あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2000年8月16日

 
  キャバレーじゃなくって

 なんか数年前から道歩いてると、チラシ渡されて、しきりにうちの店に来るようにと手を引かれる。これはいわゆるキャバレー方式というやつだと考えるのだけど、じつは僕はまだキャバレー従業員にはまともに声をかけられた試しがない。声を出している所に通りかかったことはあるけど。それで最近声を掛けてくる所だけど、これがギャラリー、画廊なのだ、いつも。
 いつからこの業界はこういう方式を採用し始めたのだろう。たいてい無視するけど、たまに覗いて、コーヒーでも飲んで、絵を眺めて帰る。もちろん財布を見せたことはない。(あたりまえだ)
 僕としては何一つ損はしてないんだけど、どうしてこの人達はこんなことをしてるのだろうと想像すると気味が悪い。
 先日も三人で歩いていたのに、僕一人だけ呼び込み二人がかりで勧誘された。この時はあんまりしつこいのでちょっと驚く。まったく心惹かれないでもなかったが、ほかの二人を措いて行くほどでもないし、足を止めず上目遣いに睨んだら退散してくれた。友だちは、
「連れてゆかれるのかと思った」
と笑った。腕抱えていかれそうな雰囲気だったものな。
 それとも、あのチラシは油断させる為の囮で、うかつに付いて行ったら身ぐるみ剥がされたのだろうか。だとしても不思議はないよな、あれじゃ。
 おかしな世の中。

 

 
  壮年・彷徨

 北杜夫「青年茂吉」に続き「壮年茂吉」読了。
 かつてこの本を手に「そうね、ン、もお、ケチ(壮年茂吉)」と、のたまいながらしなを作り、袋だたきにあった男を知ってます。
 同情の余地無しですが。
 ところで、伝記を読むとその主人公たる人物を騙し陥れる悪役が必ず現われることが子供の頃とても不思議でした。それも会社重役から時代を代表する芸術家まで枚挙にいとまなく、どうしてこの人達は死後こうして叩かれることがわかりきったことをするのだろうと。生きてるだけで精一杯なんだ、死後のことなんか構ってられるか、という精神が存在すると知る前の話です。でも、やっぱりそんな後ろ指さされる人生は嫌だねえ。
 ちなみに、近頃流行りの「どうして人を殺さないのか」という質問に対する答えは、僕の場合これが有力な理由のひとつです。現世のことだけ考えれば処刑なんて気にならないし、どう理屈をこねても犯罪を止める方法はないですよ。
 「ハムレット」の主人公や「罪と罰」のラスコーリニコフみたいに殺人で自分を滅ぼす人もいるけど、身を助ける人ってのも時と場合によっては間違いなくある訳です。戦場なんてのはその典型。だから絶対に論理の例外が存在するんだな。すると、重要なのは自分は殺しによって身を助けるのか滅ぼすのかを見定められるかどうかだけになってしまう。将来の選択肢として殺人や自殺を入れ、やると決めたら着々と実行にうつすでしょう。でも、僕には殺人より創作の方がはるかに苦しくもまた楽しいからね。それに真・善・美ってのは、やっぱり好い。なくても、良い。作ればよい。
 宗教が地獄とか死後の問題を持ち出すのは、たぶん持ち出さないと悪事を批難する論理は完結しないから。でも、神仏に今更助けを求めてもなあ。
 もっとも、たとえ死後を気に止めたとしても、悪事から簡単には逃れられないのが人間だ、なんてね。
 さあ、次は「茂吉彷徨」だ !

 

 
  読書家に憧れて

 少し想い出話がしたい。
 子供の頃、僕は読書が好きだったけど、自分が読書家だとはまるで思っていなかった。
 高校時代に本の話をした友だちは当時の新潮文庫や岩波文庫の主要作はほとんど読んでいる奴等、大学に入ったら回りは「ひと月に五十冊も本を読まない奴はバカだ」といった調子で、人付き合いの狭かった僕は「マスコミが子供が本を読まなくなったというのは大嘘だ」と信じていた。「回り」とは十人もいなかったから。
 それで僕も彼等に笑われないよう取り組むことにした。
 とりあえず、日本文学全集、世界文学全集、古典文学体系、現代短歌全集、図書館で手当りしだいに全部読んだ。かくして、忍耐力は付くし教養はできるしいつしか周囲の尊敬は受けるし、おかげですっかりバカになった。加えて、読書は嫌になるし、忍耐力まで付いたけど、そのうちとうとう何を読んでも、さっぱり頭に入らなくなって、それでも自分の間違いに気付かないのだから救われない。
 十年後。職に就いた僕は、一転して、紫式部が字を読めない振りをして宮仕えをしていたという故事に倣い、職場では、古典は「古事記」「源氏」ぐらい、近代は鴎外・漱石の全集程度の顔をすることにした。あの頃の自分が恥ずかしかったから。読みたい物を読む時間も、心の余裕も、どうせない。そして、ただ文芸誌を暇つぶしに開いていた。短い間だったけど。
 さらに年は過ぎて。今日も僕は三冊の本を読み終えた。べつに楽しくはないが、文字は抽象的記号ではなく息をしている。僕は自分が打ち込む言葉もまた呼吸してることを祈りつつ息吹を吹き込むのさ。
 想い出話って何故こんなにもあっさり湿っぽくなるんだろうね。

 

 
  返信

 「今月の作品」へこれまでにない反響メールが来てます。予想もしないほどで少しとまどったりして。
 もっといろいろ書くべきでしょうが、思い付きません。
 メールにはそれぞれ返信を送っています。今後ともよろしく。

 

 
  近況

 友だちが「都の風」なるお菓子をくれた。包装を開けてみると、五山送り火を象った焼き菓子。どこが都の風なのかと笑いながら、去年は奈良の「たれ大文字」(「あ・はるふ・まんすりー・こめんと 10」参照)を眺めていたんだなあ、と感慨に耽る。
 奈良にいた頃は誰にも会わず、まるで蟄居生活でしたが、こちらに越してからたびたび訪ねて来る人もいて、賑やかになってきました。あまり愛想のない人間ですが、初対面の皆様、御勘弁ください。
 体も少しずつ復調してきて、と言っても、どうせ盆だから、昼間も寝転んで甲子園大会など観戦してます。このままオリンピックまでこの調子では、あまりにも優雅すぎる。そろそろ本復といきたいものです。
 風はもう秋ですね。

 

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