あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2001年2月19日

 
  子供の詩文を好まない理由

 子供の詩の選考や、作文の添削をしないかと誘われたことがある。
 僕は一度給料を貰う生活をして、馴染めず、すぐ辞めたほかは、これまで文筆以外に収入があった経験がほとんどないし、採用の話もまったくないのだけど、唯一の例外がこれ。ただしその時は「興味がない」とあっさり断わってしまった。
 実際は、興味がないどころか、子供の詩や作文には嫌悪すら感じている。しかし、そう声を掛けていただいた方は、おそらく多かれ少なかれ興味も関心もある人だったのだろう。もちろんそうした事情について語りはしなかったから、今でもちょっと気にかかっていたりする。
 僕も子供の頃ずいぶん国語の授業で書かされた。
 詩でもっとも印象深いのは、たぶん小学校四年から卒業まで毎朝始業前に造ったこと。六年にはもうやめていたかもしれないけど、記憶がこのへんは曖昧だ。担任が優秀作を選びその日のうちに朗読。後日、さらにその中から何編かをガリ版印刷し級友全員に配っていた。僕の作品が載ったのは、二度。ただし、二度目が悪かった。教師はそのガリ版紙の中で、後にも先にもこの時一度だけ、僕の作品を例に添削をし、その前と後を比較して上手な詩の書き方を指導したのだ。掲載されたと云う喜びはまったく味わえず、それ以後僕はこの課題にまったくやる気をなくしてしまった。この教師は授業に自分の政治的信条を躊躇なく持ち込む人だったから僕の父母には大変評判が悪く、また教師自身にとってどうやら僕は虫の好かない生徒だったようで、ひどい記憶は数限りがない。添削というと今でも僕はこの日の事を想い出す。
 そして、僕は作文も苦手だった。自由課題ならいつも白紙提出、書けても四百字詰原稿用紙一枚か二枚。小学校卒業まで、嫌いな科目はと尋ねられたら、作文と即答していた。俯きがちに名前のほか何も書いていない原稿を教壇に渡しに行く気まずさ。嫌だった。
 文章を子供に書かせる教育に反対しているのでは、まったくない。ようするに、僕にはそれは恥ずかしい想い出なのだ。
 しかし、それとは別に、僕は詩歌句や作文を子供に書かせるのが教育上有益だとは、あまり考えない。論述文は思考能力を身に付ける効果がありそう。日記は教師に生徒の人柄を理解しやすくするということもありうる。でも、詩って何? 情操教育だろうか。まして課題無しの作文なんて。
 詩歌句教育なら古今東西の名作を暗唱させるのが一番善い。ただ書いたって、思春期前じゃ何も役に立たない。
 なにより、執筆に親しむことは、ディレッタントを増やすばかりではなく、一般人とは外れた者を大量に産む。そして、現代の詩歌句は惹き付けておいて、最後に突き放してくる。ほとんどの者がその後、途方に暮れるだろう。それが正しいこととは思えなかった。今なら、そんなこと僕が判断できることじゃない、思い上がるな、と自分に言いたいところだが。
 その時は真剣に心中そう思いながら、あの誘いを蹴った。
 けど、本音を言えば、そればかりが理由じゃなかった。
 あの当時、僕の単行本の反響は、まったく期待外れ、ほとんど評価の声もなし。それでもわずかな賛辞を耳にすれば、鋭い感受性だの、素朴な表現だの、失われた精神性だの、無論落ち着いて聞けば立派な褒め言葉に違いないが、すっかり僻みっぽくなっていた当時の僕にはそれも「ようするに子供っぽいってことかい」というふうにしか受け取れなかった。そこへああいう誘いがいくつか来た訳だ。
 それはその自著の話の後にされるのが常で、それを聞いて、僕は自作を馬鹿にされたかのように腹を立てた。だから、あまり丁重な断わりではなかったかもしれない。
 当然今誘われたって応じないには決まっている。それでも、ともかくあれらも他人から差し出されたひとつの好意には違いないし、それをあっさり袖にした自分ついて全然弁解するつもりはないが、ひとつの礼儀として書いておきたかった。多謝。

 

 
  クマのプーさん

 しかし。 僕は子供の為の作品を味わうのは好きだ。絵本、童話、童謡、漫画、等々。
 現在、病み上がりの上、(僕にとっては)難しい本を読むのにも疲れたので、友人が読んでいたA.A.ミルン「クマのプーさん」を借りて来た。
 そういやこの友人は三年前絵本の翻訳をするから手伝ってくれと頼むから、監修者もしくは共訳者の形でならと了承したのに、それはいまだ箪笥の上に積み上げられた本の一番下で泣いている。たぶんまだ取り掛かってないな。併せて借りた翻訳者数名のエッセイや対談集から察するに、この職種に従事している人達は皆似たような傾向があるらしい。期待しないでおこう。
 ところで。
 僕は最近自分がどれほどアニメーションの影響下に幼年時代を過ごしてきたかを思うことがしばしばある。
 たとえば、借りてきた「クマのプーさん」はE.H.シェパードの挿し絵なのだけど、僕は昔ディズニー絵本で読んだ。すると、シェパードの絵がどれほど原作に合っているかをつくづく感じつつ、なんだかあの「プーさん」と別物を見ている気がしてしかたない。「バンビ」も「ダンボ」も「白雪姫」も、まずあのディズニー絵本が頭に浮かんでしまう。映画を観ていたら、もっと強烈だったかもしれない。
 「アルプスの少女ハイジ」も「ムーミン」もたちまちカルピスお子様劇場の世界になってしまう。こういう体験ばかりだったら、僕はもっぱら映像の世界にはまり込んで言語の世界には寄りもしなかったかもしれない。
 幸いというか、アニメの「フランダースの犬」を観た時、僕はがっかりしてしまった。主人公ネロ少年の死後まで描いた原作の方が、亡くなって終わりのアニメよりずっと優れていると子供心に感じたもの。「ハイジ」も先に本を読んでいたけど、そういう不満はまったく感じなかったから、あれは名作だったんだろう。ただ、もうかなりこまっしゃくれた歳になっていたから、「あまいなあ」と半分醒めながら鑑賞していた。今観たらもっと強くそう思うだろう。嫌な奴。
 さて、話をまた「プーさん」に戻すけど、ぬいぐるみとして今でも人気のプーさん。しかし、ディズニー絵本では本物の熊として描かれていなかったっけ。今回ミルンの原作を読むと、あくまで熊のぬいぐるみを前提に話は成立している。子供だから読み落としたのか、記憶が間違っているのか、絵本はそこにあまりふれていなかったのか、気になるところ。ただ問題の本は今でもどこかにあるのだろうか。出版社も覚えてないのだが…。

 

 
  近況

 今月はいろいろ病気に罹りました。前回更新後、先日と別の理由で再び寝込んでしまったのです。
 今は落ち着いてます。けれど、この先はどうなるか…。「プーさん」に出てくる馬のイーヨーみたいな気分です。
 仕事もしてない。
 元気な時はプーさんみたいに、
 「歌は、ときどき、向こうからぼくのほうへやってくるんだよ」
なんて言ってるのですが。

 

 御意見、御感想がございましたら、お聞かせください。
 無断転載は禁じます。Copyright(C),Miyake Satoru,2001

Online Order

書店でなくても本は買える!
 

次回

前回

あ・はるふ・まんすりー・こめんと 一覧   三宅惺ホームページ