あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2001年11月5日

 
  牛騒動

 狂牛病騒ぎ以来、安いので牛肉を食べてきましたが、その後、安全宣言が出るどころか、国の対応の不味さが明らかになるばかりですので、さすがに国産生肉は控えております。
 それでも、某ハンバーガー店が異様に値下げしてるから、最近牛を口にすることが多い気がする。
 じつは近所に支店を置いてる某社は、僕が最初で最後のアルバイトを試みたところなのです。ただし、数回で嫌になり、金も受け取らず辞めました。取りに行けば働いた分は渡してくれただろうけど、もう店の前を歩きたくもなかったので。その後、祭りの山車曵き等、一日だけの謝礼とかを除けば、ごく短期で終わったグータラ月給生活と文筆生活で得た収入がこれまでの自分の稼ぎの統て。ささやかなもんだ。
 以来、世界にあふれかえっているその支店総てに寄り付かず過ごしてきたのは、べつにトラウマってほどじゃなく、高価なのと(毎度千円近くふんだくられていた)、店の雰囲気を避けたかっただけで、特に理由はない(と思う)。なのに引っ越してから行くようになったのは、最近の値下げと、近所にジャンクフード店はここだけだから。ああ健康的。
 その前まで関西に住んでいたから複雑な気分。関西では牛も豚も鶏もあまり価格に差がないのに、東京ではこれまで牛といえば高価な物だったから、また関東に戻ると決めた時、当分これで牛は食べられまいと、引っ越し前の数週間は牛肉を集中して食べてきたのに。べつに豚も鶏も好きだから、気にするほどではなかったな。わからないもんだ、ほんとに。
 ところで先日某定食屋で焼肉定食を頼んだ。そしたら、いつも牛肉が入っているのに、いきなりの豚肉。味付けは同じ。
 いや、おいしかったよ。でもね。

 

 
  言葉は楽しい

 言葉が楽しい。近頃、詩歌句を捻るのが。
 べつにこれまで退屈していたわけではないよ。ただこれまでよりも一層、言葉にはまだこんなことだってできるのだ、こんな方法だってあるんだと試すのがおもしろいだけ。文章を作る楽しさなんて最終的にそれ以外には無くなる。楽しくなくなれば、後は惰性だ。
 もちろん作品には意味があり、そちらも重要で、実際これまで新しい内容を積極的に取り入れようとはしてきたけど、それが古い器に盛れなくなると、入れ物を換えるしかなくなる。内容は新しく言葉は古くと藤原定家は主張しているけど、本人は古い言葉を使っているつもりなのかはしれないが、使い方は新しすぎて、年長者には理解できなかった。変えようとしなくても変わる時は変わるんだ。
 内容なんて時が経てば何かやってくる。焦ることない。そうして内容に従って言葉を変えてきたものの、ちょっと作風が固まってきて、どんな内容でも言葉を変えなくても表現できるようになってきたら、厭きてくるよ。しだいに。
 だから言葉が変わってくると。自然に頬が綻んでしまう。やだねえ。
 つまり今は躁なんです。そのうち鬱になりますので、きょうは勘弁してください。

 

 
  「本歌取り」

 二ヶ月程前、模倣作についてここに書いたら、余所でその反論文を見つけた。
 主旨をまとめれば、「本歌取り」という技法をもっと尊重せよ、もしくは、初心者の学習としての模倣は重要、ということに尽きるようだ。
 僕にもそれに異存はない。ただし条件付きで。
 たとえば。弟子が師匠の代表作を引用して一首詠んだり、図書館の文学全集収録作を真似て短編を書いたりして、周囲の人に見せること。懐メロヒットの一フレーズを使い作曲をしたり、名画を模写しつつアレンジを施すこと。そういうことはある。
 しかし、それと、たとえば、同人誌にささやかに発表された作を、有名人が大新聞やベストセラー書に断わりも無しに模倣して、収入を得るのは、たしかにやってることは似ているが、同じと扱って本当に善いのだろうか。僕にはまるで違う行為に思える。
 その論者は作品の社会的位置と云う物を全く無視しているようだ。
 作品にも存在している場所がある。それを黙殺するのは、結局作品そのものも黙殺するに等しいだろう。

 

 
  先月の観戦記

 日本シリーズは全部テレビで見た。波乱もなく、だいたい予想通り。どうでもいいけど、NHK、優勝者インタヴューに紛れて長嶋茂雄を呼ぶなよ。ヤクルトの古田捕手も石井投手も小さくなってたじゃないか。
 Jリーグの磐田対鹿島もテレビで見た。充実した試合だったが、勝敗を決めたのは、またもミス・ジャッジ。あれを減らさないと、おもしろくならないよ、サッカーも。
 大リーグのワールドシリーズもテレビで見た。ヤンキースは強かった。惜しかったね、イチロー。しかし優勝したのはダイヤモンドバックスなんだよな。良かったね、ランディ。
 というわけで、やっぱり大リーグが試合として一番おもしろかった。
 そんなにテレビばかり観てて善いのか。善いんだよ、どうせ暇なんだしさ。人生で一度くらい「忙しい」と言ってみたい気もするんだけどね。

 

 
  弾圧の自由

 世界二十位代にいたあるボクサーが「今度の事件はアメリカのこれまでの政策の結果」と発言し、順位を剥奪されたらしい。発言の正否はともかく、スポーツ界は欧米的価値観に基づいているのだという宣伝にはなった。まあ、むかしヘビー級チャンピオン、モハメド・アリが徴兵拒否したら逮捕・タイトル剥奪された世界ですしね。テレビのコメンテーターなら問題にはならなかったのにな。
 反戦クラブを結成しようとしたアメリカの女子高生が退学にされ、裁判所もこれを支持したとか。現代教育機関の末端である学校が、政府の為の教育を行なう所であることを広く世に示した。そんなことでクビにする企業がどれほどあるだろうか。
 言論の自由がある国には、弾圧の自由もある。
 ともあれ、僕等が生きているこの社会が、二ヶ月前と違うのは確からしい。
 僕等がたいして変わってなくても。
 アメリカは「あらゆる方法で」テロリストを追い詰めるのだそうだ。それなら核爆弾を使う可能性もあるのだろう。それが効果的となる場所に標的が移動しないことを望むよ。ほんと。

 

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