銃弾さん、ありがとう?
どこぞの高校の裏庭で集団リンチにあった生徒が死んだそうだ。バックドロップで頭から何度も叩き落とされたのだという。 またある中学では体育館で簀巻きにされた生徒が発見された。 カルト教団が連続殺人をやっていた。バスジャックやハイジャックで死者が出た。路上で通り魔による無差別殺人があった。校門に子供の生首が飾られたこともある。犯人はいずれも青少年だ。 今日また鉄道に飛び込んだ人がいて、列車が遅れた。鉄道を止めた人は、望み通り即死だそうだ。 いろいろバラエティにとんでいる。でも、全部似たようなものだとも言えそうだ。 どの事件も僕には直接関係がない。しかし、そうした報道を聞いていると、ふとどうして僕はこうして殺されもせず、(誰かを、あるいは自分を)殺しもせず生きていられるのだろう、と不思議になることがある。 もちろん自分の人生を検証していけば、あの時ああしたからこうしていられるんだな、だからこうして無事息災でいられるんだな、という転機はちゃんとある。手を出しそうになって慌てて引っ込めた瞬間。すんでのところで声を掛けてもらった時。けど、それらがどうして行なわれたのか、どうして別の行動をとらなかったのかと考えると、ほとんど幸運に近い。そればかりではないにしても、僕等がこうしているのは、偶然傍を通り過ぎたドライバーがただハンドルを切り損なわなかっただけなのではないのだろうか。 実際、ああいう報道を耳にすると、彼等があのような体験をしながら、自分はそうではない理由というのが、ほとんどないとしか思えない。あったとしてもほんのわずかな差なんだろうけど、ではその差とは何なのか、僕には説明がつけられない。 僕がバックドロップで殺されず、バスジャックで殺しもせず、鉄道に飛び込まずにいるのは何故なのだろう。たんにそうしなければいけないところに追い込まれなかっただけ。人はそれを「道を誤らなかった」と表現するのだろうけど、じゃあ誤らずにすんだ理由は。「神に感謝しておけ」とでも言われそうだ。 でも僕にはそんなつもりはないし、納得もできない。 ただ、地雷を踏まず歩けたのも、敵の銃弾が擦らなかったのも、僕の手柄じゃない。きっと。 ひょっとしたら、逆に地雷や銃弾のおかげかもしれない。避けてくれてありがとう、これからもよろしく、なんちゃって。冗談じゃない。
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