あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2001年3月14日

 
  ボブ・ディラン来日公演2001最終日

 日本武道館までボブ・ディランを観に往きました。ディランは二十世紀を代表するミュージシャンにして吟遊詩人で、もはやアメリカが世界に誇る、生きた重要文化財か、人間国宝みたいな方ですが、日本では欧米に比べあまり評価が高くない。それでも、会場は満員でした。この国にもディラン・ツァーと一緒に全国を回る強者がいるそうですしね。
 「おれはおれなりにベストを尽くしてるのに/誰もがおまえにみんなと同じようやれと言う」「生きるのに忙しくない奴は/死ぬのに忙しい」「人は何回顔をそむけ見えないふりをしていられるのか」そんな痛烈な詞を描いたディラン。あまいラヴ・ソングをせつせつと唄ったディラン。それを観たい。
 ノーベル文学賞候補にも推されているそうですが、早く取ってほしい。そして授賞式では反骨たくましく「せみの鳴く日」でも唄ってくれれば申し分ないのですが、おとなしく「風に吹かれて」でもやるんだろうな。その日サブカルチャーが嫌いな文化人達は眉を顰めるでしょうけど、ジョン・レノンもヴィソーツキイも亡き今ここらでポピュラー界から一人くらい受賞しても、後続はしばらくないでしょう。ラップ世代がそういう年齢になるのはまだ先。そこまでグレートになりそうなのはエミネムくらいか、いや、未来のことなど誰にもわかりはしません。もっとも、それをきっかけに映画やらテレビやら漫画までが賞を要求し始めるとややこしいことになりそうですけどね。
 実は僕がディランを聴くようになってから、まだ十年も経っていない。それ以前も、バンドエイドにおける一連の活動や、日本で雑誌『フォーカス』を捲っている新曲のビデオクリップやらを観てるし、ロック関連の単行書でデビュー以来の活動のあらましは知っていたのですが、全然興味が沸かなかった。それが某日CD店で初めて大音量の「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聞かされただけで突然ファンになってしまうのだから、出会いなんて不思議なものです。今では、俺は日本版未収録の「ウディに捧げる唄」が入った『デビュー30周年記念コンサート』のCDを持ってるぞと、人に自慢するほどになってしまった。そんなの一般人は関心ないし、熱狂的ファンは皆持っているのですが。
 ところで最近はインターネットのおかげで演奏曲目を、ディランのように公演ごとに替えるアーティストでも、すぐに調べられるようになりました。たとえば名古屋では「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」、大宮では「女の如く」、仙台では「嵐からの隠れ場所」を弾いてるじゃないか、聴けた客、羨ましい奴等め、とか、居ながらにしてすぐ知れる。武道館が「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー(今すべては終わった)」だったのは、今日が日本での最終日だったからでしょうか。しかも、何処其処ではヴォーカルの調子良くなかったとか、感想までたちまち情報が走る。情報化社会は恐い。また、ディランのようにしばしばオリジナルレコーディングとアレンジ、時にはメロディまで、がらりと変えて唄うアーティストだと、詞をきっちり聞き取らないと、どの曲かわからないことがあります。実際僕は「トライン・トゥ・ゲット・トゥ・ヘヴン」と「ママ・ユー・ビーン・オン・マイ・マインド」の出だしで「これなんだっけ」と首を傾げました。サビにくれば気付きますけど。その意味でもこういうサービスができてきたのはありがたいですね。昔それほどくわしくないアーティストの公演へ行き、ほとんど知らない曲ばかり聞かされて帰りましたが、あの頃もこういうシステムがあればなあ、と悔やまれます。今回のも近日中には載るんじゃないかな。
 さて、当日は「ミスター・タンブリンマン」「雨の日の女」「天国の扉」で異様な盛り上がりを見せましたが、中でも本来二番までしかないのにライヴでは三番まで唄われる「天国の扉」は、サビを合唱する客に気を良くしてか、三番をリピートして四番までいきました。にくいサービスではないですか。ただし、他の曲は逆に短かった。「ライク・ア・ローリング・ストーン」も三番までだったし、「メンフィス・ブルーズ・アゲイン」では長々とギタープレイが続く。ハーモニカならともかく、ギターには期待してないのに。英米と違い、言葉のおもしろさに反応しない日本人が聴衆ではしかたないか。それでも、「コールド・アイアンズ・バウンド」等は圧巻でしたが。けど、こういうこと書くと、某所での方が優れていたなんて書き込みが来るんだろうな。
 もっとも、これが1966年のヨーロッパ・ツアーでロックを理解しない観客から罵声やバナナの皮を浴びながらも自分が信じる音楽をたたきつけていたディランなのか、もしそこにアートがあったとすれば、ここにあるのは優れたパフォーマンスだけじゃないか、という疑問は最後まで離れませんでしたが。けど今のディランに他の何を要求するのか、それは無い物ねだり、もう一度そんな混乱に満ちたコンサートができるわけはない、誰にも。
 いや、新曲を聴く限り、ディランはまだ世界に対し批判的な距離を保っているはずです。ポップミュージックが垂れ流す、偽りの永遠に任すことからディランほど懸命に身をかわしてきたシンガーはいません。それがどれほど困難であり、ディランも所詮人間だとしても。それにディランにさえそういう心地よさを求めてしまう客席にも問題はあるのでしょうね。
 客層の年齢は幅広かった。中学生から還暦近くまで満遍なく。アリーナ席最前列では女の子が踊っているし、後ろではお爺さんが手拍子打って。独りしらけきった表情でステージを睨む顔もちらほら。こういうコンサートってあまりないだろうね、最近。特に日本人アーティストで誰かいるだろうか。でも、自毛白髪のおばあさんと茶パツの女の子では耳の感覚が違うのは当然だから、同じ音を聞いていたと断じられるかは疑問だな。僕等にとって、ディランは古典に限り無く近いリアルタイムですからね。
 まあ、とりあえず、死ぬまでに(僕が? ディランが?)せめて一度でも良いから体験したいと念願しながら、主に経済的事情で叶わなかったコンサートに行けて、僕は満足です。でも機会があればまたと考えてしまう、貪欲な心。ああ。

 

 
  売れたら困るの?

 それにしても、ポピュラーな詞に対し、詩歌句は売れないことになっています。同じ言葉でも天地のように違う。
 実際、ある程度の収入を得ている人は例外的存在だし、もっと売れても良いんじゃないかなという方もいらっしゃいますが、あんなの売れない方が世のため人のためじゃないかと感じる物も少なからず出回っているから、どっちもどっちです。
 ただ、滅多にないことなんですが、詩歌句関係者と話したりすると「詩集など売れて欲しくない」「歌句はあまり大きな存在になってもらっては困る」という口振りを示す人達がいるんで、僕はとても不思議なのです。
 もちろん僕は、明日の食費の、来月の部屋賃の心配を減らす為にも、もっと売れて欲しいですね。

 

 
  トトって

 「totoが始まったね」
 そう話し掛けたら、不得要領な顔をされたので、ひょっとして知らないのか、と重ねて尋ねると、しぶしぶ頷くので、サッカー籤のことだと教えたら、
 「トトカルチョのこと?」
 そう、その通りだよ。トイレ設備会社にもTOTOってあったけど。ロックバンドにもあったな。
 しかし、<トト>が定着してしまったら、<トトカルチョ>も日本語としては死語化してしまうのかもね。

 

  懸賞付きクイズ PART2

 先日某サイトでバカバカしい盛り上がりをしてしまったのは、ひとつのクイズがきっかけ。あまりのくだらなさを気に入ってしまったので、これをひさかたぶりの懸賞付きクイズとします。

 次の1〜4にはそれぞれアイテムが三つずつあげられています。1〜4はお互い関係がないようですが、ある一つの共通の基準を設定することにより、それぞれから一つもしくは二つの関連あるアイテムを選べます。選ばれるアイテムがゼロもしくは三つすべてということはありえません。
 (一)その共通の基準とは何で、(二)選ばれるアイテムが一つだけなのは何番でしょう?

 1.金、銀、銅
 2.アルミニウム、ステンレス、ジュラルミン
 3.プラスティック、ビニール、ナイロン
 4.エメラルド、サファイア、オパール

 先着順で最初の正解者一人に三宅惺サイン入り著書をプレゼント。ただし、(一)「共通の基準」のみの正解者しか現われないかもしれないので、次回の本欄更新時までに両方の正解者がいなければ、(二)「選ばれるアイテム」が間違っていても(一)が合っていた最初の応募者を正解者とします。
 ちなみに僕は解くと途端に脱力してしまいました。解る人には一目で解るんでしょうね。そういう人にこそぜひ著書を差し上げたい。
 ヒントは、このホームページの中にあります。

 

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