あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2000年7月27日

 
  甲州街道にて

 朝からベランダの前を警官が往ったり来たりしている。普段なら気味が悪いが、今日は理由がわかっている。香淳皇后の「斂葬の儀」、つまり本葬。それでも、警官の存在は気持ち良いものではない。だから昼過ぎ散歩に出た。
 甲州街道を西へ。約五メートルおきに警備が就いている。豊島岡墓地にて告別式に当たる「葬場殿の儀」が午前中で終わっているはずだから、そこから埋葬の「陵所の儀」を行う武蔵野東陵まで、当分このあたりは交通規制をひかれる定め。カメラやビデオ映写機を構えたり、見物も多い。歩道と車道の間にロープが張られているから横断歩道を渡れず待つだけの人も。それでも、誰も文句は言わない。
 武蔵陵入り口に着くと、オーケストラが知らない曲を生演奏していた。もう行き止まり。元来た道を引き返すしかないかと思っていたら、白バイそして黒バイに先導された、車、車、バス、車。陵墓にまでずいぶん同行者がいるんだなあ、と思っていたら、規制は解かれた。たちまち散る人の群れ。予想されたことではあるけれど、頭にも耳にもなんの歌句も聞こえてこないので、そのまま毎日のように寄るスーパーマーケットまで歩いた。
 昭和天皇死去のニュースを聞いた時は、すぐ歌ができたのに、毎回そううまくいくものでもないんだな、やっぱり。
 翌日の夕方、そのスーパーマーケットからの帰り、また交通規制がひかれていた。往きも白バイと警官の数はやっぱり尋常ではなかったから、これも予想できたこと。もっともその日はロープも少なく、警官が赤信号の前に立ち、車の列が通り過ぎたら、その連絡で青信号に変わる。
 「また陵まで行かれてるのよ」
 おばさんが数名、信号を待ちながら話していた。なるほど、首都とはこういうものか、と思った。

<附> この項、次回「あ・はるふ・まんすりー・こめんと 35」に続く。

 

 
  
ぶらぶら

 予想もしていなかった悲劇というものは往々起こりえることだし、覚悟していたが現実になることもあり、人生は辛いものだが、覚悟しながら幸いまだ起こっていないこともある。
 というのは、先日プータローしていた知人がまったく理由もなく警察に引っ張られたという噂を聞いて、そういえば俺はまだなんの被害も受けていないな、と思い至った次第。なにしろ、もう八年も自室に籠っているんだ。勤め人じゃないからあまり近所の評判は期待できないし、引っ越せば必ず警官は申し合わせたようにやってくるけど、それきりで今のところ別になんということもない。
 たんに運が良いのか(まさか)、日頃の行ないが善いのか(どこが)、不思議ではある。神仏など信じてはいないが、今度御礼詣りに行こう。さしあたって近くだから、武蔵野東陵がいいだろう。御詣りではなく、それは見物というべきなのかもしれないが。神でもないし。

 

 
  
詠まずにすますこと

 それにしても、歌を詠むのは難しい。
 詠み初めは、一首の歌を創りあげることが困難で、ちっともできない。
 「一首詠め」
と人に言われたら、「そんな簡単にいくか、バカヤロー」と叫びたくなる。それはボールを握りたての新米選手が、ぎこちない投球動作で暴投を繰り返しているのにも似ている。昔はそうしてつたないものをずいぶん詠んだ。
 ところが、慣れると信じられないほど易々とできる。幾らでも。手さえ動かせば良い。自分は天才じゃないかと勘違いしかねないほど。それが才能のせいだと思ったら失敗する。それはきちんと投球動作が身について、まともなボールが投げられるようになったにすぎない。いつでも三振が捕れると考えたら大間違いだ。
 むしろ、それから「詠まずにすます方法」を学んだ方が善い。その気になれば幾らでもできるのだから、無理に詠んではいけないと思う。肩(形)を壊す元だし、どうせ生きたボールは投げられない。
 逆に考えている人が多いのは知っている。求められるまま即興詩人のように歌を捻り出せること、それが優れた歌人の素養だと。たしかに練ればできるようになるのだ、ある程度の者なら。しかし僕には、それで駄目になってしまったのではないか、と思える人もいる。もちろん、駄目になっていない人もいる。しかし、全部拒否するのは困難でも、安請け合いは身を滅ぼす危険がたしかにある。
 歌は自分が創り出すのでなく、第三者(他人)の求めに答えるのでもなく、歌自身に任せるべきじゃないのかな。待っていれば、歌は向こうからやってくる。力を入れ過ぎず、自然に前へ押し出すに限るのさ。
 そうなったら、今度は歌にその身を乗っ取られないようにしなければならなくなって、いや、悩みは尽きることがない。悍馬と暴れ馬は紙一重、というやつだ。やれやれ。

 

 
  
連戦連敗・哀れ定家

 直接関係はないんだけど、思い出したことがひとつ。
 歌会という行事があって、これは一堂に会して出席者がひとつのテーマで和歌を詠み、時にはどの作が一番優れているかを競ったりもしたそうです。
 伝説によれば、西行法師は歌会において連戦連勝の猛者でしたが、ある時この西行の才を妬んだ者が歌会を主催し、なんとか勝ちを得たいと思案した結果、常日頃西行が会場の庭や裏山などで歌を詠むのに着目し、一室に閉じ込めて会を催したところ、見事勝利を納めたとか。おそらく、レベルの低いつまらない会でしたでしょう。秀歌でなくとも、たしかに勝ちは勝ちだけど、それで勝者の評価が上がったわけでもないでしょうに。今の大衆紙のノリなら〈西行不振〉とでも報じるところ。高校生だった僕はこれを読んで、ずいぶんあじけない思いをしました。もっとも、西行が歌会に参加した記録はあまり残っていないので、真否のほどは不明です。
 ついでに、もうひとつ。
 藤原定家はやはり西行と並ぶ和歌の名手ですが、こちらは残された歌会の記録を見る限り、ひどいものです。連戦連敗、勝率五割がやっと。生前「だるまうた」と評されたという伝説は本当だったんだなあ、と哀れを感じます。
 ちなみに、これまた伝説によれば、西行法師はそのときのことが原因なのか歌会に嫌気が差し、歌会の主催はしても参加はしないようになったとか。一方、定家卿は連戦連敗の恨みを愚痴りつつ参加を続け、こちらは歴史的事実。もっとも、宮廷歌人・定家卿の場合、歌会に出られなくなったら発表の場がない。全敗でも参加は当然だったでしょうねえ。
 哀れだ。

 

 
  近況

 病院通いが長引いて、毎日薬漬けです。
 大学非常勤のTさんが、
「すぐれた本は幾らも書かれてるのに、出版社はちっとも出さないから、最近ちっとも本屋に行かない。なのに、出版社員はその責任を棚上げにして〈出版不況だ〉とあちこち言いふらし、逆に本のイメージを熱心に下げているから、ますます売れない」
と零すから、「そうだ、そうだ」と怪気炎を上げて、却って体調を崩してしまった。心地よい不健康。
 だから、どうもこの夏はあまり遊べそうもありません。残念無念、って、あまり惜しい気もしないな。

 

 御意見、御感想がございましたら、お聞かせください。
 無断転載は禁じます。Copyright(C),Miyake Satoru,2000

Online Order

書店でなくても本は買える!
 

次回

前回

あ・はるふ・まんすりー・こめんと 一覧   三宅惺ホームページ