あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2001年9月12日

 
  二十一世紀のカミカゼ

 夜十時前たまたまテレビを点けた。そして第一報を見た。ニューヨーク貿易センタービルに航空機が二機も激突。CNNは「カミカゼのよう」と報じたとか。その後も、国防総省、連邦議会等と悲報が相次ぐ。

 なさけないけど、それから興奮してどうしても眠れない。夜明け前に起きて、またテレビを見た。自分に呆れるよ。

 小泉純一郎首相が神風特攻隊を讃えたとき「カミカゼって何?」と親や友達に尋ねた日本人も少なからずいたらしいのに、アメリカ人はカミカゼを忘れてないんだ。
 「日米戦時に日本空軍が戦闘機で米国軍艦等に体当りしたこと」と答えても真実味がないんじゃないかと感じていたけど、これでもう心配いらないな。リアリティはたっぷりできた。
 日本軍の作戦があまりに非能率的で非経済的で人的能力無視なのに対し、今回は飛行機を盗んで、その乗員ごと突っ込んだから、より経済的で、より非人道的で、より甚だしい人命無視だ。能率性がやっぱり低いことも証明された。無警戒でなければそんな簡単に目的対象物には当たらないし、それに一台の飛行機をいただくのに何人の自殺兵を必要としたのやら。それとも、訓練重ねた軍人十数名で数千人の民間人が殺れたらテロリズムとしては満足なのかな。すると、カミカゼってのは戦争向きじゃなく、テロ向きだったのか。
 ともあれ、たとえ一機でも命中すれば、相手への精神的ダメージは凄まじいことまで思い起こされてしまったわけだけど。

 ここは秋の虫が静かに鳴いています。好い季節だ。

 台風はひどかった。上陸前日まで伊豆諸島にいたので、もし一日でも離島が遅れたら、脱出できず、島の宿に閉じ込められたかもしれない。船はひどい揺れだった。
 そして本土で雲に追い付かれた。ひどい雨と風だった。
 でも、いつもより遅れて届いた翌朝の新聞には、予想通りもう台風のことなんかあまり書いてなかった。あれほどの被害だったのに。たぶん新聞社には災害記事の没原稿が積み上がってる。しかたない。近所の川の水量をあれほど気にしていたのもたちまち忘れてしまったのは僕だけじゃないだろう。全部アメリカからの映像に吹き飛ばされてしまったのさ。

 ニューヨークではまだ煙が上がっているな。

 中東ほか余所の国でも毎日多くの人が武器で殺されているというのに、こんな時だけ興奮している。理由は解っている。これまでは遠くの世界の出来事と感じていたものが、いきなり近くで爆発したから。自分のエゴイズムにうんざりしつつ、その実感を裏切れない。

 そうして僕はもう明日書くだろう文章に思いを馳せていた。こんな時になっても、頭の中は執筆・創作だ。
 当然じゃないか。みんな朝になれば平常通り仕事に就くんだ。銀行も、デパートも、蔵前国技館も。文学屋だって同じさ。それは余計な選民意識だ。僕等はむしろそういう普段通りの生活を阻むものにこそ闘いを挑まなければいけない。何も変わりなく、いつものようにふるまえることを喜び、そうすればいい。
 でも、本当にそうなんだろうか。こんな時くらいじっくりいろいろ考えみたいという欲求を抑え、毎日の生活にしぶしぶ踏み出している人だっているのでは。
 いや。そんな人はやっぱり少数だろう。食料生産を、衣服制作を他人に任せ、それを購入するように、考えることも他人に任せ、それを受け取ることを幸せと感じている人が多数なんだ。
 世の中がキナ臭くなると、真剣に考えても、それを自由に表現するのもやり辛くなる。何を血迷ったか、「芸術なんてやっとる場合か」なんて声を挙げている人が早くもいるらしい。どうしてなのか、この社会について考えている人ほど、そんなおかしな処に往きかねない傾向がある。もっとひどくなると、この乱れた世界にうんぬんなんて書かないと袋叩きにあう時代が来るかもしれない。やれやれ。
 そう考えて、また何か書きはじめる。いつものように。自己嫌悪を背負い込んで。

 

 
  戦争と平和

 ラジオが今「アメリカは戦争状態だ」と言った。
 まったくの偶然だけど、北御門二郎・訳、トルストイ「戦争と平和」を今週ずっと読んでます。
 トルストイ翁には不遜な言葉かもしれないけど、やっぱりすごい。ナポレオン・フランス王、アレクサンドル・ロシア皇帝から、有力政治家、将軍、一兵卒、戦場から離れた女子供達まで、膨大な人物が描かれている。翁は驚くほどロシア人とかフランス人なんて偏見から自由。
 でも、やっぱり十九世紀でなければこれは書けないんでしょうね。二十世紀では、日本はもちろん欧米でも、小説・映画にかかわらず、こういう全体的な理解は不可能なんだろうな。そんな視点がもう存在しないから。こういう作品を読めるのはやっぱり喜ぶべきでしょう。戦争と云う現象に対する認識が深められる。戦争物では他にも「平家物語」という名作がありますが、今ではほとんど読まれてない。まあ、僕等には翻訳者諸氏の労作があるのだから、それを消化しましょうか。
 なんにせよ戦争の本質は今も何も変わっちゃいないし、そこに生じる祈りも不変でしょう。
 ただ、こういう古典では、昔の戦争は長閑だなあという印象を拭えないのも確かです。人間の数も、武器の威力も違い過ぎるんですよ。だからこそ逆に本質的な部分も受け取りやすいのですが。
 ところで。
 十代。僕はドストエフスキーを愛読し、トルストイは軽蔑してましたね。なんとなく。今は 短慮だったと思う。ただドストエフスキーの方が自分に近い感受性を見い出しやすいことに違いはない。
 そんな簡単に変わりはしないこともあります。

 

 
  混乱すると呼ばれる

 ボブ・ディランのニュー・アルバムが出た。まったくなんてタイミングだろう。
 アメリカは混乱するとディランを求める。一度目は'63〜'66年の公民権運動時、シングルチャートにディラン曲がずらりと並んだ。二度目は'74〜'76年の泥沼化するベトナム戦争とウォーターゲート事件の時代。オリジナル・アルバムは全部一位を獲得した。
 '97年発表作が翌年グラミー賞受賞で最高のセールスを記録し、今年はアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞。そして新作。またヒットするだろう。それが大衆の求めていた物と一致しているかはまだ不明だけど。
 日本では混乱時に誰が呼び出されるんだろう。
 太宰治?、坂口安吾?、それとも尾崎豊?、いっそ親鸞?
 全部、故人じゃないか。人材不足な国だ。もうすぐ混乱が近いかもしれないのに。

 

 
  付記(9/16)

 この文章はなんと五回も、書き直してはアップロード、を繰り返してしまいました。ネタが新鮮なうちにと、慌てて載せたのですが、なにもそんな焦ることなかったのにと自分に言い聞かせてます。
 たとえアクセスが下がっても。

 

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