あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2002年9月25日

 
  後ろに目があるお化けの話

 小説家の柳美里さんがプライバシー裁判で敗訴し、作品の出版差し止めが決定しました。作品のモデルにされた障害のある女性が、「精神的に傷ついた」と訴えていたのです。
 国際的知名度のある柳さんですから、版権問題がこじれないかぎり、いずれこの小説も翻訳され外国で出版されるのでしょうが、もしそうなると、民族的には在日朝鮮人に属する作家によって、日本語で書かれた作品が、多言語として世に広まり、日本人は他言語でしかこれを享受できないとすると、これはこれでとても興味深い問題を孕んだ事件ですが、いずれにせよ柳さんにはまったく不幸なことで、同情します。まるで冷戦下のソ連かチェコスロバキアの話みたいですね。日本国の裁判所のせいで、どの国の読者も読めなくなってしまえば、ますますもって情けない話です。
 もっとも、訴訟が始まった時点で、僕のささやかな理性では、おそらく柳さんの敗訴に終わるだろうとは思っていました。それは、僕が裁判官でも、被告側敗訴と判断する、という意味ではなく、現在の日本法曹界ではそういう判断になるだろう、という諦めです。
 むかし僕は法学部の落第生だったのですが、そこで学んだ唯一のこと、それは、法ってのは後ろ向きなのですね。つまり、目が後ろにあるお化けなのです。
 この訴訟が始まった時から、三島由紀夫の小説「宴のあと」を巡るプライバシー裁判が何度も取り上げられてましたけど、この裁判以後、どうして欧米よりはるかにプライバシーという点では無頓着なこの日本において、欧米ならまず有罪とはなりそうもないこんな事件で三島が有罪判決を享けたのかというのは、既に語り尽くされたことで、要するに日本人というのはそれほどプライバシーということを理解していないということです。
 だから、世間一般にはプライバシーをもっと理解しようという前向き思考になるのですけど、法曹界ではそうはなりません。あの三島のプライバシー裁判は立派な判例なのです。法律家は自分の頭で決断するよりも、昔の事例に倣おうと、判例を探して回ります。だから、七十年代から八十年代にかけて裁判所が下した一連の判断は、滅多なことでは覆らず、踏襲されるのですね。
 だから、僕等にとってそれがどれほど馬鹿馬鹿しい結論だったとしても、この判決は予想範囲内なのです。あそこではプライバシーの定義がふたむかし前と何も変わってないのだから。こんなので有罪なら、有罪判決がいつ下っても不思議じゃない人、いっぱいいらっしゃるんですけどね。誰とは申し上げられませんが。
 裁判の場で原告が障害者であることが強調されたのも、そうした人々に「あなたとは関係ない」「これは特例」というシグナルなのでしょう。
 賢い。でも、あざとい。
 けど、これが一般化されないという保証は、どこにもありません。下手をすると、たとえばインターネット上で自分の気に入らない実名の文を見つけたら、「傷ついた」という名目で相手をいつでも訴えられる、だから本音の文章はみんな匿名、そんな世界になってしまいます。
 竹取物語の時代に逆戻りです。もしあの古典的名作の作者がバレていたら、権力者をからからった箇所を理由に厳しく咎められたでしょう。それもあって、古典に作者不祥の伝統ができたのじゃないかな。
 嫌な世の中ですね。
 僕も今後だれかをモデルに描く時は、あらかじめ許可文書を得ておいた方が良いのかな。もちろん、そんなことしないけどね。

 ちなみに、ちょっと僕の個人的な想い出を述べさせてもらえれば、あれは三島由紀夫が死んで二十年たらずの、大学での講義でしたが、そこで九十分、例のプライバシー裁判の正当性と、「三島という三流作家」の違法行為について、判決文全文コピーまで付けて、教授から、逐一、説明を受けました。そのあと、講義は「文学という問題性ある存在」にまで話は逸脱したのですが、この教授、今でも同じ話を学生に聞かせているのだろうか。
 たぶん、やってるんだろうな。
 これから当分、日本の法学部の学生は、この柳さんの判例を勉強させられるのでしょう。そこで、今回の判決について何かちょっと変だと思慮が働くほどの学生が続々と出てきたら、日本の法曹界も、より良くなるのではないかなあと、思うのですが。
 あまり期待はしませんけどね。

 
  あれはパスボールでしょ?

 九月二十四日、甲子園球場における阪神VS巨人戦を午後11時過ぎまで観戦。
 9時前に2位のヤクルトが中日に敗れ、その時点で巨人のセ・リーグ優勝はすでに決まっていたけど、試合は白熱し、延長12回裏、前田投手の暴投(ワイルドピッチ)で、阪神のサヨナラ勝ち。記録ではそうだけど、あれは阿部捕手の捕逸(パスボール)ではないでしょうか。後ろに逸らすほどの悪球じゃなかったような。草野球でも巧いキャッチャーなら捕れそうなボールに見えました。
 ともあれ、おそらく今シーズン中、巨人最悪の試合のひとつ。守備の乱れ、犠打の失敗、残塁の山。むしろ「サイテー」と表記したいほど。
 巨人ファンは喜びに水をさされ、阪神ファンは敵が墓穴を掘ってくれたおかげで、幻のサヨナラヒットに酔いきれず、アンチ巨人のみが爆笑とともに一年分の溜飲を下げたのではないでしょうか。まあ、阪神ファンって、ほとんどアンチ巨人とイコールなんだけど。

 かくして、サヨナラ負けの直後、なだれ込んできた大勢の警備員が場内で警戒するなか、阪神快勝に湧く球場で、巨人軍監督の胴揚げ・優勝インタヴュー。テレビカメラは阪神応援団の中核であるライトスタンドや一塁側をいっさい映しださず、
 「観客は誰も帰らず、巨人の優勝を讃えております」
とアナウンサーは解説してくれましたが、聞くところによると、一塁側の客は次々と家路へ向かい、ライトスタンドは「帰れ」等の罵声の嵐だったとか。
 当然でしょうね。ああいう画面を作り上げて「自分達は嘘を伝えている」と自覚しないところが、テレビの最も悪いところ。あるいは、テレビ局にとってスポーツ中継は創作ドラマみたいなものなのかもしれない。ひょっとしたら、ニュース報道も。
 もちろん、巨人優勝を讃える阪神ファンも居たには違いないけど、そうでないファンも大勢いるのが当たり前。これはどちらが善いとか悪いとかの問題じゃない。もし、悪いことがあるとすれば、四万人も五万人もの人間がそんな所で揃って同じ行動をとることが、一番ぶきみ。野球観戦は皇室行事ではありません。東京ドームで巨人以外のチームが優勝・胴揚げをする時も、讃える人がいれば、罵声をあげる人もいる。それが真っ当でしょう。
 むしろ、そういう好対照な姿を率直に見せる方が善いと思うけどな。たとえば、9回裏、浜中の同点ホームラン直後、狂喜する阪神ファンと、静まり返る巨人ファンの大映しはなかなか見ごたえがあった。あれで良いんじゃないか。試合終了と同時に、全員の態度が友好的に豹変するというのも、気味が悪い。
 人間にとって、本物の無礼講の場が必要なら、あそここそ、そうであるべきで、優勝祝勝会のビールかけも、だからこそ必要事項になります。あれは、365日24時間、礼儀正しい人の姿しか見たくない人には、理解できない光景かも。ただし、選手が無礼講やってるのに、客が全員揃って礼儀正しくしてなきゃならないのだとすれば、それは不快にもなるでしょうけど。

 そこで、胴揚げ時の、あの異様な警備です。
 負け試合でも胴揚げ・優勝インタヴューが要るのかどうかは、このさい脇に置きます。しかし、それでもやるなら、あれしかないのでしょう。
 前回、甲子園での巨人の優勝時は、勝った方が優勝という状況での阪神惨敗だったため、試合終了とともに怒った阪神ファンが巨人の選手に殴り掛かったことで有名。それでも胴揚げをやりたいなら、物々しすぎる警備をひくほかない。
 あれで観客席にまで大量の警備員が犇めき、威圧したら、まるで警察国家かファシズム社会でしょうしね。自由社会における自由の限界。放っておいたら、無秩序混乱必至だものな。
 それでも、あのずらりと並んだ真っ黒な陰が、今の今まで選手達がプレイで魅せていたグラウンドに立っている映像の不快さに、
 「だれかあそこへ "黒い制服の群れに向かって" 殴り込まねえかな」
と見ておりました。さすがにそんな阿呆はいませんでしたが。いたら思いきり嗤ってやったのに。
 不快だ、僕も。

 
  縦書きの反響

 先日、手間暇かけて、ウィンドウズでも縦書き表示部分がまっすぐ表示されるように改めたところ、
 「歪んでた方が、趣きがあって好かった」
 と思わぬ反響をいただきました。わざと独自の表記をしているのだと思っていたそうです。なんだか騙していたようで、申し訳ないですね。
 しかし、一方で、
 「どうしてまっすぐにならない」
 「読みにくい」
 という苦情も別の処から入っていたので、やはり本来の、歪みのない、マッキントッシュ同様の表示が良いと思うので、これからはこの表示でいきます。
 これからもよろしく。

 

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