あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2001年5月29日

 
  銃弾さん、ありがとう?

 どこぞの高校の裏庭で集団リンチにあった生徒が死んだそうだ。バックドロップで頭から何度も叩き落とされたのだという。
 またある中学では体育館で簀巻きにされた生徒が発見された。
 カルト教団が連続殺人をやっていた。バスジャックやハイジャックで死者が出た。路上で通り魔による無差別殺人があった。校門に子供の生首が飾られたこともある。犯人はいずれも青少年だ。
 今日また鉄道に飛び込んだ人がいて、列車が遅れた。鉄道を止めた人は、望み通り即死だそうだ。
 いろいろバラエティにとんでいる。でも、全部似たようなものだとも言えそうだ。
 どの事件も僕には直接関係がない。しかし、そうした報道を聞いていると、ふとどうして僕はこうして殺されもせず、(誰かを、あるいは自分を)殺しもせず生きていられるのだろう、と不思議になることがある。
 もちろん自分の人生を検証していけば、あの時ああしたからこうしていられるんだな、だからこうして無事息災でいられるんだな、という転機はちゃんとある。手を出しそうになって慌てて引っ込めた瞬間。すんでのところで声を掛けてもらった時。けど、それらがどうして行なわれたのか、どうして別の行動をとらなかったのかと考えると、ほとんど幸運に近い。そればかりではないにしても、僕等がこうしているのは、偶然傍を通り過ぎたドライバーがただハンドルを切り損なわなかっただけなのではないのだろうか。
 実際、ああいう報道を耳にすると、彼等があのような体験をしながら、自分はそうではない理由というのが、ほとんどないとしか思えない。あったとしてもほんのわずかな差なんだろうけど、ではその差とは何なのか、僕には説明がつけられない。
 僕がバックドロップで殺されず、バスジャックで殺しもせず、鉄道に飛び込まずにいるのは何故なのだろう。たんにそうしなければいけないところに追い込まれなかっただけ。人はそれを「道を誤らなかった」と表現するのだろうけど、じゃあ誤らずにすんだ理由は。「神に感謝しておけ」とでも言われそうだ。
 でも僕にはそんなつもりはないし、納得もできない。
 ただ、地雷を踏まず歩けたのも、敵の銃弾が擦らなかったのも、僕の手柄じゃない。きっと。
 ひょっとしたら、逆に地雷や銃弾のおかげかもしれない。避けてくれてありがとう、これからもよろしく、なんちゃって。冗談じゃない。

 

  ビートルズ聖地はロンドンなの?

 ひさしぶりに松尾芭蕉の紀行文を読みながら、この人はほんと何処に行っても「ああ、ここがあの西行ゆかりの」ばっかりだなあ、と思っていたら、ふと現代の詩歌人のことが気にかかり、その西行自身も旅に出たら「ああ、ここがだれそれゆかりの」歌ばかりだから今でもさぞと思ったら、その為の特別企画を除けばあまり見当たらなかった。エッセイばかり、Odeとしての詩歌は少ない。現代では、ひとつの特集記事なり、一冊の単行本にしないと、あまりそんなの書かないのだろう。理由もある。でも、それは煩わしいから、カット。
 小説家は違うだろう。作中に尊敬する先人の記述があちこちにあるはず。
 ミュージシャンはどうだろう。
 たとえば、ビートルズなら、と思い返してみたら、井上陽水「ロンドン急行」、REBECCA「London Boy」等すらすら出てきたものの、あれれロンドンばかり。そういや書籍でも、アビーロードがどうしたこうした、なんてのが多かった気がする。ビートルズはロンドンっ子か? 違う、出身はリヴァプールだから、ゆかりの地はその辺に集中してるはず。けど、知識が足りないのか、どうしてもリヴァプールの唄が浮かばない。
 ようするに、日本人はイギリスに行っても、ロンドン周辺をうろうろするばかりで、グレートブリテン島中部まで足を伸ばすことはこれまであまりなかったんだろう。
 最近はそうでもないな。きっと。
 でも、いつまでイギリスへビートルズ詣でをする日本人がいるのだろ。希望としては、いつまでもいてほしいけど。埼玉のジョン・レノン博物館のビートルズ・コーナーで終わりじゃ寂しいよね。
 でも、そう言う自分は、まだ埼玉にさえ行ってなかった。あらあら。そのうち行こう。

 

 
  スポーツ観戦は孤独な楽しみ

 ひさしぶりにテレビで阪神・巨人戦を観る。やっぱり凡戦だった。最近はこんなのばかり。何が伝統の一戦だ、まったく。
 ところで、報道によれば、西部所沢球場の弁当が大きすぎることについて、松井稼頭男(これで漢字合ってたっけ)選手は「みんなで食べていただければ。野球場に一人で来る人はいないでしょ」という意味のことを言ったとか。そう言われれば、僕もない。サッカー・スタジアムも誰かと行く。スポーツは集団で観たくなる物なのだろうか。しかし、マラソンなら一人で沿道で眺めていたこともある。すると、球場に行くなら親しい人に声をかけたくなるのは、眺める対象が集団だからかな。たしかに抱き合って喜ぶ選手を一人で見てたら、なんだか寂しくなりそうだ。
 とすると、テレビで一人眺めててもちっとも寂しくないのは、テレビと云うひとつの対象に向き合っていると無意識のうちに僕は感じてるわけか。
 でも、一人で球場へ出かけ、誰とも口をきくこともなく、ひっそり帰る客だって、少しはいると思う。水島新司の漫画にはたくさんいた。読んでた時は全然違和感かんじなかったけど、あれって実はめずらしいんじゃないのかな。一人で出かけても、顔見知りの仲間ぐらいいるのが普通だよ。
 それなら僕が、テレビ観戦は好きでも、どこに足を運ぶことも滅多にない理由もわかる。
 僕にとってスポーツを観戦するのも、食事を味わうのも、一人の楽しみ。大勢で同時に感じるものではない。そういうことがあったにしても、それはただのすれ違いにすぎないんだな。
 関係ないけど、王ダイエー監督がテレビで「優勝できたのはチームがひとつにまとまれたから」と語りながら、スポーツ誌で「チーム内で仲良くやっていたのじゃ勝てるわけがない」と発言する記事があった。嘘でも、捏造でもないと思う。本音を言うのは難しいもんだってことだよ、きっと。

 

 
  現代詩は何処にある

 突然、近所の図書館が「現代詩手帳」の納入を辞めてしまった。これで本館が講読している詩の雑誌はゼロだ。
 -どうして辞めたんですか。
 -だって誰も読んでないもの。
 - …。
 -ああ、あなたは読んでたのよね。自分で買えば?
 -どうして誰も読んでないと思うんですか。
 -全然配架が乱れてないのよ。朝、並べたそのまんま。
 -閲覧者がそれほど礼儀正しいとは考えられませんか。
 -本当にそう考えてるの?
 - …。
 -第一、雑誌の執筆者、誰も知らない人ばかりじゃない。まどみちおも工藤直子もいない。
 -ええ、その人達はすばらしい詩人です。でも、そればかりじゃない。
 -誰かいる?
 -谷川俊太郎、吉本隆明。
 -もう書いてないわ。
 -田村隆一、黒田三郎、鮎川信夫、谷川雁。
 -みんな鬼籍に入った人ばかりじゃないの。
 -飯島耕一、吉野弘、吉原幸子、それから…。
 -ええ。昔はね。でも、今は駄目。NHKでねじめ正一が現代詩を講じてた。誰についてだと思う? 椎名林檎よ。
 -おもしろいじゃないですか、それ。
 -他にいないからじゃないの。
 -僕はそうは思いませんが…。
 -じゃあ、たとえば誰?
 あなたなら誰を挙げますか。僕が挙げた人ですか? 「そんな人知らない」って一蹴されましたよ。

 

  お詫び

 5月12日更新の「うぃくりい・わあくす」は失礼しました。
 ついこの間、「はぐれ雲」の冒頭部を載せたので、何の思慮もなく続きを載せたのですが、この部分は以前一部掲載済みだったのですね。二回載せてしまった。率直にミスを認めます。失礼しました。
 今後はこのようなことがないよう気を配ります。
 べつに誰も指摘して来なかったんだけどさ。
 しかし、するともう『月のむこうがわ』の抄録も近々終わりですねえ。感慨深い。

 

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