あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2002年8月27日

 
  CGのスナドリネコ

 誘われて、動物アニメ映画「ぼのぼの クモモの木のこと」を観たよ。
 コンピューター・グラフィクスで、ぬいぐるみが演技しているように見える。動物たちの毛が微風にそよいで、それだけでもなかなかの見物だった。ラッコも、シマリスも、原作ではもともと実写には遠い絵だから、動くぬいぐるみがそれにふさわしい画像なのかもしれない。
 高校時代、人形アニメの8ミリ映画を手伝ったことがあった。人形の腕や足の位置を少し変えて、一枚写し、またちょっと変えて、一枚写す。手間と時間と根気のいる作業だった。宇宙服を着た人形が無重力をさまようのだから、風も何も吹かない都合のよい設定だったけど、ようするに風なんか吹いてもらっちゃ困るんだよな。そこまで手が回らない。
 コンピューターとビデオでこんなに違う絵になるんだと思うだけで、ため息。
 でも、ついついそちらに視点が向きがちで、ストーリーはぼんやり眺めてしまったりして。
 歌舞伎なんかも大仕掛けな新しい技術を披露する場合は、ストーリーはなるべく陳腐な方がウケやすいという前例があって、近年もハリウッドから「パール・ハーバー」だの「スパイダーマン」だの、技術を見せつけるために、ありふれた筋と、美男美女が皆無な映像を、わざと作り出しているのではと疑いたくなるシロモノが、次々上陸してくる。その方が、観てる人も楽なんだろうと。
 もっと捻ったら、より感動できたのに、という批評が出るに違いないけど、僕はあの程度でもかまわないと思った。もっとも、途中からそんな最新映像であること、すっかり忘れてましたが。ははは。
 けど、客席の大勢の子供達も一緒じゃないかな。それで「あまっちょろい」とシラケたか、ぼろぼろ感動の涙を流したのか。
 残念ながら、今の僕はどちらでもない。「あまっちょろい」とシラケながら、感動している。もしくは、感動しながら、呆れ返っている。単純なのです。つまり。
 それに、捻った映画は、スタジオジプリがやってくれるから。とかなんとか言いながら、まだ「猫の恩返し」を観てない僕です。来月、行きます。たぶん。なにしろ一時期、押井守、宮崎駿、大伴克洋等の作家性豊かなアニメにどっぷり浸りながら、やがてアニメの変質で劇場にもテレビにもサヨナラした後は、庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」以外、もうアニメはジプリしか興味がなくなってるので。「エヴァ」でアニメは終わったと理性も言ってる。
 でも、本当は次なる傑作が出るのを、じっと待っているのです。

 とつぜん想い出したのですが、僕に原作漫画の「ぼのぼの」を教えてくれた人は、
 「三宅さんって、この漫画のスナドリネコみたい」
と言ってましたが、どういう意味か聞き逃しました。
 スナドリネコは今回めずらしく起きてます。いつも寝てばかりなのに。聞かない方が無難だろうけど、どういう意味か尋ねてみたかったと今にして思う。
 ぼのぼのは相変わらずスナドリネコに頼ってました。どうしていつも彼に頼るのでしょうね。
 ま、尋ねても、スナドリネコのように、
 「それは秘密です」
 そう交わされたかもしれません。
 ちなみに先日の映画館でスナドリネコのこの決めセリフが出たとき、笑ったのは僕だけでした。ちょっと哀しかった。

 
  あと一人

 テレビでは西武ライオンズの西口投手がロッテに完全試合をやりそうだった。一人のランナーも許さず、9イニング総て3人ずつで片付け、計27人で試合を終わらせる偉業だ。今年、中日の川上投手が巨人相手にノーヒット・ノーランを達成するシーンも中継で観たから、もうひとつ観られるかと思ったら、21人目に四球を与えて完全試合は消え、あとアウトひとつで試合終了という場面でヒットを打たれ、ノーヒット・ノーランにも届かなかった。あと一人だったのに。
 偉業は成し遂げられなかった。その時は残念に思ったけど、今は、両方見届けたら、なんだか自分がそれほど閑人である証明のような気がしている。
 それはこちらの都合。
 ともあれ、夏本番以後、すっかりつまらなくなってしまったペナントレース。その中で、マウンド上でがっかり苦笑している西口投手の姿は一服の清涼剤だった。

 その放送にまぎれて、実況アナウンサーが紹介したエピソード。
 むかし別所投手が、やはり九回二死あと一人というところで代打で出てきた控えのキャッチャーにヒットを打たれ、大記録を逃した。その控え選手にとってそれは、プロ野球選手としての唯一の安打だったと。
 いままで聞いたことのない話で心に残った。他にも偉大な業績を残した別所投手にとっては厄病神みたいな選手だったわけだけど、そのたった一本のヒットを残し、消えていった選手のことをむしろ僕はぼんやり考えていた。その人の生涯にとって、それはどのような意味を持つものだったのだろうと。
 しかし、その人にとってはどうあれ、僕等にとってこの話の主役は、ヒットを打った選手ではなく、ヒットを打たれた別所投手である。さっきの西口投手のエピソードで僕がわざと、四球を選んだ打者も、最後にヒットを打った打者も、その名を書き込まなかったのは、そういう事情。書いても、ここじゃ悪役だしね。
 とはいえ、それもひとつの偉業には違いなく、だからこそ未だにこうして僕に書かれたりもするわけ。まあ、ほとんどのかつての野球少年は、その程度の偉業すらも遠い所にいるのだから。

 そして、ぼんやり思った。彼が懸命に打ちたいと願い、そのため数々の犠牲を払って、ようやく打てたそのヒットは、僕が毎日心底詠みたいと願っている一首の詩歌句と、どちらが重いのだろうと。
 もちろん、バカげた比較には違いないけど、なんとなく僕は「負けたくないな」と思ったのだった。夜にはもはや涼しい秋の風に。

 

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