証人喚問とカレー事件と
ここひと月ほど、この国の話題と言えば、辻元清美社民党政審会長、田中真紀子元外相、鈴木宗男元自民党員ほか、代議士さんばかり。ニュースはもちろんワイドショーやバラエティまで、テレビはこの方々一色で、退任・辞任が相次ぎ、「疑惑の総合商社」のような名言まで飛び出して、そう批判した当人まではじき飛ばされる寸前とあっては、それも当然なのでしょうが、ようするにみんなスキャンダルが好きなんだな。勧善懲悪の図式がはっきりしていて、わかりやすいし、おもしろいし。これほど政治がエンターテイメントに徹せられたら、他の娯楽分野はかないませんよね。 その最たるものが、全放送局の合計視聴率が30パーセントを軽く越えた鈴木氏の証人喚問だったわけなのでしょうが、じつはあの番組事体はつまらなかった。疑惑が深まったシーンは放映中の二時間で数分ほど。野党の追求は相変わらずほとんど報道済みのネタを読み上げるだけ。視聴者としては、消化不良このうえない。 でも、その晩ニュースでそのダイジェスト版ともいうべき特集を観た人は、生中継で観ていた人とはずいぶん違った印象を受けたでしょうね。なぜなら、そこでは疑惑が深まったその数分間だけが繰り返し放送されたので。だから、その時の質問者だった辻元さんだけが目立ってしまった。もともと番組制作者に鈴木氏を叩いてやろうという意図が見え見えだから、そして僕を含む視聴者の多くが内心それを求めているのだから、どうしたってそういう結果になります。それで激高して声を荒げた場面ばかりが取り上げられてましたが、実際はほとんど冷静に答えようと努めてるのであろう表情ばかりだったですね。最後に煽り文句にのってしまったのだけれど。たぶん鈴木氏を見放していたらしい与党議員さん達も、ああ、やっちゃったと思いつつ、むしろ安堵していたのじゃないか。これってどう観ても、政争でしかないですものね。敗色濃厚の人には誰もつかない。むしろ、早く負けてくれた方がすっきりするのでしょう。
そして、もうひとつ最近テレビで騒ぎたてているのが、和歌山毒物カレー混入事件の公判で、被告のテレビ・インタビューを検察が録画編集したビデオが証拠採用されたこと。「報道の自由への侵害だ」「捜査の下請けにされた」というのが反発の理由らしいですが、これは立て前でしょう。 最大の理由は、テレビ局側がどれほど恣意的な映像を流しているか自覚しているからじゃないですか。
先の鈴木議員の証人喚問関連番組でも明らかなように、最初から制作者側に有罪か無罪かの偏見があり、それに基づいて有利な映像だけを集中的に流す。そこを曖昧にしたら視聴率は稼げない、視聴者は勧善懲悪のような単純な物語を望んでいる、という予断に基づき、だから、後で訴えられても問題ない程度に、解釈を入れる。入れすぎると、いわゆる「ロス疑惑」報道のように、後日、名誉毀損で法外な金を払わなくてはならなくなりますから。疑惑が薄らいだり晴れたりするシーンは総てカット。かくして立派なエンターテイメント報道の出来上がり。 そして、その映像を有罪に持ち込みたい検察がさらに編集する。もはや最初の映像とは、似ても似つかないシロモノに陥ってるのは、だいたい想像がつきます。やれやれ。
これって何かに似ている。なんだろうと、つらつら考えて気付いたのですが、これ、私小説作家の伝記作者が使う方法と共通するところがありますね。 総てを読者もしくは視聴者に見せるには、情報量が膨大すぎる。だからそこに取捨選択が入り込む。そして作り手はなんらかの解釈なりメッセージをそこに込めたい。そのため作り手の思惑にかなう事実だけを取り出す。かくして、できあがったものは、作り手以外の人、特にその登場人物にとっては事実と違うと声を張り上げたくなることがしばしば起こり、時には裁判ざたにまで発展してしまう。もっとも、小説家の場合、小説つまり作り話を前提にしているのだから、逃げ道を最初から掘ってある。 ところが、この作り話を事実に戻そうとする人達がいて、これがその作家の伝記作者なのですね。作品から事実と同じものをピンセットで摘むようにして張り合わせてゆく。もちろん、それがうまくゆくように、様々な下調べ、たとえば現地調査、関係者の調書、手紙の下書きやノートのメモまであらゆる断簡零墨の積み上げを重ねた挙げ句の事。そして、できあがったものが、当の本人に読む機会を与えれば、おそらく呆然・赤面・激昂などの反応を引き出すだけだろうことは、数冊そうした本を読み比べれば同じ人物を扱っているはずなのにどうしてこうも読後の印象が違うのかを考えたら、だいたい想像がつくでしょう。たとえば奥野健男「太宰治」と猪瀬直樹「ピカレスク 太宰治伝」とか。とても同一人物の伝記とは思えん。
そんなもので現実の事件の公判をされちゃたまったものじゃないだろうなと思いつつ、もっと他に説得力のある証拠は見つからなかったのかと、またつらつら考える春の午後です。
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