あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2000年11月2日

 
  HODO

 コンビニエンス・ストアやジャンクフード・ショップでの悪名高き売り子のマニュアル言葉は、どれほど一部消費者の顰蹙を買おうとも一向改まる気配がない。
 まあ、僕は言葉は変化する物だから「変なの」と思うだけで、目くじらを立てたりはしないけど、たとえば、370円きっかり払っているのに、
 「370円ほど戴きます」
 その「ほど」ってのはなんなのだと心中クスクス笑っていたが、今日やっぱり同様に金を出すと、いわく、
 「ちょうどほどいただきます」
 ! 一瞬唖然としてしまった。さすがに笑えなかったね。
 それもマニュアル通りなのか、マニュアルが正しいと云う前提に基づいたヴァリエーションなのか。
 どちらにせよ、やっぱり「変なの」。

 

 
  クリエイターの報酬は

 カポーティーと若山牧水研究書を偶然同じ日に読み、ため息をついた。
 違う時代と場所にいるとはいえ、その経済状態の差を悲しまざるをえない。
 カポーティーはその作品よりきらびやかな生涯の方が有名になってるような気もしないではないけど、この人ほんとに小説書いてないね。「ティファニーで朝食を」と「冷血」には八年も間隔があいてるんだ。合衆国ではロックミュージシャンなんか<五年ぶりの新作>なんて平然と言ってる。うらやましい。一作で得られる収入の規模が桁違いなんだな。
 牧水には住む家もなく、知人の宅に寝泊まりしていた。貧乏のどん底だった。なのに質の高い歌集を毎年出版している。同じ歌人のはしくれとして頭が下がるよ。騙されたも同然の帰郷後もなんとか佳い歌を詠み続けたものの、すっかり駄目にされて、再上京以後の歌は悲惨で、それでも毎年歌集を出し続けた。読んでて哀しい、とても。
 現在の日本はというと、東欧の小国なんぞよりははるかに恵まれてるんだろうけど。
 インターネットのおかげで活動の場は広がったものの、あまりに簡略になりすぎて、クリエイターの報酬がまた保証されない暗黒時代に戻るのでは、との不安も絶えない。文化を支えるなんて発想のほとんどない企業が大半の日本でそんなことになったらと想像するのも恐ろしい。全部外国に売却されればあるいは安心かもしれない、なんてね。なさけない。

 

 
  1917年の石川啄木

 二ヶ月程前、歌人・藤原龍一郎氏のホームページに書き込みに行き、丁寧な返事を戴いたその折、藤原氏は「啄木に関して、私は時々思うのが、もし、彼が1917年のロシア革命まで生きていたら、いったいどんな作品(短歌に限らず)をつくっただろうか?あるいは、どんな行動をおこしただろうか?」と呟くように記されたのだけど、僕にはあまり興味のないテーマだったので、黙殺してしまった。失礼な奴だ。
 たまたまふとそれを思い出し、「では、何故興味がなかったのか」と考え込んでしまった。今更藤原氏に伝えに行くのも時期外れなので、こちらに読みに来られてることを期待して、書いておこう。
 まず第一に、僕は歴史に「もし」は危険と思う。起こってしまった事は既に取り返しがつかないのだし、むやみに「ああならずこうなれば」と考えるのは避けるのが賢明と思う。もっとも賢明になれず「あの時ああせずこうすれば」と悔やみ続けるのが人間なのだと言ってしまえばそれまでだけど。
 それを承知で、敢えてちょっと考えてみる。
 そもそも石川啄木が1917年まで生きるにはどうすれば良かったか。それには1912年での死に直接つながった因子を除かなくてはいけない。啄木は結核で早世したが、彼の暮らしぶりは、医者に言わせれば、こんな生活をしていたらいずれ病気になるのも当然、という状態だった。これを改める必要がある。
 それには、浪費を抑え、収入を増やし、経済感覚を身に付けること。そして栄養を取り、時には休養し、英気を養うこと。結核患者である母と姉を身辺から遠ざけ、衛生管理を整えること等々。
 思うに、どれかひとつを実行したとしても現在伝わる啄木秀歌・詩・評論の傑作群は産まれなかったのではなかろうか。貧乏や病気や家族の不和や熱心な勉学こそ啄木作品の重要な要素だから。やはり、あの代表作にはあの性格と生活環境が必要不可欠に思える。そして、生き延びるにはそれを改めるほかない。
 だから、問題は以下のふたつ。
 (1)人間の性格は生き延びる為に突然そこまで変われるものだろうか。
 (2)そこまで性格が改まれば思想もそれまでとは一変するのではないか。
 人間とは変わり易いものだから、あのまま死んでいった啄木の存在の方がむしろ稀有で、医学知識を与える人、たとえば斎藤茂吉などともっと交流していたら、案外長生きしたかもしれないな。
 ただし、その場合あの才能が長らえたかは、かなり疑問。
 もともと啄木は文学に目覚めるまでは軍人志望だったのだから、昭和まで生存したらちゃっかり軍国主義に染まっていたかもしれない。
 でも、その前に、問題のロシア革命を知ったら、熱狂して政治活動に奔り警察に殺されたか、転向し凡庸な愛国主義者となったか、永井荷風のように世をすねてしまったか。いや、もう性格が変わっていたらという仮定での話だから、思想も改め、たいして気にも止めず平凡な新聞社員に徹していたかもしれません。帝国陸軍のシベリア出兵記事を校正しながら、歯がみしていたか、無感動なぼやけた目を向けていたかは、ともかく。
 結局、啄木が天才として最期まで生き死んだとすれば、早逝しかないようですね。おもしろくない結論だなあ。でも、そういうことです。そして、かつて天才だった人が天才でなくなったらどうなるか、というのは、もっと関心のわかないテーマなのです。だって実例は転がってるのですから、今でも。
 それは僕には目を背けたくなるような光景なのです。背けても、どうせ目に入るとしても。

 

 
  PURPLE HAZE

 SONYのVAIOのTVコマーシャルに使われてる曲、好いですねえ。10CC。きれいで、心地良い。
 また。
 Macのコマーシャルで「紫の煙」を聴いて、急にジミ・ヘンドリクスのCDが欲しい!と突然感じた。なんでこんな古臭いのを、と自分でも思うんだけど。
 どちらも古いんだよ。コンピューター関係者ってこういう趣味なのか?
 好い趣味じゃないか。

 

 
  ビートルズ 1

 ビートルズのベスト版『ビートルズ 1』が発売された。赤盤青盤四枚組で充分じゃないか、と思っていたけど、そろそろ一枚によるヒット曲集の需要ができてきたんだろう。英米一位獲得曲が中心と言う。
 こういう物はどんな選曲しようと文句が来るに違いない。
 しかし、それでも言いたい。
 どうしてビートルズ初のNo.1ヒット「プリーズ・プリーズ・ミー」ではなく「ラヴ・ミー・ドゥ」が入るのか。調べると、「ラヴ・ミー・ドゥ」は英国メロディー・メイカー誌では十七位止まり、米国ビルボード誌では一週だけ一位に達している。一方、イギリス二週連続一位の「プリーズ・プリーズ・ミー」はアメリカでは最高三位、ちなみにその時の一位と二位は「だきしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」でビートルズによる上位独占だった。あの有名なベスト5独占の折は五位。「ラヴ・ミー・ドゥ」の一位はその約二ヶ月後、十位内にビートルズ曲は他に無かった。納得いかない。
 「ストロヴェリー・フィールズ・フォーエヴァー」「アクロス・ザ・ユニヴァース」等、一位にならなかった曲をいちいち挙げてたら切りがないのはわかっている。
 しかし、『ラヴァー・ソウル』『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』から一曲も採らず、シングル曲ばかりで良いのか。
 さらにいえば、英米共に一位を逃した「レディ・マドンナ」などは、日本で大ヒットした「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」に東芝EMIは入れ替えてしまっても善いじゃないか。
 マライア・キャリーが一位獲得曲ばかりのアルバムを出したからって真似しなくても良いだろう。
 はっきりしているのは、マライアと違い、これではビートルズの偉大さがちっとも伝わらない企画である、と云うことだ。
 廃盤は時間の問題か。『Live at the BBC』のように。それなら貴重なCDになるかも。あるいは、それが狙いか?

〈追記〉
先日『Live at the BBC』は突然再発されました。はあ…。

 

 
  近況

 寒くなってきました。ついこの間まで真夏のような気象だったので、なおさらこたえます。なんだか冬が来るまでに引っ越したくなるほど。
 ああ、また「ほど」だ。(かくして最初に戻る)

 
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