あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2001年8月25日

 
  命の安息

 銀行と郵便局へ行って、預金の残高照会を終える。先週の著書収益を確かめるため。
 ああ、これで今週の食費は問題なさそうだと安堵ひとつ。餓えは、心でなくとも、嫌だ。
 自室でコーヒーを入れ、柳美里「命」を読んでいたら、作中、主人公<小説家の柳美里>はさまざまな苦悩に苛まれつつ、「こんなとき短歌を詠めたら、深い安息を得られるかもしれない。わたしは短歌や俳句を書けないことを悔やみながら」うんぬんと考えるのだった。
 そりゃそういうとき短歌が詠めたら幾分か安息が来るかもしれないけど、柳さん、僕は小説が書けたら、もう少し明日の食費への不安が減るのではないかとしばしば思うんですよ。
 本当は、詩歌句を捻るのみなのに生き延びているということだけで、既に感謝しなければいけないのかもしれないのですけども。そして、たぶん感謝の念が足りないのでしょうけども、そこまで良い子にはなれない。だいいち気持ち悪い。
 もっとも、この主人公の小説家氏、苦悩のあまり全然書けないと悩むシーンはたびたびだけど、すらすら書けたと云う場面がほとんどないのは、いったいどういう状況なら書けているんだろう。ただ、苦悩のあまり書けるというのは読者の共感を呼ばない事は間違いない。
 まあ、そのへんが「小説」なんだろうな。

 

 
  樵童の口にのぼらず

 むかしの本を読んでると、こんなことあるのかなあって思うこと多い。そうですよね?
 森鴎外「北條霞亭」中、主人公・霞亭がむかし住んでいた家に、友人・西村及時が移ってきて漢詩を作るシーンがあって、

  壁むなしくまた舊詩瓢なし
  高調樵童の口にのぼるに任す

と詠む。つまり、君のいない家は空しく、かつての詩や酒もない、でもあのころ作った君の詩を近所の子供が声高く口ずさんでいる、と云うんだけど、これって西村が引っ越したら、また近所の子は西村の詩を口ずさむんだろうな。
 ああ、古き良き日本、なんてくだらんフレーズが浮かぶ。やれやれ。
 僕が前に住んで居た部屋で聞こえてくる子供の歌は<モーニング娘。>、その前の部屋は華原智美か安室奈美恵ばかりだったぞ。つまりテレビの音楽です。ほとんど想像できませんね。現代でこんな体験ができる人はおそらくほとんどいない。だって、つんくと小室哲哉なら何処に引っ越そうが自分の歌を口ずさまれているわけで。今は日本全国何処も同じだものな。
 しかし。
 それで今僕が住んで居る部屋ではどうかというと、なぜか何も聞こえてこない。
 この町の子供は歩きながら唄う習慣がないのだろうか。文部省唱歌でもウルトラマンの主題歌でも良いのに。大声出してたら文句言う大人でもいるのか。
 寂しい町だ。

 

  恐るべき豆

 「がんばってください。応援してます」の御手紙とともに、また食料が届きました。みなさまの御力添えでしつこくも生き延びている三宅です。べつにそこまでしていただかなくとも、著書お買い上げしていただければ充分なのですが。
 声援の言葉だけでも、もちろん感謝ですよ。
 先週ダンボール箱がやってきました。豆がある。全部二年前に賞味期限切れ。
 感謝をこめて、ここに実名を公表させていただこうかとも一瞬考えましたが、向こうの本意ではないかもしれないのでやめました。
 熟れ過ぎた二十世紀梨を送ってくれた人も。これはまさか俺の歌に対する当てつけか? 旧作に「熟れすぎた二十世紀が」うんぬんという歌あり。いや、それは一個だけで、他は梨も無花果もおいしかったから、偶然でしょう。
 ありがたくいただきました。どうも。
 おいしい無花果なんてひさしぶりだ。

 

  うぃくりい・こめんと?

 なんと今月の更新四度目の当欄。
 もしこれが続けばWeekly Comentsとする日も近い、のでしょうが、そういうことはおそらくないでしょう。夏の気紛れです。期待しないでください。期待があればの話ですが。
 まあ、あまりないだろうな。

 

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