あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2002年11月18日

 
  ゴーヤジュース(みたいなもの)

 僕が沖縄食品をよく食っていたと知った方が、珍しい物をくれました。
 ゴーヤジュース。
 くれた人は、そう言ってまして、たしかに、ゴーヤつまり苦瓜みたいな、ちょっと濁った深ミドリ色。瓶に入っているから、また、ゴーヤというネーミングを知っているからこそ、ジュースと思えますが、ガラスコップにそそぐと、
 「なんだか溝の汚水そっくり」
 声に出してはいけない言葉が、つい頭をよぎる。
 いかん。これでは飲めない。でも、ゴーヤの味をよく知ってるから、なおさら勇気が出ない。そもそも、あの味がする飲料水に合う食べ物って何。パン、チョコレート、ようかん、パスタ、どれも一緒に口に入れたくない。
 沖縄関連なら、アオバジュースやマンゴジュースで充分でしょうに。ゴーヤにこだわるところが、商魂たくましいというか、なんと申しましょうか。
 かくして、冷蔵庫の置き物となること、約二ヶ月。ついに決心して、グラスにつぎました。とにかく一度、味見しよう。ほとんど恐い物見たさに近い。いや、見たくないんだけど、捨てるには忍びない。
 ごくっと一口、飲み込んで。なんだ、こりゃ。しげしげとボトルの原材料を読む。りんご、ぶどう、グレープフルーツ、ほうれん草、セロリ、エトセトラ。ゴーヤの味なんて全然しない。よく見たら、製品名も「ゴーヤミックス」。申し訳程度のゴーヤを含め、ゴーヤをイメージできる着色料を付けただけなんでしょう。
 それにしても、こんな物を売り出したくなるほど、最近の沖縄ブームはすごいのでしょうか。僕が凝りだした頃は、ゴーヤなんて普通のスーパーになかったのにな。まあ、僕なんかよりずっと前から沖縄に凝っていらした方々の努力の賜物なのでしょうが。

 今BGMは、内容に合わせて、「Ashibina(遊び庭)」です。これも以前は、りんけんバンドしか唄ってなかったと思うけど、最近はカヴァーするシンガーも増えてるそうで。「花」「島唄」並みに有名になることはないと思うけどね。詞が活字読まなきゃ解らないし。解らなくても、いや、ひょっとして、解らないからこそ、聞きごたえがあるのかもしれないけど。
 それにしても、沖縄音楽のCDまでこんな簡単に手に入るなんて。そして、またそれを持ってるなんて。
 そもそもどうして僕は沖縄に凝り始めたのだっけ。
 もう想い出せないほど昔のある日、ふとそうしようと思ったから。
 どうして。
 それはとても大事なことだ。なぜなら、その答は、いま僕がどうしてこんな人生を送っているのかという問に対する答とほぼ同じのはずだから。
 でも、そういう大事なことに限って、答えるのは難しいんだな。

 ちなみに、いま書きながら食べているのは、夕張メロンELISE。こんな物もある世の中なんだなあ。メロンクリーム入りのウエハースだものね。
 去年ここに書いた沖縄産紅芋ELISEからズレて、こんなところにまで行き着いちゃうんだからな。
 「ELISEが好きなんでしょ」
と北海道土産にこれを選んでくれたアナタへ。48袋96本もホントにたくさん。半年を経て、ようやく半分なくなりました。おいしくいただいてます。
 でも、誰か分けて欲しいと言う人いませんか。残念ですが、譲りますよ。

 
  「カミ」は「かみ」である

 またどこかの新興宗教の開祖が逮捕されたらしい、という話を聞いた。容疑は知らない。どうせ高価な商品を「運勢を変える」とか言って売り付けようしたとか、死体が生き返ると偽りの祈りを捧げていたとか、多額の布施つまり寄付金を要求したとか、そんなのに決まっている。
 僕はテレビに映ったその顔をじっと睨んだ。なんだかぎらぎら光るのに、何も見ていないような眼だった。美形とは御世辞にも言えない。

 僕がこれまで複数の人々に薦められた職業は、二つしかない。一つは文筆家、もう一つは新興宗教の開祖だ。
 「ぜったい儲かりますよ。神の声が聞こえる、とか言われたら、信じちゃいます」
 からかわれてるとしか思えなかったが、それでついつい開祖という人が画面に現われると見入ってしまう。友人・知人達の目に自分はどういうふうに映っていたのかと。
 でも、僕が見たことがあるのは、厳密には宗教家と云うよりイカサマ詐欺士みたいな奴ばかりだ。まあ、僕に忠告(?)をくれた人達も、本物の開祖なんて知らないだろうしな。そんなのが実在すれば、の話だけど。

 かくして、僕は文筆家を志した。神の声なんか聞こえないから、宗教家にはなれない。なにより自分みたいな個人主義者が、集団の長に立つなんて。その点、文筆家は自分で言葉を組み立てるのだから、できることはできる、しかも個人営業だ、そう思った。
 ところが、実際に詩歌句を捻るばかりの人生を送るようになると、意外なことに自分はほとんど文章を作っていない。僕はただ何処からか訪れてくる言葉を頭に留め、紙に写しているだけだ。作為はない。重要なのは、言葉が来ること、それを待つこと、すべて聞き取ること、そして洩れなく書き残すこと。
 なんだ。あまり宗教家と変わりないじゃないか。
 書いてる紙を見る。新約聖書には「神は言葉である」とあるが、日本人は「神は紙である」と考えていなかったのか、などとバカなことを思う。「髪、神の守り」といったシンガーソングライターもいた。関係ないか。
 でも、そういう言葉をみんなが聞いてもしかたがないんだな。世の中、開祖だらけになっちゃう。それで、信者はいなかったりして。ははは。ばかばかしい。
 そういえば、元ヒット歌手に成り済まし、あちこちから謝礼金を騙し取っていた男が逮捕されていましたが、ああいうふうに一晩か二晩だけ別人になり、また次の場所では前回とは違う別人に化け、金まで稼げるというのは、快感だろうね。でも、ニセ開祖みたいにバレるまで、バレなきゃ一生やってるというのは、どうなんだろう。嫌にならないのだろうか。僕は嫌ですが。
 ともあれ、ずっとそうしてると、自分が電線にでもなった気がします。どうぞ自由勝手に通り過ぎていってください、言葉。
 どうも、近頃、濁ったものが多い気がしますが。お手元に届く時は、なるたけ綺麗にしていますけど。それほど悪い時代ということでしょうか。時代と無縁というわけにはまいりませんからね。やれやれ。

 

 御意見、御感想がございましたら、お聞かせください。
 無断転載は禁じます。Copyright(C),Miyake Satoru,2002
Online Order
書店でなくても本は買える!
 

次回

前回

あ・はるふ・まんすりー・こめんと 一覧   三宅惺ホームページ