紅の豚、いまさらながら
知人とテレビのある部屋に居たら、宮崎駿監督のアニメ映画「紅の豚」が映った。何気なく新聞を取ると、〈1992年〉とある。もうそんなに経ったのかと感慨無量。それで、久石譲「帰らざる日々」「Friend」「遠き時代を求めて」、上々颱風「たぬきはいま…」、野見祐二「丘の町」「追憶」等、スタジオジプリ・サウンドトラックをBGMとして回想に浸ってみる。 「紅の豚」を観たのは、たしか難波の映画館だったと思う。ジプリの映画は毎回重いテーマなのにこの時も場内は笑いっぱなしで楽しかったけど、テレビだと「この場面で爆笑だったなあ」などと思い出すだけで、その重さにどっぷり浸かってしまった。 単純に言えば、これは第二次大戦前のイタリアに舞台を借りて、冷戦終決期におけるユートピア思想の破産を描いているのだろうし、はなからユートピアなんて信じてない僕等にも何を信じれば良いのかさっぱり解らない現実に対する共感はあって、ポップな山本健司編曲で聴き慣れた加藤登紀子歌う「時には昔の話を」が菅野よう子のしっとりしたピアノアレンジに生まれ変わってラストシーンを飾られると、ちょっと胸が締め付けられる。あれが流れず少女の独白で終わっていれば、ハッピーエンドに近いものを想像してしまいかねないところを、あの歌でその後に続くはずの戦争やら何やらたっぷり思い起こされてしまうのだから、最後の飛行シーンがとてもせつない。 主人公の豚と殴り合ったアメリカ人は、その後ムッソリーニのイタリア軍と派手にやりあったんだろうな。日独伊三国軍事同盟を結びイタリアの友軍だった日本も同様、やられにやられることになる。豚のように戦った日本人はいなかった。それが善いのかどうかはともかく。 ジプリの映画は、その後「平成狸合戦ぽんぽこ」「耳をすませば」と、しだいに苦渋の色が濃くなり、あの大ヒット作「もののけ姫」に至るのは承知の通り。「ぽんぽこ」のように化け物を使った露骨な社会批判よりも、「耳をすませば」についていろいろ考えてしまうのは、「ぽんぽこ」の後に、より深い「もののけ姫」が登場したからかな。もっとも「もののけ姫」だと〈神〉について述べたくなるのは、なんなのでしょうね。でも、言わない。 BGMはいつのまにか「この空を飛べたら」になっちゃった。
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