しあんくれ〜る
京都に居た頃、よく音楽喫茶に通った。客はほとんど口をきかず、思いおもい音楽に耳を傾ける。ジャズの「蝶類図鑑」、クラシックの「築地」「みゅーず」等々。 僕はとりたててジャズもクラシックも趣味じゃないので、ぼんやりしたり、気が向けば読書ができる空間として好んでただけだけど。ロック喫茶じゃ読書にならない。 読むのは大抵手持ちの文庫本。たまに隅に置かれた雑誌にも手を伸ばす。音楽誌が多かったけど、場所によっては女性誌や写真誌も。「柳月堂」二階の名曲喫茶には、なぜか短歌雑誌『玲瓏』のバックナンバーがずらりと揃っていて、僕は音楽誌よりこちらの方が好かったな。 そういう愛すべき店の中でも、とりわけ僕が足繁く通ったのが「しあんくれ〜る(champ clair)」。直訳すれば「明るい空間」。これほど名が実態にそぐわない店も珍しく、一階のクラシック店は静かに曲が流れる喫茶というにすぎなかったけど、二階のジャズ店は終日すべての窓を閉め切り、隣の席の人の顔もぼんやりとしか見えない。もっとも、客が少ないので、僕の隣に別の客が座ったことなど一度もなかったが。七十年代には幾つかの著書にも取り上げられた店とは、とても思えない繁盛ぶり。後日、大学で偶然知り合いになった常連客に、店名の由来はフランス語じゃなく、「思案に暮れる」だと教わり、唖然とした。店のオーナーもそう言ってたらしいけど、本当だろうか。途中で客層に合わせた作り話かもしれない。 始めて通ったのは十代の春、憂悶に追いたてられるように、送り火で有名な大文字山頂からまっすぐ西へ、西へと歩き続けて、河原町通の荒神橋口で力つきた。受験勉強でこれほど身体が鈍っているとは思いのほか。そのまま高らかにジャズが鳴り響く店の片隅で、文庫本を手に、身を横たえていた。聞こえてきたのは、以後たっぷり耳にすることとなるスティーヴ・マーカス「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」。ビートルズのカヴァー曲だ。これならジョン・レノンの方が好いよな、と感じていた。なにしろジャズはマイルス・デイビスの名前すら知らなかった頃だ。今でもほとんど知らないが。 そして、いつもカフェ・オレ一杯か二杯で数時間も居座る。当初はほとんど二階で、その暗闇の下、一冊読了するまでいたことも何度かあった。 北山を歩けば、バスでそのままこの店まで戻り、また同じ本を読む。山に出かけてるのか、店までの道をわざわざ迂回しているのか、自分にもわからない。ただ、それが楽しいことは間違いなかった。 「類は友を呼ぶ」で、よそで知り合っても、ここの愛好者がいる。当然ながら、バッタリ知人に会うことも珍しくはない。ここを知らない友達にも広めるから、ますます邂逅の度合いが増え、また、この頃から普通の喫茶店のように大声で喋り散らす集団に出くわす機会が重なったこともあり、比較的に明るい一階の窓際に移った。もうそれからはそこにしか座らなかった。そうしてなんとなく窓の外を眺めたり、読書をしたり、その席に座っていた人達のことを考えた。幾つか歌を詠んだ。 一度『岸上大作歌集』を開けている時、 「君は民青をどう思うか」 といきなり見知らぬ奴から話し掛けられたことを除けば、いつもそこは静かだった。読んでいた本が悪かったのかもしれない。知るかよ、民青なんて。 引っ越して、別の町に住むようになっても、ときおり京都観光の友達を連れて、いつもの席に座った。それでも、寄ることはどうしても稀になる。 また関西に戻り、(とは云ってもずっと南だけど)、ある日、立ち寄ると、いつのまにか「しあんくれ〜る」は閉店していた。入口に板と張り紙が打ち付けられて。そのまま建物はしばらく打ち捨てられていた。 さらに北摂に居を移し、京都に来ることも一層稀だった三年前の二月十一日、たまたま出町柳から河原町通を南へ歩いていると、ショベルカーが木造の建物を壊そうというところだった。僕は「しあんくれ〜る」取り壊し現場に立ち会ったのだ。回りには誰もいなかった。当然だ。近所の人達も、ああ、やっとなくなるのね、とたいして気にも止めない。数時間で店は完全に解体し、トラックに詰め込まれた。仕事として作業に従事した人達を除けば、僕だけが一人、最後までじっとそれを見ていた。何処に行くあてもなかったのだ。だから壊れていく昔の夢だけを眺めていた。 そこは駐車場になったそうだ。僕はまだ一度も前を通っていない。わざわざ見に行きたくもないし。 ところが話はこれで終わらない。 翌年、僕は花見のため大阪に出た。造幣局の桜は、今が盛りだった。 花には堪能したので、何処か喫茶店に入るか、このまままっすぐ帰るか、帰るなら桜ノ宮駅か京橋駅か、と思案していたら、「しあんくれ〜る」という看板が目に入った。 まさか。 でも、こういうパクリはひどいよな。一時は、あれほど有名だった店の名を、と思いつつ、しかし仮にパクリとしても、ちょっと徹底しすぎてないか。あの独特の店名の書体まで瓜二つじゃないか。 怪しみつつ、中に入って驚いた。 所々に置かれた装飾品、小物に至るまで、あの頃のままだ。オーナーのおばさんも変わってなかった。 ただ流れているのは、最近の流行歌。大きな窓は全開、外層も照明も明るく、客は皆、賑やかに話し込んでいる。思案に暮れている奴なんか何処にもいない。そこは「明るい空間」だった。 僕も一人ではない。花見に興じた連中と一緒だった。僕の回りも明るかった。 それからすぐ僕はまた関西を離れ、ここに独り居る。暑さや騒音に耐えられなくなると、音楽の鳴らないレストランでドリンクバーを注文し、店の喧噪を気にせず、読書と執筆に耽る。傍目には暗いのか明るいのか、よくわからない。少なくとも店は現代的で明るい。 新しい「しあんくれ〜る」も明るい方が良い。なんの噂も聞かないから、今でもあそこで煌々と輝いていると信じたい。あの日の光景が、全部僕の白日夢だったなんてことは、ない、と思う。たぶん。
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