あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2002年5月13日

 
  ある洗脳

 ある知人がまたアルバイトを始めた。どうせまた長続きしないだろうが、黙って見ている。
 すると、まだ始めて一ヶ月も経っていないのだが、早くも、
 「毎日、同じ時間に出かけ、帰って来るのが、辛い」
と嘆き始めた。予想通りの展開だ。
 医者にも、
 「あなたの性格では規則正しい仕事は無理です」
と診断されているのにもかかわらず、探す仕事は朝方九時から夕方五時までのオーソドックスなサイクルの仕事ばかり。その医者の言う通り、毎日そうした時間の決まりきった勤めができるというのも、ひとつの才能、それが無い者にとっては、これほど苦痛なこともないはずなのに。
 恐らく幼児の頃から社会にたっぷりそういう暮らしが理想なのだと擦り込まれているせいだろう。だから、そういう職種しか念頭に無く、勤めに就いては退職を繰り返しているその様は、まるでどうしてもミュージシャンになるのを諦めきれない音楽家志望青年のよう。適任じゃないんだな、ようするに。
 当人にとっては、これも悲劇なのだろうなあ。
 僕もそういうタイプなので、同情はする。
 僕の場合、たとえば朝十時半に出勤しタイムカードに八時二十分と自筆するなど日常茶飯事、無断欠勤も数えきれず、たっぷり顰蹙をかいつつも何故かクビにされなかったから、しばらく月給取りを続けられたが、いま想えば、あれは自分にとっても職場にとっても無駄な忍耐だった。そんなこと円満退職の日まで続けられやしないのだ。おまけに、創作活動もほとんどマトモにはできなかったしな。さっさと手を切った方が互いの為さ。本当だよ。きっと他の生活で君を充実させる方法があるはずさ。
 しかし、そんな忠告もこの人には何の役にも立たない。平日の定まった時間を懸命に働き、日祝日ゆっくり休養をとり、ゴールデンウィークには旅行に出かけるのが、この人の理想なのだ。おまえには向いてない等と言っても駄目なのだ。
 これもプロパガンダによる一種の洗脳の結果だと思う。でも、新興宗教とは違い、こういうケースは誰も責任を問われないんだな。
 ひどい。

 
  続行

 才能とは続けられることだ、と誰かが言った。なんだかんだ文句言いながらでも、大過無く毎週五日連続して何かができるなら、その仕事の素質が幾分かある、ということだろうか。それだけで諦めざるを得ないことというのが、案外たくさんあるものだ。
 もちろん、続けることしかできない、ということもあるが。毎日続けるだけでOKなら、今頃僕は名ギターリストだよ。ティーンの頃から今日まで暇さえあれば弾いているんだ。実際はいまだE♭sus4すら満足に押さえられない。チョーキングも下手。
 こういうのをたぶん無能というのだ。人のこと言えないな。

 
  Hikki's WEBに行く

 入院騒ぎを起こした宇多田ヒカルさんが、自分のホームページで一連の経過について書いていると聞き、野次馬根性まるだしで読みにいった。
 ああ、退院されたのね。おめでとう。
 しかし、この人あの激務のなか、こんな日記書くこともするんだ。僕は素直なので、どうせ誰かゴーストライターがいるんだ、なんて見方はしません。誰かがテープおこししてるかも、とまで言われたら、責任は持てませんが。
 僕ももっと働かなきゃなあ。来い、来い、仕事。

 
  どうしてなんでしょう

 ノラ・ジョーンズ「Don't know why」を始めて聞いた時、てっきり古いジャズ・スタンダードだと思った。 綺麗な曲だけど、ドーナツ盤から雑音まじりに響く、ベテラン・シンガーのようなイメージだったので。
 それが今年デビューした二十歳を幾らか過ぎたばかりの新鋭だと知って、驚いた。なぜ知らないのとノラさんに怒られそう。どうしてなんでしょうねえ。(こちらの方が訳としては正しいか)。
 改めて聞き直してみると、第一印象ほどジャズの色は濃くなくて、二十世紀後半に一世を風靡した音楽の要素が鏤められている。なるほど。これがささやかな新鮮さというものかね。見習わなけりゃ。
 まあ、僕の作品は、一部の人には新奇にすぎるらしいけどね。
 彼女はシンガーソングライター希望のようですが、デビュー・アルバムのライティングを読むと、ほとんどの収録曲はあまり知られていない人達によって書かれた唄みたいです。歌唱力はかなりのものだと感じましたが、曲作りにこれから燃えないと、シュナイア・トゥワインのジャズ・ヴァージョンみたいに消えちゃうんじゃないかという恐れもあるよなあ。はたしていつ帰って来るのか、シュナイア。
 とりあえず、このファースト・アルバムは売れると思う。でも、また「癒し系」なんてレッテルを張られそうだ。もう「癒し系」には食傷気味なのですが、まだまだ癒しの要る世の中なんでしょうね。救われない。

 
  僕などが書ける立場じゃないですが、追悼

 数年前、歌人の斉藤史さんが、最近の若手歌人の中に、わたしの短歌と、その下敷きとなっている現実上の素材を切り離して論じる人がいるが、これは好ましくない、と発言されたという記事を読んだ。

  遠い春湖に沈みしみづからに祭りの笛を吹いて逢いにゆく
  わが頭蓋の罅を流るる水がありすでに湖底に寝ねて久しき

 ある高名な思想家が、これらの歌を挙げ、一首の意味が現実世界の行為の意味と対比する必要を始めから放棄している、と批判したのを以前に読んでいたから、そういうことが引っ掛かっているのかな、とも思いました。
 むしろ、斉藤史さんほど現実世界をストレートに素材にしていた歌人もいらっしゃらなかったわけだけど、これら一首だけではたしかにどんな現実をもとにしているのかはわからない。比較的にわかりやすいのを拾えば、次のような作でしょうか。

  暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
  弾痕がつらぬきし一冊の絵本ありねむらむとしてしばしば開く
  白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼(め)を開き居り

 これなら、撃たれて殺された人がいるのだな、ということはわかる。それでも、この程度にしかわからない。どこかで理解への望みをなくした人が、ここにいる。
 歌集を通読すれば、少しはわかる。二・二六事件と言われれば、ああ、そうか、と思う。父親が下獄して、友達が処刑されて、と続く。けど、思考はそこで止まる。
 じつは二・二六事件以前の歌にも共通する精神があり、たとえば、最初に引用した「遠い春…」の歌も、事件の前年の作で、事件がより資質を拓かせたとしても、直接の原因とは思えないんだな。事件以後の歌が、より切実であるにしても、そこに断層は感じられないのです。
 結局、作者は何に口を噤んで逝ったのでしょうか。でも、歌は「語れないことがある」と繰り返すだけ。未発表の何かがなければ、推測するほかない。

 もっとも、先の批評文は、現実世界との関わりうんぬんよりも、韻律が意味をなしていない、という主旨なので、こうした歌も、おそらく例外ではないのでしょう。音楽としての韻律にこれほど忠実でありながら、思考システムとしての韻律からは他の追随を許さないほどの自由。だから読者として、とても心地良くなれる。見習いたいな。
 ともあれ、現代では、韻律など何の意味もない短歌が氾濫しているので、むしろこうした歌がまぶしいくらい。おまえもその一人だ、と言われるかもしれませんが。
 ははは。

  わが残す歌の行(ゆ)く方(へ)も知らねども思ひ重ねてみ冬うつらふ

 でも、こういう佳詠もあったのです。

 僕は一度もお目にかからず終いでした。御冥福をお祈りします。

 
  もう新聞なんて

 新聞購読を止めて半年以上になりますが、読もうと思えばいつでも手に取れるものの、読まないのは、金を出せば元を取ろうと手にする気にもなる為か、読む気をなくしたから金を出さなくなった為か。ともあれ、やっぱり現代生活に一般紙などというのは必要不可欠な物でも無い、としみじみ思いますね。インターネットがあるから、ますますそう思う。
 どの新聞社だろうと内容に大差があるわけじゃなし。どこでも良いのですけどね。

 
  フランスとかオランダとか

 ヨーロッパにおける極右勢力の擡頭が話題になっています。
 EUへの不満の捌け口になっている、とマスコミはまことしやかにその原因を伝えるけど、それじゃどうして日米でも右傾の風潮が見られるのか、なんの説明にもなっていない。対岸の火事で済むのだろうか。
 ともあれ、EUに不満があっても、欧州民衆にとっては、受け入れるか、脱退するかの二者択一しかないならば、脱退を主張する勢力にある程度の支持が集まるのも当然で、国際会議ってのは常に百年一日のごとく、この問題から離れられない。
 むかし日本は自分達の主張が受け入れられなかったので、国際連盟を脱退し、戦争に突入したそうです。下関で国際捕鯨会議が始まりますが、よほど何らかの不測の事態が発生しない限り、捕鯨再開はおそらく会議を脱退でもしないと、当分、実現しそうもない。そんなことしても、いざ捕獲に海へ出たら、抗議の大船団にさんざん妨害されるでしょうね。やっぱり「戦争」だ。
 少数派でも、あまりフラストレーションを感じなければ、もっと生きやすいんですけどね。まあ、世の中、ハードだから、むかしみたいに多数派が少数派の意見も入れて穏便に、なんてやってくれない。この国の国会でも、こんなに与党が野党を無視して独走したことはなかったはず。
 社会はいっそう殺伐としてます。多数派の方々の中には、自分達のほかはさっさと消えてくれ、という調子もちらほら窺えて。
 きついですね。


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