あ・はるふ・まんすりー・こめんと 1999年11月24日

 
  心配ないさ

 体調を崩し、連日寝てばかりではあるものの、夕食は吐いてでもとらねばと口に運びつつ、テレビをつけた。
 ニュースは天皇在位十周年記念行事を延々写しだしていた。元XのYoshikiが演奏している。いずれロック・ミュージシャンが皇室行事に参加する日もあるかもしれないと僕が原稿用紙に書いてから一年も経っていない。驚きで開いた口がふさがらなかった。
 大陸では日本のファッショ化と騒いでいないかと思ったけれど、しんどいので調べもできず、眠るばかり。世の右傾化は驚くほどだ。きっと書店の棚はそんなのが積み上がっているのだろう。行かなくてもわかる。
 僕は眠りたいので、布団に潜り込み、自分を落ち着かせる理屈を考えていた。
 大丈夫、右傾化はファッショ化とイコールではない。不安ではある。でも、心配するほどではない。
 政治と社会と経済がそろって混乱しなければ、ファッショ政権はうまれない。金融不安は蔓延している。でもウォール街がパニックに陥らない限り大恐慌までは至るまい。不況は不況でしかないのだから。
 新興宗教やテロリズムが流行っている。現代社会メカニズムではある程度やむをえまい。これから弾圧が強まるだろう。けれど、改革が進めば、おのずと治まるに違いない。改革が進めば。
 少数者を排除する雰囲気が高まっている。でも、障害者施設が閉鎖されたという話は未だ聞かない。少数者が公的に放りだされ始めたら、ファッショ政権成立のパターンだ。でも、洋の東西を問わず外国人は市街を往来しているし、国際化の呼びかけは一応ともかく高い。偽善の臭気耐え難いほどに。
 まして、右翼左翼とも活動が狂暴化しているなんて噂もない。
 不安だけれど、心配ないさ。そう考えたら、ようやく眠りがやってきた。
 少し快復してきたようだ。悪化するときは、たぶんあっという間なんだろうけれど。
 どれほどデタラメな発想法でも当座の慰めになるなら役には立つ。でも、あまり真にうけないようにはしなくちゃね。

 

 
  本当は

 心配なのは、もっと別のところにある。
 僕は歌に詠むから、そんなことは散文にしなくてもいいのだけど。

 

 
  
我がソドムへどうぞ

 数年前より図書館から目にすれば借りていた大島弓子選集をようやく十巻「ダリアの帯」で全巻読破しました。十一巻以降あっさり読めたことを思えば感慨深い。
 思えばサンコミックスの『野イバラ荘園』(「春休み」「我がソドムへどうぞ」等収録)を読んで以来、長い道のりだった。そうすると、小学校時代に僕はサリンジヤー等を漫画で教わったことになるわけか。あのコミックはまだ家にあるのかな。
 それにしても、大島弓子読了はいつも苦難に満ちている。「綿の国星」最終話〈椿の木の下で〉もなかなか読めずイライラした。ちなみに萩尾望都も「残酷な神が支配する」にも手こずっている。読了する日はいつか来るのだろうか。僕の懐具合が改善されれば簡単に解決する問題ではあるのだが。
 しかし、少女漫画家って長続きしない人が多いね。引退したり、レディースコミックに移ったり。三原順は早逝しちゃったし。川原由実子はどうしているんだろう。
 ま、何処の世界だって、似たようなものだけど。
 破格のCD売り上げを記録している宇多田ヒカルだって、十年後スーパースターになっているか、ただの人におちついているか、わかりません、だれにも。彼女の曲にもそういう少女の危うさがあるように感じます。才能なんて、たぶん、そんなもの。どちらに賭けると尋ねられれば、スーパースターに賭けたいけどさ。どうかなあ。
 ところで、以前寄贈してもらった『短歌人』に辰己泰子さんの詠歌がなく、あれれと思ったまま、それきりになっている。不審でも歌壇付き合いがないとこういう消息は入って来ない。作品が読めればいいやと思っているからしかたないが、読めないんだからねえ。ふと思い付いただけだけど。

 

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