、ようするに外国とわたりあうならこれらしい。でも、国民に敬礼させる旗ではないね。歴史上、皇室ともあまり関係ない。 問題は君が代。 僕は初めて耳にしたのが大相撲中継だったから、子供の頃は相撲の歌だと思ってました。オリンピック放送で自分の間違いに気付き、どうやらスポーツのテーマソングなのだろうと訂正。小学校で革新系教師から(たぶん日教組だったのだろう)、あれは天皇を称える歌だから唄っちゃいけないと指導され、でもそう教えられなくても、いままで一度も唱わなければいけない場に立たされたことがなく、当然唄った体験なし。けれど暗唱はできるんだな。
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
それにしても、これは不思議な歌ですね。 小石が巌になるのだし。どの辞書を引いても、「さざれ石」とは「小石」のことです。 唐の随筆から借りた表現というから、予備知識をもとにした誇張法と採ればいいのかな。実際は起こりえないことを祈るというのは、今でもよく使う詩的技法。太陽よ沈むな、とか。現代人より自然観察の点でははるかにまさっていた古代人が、本気でそんな非現実的現象を信じていたとはどうしても考えられない。あるいは、人間の子供が育ち、大人になり、やがて苔むすように老いることへの譬喩なのでしょうか。 もとは、橘のなんとか(名前忘れた)が嵯峨天皇に奉った「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりてこけのむすまで」らしい。でも、約1100年前に作られた『古今和歌集』の本文では、何故かこの歌には「詠み人知らず」、つまり作者不詳と記されてる。作者の身分が低いからと解釈すべきなのかもしれないけど、まあ撰者の紀貫之たちも、記憶にない名はよく調べもしなかったのかもしれない。ほかにこの某の事蹟に伝えるほどの何程もなかったようだし。 いつ第一句が「君が代は」に換わったのかも不明。歌学者・顕昭の言うとおり藤原公任が知ってたなら平安中期。それなら、折口信夫の「早くに」という断言にも通じるのだけど。 平安時代の詞は多くが短歌形式で、「君が代」で始まるのも結構ある。鎌倉時代の延年舞曲は僧家が法会のあと行なった演技なのに、やっぱり「君が代は」で始める歌がちらほら。いったいどうして僧が「君が代」なのかさっぱり解らない。 それはともかく、歌をあくまで歌としてとらえるなら、僕は古今集収録歌がずば抜けていると思う。貫之はやっぱりたいした方です。おそらく大前張、倭舞、東遊と、あらゆる歌に目を通し、耳にし、選んだのでしょう。 もし現在の「君が代」が後世の手直しによるものだとしたら、改悪です。聴いてて哀しい。
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