あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2001年11月22日

 
  ラジオの声と顔

 ラジオはインターネットと連動しているところが増えましたね。
 番組がホームページを持っていて、リクエストも投稿文もそこから受け付けるわけです。むかしは葉書中心だったから、比べると、話題は速効性が高まりましたね。聴視者のメッセージも「きのうのことです」なんてのは珍しくないし、いきなり「ついさっき(今しがた)」で始まるメールまである。
 ちなみに僕はテレビよりラジオの人なのです。
 それで、番組サイトへ時折遊びに行くのですが、そこにDJやパーソナリティーの写真がたいていあるんですね。だから、これまで顔を知らなくて普通だった人達をみんな残らず覚えてしまう。雑誌や新聞でたまたま見かける程度だったのに、今は必ずと言って良いほどサイトに載ってる。これが声のイメージと恐ろしく一致しない。そういう人ばかり集めてるんじゃないかと思うほど。
 これって不幸なことかもしれないですね。
 文筆業界でも、最近マスコミ露出の増加で悪文しか書けない美男美女が目立ってると聞きますが、ラジオが発声練習なんかしたことない悪声の麗しき男女に席巻されないよう祈りたい。もしそうなったら電波放送とは縁を切ろう。テレビも質に入れよう。あ、質屋なんか近所にないか。でも金払って大型ゴミにするより経済的でしょ。

 

 
  ユーミンあるいはペシミスティック・ソング

 『Yuming Ballad Best』を聴いている。荒井由実時代と松任谷由実時代の曲が、適度に混在している好盤だと思う。
 ファンはほとんど持っているCDもしくはレコードに収録されている曲だろうから、こんな物を喜んで戴くのは、その全盛期をCD買いもせず通り過ぎた僕等のような者ぐらいだろうと思っていたのに、あにはからんや、大ヒット中だって。購入者の年齢層を知りたいね。
 ユーミンの唄声を初めて耳にしたのは、当時毎週聞いていたラジオ番組「中島みゆきのオールナイトニッポン」だった。一時期、中島みゆきは自分の番組で積極的にユーミンを取り上げ、「むかし幾つかヒット曲を出したあと、結婚で姓を変えた歌手」としてしか知らなかったこちらの認識を改めてくれた。中島みゆきの曲がヒットチャートを席巻しており、松任谷由実はセールス上まったく沈滞していた頃。二人がニューミュージックの女王候補として張り合っているかのようにマスコミ上で書かれる少し前の話。後には二人とも互いに相手をあげつらうような発言を繰り返し、本気なのか、遊んでるのか、不思議な感じだった。
 それでも僕はまだユーミンのファンには遠く、ようやく住んでいた地方都市にも広まってきたレンタル店に出かけ、みゆきが教えてくれた曲が収録された、デヴュー以来のLPを数枚、借りてみた。でも、その自らをも焼き滅ぼしかねないピュアな魂は、僕にはとても奇妙な印象を与えた。なぜなら、僕は少女・荒井由実より『SURF&SNOW』以後の松任谷夫人の曲を先に聞いているのだ。そして、たぶん熱烈なユーミン・ファンには荒井由実と松任谷由実の共通点が胸を撃つのだとすれば、僕にはその相違点だけが鼻に衝いた。まったく、むかしのファンは「恋人がサンタクロース」と唄うユーミンにどれほど失望したのだろう。今思えば、そういう大胆で現実的なロマンとペシミスティックな諦念こそが、時代にそぐう物だったのだろうけど。ただ、年下のぶん、こちらは両方同時に受け止められた。受け入れられはしなかったとしても。
 やがてユーミン・ソングは、ドライブそして海岸やスキー場でのBGMになっていた。その頃の僕とは縁のない場所だ。
 松任谷由実の曲にはそれがふさわしいのだろう。それなのに、ユーミンは時折「守ってあげたい」のように荒井由実そっくりな詞を描いて大ヒットを飛ばす。変わったものが変わっていないと送るシグナルなのかな。荒井由実のような精神世界なら、いつでも作れるよとでも言いた気だ。少しずつ世界が変わっていき、戻らないのが、普通のソングライター。やっぱり並じゃないんだな。
 精神は作詞の方法論で扱えるのだろうか。それとも、精神そのものが多様化した結果、様々な世界を見せることが可能なのだろうか。いや、現代はきっと精神までが複雑なのだ。僕が単純すぎるんだ、たぶん。
 でもさ、やっぱり単純な物って好いよね。単純すぎるのも、それはそれで困りものだろうけどさ。
 ユーミンだっていまだにそう思ってるんじゃないかな、本当は。

 

 
  偶然の一致?

 11月12日朝ニューヨーク住宅街に旅客機が墜落しました。現在のところ「すべての情報が事故を指し示している」(米国国家安全委員会委員長発言)らしい。
 僕はこれは翌日の朝刊で知りました。ずいぶん遅い。ちなみに実は新聞講読をやめたのですが、同居人にそう宣言したところ、読みたいと反対され、契約者は僕のまま同居人が料金を払ってます。無職の方なんですが、貯金はあるのだろうか。心配だ。
 閑話休題。
 当然、新聞は9月11日の同時多発テロと比較し、双方の被害者が多数いることを報じる一方、ニュースでは時間が経つにつれて事故説が強まるので、つらつら考えたことは、同時多発テロは長く語り伝えられるだろう、でも、このドミニカ行き航空機の悲劇は、テロと云う決定的な証拠が突然現われない限りいつまでもテロ説が燻り続けるか、しだいに忘れられてゆくか、どちらかだろうな、ということ。たぶん忘れられる。
 偶然の一致で済まされないほどの偶然。けど、こういうことってある。
 だからみんな忘れたがるんだろうな。理性って、やっぱり弱い。

 

 
  もうギターは毀せないけど

 "The concert for New York City"を見ました。
 ザ・フーの演奏に感動。半年程前に偶然観た三十年前の映像とまったく遜色ない。特にピート・タウンゼントは、時々ぶんぶん手を振り回し、腰を低くしたかと思えば飛び上がり、あの独特のポーズ全開。早弾きの腕も衰えてない。昔通り最後にギターを叩き毀すんじゃないかと思った。
 太った白髪姿で。
 ロックは若者の音楽でもなんでもないってことが、改めてよくわかりました。
 客層も年齢高かったなあ。

 

 
  
テーマ歌集

 かつて歌集とは、短歌を作り溜めて、ある時期にそれまでの詠歌から優れた物を選び、刊行する物だと云う考えが、主流の時代がありました。歌集なんか、死んでから誰かが編集して一冊だけ出してくれれば良い、という人もいたようですが。
 さて、近頃そうではなく、ある一つのテーマに添って歌を詠み、それをまとめて発表するというやり方が幾冊かできてきてるようです。
 その結果がどのようなものであるか、きちんと目を通してないのにこんなことを書くのもなんですが、やめておいた方が良いと思います。というのも、僕自身何度かそれを試み、惨憺たる失敗を演じているからです。
 その最たる例が、大学卒業間近に造った、ワープロ印刷をホッチキスで留めただけなのですが、その準備の為に造った前段階の本。今でも世に出さなくて良かったと思う。最初にテーマがあると、視界が狭まり、歌の完成度は下がる傾向が出てきます。数を揃えなければいけないから、選歌の取捨も甘くなります。それで、本人の力量より劣る書ができます。これを逃れるのは、かなり困難です。ある程度すでに評価されている歌人ならばともかく、特に新進歌人は絶対やらない方が良い。損です。
 むろん「それはおまえの力量不足のせいで自分なら立派な物ができる」と仰る方は、どうぞ御随意に。立派な物ができたら、兜を脱ぎます。「難しい」と言ってるのであって、「無理」とは言ってないからね。
 ところで、私事を述べさせてもらえれば。
 僕の第一歌集『ころがる』もある意味でテーマ歌集と呼べるでしょう。いや、僕のこれまでの本全部といっても良い。ただし、あれはまず初めにテーマがあったのじゃなく、まずざっくばらんに歌を詠み、選歌対象になった数千首ができて(万には達してなかったはず)、そこで千首以上の分厚い著書を出すか、厳選の末の数百首にするか悩んだ挙げ句、ひとつの発想に基づいて選歌をし、残りは第二歌集以降に回すという方針を立てたのです。
 そういう訳で、第二歌集に『ころがる』未収録詠が含まれたのは当然としても、この本にも共通項を設定したから、『ころがる』刊行後の詠歌にまで「そぐわないから次以降に回そう」と結論付けられた作がまたちらほら。
 この先送りのドミノ倒しは、歌をやめるまで続きそう。だからこそ自撰集『ロール・アンド・クライ』に既刊未収録詠をたっぷり収められたのですが。
 逆に、最終校正段階で近作を一首、強引に押し込んだりもしたな。あれは『月のむこうがわ』の時だっけ。
 もし今後また歌集出版の機会があれば、そこにも『ころがる』未収録詠はおそらく並びます。もちろん『ころがる』以後の分も。そして、それが今考えている主旨通りの歌集になれば、学生時代に詠んだお気に入りの幾首かが、また没のまま持ち越しということに…。死ぬまでに発表できるのかな。不安だ。
 しかし、この方法の最大の欠点はそんなことではなく、最新歌集の感想として、去年詠んだのより十年以上前の作の方が佳い、などと何の皮肉も交えず、さらっと言われたりすることです。
 これは結構こたえますよ。体験するまで気付かなかった。予想外…。
 負けるもんか。

 

 
  流星群

 その日は真っ暗な河原に突っ立っていた。
 イギリスの天文台研究員デイビット・アッシャー氏によれば今夜は獅子座流星群襲来日。空を見上げて数時間。氏の学説は正しいのかも、と思いながら、幾つの流星を見たのか覚えられやしない。
 流星が消えぬ間に願い事を三度心で唱えられたら願いはかなうという言い伝えがある。他にも、一度で充分とか、声に出して言い切れたらとか、様々だけど、もし本当なら今年は日本中かなえられた願いで溢れるだろう。流星神社が建つかもしれない。御神体はテンペル・タットル彗星かな。でも、何処に建つんだ? 無理か。
 帰りにコンビニでお汁粉を買って食べました。小豆のない汁に温められた秋です。

  ♪ わたしはひとりぼんやり待った / 光る尾を引く流星群…。
                (ジャコビニ彗星の日/松任谷由実)

 

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