フォークロック
近頃、ラジオや有線放送でアコースティック・ギターとドラムとハーモニカを目立たせたフォークロック・スタイルの歌をしばしば耳にする。 そういうのを聞くと、ちっとも心惹かれないけど、むしょうに羨ましくてしかたがない。僕自身かつてはそういうのに憧れたから。 目指さなかったのは、たんに自分の歌唱力と音楽的才能に自信が持てなかったからで、その判断はまっく的確であったと一緒にカラオケに行った奴等はありがたくもない太鼓判を押してくれる。けれど、当時はくやしいから、「生まれた時代が悪いのさ」と自分を慰めていた。実際、そんな古臭い音楽スタイルはヒットチャートから完全に消えて、復活の気配すらない。そうすると却って「ほうら思った通りだ」と自虐的な優越感にひたれるのだ。まったく不健全きわまりない。 そして、もっとはるかに時代遅れの歌詠み句作りに励んでるのだから、世話はないな。 それで今ああいうのを聞くと、なんとも複雑な気分になるから、ヒッブポップなんぞ聞いている。不思議にその方が落ち着くのだ。もっとも、去年一番繰り返し聴いたのは、ボブ・ディランの「トライン・トゥ・ゲット・トゥ・ヘヴン」と「ブラインド・ウィリー・マクテル」のライヴCDだけど。まさにフォークロックの現在形そのものだよね。そして、こう思うんだ。どうして和製フォークロックでは往々にしてブルーズの香りが抜け落ちてしまうんだろうって。もちろん、例外はいるけどね。
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