あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2000年5月17日

 
  うんざりする事件

 どの時代にも痛ましい事件というのはありますが、九十年代以後、十代から三十代の男独りが、女、特に幼女や老婆を狙ったもの多発しているようです。また、大勢が少数(時には一人)を集中攻撃する類も御同様。要するに、より弱い対象を見い出した途端、容赦なく叩き潰す訳。だから、みんな最も弱い者にされないようにがんばっているのでしょう。
 でも、そういう括り方をしても何が解ったというのでもない、どういう括り方をしてもそこから漏れる出来事はあるわけで、正論を語る人はいるけど有益にはなりませんね。僕だって納得いかない。
 ただ、僕はそうした事件が起こるたびに、どうして自分はこういう犯罪をしなかったのか、現にまだしていないのか考えます。そうすると、たとえば僕の場合だと「文章を書くようになったから」とか、一応の答えはありますが、ではどうして彼等にそうしたものが見つからなかったのか、どうして自分にはそういう答えがあるのか、突き詰めてゆけば、自分と彼等との距離が幾らかつかめてくるのです。
 その結果、残るのは、彼等に対する心からの侮蔑と共感です。
 たから、僕はこうした悲劇が繰り返されるごとに、うんざりとした疲労感を覚えるのです。

 

 
  伝統回帰はもう古い

 八十年代頃からコピー文化が花盛りだなんて、ずいぶん聞かされた。
 そんな言葉にうんざりしながら懸命にオリジナリティにこだわっていたが、今になってみれば、確かにそれが主流であったことは否定できない。もちろん主流が価値あることではないのは、明治末の自然主義文学全盛期に反旗を翻していた森鴎外や夏目漱石等、当時の非主流派が証明している。
 しかし、そんな時代がかつてあり、いつの間にか消えてしまったことは、間違いないらしい。
 ところで、現代はどうなのか。たとえば、サンプリングとかなんとか、でも全部に触れてたら、長くなりすぎる。だから、ひとつだけ。
 そういう傾向が消えたあと出現した物のひとつに、伝統回帰の風潮がある。昨今の右傾化で、九十年代からずいぶん目立ってきた。でも、これは価値観の崩壊の後、お定まりの傾向だ。そろそろ次の波は来ている。じっくりこれまでを顧みるだけでは駄目。それに弊害も表われてきた。現職総理大臣が「日本は天皇を中心とする神の国」と発言し、物議を醸したり。じつは僕はもうそんな無茶苦茶な発想をしている人はほとんどいないだろうから、そろそろ学校で国語の教材として古事記を教えて良いのでは、と内心考えていたのだけど、撤回だね。つい本音が漏れたにせよリップサービスにせよ、これじゃあとてもこの本は宗教と縁を切れない。「みどりの日」を「昭和の日」に改めたのは、代替わりごとに天皇誕生日の新しい名称を考えるのが面倒なんだろう、ぐらいですませられたんだけど。そうすれば12月23日は、いずれ「平成の日」になるだけだから。でも、もうそんな状況ではないようだ。
 そろそろ辛くても前を見よう。それで発狂するか首を吊るか知れないけど、後ろとか神とかばかり見ていても何もなりゃしないよ。
 でも、最近の学校では、「源氏物語」も「奥の細道」も、ろくに教えないんだってね。高市黒人や司馬遷どころじゃないよ。
 ところで、僕はこの騒動でもうひとつ意外な事実を知りました。
 僕はこれまで「国民主権」などという言葉は建て前であり、実質は何もない、と感じてきました。しかし、信じられないことですが、この国ではその人物が総理大臣にふさわしくない可能性が極めて高いとしても、天皇にも野党にも与党にすらその地位に就くのを阻めないし、辞めさせることもできない事態が起こりうるということです。百パーセントその職に留まっていてもらっては困るという状況に陥るか、選挙に負けない限り。
 何もない、わけではないようですね。

 

 
  放火

 寂光院本堂が燃えました。放火だそうです。ショックです。

 

 
  恋に落ちないシェークスピア

 ディカプリオ主演の「ロミオとジュリエット」がテレビ放送しているのを知り、ふと想い出したのが、「恋におちたシェークスピア」。これは映画館で観て、がっかりした。
 男しか俳優になれない時代に少女が男装して俳優になり、あのシェークスピアと恋に落ちるストーリー。ラストでヒロインが新天地アメリカに行くのが、ハリウッド的発想ということなのだろうか。あれがアカデミー賞採ってしまうことも含めて、とても不可解な映画だった。
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 印象に残ったのは、恋愛経験によって映画の中のシェークスピア描く脚本がどんどん恋物語に変わってゆくところで、そんなバカなことあるわけないだろ、十代の新進詩人か無能の中年評論家ならともかく、妻子持ちの天才劇作家が、たったひとつの青臭い恋愛体験でそこまで作品を変化させるなんてリアリティがなさすぎると感じるのだけど、そうは考えない人が多いのは、やっぱり文人なんてそんなものだと思われているのだろうか。僕にはあの作中劇作家がシェークスピアには全然見えなかった。それとも、「ヴェニスの商人」はどうしたとか、こちらがよけいなことを考えすぎるのか。
 もっと通俗劇に徹した話なら、僕も観になど行かないし、どんな非現実的シェークスピアが登場しようとかまわない。本当にそこに居そうな文人には嫌になるほどのリアリティがあるのだけど、ハリウッドではそんなの流行らないんだろうね。

 

 
  近況

 拝啓 お元気ですか。
 いつも気を使っていただいて、ありがとう。
 こちらの生活にもようやく慣れてきました。
 近頃は毎日八時か九時に起き、十二時半から一時半の間に昼食をとるほかは、ずっと机に向かっています。それも最近やっと自分の活動にリズムができてきたからです。今まではひとつ作品を仕上げては、しばらく何もする気が起こらぬどころか、今後何をしたら良いのかさっぱり見当も付かず、にもかかわらず書きたいことは山と積み上がっている状態だったのですが、先日突然「今年からぽつぽつ進めている散文を完成させたら次はあれを書こう」と急に閃いたのです。すると「その次はやっぱりあれだろう、その後はあれしかないな」と、とんとん拍子に予定が勝手にできあがって、そしたら自然に筆の運びもスムーズになってきたわけです。もちろん、予定は未定であり、そんな旨く事が運ぶとは必ずしも、と言うよりむしろ、順調にすらすら行く方が珍しいし、たいていは嫌々書いてるのだけど、少なくとも現在机上のペンはきわめて快調です。どうやら他人が読むに耐えるものになりそう。ならば、めでたい。
 もちろん、歌集もコンスタントに出してゆくつもり。こちらも現在は数年ぶり(?)に好調です。
 暇な時はギターを弾いて、一人で楽しみます。こちらはあまりに下手なので、とても人には聞かせられません。御世辞の上手な女の子がいたら、彼女の忍耐力に挑戦するのもいいな。
 寒暖差の激しさに体調管理が大変ですが、お互いなんとかふんばりましょう。
 そちらからも便りください。メール待ってます。
 では。

 

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