てふてふひらひら
今年引っ越してから、東京はどうですか、と幾度も尋ねられた。 西多摩地方居住者の身で東京を語るのは、都内二十三区民の怒り、もしくは嘲笑をかうことは、容易に想像できるので、そのたびに言葉を濁している。でも、たとえば月など眺めると、種田山頭火の
ほつと月がある東京に来てゐる
を想い出す。この辺りの高層建築でも山頭火の時代ならかなりのものだろうけど、現代のぼくの感覚では、
ビルからビルへ東京は私はうごく
を想うには、新宿くらいにならないと駄目。
てふてふひらひらいらかをこえた
奈良に住んでた頃は、この句がしばしば浮かんだ。山頭火がこの句を作ったのは本当は山口県なのだけど。山口県では、おそらく口ずさまないだろう。 山頭火はのびやかだ。
どうしやうもないわたしが歩いてゐる
普通「どうしやうもないわたし」ときたら、ふさぎこんだ姿しか浮かばないのに、あっさり「歩いてゐる」で、ちっとも落ち込んでない。ふてぶてしくさえある。 句集はいくらもあるけど、全句集を見かけないまま、まだ購入していない。 こういうのが多いから蔵書が増えないんだな。
|