明石海人
この五月、「癩病歌人」として知られた明石海人を取り上げたコラムをたまたま読み、僕は初めてこの人の本名を知った。記憶しておく為にも、ここに残しておきたい。 「野田勝太郎」 とっくに公表を遺族より許可されてはいたのだろう。これまで目を通した資料が古かったので載っていなかった。また、同じ筆名でも、釋迢空(本名・折口信夫)や島木赤彦(本名・久保田俊彦)と違い、癩病患者という身が仮名を使わざるを得なくしているのだろうと想像され、調べもしなかった。 つらつら思い返すと、癩病がかつてどのようなものを意味したかを教えてくれたのは、横溝正史や松本清張のような推理小説ならびにその映画化作品だった。具体的にそのひどい差別状態を描いたのは、もっと社会学的な本だったけど。だから海人が実名でないのも不思議とは感じなかった。ただ、本名を公表できないことも明らかに差別の結果ではないかと思えば、名が伏せられているのを素直に諒と考えることはできないが。 その後、ある短歌総合誌が「忘れられた歌人」の特集で取り上げているのを眺めさびしい思いをしたり、坂口安吾全集に歌集『白描』を絶賛するエッセイを見つけ一層安吾が好きになったりもした。
世の中のいちばん不幸な人間より幾人目位にならむ我儕(われら)か
不幸比べのむなしさを教えてくれたのもこの歌が始めだったように思える。幸福も不幸も相対的にはなれない。世界一不幸な人に、「君の不幸なんて僕と比べればたいしことないよ」と、あしらわれても、なんの救いにもなりはしないのだ。海人も自分が世界一とは信じていなかったし、世界はもっと不幸に満ちていることを了解してはいても、「しょせんこの程度」と開き直ることはできなかった。たかが「癒えがてぬ病」を嘆き、「癩(かたい)の我の何処に行けとか」と世の偏見に憤り、「消ぬべくもあらぬ妻子」と会えず離れてゆくことを悲しむだけだった。それしかないのさ、人間は。
囀りの声々すでに刺すごとく森には森のゐたたまれなさ
歌集『白描』は評判になったけど、僕が惹かれたのは、「白描以後」という題でまとめられた死までの歌に多い。歌集『乳房喪失』で有名な、やはり夭折の歌人・中城ふみ子にも、「乳房喪失」以後の遺稿に秀歌がちりばめられているのを思い合わせれば、秀歌とはやはり残酷な存在だな。
蒼空のこんなにあをい倖(しあはせ)をみんな跣足(はだし)で跳びだせ跳びだせ
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