あ・はるふ・まんすりー・こめんと 1999年4月20日

 
  
巨人の高橋選手に思う

 ジャイアンツの高橋選手が現在ニ冠王と好調です。
 
僕はテレビといえばニュースかスポーツなので、関西にいると、巨人と阪神を観戦する機会が多い。オリックスやJリーグ番組が減ったので。北海道なんかだと巨人戦しか見るものなかった。今はコンサドーレを中継する日もあるんでしょうか。
 それで、去年始めもぼんやり高橋選手のプレーを眺めてたんだけど、そのとき「この選手は同僚の松井以上の天才かもしれん。でも線が細そうだ。先輩の吉村みたいに、ありあまる才を生かせぬまま終わるのじゃないかな」なんて、不吉なドしろうと判断を下したものです。
 今のところ、この予想は大外れですが、オリックスのイチローや西武の松坂の華やかさに比べ、日本一の人気球団に属して、しかも大活躍なのに、どこか地味な高橋選手を目にすると、この人の危うさはあまりに文学的なのじゃないかとすら思えてくるのです。
 ところで、華といえば新庄選手。一軍復帰おめでとうございます。打撃もまずまずのようで、なにより。今年はあの陳腐な三振を減らされるよう、桧山選手ともどもお願いしますね。

 

 
  
雅楽を聴きに行く

 御所一般公開の場で雅楽演奏があるというので、雨の京都へ出かけました。
 さすがに空模様のせいでしょう、見学者は覚悟していたほどの大人数でもなく、演奏は承明門の下。それが、曲が始まると、しだいに小降りになり、やがて晴れ間がのぞくほどに。音がすすほどに傘の華が閉じてゆく光景は感動的でした。実はこれまで雅楽が好いなどと感じたことは一度もなかったんだけど、ああいう場所で流れるとずいぶん印象も変わるものですね。
 衣冠姿の女性が弾くと、やはり男にはない音が混じるらしく、僕は心地よく聴きましたが、耳障りな方もいるかもしれない。途中、旗が風にあおられ、一人の女性の烏帽子にかかり、慌てて頭を抑えるしぐさに春が薫りました。
 翌日は快晴で、押すな押すなの人だかりだったと聞きました。運の良いことも、たまにはあります。

 

 
  
marsyas?

 僕が最近聴いて驚いたのは、marsyas『コウセック・プジージュネ』です。
 なんといっても傑作なのは、懐かしアナログレコード盤そっくりにデザインされたCD本体。アコースティック・ロックを愛する人だったらハマるかも。七十年代の香りぷんぷんです。貸してもらうまで全く知らなかったので、期待してなかったのだけど、ギターは綺麗だし、ハーモニーは抜群だし、ひとつひとつの要素は珍しくもない、むしろ聴き厭きた部類に入るのに、不思議に気持よかった。十八年前冷戦下東欧の曲とは信じられない。ほとんどはヴォーカリストのオリジナルなのに、あんまり和製フォークに似てるので、吹き出した曲も。でも、詞がとってもくだらなかったらどうしよう。ジェームス・テーラーやグレック・レイクのカヴァ−も収録。「ファイアー・アンド・レイン」をリアル・タイムで知った人はどんな反応をなさるのでしょうか。僕にとっては歴史上の出来事ですが。
 でも、一日に三度聴いてそれっきりだから、再度耳にしたら、感想違うかもしれない。

 

 
  
兄Ms.無?

 「あにみずむ」を変換したら「兄Ms.無」となりました。「兄見ず無」の方が僕はいいと思う。
 それはともかく、歌壇では末端に至るまでみんなこの問題に真剣に悩んでらっしゃるんですね。僕は結社誌を稀に寄贈された物以外ほとんど読まないので、その雰囲気はよくわかりませんが、総合誌を眺めた感じでは、アニミズムの為の論争というより、対立の為アニミズムが使われてるような印象を受けました。まあ文壇でも論争なんて大抵そんなものなのでしょうけど。

 歌人のアニミズムに関する発言を読んでると、数名の例外を除けば、作歌上の技法だか作法だかについて揉めてるみたい。アニミズム肯定派は、歌を詠むにあたり、自然の言葉を聞き取り、理解しようとされるらしい。まあしかし僕が自然だったら、口も開いてないのに本当に俺のことが解るのかよと言いたいですね。勘違いも相当あるのでは。それぐらいきちんと弁えてる方もいらっしゃるでしょうけどね。あまり軽々しく理解者づらされなくない。
 一方、彼等から批判されてる人は、人間中心主義に近い思考らしい。自然を詠んでも、風が寂しいのは私が寂しいからだ、と。これでは自然が、俺のことなんかちっとも考えてないじゃないか、と怒ったとしても当然。へたすると、これは自己中心主義に陥ります。
 つまり、どちらにせよ詠む側の独り善がりになりかねない。
 作歌の恐いところは、どういう思想をよみこむかではなく、日頃どういう思想を抱いて生きているかが表われてしまうことだと僕は感じています、オーソドックスだけど。

  もの思えば沢の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る

 ただ、和泉式部のこうした名歌を思うと、アニミズムにしろ人間中心主義にしろ、正しかろうが誤りだろうが、名歌はその間隙を縫って吹き出してくるほかないのだなと思うばかりです。

 

 

 Story of Tanka

 さて近日刊行の歌集は、もはや僕の手を離れ、なすすべもない(?)ありさまですが、けっして暇ではありません。
 そのひとつは歌物語です。俄然素人作家に仲間入り。これほど真剣に散文書くのはひさしぶりです。先日市販された雑誌『TILL』にまた掲載しました。けっして不評ではないらしい、今のところは。だからこそ、この欄も始める気になれたのですが。
 ところで編集と揉めたのが、このジャンル分け。というのも、この雑誌は作品に「Poem」「Illustration」など英語を標記する紙面作りになっているので、「Novel」とか「Tanka and Essay」とか数案出たものの、結局「Story of Tanka」に落着したのですが、歌物語って、この訳で良いんでしょうか。いっそ「Uta-monogatari」とでもすべきだったかな。なんでこんなことで悩まなくちゃいけないんだとも思いますが・・・。

 

 

  追伸

 メールへの返事です。
 長野県関連で僕がもっとも好きな歌人は、斎藤史さん。空穂もいい。ほかにもいらっしゃるかもしれないけど、今は憶い出せないな。

 

 御意見、御感想がございましたら、お聞かせください。
 無断転載は禁じます。Copyright(C),Miyake Satoru,1999

Online Order

書店でなくても本は買える!
 

次回

前回

あ・はるふ・まんすりー・こめんと 一覧   三宅惺ホームページ