あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2000年8月25日

 
  旬刊

 先月から「あ・はるふ・まんすりー・こめんと」は月三度の更新になっています。
 でも、べつにはっきりそうしようと決めた訳ではないんです。なんとなくです。タイトルを変えるのもなんだし。
 でも、そのぶん肝心の執筆が滞っているような気が…。やっぱり来月から元のペースに戻すか。

 

 
  中田英寿

「失礼だけれど、三宅さんの本はね」
と男はいきなり切り出した。お気に入りの蕎麦屋で割り箸を割った途端。
「三宅さんの作品が優れているのはね、本を読み慣れた人なら解ると思う。もっとも、最近出来の悪い編集者が増えたから、解らん奴も多いだろう。でも、しろうとには理解できるはずもないんですよ」
 そう言うと、男はほっとしたように一旦黙った。ちなみに、彼は読書家だが、出版関係者ではない。おいおい、失礼なのは、まず第一にそんな話をこの場で突然始めることであり、第二にその話の平凡さであろう、と考えていたら、男はいきなり独創的な表現を加えた。
「三宅さんは中田英寿じゃないんです」
「ナカタ? 中田ってサッカーのかい?」
「そうです」
 ふむ。中田か。その才能と実力でサッカー界の常識を打ち破ってゆく男。僕は急に機嫌を直して蕎麦を食った。もちろん、そいつに驕らせた。
 彼が言わんとした内容は不明だが、その日はJリーグの試合を心地よく観戦。
 はっきりいってバカですね。誰が? もちろん、俺だよ。

 

 
  
甲子園

 かくして、(何が?)、今年も御盆はずっと高校野球を見ていたのです。僕はあのPL-高知商の最終回大逆転も、松山商-熊本工のバックホームも、生中継で目撃してるのだから、よっぽど夏は野球ばかり見てることになるかな。これは毎年夏風邪で甲子園見るより他なかった幼少期の影響でしょうねえ。
 さて。今年は智弁和歌山が順当勝ちしました。奇蹟が起こらなくて好かった。あの武内や山野といった選手が将来どうなっていくのやら、と想像するのも楽しみのひとつ。
 奇蹟を目の当たりにできるのも甲子園の魅力なんですが、そうたびたびあっても困りますよね。でも、奇蹟があると知っておくのも悪いことじゃないですよ。

 

 
  ナカタじゃなくって

 さて。
 僕が<中田英寿>じゃないのは当然だけど、では何なのか。そんなの当人だって知ったことじゃないのに、しばしば他人は勝手なことを言う。
 たとえば、綽名(ニックネーム)なんて最たる物。無意識のうちに他人の批評が凝縮してる。
 ちなみに僕の場合、二十代以後もっとも気に入らなかったのは「テンサイクン」。本気で天才扱いしていたらまず使わないだろう。バカにしている。差別語に指定してやりたい。もっとも、僕は差別語指定制には反対だけど。
 もうひとつあきらかな蔑称に「ウタヨミサン」がある。これもあちこちで言われたけど、あまり不愉快ではなかった。たしかにその通りだから。今ならそれ以外何者でもない、とさえ言える。
 一番親しみを込めて使われてたのは「セイ」で、名前を音読みにしただけ。でも、最近は誰も使わないな。それにこれじゃ何者でも一向関係ないね。
 とりあえず「カジンサン(歌人さん)」とは滅多に呼ばれない。何故か「シジンサン(詩人さん)」が多い。

 

 
  生息吐息

 僕等の口語派短歌を一過性の現象ととらえる雰囲気は今もある。
 たしかに主流は圧倒的に全文語派で、俵万智氏のように大幅に口語を取り入れた文語派がわずかにいる程度。口語派など生息吐息と考えるのは世間的には正しい。口語短歌は初心者の入り口であり、学習、多作するうちに文語に移るという過程は、実際的にも根強い。
 でも、僕等がなんとか思い付けた技法やら文体やらを知らず知らずなのか使っている人は案外多い。まったく使われていないのもあるようだけど、たぶん知らないだけだろう。
 そう悲観する必要はないんじゃないかな。
 全口語の短歌をよむ人がもっと増えてくれれば嬉しい。あんまり真似されるのは癪だけど、盗作でない程度なら。
 まあ、口語文しか読まない人も困り者だけど。

 

 
  朗詠

 先日、途中からだけど、福島泰樹氏の絶叫コンサートをテレビで観ながら、ぼんやり朗読について考えてました。
 殊、歌人に限っても、これまでずいぶん多くの朗詠を聴いてきたけど、難しい。あまり好いとは思えなかったりする。
 与謝野晶子のテープを聞いた時は、晩年の老いた声にがっかり。「やっぱり晶子は若々しく『みだれ髪』『恋衣』を読んでもらわないと」と感じるのは、ありふれてるにしても、やっぱり今一つなものは今一つ。
 斎藤茂吉は「(録音なんて)やるんじゃなかった」と自分で日記に書くほど。たしかに上手くなかった。
 寺山修司は第三者が記した人物像(もしくは三上寛やタモリの物真似)に添えば予想通りだろうけど、本人のハードボイルドな創作イメージからは程遠い。訥々として、津軽弁まる出しで。
 逆に、釋迢空は鬼気せまる声音が、あまりに想像そのままで、ぞっとするというか、親しみがわくというか。
 たった一人、葛原妙子だけは「そう、そう、こうでなくちゃ」と苦笑い。なにがおかしい。まあ、昭和の巫女だから。
 朗読は歌人に適しているというのが定説。でも、僕にはどちらかというと詩人の朗読の方がおもしろい。
 近代詩歌で自作朗読の名手は、詩では中原中也、短歌では若山牧水が知られているけど、これは耳にするすべがない。誰も後世に録音を残そうとしなかったから。うまくいかないものだ。中也の<ゆあーんゆよーん>や牧水の<いくやまかわあ>を聞いたら、どんな感じがするのだろう。
 ちなみに僕も何度も自作朗読を試みているのですが、そのたびに、
 「おまえの歌は活字で読むのが一番良い」
と言われております。「現代にふさわしい非古典的作品」なのだそうですよ。
 一体どう読めば良いんでしょうねえ。

 附記 ちなみに、僕は文人の朗読テープを幾つか持ってますが、宣伝する訳じゃないけど、歌人なら「現代歌人朗読集成」というやつが一番便利ですよ。(たぶん今でも手に入ると思う)

 

 
  
<鴨島>で思い出したこと

 「茂吉彷徨」読了。このあたりは雑誌手にしてないから初読。しかし各巻毎回記してるけど他に読んでいる本だって書きたいことはあるんだが。たとえば今週なら栗本薫氏第一歌集「花陽炎 春の巻」とか。次回にしようか。
 まあ、それはともかく。
 あの茂吉が「鴨山考」で柿本人麿没地とした島根県鴨山近辺が、平成以後もこんなに活動しているとは知りませんでした。積極的に人麿所縁の地をアピールしているらしい。僕はこの「鴨山考」を徹底的に批判した梅原猛氏の著書の数々を十代半ば次々読み飛ばしていた前歴があるので、茂吉の人麿論文は最初から偏見の目で読んだところがあるから、あまり佳い印象は持ちようがなかったですね。
 でも、少なくとも茂吉所縁の地であるのは間違いないのだから、それで充分な気もしますが。

 

 
  近況

 どうも体調がおもわしくないので、あまり魂を詰めた仕事はできず、それでもぽつりぽつりやってます。
 "Born to run"のロックンローラー、スプリングスティーンだって十数年目で休息したぜ、と呟きながら。
 残暑はまだ続きそうです。

 

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