あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2000年3月12日

 
  フォークロック

 近頃、ラジオや有線放送でアコースティック・ギターとドラムとハーモニカを目立たせたフォークロック・スタイルの歌をしばしば耳にする。
 そういうのを聞くと、ちっとも心惹かれないけど、むしょうに羨ましくてしかたがない。僕自身かつてはそういうのに憧れたから。
 目指さなかったのは、たんに自分の歌唱力と音楽的才能に自信が持てなかったからで、その判断はまっく的確であったと一緒にカラオケに行った奴等はありがたくもない太鼓判を押してくれる。けれど、当時はくやしいから、「生まれた時代が悪いのさ」と自分を慰めていた。実際、そんな古臭い音楽スタイルはヒットチャートから完全に消えて、復活の気配すらない。そうすると却って「ほうら思った通りだ」と自虐的な優越感にひたれるのだ。まったく不健全きわまりない。
 そして、もっとはるかに時代遅れの歌詠み句作りに励んでるのだから、世話はないな。
 それで今ああいうのを聞くと、なんとも複雑な気分になるから、ヒッブポップなんぞ聞いている。不思議にその方が落ち着くのだ。もっとも、去年一番繰り返し聴いたのは、ボブ・ディランの「トライン・トゥ・ゲット・トゥ・ヘヴン」と「ブラインド・ウィリー・マクテル」のライヴCDだけど。まさにフォークロックの現在形そのものだよね。そして、こう思うんだ。どうして和製フォークロックでは往々にしてブルーズの香りが抜け落ちてしまうんだろうって。もちろん、例外はいるけどね。

 

 
  「サボる」と「ふける」

 朝刊をなにげなく読み飛ばしていたら、不思議な記事があった。夜の中学校で窓ガラスが数枚割られたという。それがわざわざ全国紙に掲載されているのだ。
 その日、昼飯を食べながらラジオを聴いていたら、季節柄「卒業の唄」特集をやっていて、ユ−ミンの「卒業写真」やサイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」に混じって、尾崎豊の「卒業」が流れた。
  〈夜の校舎窓ガラス壊してまわった〉
 そう尾崎は歌ってる。実際そんなことはかつて珍しくもない日常の事だった。だから新聞記事になど滅多にならなかった、ありふれていて。それが今は記事になるということは、記すべき事件になったということだろう。
 一応めでたいことには違いない。
 ところで、近頃「サボる」という言葉より「ふける」を目や耳にする機会が増えた。どちらも授業に出席しない場面で使うのだが、意味は大きく違う。
 「サボる」は「sabotageする」の略語で、本来は労働争議の用語。労働者がわざと仕事をしなかったりペースを落としたりして企業主とわたりあう方法が、「反抗的怠慢」の臭いを残して「なまける」という意味になった。一方、「ふける」は「行方をくらます」「逃げる」を意味し、喧嘩の約束をすっぽかされたりすると「あのやろう、ふけりやがった」などと悪態をつく。
 「サボる」は尾崎豊の時代にふさわしい言葉だったが、中学生は最近学校を「ふける」ようになったらしい。それが善いことだとは僕にはどうしても思えないのだけど。だって実態は何も改善されていないのに善くなった印象だけを周囲に与えているような気がするんだな。

 

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