あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2000年8月8日

 
  アレルギー、まず甲殻類

 先月初旬から体調を崩し病院通い。診断はアレルギーだから薬を貰いに行くだけ。たぶん埃・塵が原因だろうということなので、まめに掃除をしている。まったく、やっかいな体質だ。子供の頃からこれは悩みの種だった。もっとも、母は綺麗好きなので毎日家中を磨きあげてるから塵・埃の心配はない。問題は食べ物だった。同様の人も多いと思う。
 僕が一番駄目なのは甲殻類。エビ、イカ、タコ等だ。だからそんなもの食べなければよいはずなのに、両親はなんとしても食べさせたがった。食べ物の好き嫌いはいけない、蕁麻疹が出てないから大丈夫、という理屈らしい。おかげで小海老などを食するたびに、ひどい頭痛と耳鳴りに悩まされた。自宅ではその状態を知らない振りですませていたけど、他人の前ではそうはいかない。人様の食卓に招かれ、こうした食材が上されると、
「あんた、こういうの嫌いやね。(招かれた先に)すみませんねえ、好き嫌いの多い子で」
 しかし幼児期もすぎると、さすがに僕も断固食べなくなる。たとえ、それしかおかずがなくとも(実際何度かあった)、インスタントラーメンなり菓子パンなりで耐える。すると母はさすがにもう好き嫌いを持ち出せず、でもしゃあしゃあと言う。
「おや、おまえこういうの嫌いだったかねえ」
 しかし、敵もさるもの。たとえば、夏休み、食べないなら飢え死にしてしまえとでも言わんばかりの旅行に連れ出される。もちろん食卓はあの聞き飽きたセリフ付き。「おや、おまえこういうの…」うんぬん。いつしか家族旅行は僕抜きで行なわれるようになった。
 一人暮らしを始めると、時には長期間病いに伏すこともある。親に連絡せねばならない用があり、電話をかけると、病いが知れ、「栄養を採るように」と荷物が届いた。海老殻のスープが二十袋。怒る気力も起こらず、見舞に来た友だちに全部ゆずった。
 海老殻のスープはこれまでに十数回届いている。一袋も口にしたことはないが、それについて抗議はもうしない。すればどうなるかはわかっている。「おや、おまえこういうの…」うんぬん。そして半年もすれば(すっかり忘れていた、を理由に)また同じスープが届くか、何も届かないかのどちらかなのだ。生まれてからずっと付き合ってきたのだから、経験が教えてくれる。
 その他さまざまな理由により、もう母の手料理は二度と食べたくないし、おそらく食べる機会もないだろう(ことを切に祈る)。
 さて、この文章のテーマは何だろう。少なくとも僕が言いたかったことは、病気には正しい理解が必要だ、ということ。たとえば、蕁麻疹が出ないアレルギーもある、とか。
 もっとも、うちの親の無理解は、例として挙げるにはちょっと極端すぎたかもしれないな。アレルギーに関わらず、こうした類のエピソードなら事欠かないから。

 

 
  へび

 北杜夫『青年茂吉』を偶然手に入れた。『図書』に連載された「茂吉あれこれ」の単行本化作品。雑誌連載中にも読んでいたので懐かしさにページを繰れば、もう十年以上前の作品と知る。それならひさしぶりに読み返してみようと思った。茂吉の娘に関するスキャンダルのところで呆然としたことなど想い出しながら。
 でも、「幽霊」「楡家の人びと」の小説家に「私は茂吉の子であるが、その文学的才能を百分の一も受け継いでいない」とか繰り返されると、へりくだりすぎで「よく言うよ」とまぜっかえしたくなる。再読後もその印象は変わらなかった。北杜夫氏には「さびしい王様」のまえがきのように、僕の本は世界の名作に匹敵する、なんて調子で堂々としてもらった方が、読んでいて楽しい。「父にはとてもかなわない」なんてつまらないよ。その謙譲の美徳が逆に評価を高めてしまったのかもしれないけど。
 茂吉ファンにはおいしいから。
 茂吉短歌について述べる体裁をとっているんだから、もっと歌の感想など書けばよかったのに、塚本邦雄「茂吉秀歌」の引用がやたらに続き、たしかそれでますます「茂吉秀歌」の名声が上がったような。連載の後半は、もう歌の批評より作に関連する記憶中心になっていた覚えがある。これは確かめる為にも改めて全巻読もうか。
 ところで、この本で著者は歌人に苦言を呈し、現在ルナールの蛇に関する短文を知っている歌人がどれほどいるか、と問うていて、初読の折「ではアマチュア小説家はどれほど知っているのか、プロとアマチュアにほとんど区別がなく〈歌人〉が今多すぎるのが問題なんだ」と苦虫を噛み潰したもの。もっとも、あとで作者は訂正しているけど。あれから十年、最近の新進小説家はみんな知っているのだろうか。どうなんだろう。
 関係ないけど、ルナールのこの言葉について安部公房がクソ真面目に論じているユニークなエッセイがあります。「ヘビについて」というタイトルで。読んでいない人には一読を勧めます。
 でも、そういえば蛇もアレルギーの人が多いよね。蕁麻疹まで出る人は少ないにしても、悲鳴くらいは出る。
 「僕は茂吉アレルギーです」などと言ってる短歌好きもいた。それじゃあ読まなきゃいい、と思った。

 

 
  千葉すず選手の記憶

 競泳の千葉すず選手がシドニー五輪代表に選ばれなかったことについて、あれこれ賑やかだったけど、スポーツ仲裁裁判所の判断が下って、これからは沈静化するんだろう。
 僕は千葉選手が通学していた学校のすぐそばに居たのだけど、一度もすれ違いもしなかった。ちなみに、司馬遼太郎の自宅もすぐそこだったけど、この作家もまったく見かけなかった。どちらも横を通り過ぎたら、絶対気付くと思う。
 その代わり、千葉さんの知人だと名のる奴は幾らもいた。でも、そういう奴に限って、司馬遼太郎も見かけたことがあると言うので、全員が本当の事を喋ってたとは限らない。千葉さんが時々現われると噂の喫茶店をのぞいたら、司馬遼太郎がカップを傾けていたとか、そういう話。その店の前は何度も通ったけどなあ。
 ユニークなのは、彼女と直接口を利いたという者がそろってまるで誰かの証言を口伝えしているようだったこと。それほど非現実的な印象を与えるタイプなのかもしれない。また、無愛想にも感じられるらしい。だから、結構僕は親しみを感じた。僕にもそういうところあるから。
 千葉さん、どうも大変でしたね。今後も同様かもしれませんが、がんばってください。

 

 
  続・斂葬の儀

 前回、斂葬の儀について記した文章に関して、知人から直接質問を受けました。それで説明不足と思われる点を補います。あれに手を入れるという方法もありますが、一度発表したものですしね。
 黒バイとは、文字どおり黒いオートバイで、白バイの後方を数台走っていました。懐かしの人造人間キカイダーのように(古い!)サイドカーをくっ付け、そこで警官が直立不動の敬礼姿勢をとっているわけです。どこからあの姿勢を保っていたのか知らないけど。
 バスとは一見、観光バスらしき乗り物で、位置は最後尾を占め、宮内庁らしき方が大挙宮司姿で乗り込んでいたのです。
 最大の謎であるオーケストラはどこかのアマチュア楽団のようにも見えました。あるいは、一人ひとりは優れたプロなのに、急な話で寄せ集めの即席楽団となったのかもしれません。
 一行が通過した時は降っていなかったのに、見物人が散ると突然の雨、あたふたと戻り、お茶にしました。なんか、もはや懐かしい話だな。

 

 
  近況

 体調はほぼ快復に近付いています。もう一押し、というところ。
 なぜか急に「ギンズバーグ詩集」を読みたくなって、買ってきた。よくわからない衝動。昔読んだのは旧版だった。
 時はあまりにも早く流れる。

 

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