多摩の横山
最寄りのJRは運賃が高いので、電車に乗る時は、たいていちょっと足を伸ばして、京王高尾線めじろ台駅まではるばる歩いているのですが、その途中に「万葉公園」という、いかにも胡散臭げな名前の公園があります。 これまでいったい幾つの万葉公園に出かけたことでしょう。いま全国に幾つ万葉公園があるのか、想像すると萎えてきます。「万葉集に詠まれた植物がいっぱい」とか表示して、実はたんなる雑草だらけの狭い空き地だったり。 その点ここはまだまともでした。広場には、大きな花壇、シーソー、滑り台。そして、中央の丘に巨大な歌碑。刻まれた言葉は、
赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山かしゆかやらむ
これなら万葉公園を名のってもおかしくはない。まぎれもなく公園だし、万葉にゆかりもありそう。 しかし「多摩」? 都下が総て多摩という解釈もありますけど、ここが「多摩の横山」とは、なんだかこの場にふさわしくないな、まあ、行ったはずもないのに種田山頭火の句碑を北海道に建てるナンセンスと比べればマシかと思っていたら、先日、新聞綴じ込みの回覧紙に「ここはかつて横山町と言ったが、昭和なかばに合併する折、万葉以来の由緒ある<横山>の名が無くなるのを惜しみ、地元有志が碑を建てた」と記されたコラムを読み、一旦は納得しかけたものの、なんだか腑に落ちない所もあり、ちょっと調べてみました。
問題の和歌は、万葉集二十巻に収録されている、次の歌でしょう。
阿加胡麻乎夜麻努尓波賀志刀里加尓弖多麻乃余許夜麻加志由加也良牟 あかごまをやまぬにはかしとりかにてたまのよこやまかしゆかやらむ
やっぱり万葉仮名は読みにくいですね。そもそも専門家でさえ必ずしも読みが全員一致しているわけではないのだから、とりあえず一説だけを引いてみました。言葉は歌としてはあまり整ってませんけど、形式はともかく、僕には万葉後期の比較的新しい歌に思えます、なんとなく。 作者は「豊島郡(今の都内豊島区、北区あたり)上丁、椋椅部ノ荒蟲の妻、宇遲部ノ黒女」とあります。妻である黒女さんが、防人(兵)として九州へ赴任する夫・荒蟲さんを送る歌です。 歌意は、代表的な説を二つ挙げれば、 「茶色の赤馬を山野の牧場に放してしまって捕まえられないので、夫は馬にも乗れず多摩の横山あたりを歩くことになってしまった」 「吾の馬を山野に逸らしてしまい捉えられない、まるでそのように、夫を多摩に横たわっている山へ徒歩でゆかせねばならない」 馬が捕まえられないから夫は徒歩でゆく、というのと、馬が捕まらないように夫は捕まらず私のもとを去ってゆく、というのとでは、まるで違いますけど、とにかく、今の都内北部地域に住んでいた夫婦が、単身赴任のため生き別れとなって、夫は足柄峠を越え、西へゆくのでしょう。 その時、夫は旧横山町を通ったのか。 地図をいくら睨んでも、そんな大回りなコースは思い浮かびません。間違えて、新潟への道を採ってしまった、なんて妻が空想するはずもない。 府中市に在ったと伝わる国府という役所に一旦寄ったとしても、山を避けて現在の八王子中心街や片倉町まで迂回したと見るのが精一杯で、和歌を素直に読めば、夫は国府から南下し、現在の稲城市か多摩市の山中を突っ切ったと解釈すべきでしょう。 あるいは、こうした推測は全部間違いで、夫はちゃんと旧横山町を通っていて、それは僕が万葉公園を通るように、なんらかの事情があったのでしょうか。 安あがりの鉄道を利用したとか。「かしゆかやらむ」と書いてあるから、それは無理ですね。「かし」とは「かち(徒歩)」のことだそうです。 あるいは、高尾山へ旅の安全を祈願しに参った、とか。これなら旧横山町を通ります。高尾山薬王院の草創は、744年、聖武天皇の勅願により行基が成したという縁起が正しければ、大伴家持が防人の歌を収集したのが755年だから、歴史的には矛盾しません。でも、わざわざ防人全員で山頂まで祈願登山をしたとも思えないな。今ならケーブルカーで一息だけど。しかも当時の本尊は薬師如来。今ならその隣に航海安全の神・金比羅神社があって、あ、でも、船旅じゃなく山越えだった。うまくいかないな。
中世の多摩には、横山党という武士団が住んでいる横山庄という広大な領地があったそうです。万葉集には他にも横山を詠んだ歌があるので、その時代でも横山庄内の多摩南部の山地を総て横山と呼んだのかもしれません。すると、そこは高尾から多摩川沿いに横浜市の一部までも含む広大な土地と成ります。あるいは、万葉詠歌が一時期地元で広まった為、「横たわった山」という言葉が、後の世に地名や党名と成っていったのかも。 横山町には、きっと別の由来があるのでしょうね。横山党の誰かの屋敷でもあったのでしょうか。
などと、まあ、どうしてこんな見て来たようなことが書けるかと云うと、この夫は防人としての集団行動を権力から強いられていたから、そんな突飛な行動がとれるはずがないという見通しがあるので、別の道を行ったかもとか、船に乗ったかも等と云う可能性はきわめて低い為、それらを考慮の外へ置いているのですが、これが個人としての活動になると、まったくこうはいかないんですよね。 実はこう書きつつも、この夫に単独の使命が托され、別行動を執らなかったと云う証拠はどこにあるのだとか、恐ろしくマイペースな奴だったかもとか考え出したら、結局、本当のことは誰にも解りませんで終わってしまうのですが。なにしろ、歌はあくまで妻の黒女さんの想像範囲。「事実」じゃない。 そこに小説家等の悪知恵が働ける場があるんでしょうね。妻にとって予想外な夫の姿が、実際は展開されていたりして。僕なんかも、きっと知者じゃなく、悪知恵派だ。
「多摩の横山」とは何処に在るのでしょう。 よく考えれば、妻はおそらく豊島郡の自宅、もしくは、そのそばでそこを想像しているのです。妻にとっては馴染みの薄い、あるいはまったく知らなかったかもしれない「多摩の横山」、どのような景色であろうと、夫が自分を置いて行くその道は、その時の彼女にとって親しげには囁かなかったでしょう。 「多摩の横山」、それは僕等の身近に聳えているようです。今日も、明日も。
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