あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2002年2月12日

 
  低労働の時代です

 じつは最近パソコンが不調で、不安。まさか買い替えなんてことにはならないだろうけど、たとえささやかな修理費であったとしても貧しい僕にはとっても痛い。 以前、パソコン修理のため、ホームページが一月半の更新停止に追い込まれた悪夢を思い出すね。
 インターネット、漫画、映画、文学、外食、旅までして、これで貧乏なんて言ったら、第三世界の人から怒られそうですが、消費社会では、稼ぎの少ない奴より金を使わない奴の方が悪くて、たぶんこれでも全国平均をはるかに下回ってる。元手がないから。もっと稼いでくれたら、そりゃ嬉しいんですけどねと自作を撫でる。
 最近、仕事してても、「書け、働け」と叫ぶ人が身近にいて、外で人に会っても、「もっと書かないと」と叱咤される日々です。
 そんなに怠けてるように見えるんだろうか。
 見えるんだろうな。
 ちぇっ。

 

 
  記憶の指輪物語

 もうすぐ映画化されたトールキン「指輪物語」が公開されます。「ハリーポッター」ブームも一向衰える気配がないし、ファンタジーの世はいつまで続くんでしょうね。いや、僕も両著ともおもしろがってはいますが。
 こういう傾向はトールキンやル=グインのブーム以来ずっとのような気がする。日本では俵万智や吉本ばななが絶頂だった頃。世界がなんとなくファンタジーな物を求めているのか、どうか。
 一方で、その後もっと自分の実人生に根ざした悲惨な体験を綴った物がうけて、柳美里や内田春菊、やがてそれが告白本ブームにまでなったとか。ひどい経験がある人の勝ちって感じ?
 どちらもその代表作は僕も喜んで読んでましたけど、自分が求めてるのはそのどちらでもないとはわかってた。だから落ち着いて文筆に勤しんでられたのですが。ほんと。
 こういう状況分析的なこと、やればやるほどうそん臭くなるから、ここまでにして。
 でも、「指輪物語」読んだのって、もう十年以上前だよな。ほとんど忘れてるよ。最終巻だけは、いやにはっきり覚えてるんだけどな。指輪がどうなって、あいつが死んで、主人公はああなって、ラストは某がうんぬんのシーンで。
 いや、もう書かない。まだ読んでない人のために。
 もしくは映画館に往く人のために。
 僕はどうしようかなあ。気が向いたらにしよ。

 

 
  オートマミズム

 最近『現代用語の基礎知識』の類いを読まないのですが、例の「オートマミズム」なんかは収録されてるんでしょうか。
 サッカー日本代表のトルシエ監督はじめ多くの人が口にするから、すっかり馴染んでしまいましたが、最初は全然意味が解りませんでしたね。ようするに「基本的な型を習熟することにより、それを時と場合に応じて無意識に活用できるよう、本能的動作に近付けてゆくことで、却って独創的発想を産みやすくする」ということだそうで、スポーツ全般に渉ってこれは真理なのだそうですが、しかしこれは何も運動に限ったことじゃないなと、つらつら思う。
 芸能もしくは芸術の世界も、そうだと思います。あれなぞみんな同じ型の繰り返しを覚えてるだけに過ぎないとも言える。特に創る方は。
 披露する方も、まったく同じ演奏や踊りを、何万回、何十万回とやって、似た動作を、何百万、何千万回も。よく厭きないなと僕なんかでも感じる。それでも、次こそはもっと良い演技をと考えてるんだろうな。恐ろしい世界ですね。けど、そこまでしないと、即興のプレイなんかできないんだろうな。
 翻って、僕が末席に連なってる文芸でもそれは似たようなもので。戯曲と定型詩はほぼ全部かたちですね。少なくとも、読むに耐える物は。
 違うのは型の否定に奔った現代詩だけだと思う。ただし、最近の詩は、やっぱり過去の遺産をひとつの型として借用する方向で来ているような気がする。ある人はそれがAの近代詩だったり、別のある人はBの戦後詩だったりするだけで。それを忠実に継承していないというだけで。
 型に忠実であろうと、破壊してようと、それはそれでおもしろく読めるんだけど、おそらく無知のため型を無視した作品を目にすると、うんざりします。小説なんか最後まで読み通すのがものすごく辛い。読者のことなんか最初から頭にないんじゃないかと疑ってしまう。だから僕は歌集ですらそういうのは最後まで読みません。時間の無駄だよ。
 無知はくだらない。でも今は、既製の型がずらり出揃っちゃったのに、社会や文化という型が壊れてきて、もう型を維持しようとしても個人で支えるよりほかしょうがない時代です。だから、継承より破壊に舵を伐ってる作品の方がおもしろいと思うな。あくまでオートマミズムな反復習得を経た上で。
 ただ、まぎらわしいのはオートマミズムとマニュアル思考の相違。瞬時の判断が必要だから、本能化することで無思考のまま適切な判断を下せるようにするのがオートマミズムとすれば、マニュアル思考は、行動をワンパターンの繰り返しにしているがために、じっくり考えれば良いものを、思考があらかじめ用意された項目の選択行為になっているので、あべこべに適切な判断ができなくなっていること。その区別が大切。同じ無思考でも、まるで違うものなのだから。
 たとえば日常生活の言動だって大抵決まったことの繰り返しなんですが、それに慣れきってしまうとなんにも考えず同じことを繰り返すことで事態を一層悪化させてしまう。公民とも近頃ニュースにその名を出している人を眺めていたら、その犯罪や汚職に至る経緯を知るほど、一般人が行動をパターン化にすることほど有害なことはないなあと思える。同じことを繰り返すだけじゃなく、もっと理性を働かせればいけなかったのでしょう。創造性がゼロなんだな。
 しかも、オートマチックとも区別しないといけない。言葉の響きは似てるけど、何も関係ないのです。
 もっとも、僕なんぞ、大きなこと言える立場じゃない。まさに毎日が同じことの繰り返しですからね。リターンマッチ。リフリイン。
 ところで、関係ないですが、トルシエ監督って見れば見るほどお茶目な方ですね。ビートたけし並みのどこまで冗談だかわからないパフォーマンスがある。先日「W杯代表メンバーはもう決まってるので発表します」とポケットからメモを取り出した時は、本当に笑った。選考試合もまだこれからなんだから、冗談に決まってるとは思っても、それでも周囲は仰天して、大慌てでトルシエを取り抑えるべく抱きついていた。(そりゃそうだろう)。ああいうの、振り回される方はたまらないんだろうけど、見ている方は実に楽しい。クビになるまで、ぜひその調子でやってください。

 

 
  ソルトレークあれこれ

 ソルトレーク五輪が佳境に入っている。開会式では、スティング、ヨー・ヨー・マ、ロビー・ロバートソン等が出演して、ビーチボーイズは会場の外で演奏していたそうです。アメリカの評価を感じますね。
 フリースタイルスキー女子モーグルでフジテレビ社員の里谷多英さんが銅メダリストに輝いたのは日本にとって喜ばしいことなんだろうけど、その後のフジテレビの過熱報道は微笑ましいにしても、誰の責任か知らないけど他の民放はちょっと袖にされた形で、なんだか本当にメダル受賞者が出たのか怪しいような冷めた扱いをしている局もあり、もっぱら6位入賞の上村愛子さんの録画映像中心に放送している番組もあったとか。なんとも見苦しい。里谷さんが自分の意志でマスコミ露出を控えたのなら各局の対応は大人気ないし、勤め先の指示だとしたら放送界全体の恥辱じゃないのかな。
 競技にほとんど興味のないオリンピック番組があるのも、いつも通り。そんな安手の「物語」、見やしないけど。
 すると某国営放送視聴時間が増える。今年から料金を口座引き落としにしてやったから、ここらでたっぷり元を取っておこうか。なんてね。

 

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