本物のゴリラ
テレビ局のディレクターともなれば趣味と実益をかねて映画なども観るわけだが、売れない女性タレントと戯れの某日に出かけた映画館で、ハリウッド最新のSFXを駆使した絵に、 「まるで本物だね。すぐそばで見てもわかんないよ、きっと」 などと女が口にしたのを間に受けて、企画会議にその女性タレントを騙して合衆国の映画スタジオで特殊メイクを施したゴリラと同衾させてしまおうと提案したら、信じられないことにあっさり通過して、自分があのユニバーサル・スタジオとの交渉に渡米するはめになった。何も知らない彼女の笑顔に送られ、そのまま飛行機へ。話を切り出した途端、石持て追われ、二度とアメリカの土を踏めなくなるのではと、シビアな澄まし顔を張り付けたWASP相手におそるおそる語を継ぐも、敵は黙って頷くばかり、 「問題はそのタレントに隠し事がばれた場合ですが…」 と話を運んだところで、はじめてその男はにやりとして、口を開く。 「君はゴリラを見たことはあるか」 「動物園で、二、三度」 「そうだろう。だれだってそんなものだ。動物園の飼育係を除けばな。彼等は本物を知っている。身近で触れている者は騙すのは容易ではない。だが、ほとんどの者は本物を知らない。檻の外から遠く眺めるか、写真で覚えるかだ。中には俺達が作った合成映像を見てゴリラを知った気でいる奴等もいるんだぜ。そんな奴等に本物と偽物の区別がつくわけないじゃないか」 どうやら交渉は失敗したようだ、下を向いて、気を落ち着かせていると、 「だが、君のプランはわれわれの技術の優秀さをアピールするのに有効のようだ。できるかぎり協力しよう」
…などというくだらない空想をしていたら、本当に先日そういう番組が放送されたとか。さすが日本のテレビ局。ただ、この番組を教えてくれた奴もそれほどきっちり見ていなかったようで、ゴリラと一緒にされた女性がカラクリを見破ったのか、あるいは最初から知っていて騙される演技をしていたのか、ハリウッドのスタッフが「飼育係でも騙せる」と豪語していなかったか、何も解らない。べつにどうだっていいんだけどね。 さて、それからあの男はどうなったのか。
自身たっぷりに語ったこれからの仕事相手と別れ、彼は帰りの機内で数えるのです。絶対に自分が偽者をつかまされない物、本物を知っている物、身近で触れている物を、ひとつ、ひとつ。 もし、彼が総てを数えきれないうちに眠りにつければ、めでたし。 でも、彼の指は、利き腕の数本、あるいは、ただの一本すら動かないかもしれない。だから、彼が何一つ思い付けず呆然としたあと、僕はたったひとつだけ彼にそれを与えたいと思います。 それは何? それはあなたが与えてあげてください。あなたが本当に知っている物を。 僕なら? そうですねえ。歌でも詠んでさしあげましょうか。 余計なお世話かな。
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