あと一人
テレビでは西武ライオンズの西口投手がロッテに完全試合をやりそうだった。一人のランナーも許さず、9イニング総て3人ずつで片付け、計27人で試合を終わらせる偉業だ。今年、中日の川上投手が巨人相手にノーヒット・ノーランを達成するシーンも中継で観たから、もうひとつ観られるかと思ったら、21人目に四球を与えて完全試合は消え、あとアウトひとつで試合終了という場面でヒットを打たれ、ノーヒット・ノーランにも届かなかった。あと一人だったのに。 偉業は成し遂げられなかった。その時は残念に思ったけど、今は、両方見届けたら、なんだか自分がそれほど閑人である証明のような気がしている。 それはこちらの都合。 ともあれ、夏本番以後、すっかりつまらなくなってしまったペナントレース。その中で、マウンド上でがっかり苦笑している西口投手の姿は一服の清涼剤だった。
その放送にまぎれて、実況アナウンサーが紹介したエピソード。 むかし別所投手が、やはり九回二死あと一人というところで代打で出てきた控えのキャッチャーにヒットを打たれ、大記録を逃した。その控え選手にとってそれは、プロ野球選手としての唯一の安打だったと。 いままで聞いたことのない話で心に残った。他にも偉大な業績を残した別所投手にとっては厄病神みたいな選手だったわけだけど、そのたった一本のヒットを残し、消えていった選手のことをむしろ僕はぼんやり考えていた。その人の生涯にとって、それはどのような意味を持つものだったのだろうと。 しかし、その人にとってはどうあれ、僕等にとってこの話の主役は、ヒットを打った選手ではなく、ヒットを打たれた別所投手である。さっきの西口投手のエピソードで僕がわざと、四球を選んだ打者も、最後にヒットを打った打者も、その名を書き込まなかったのは、そういう事情。書いても、ここじゃ悪役だしね。 とはいえ、それもひとつの偉業には違いなく、だからこそ未だにこうして僕に書かれたりもするわけ。まあ、ほとんどのかつての野球少年は、その程度の偉業すらも遠い所にいるのだから。
そして、ぼんやり思った。彼が懸命に打ちたいと願い、そのため数々の犠牲を払って、ようやく打てたそのヒットは、僕が毎日心底詠みたいと願っている一首の詩歌句と、どちらが重いのだろうと。 もちろん、バカげた比較には違いないけど、なんとなく僕は「負けたくないな」と思ったのだった。夜にはもはや涼しい秋の風に。
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