あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2002年11月25日

 
  人里(へんぼり)にて

 電車を一時間ほど乗り継げば、温泉街に行ける、と誘われた。まさか、と思ったけど、とりあえず出発。なんと、本当に温泉が、ぽつりぽつりと山の川沿いに点在していた。旅館も、露天風呂もある。
 東京都にもこんな所があるんだ。都内で温泉を初めて見つけた時も驚いたけど、それらは奥山に一ケ所ぽつりと湯場があるだけ。こんなに密集している土地があるとは思いもしなかった。
 その途中で、人里という土地を通った。「ひとざと」と最初読んでいたのだけど、町の道の脇の看板に地図が描かれ、そこには「人(へん)里(ぼり)」と振り仮名が。「人」が「ヘン」だと言うのか? 「里」なら「り」と読める。「人」は「へんぼ」じゃないのかと首を捻っても、妙な読みであることに変わりはない。あるいは、「人(ヘン)」とは「人(ニン)」の訛りなのだろうか。
 変な話だ。
 その「人里」で懐かしい出会いがあった。

 むかし僕が短い期間、関西の図書館にいた頃の話。馴染めず、すぐ辞めてしまったのだけど、カウンターに腰かけていると、様々な人が本を探しに来た。書庫に籠りたがる教授、スポーツ誌だけが目当ての学生、それならば、目の前を通り過ぎるだけなのだけど、こちらに本を探してくれるよう頼んで来る者もいる。中には、リクエストして、本が届く前にそのまま何処かへ消えてしまうものも。
 そういう場合、たいてい僕が彼等の相手をし、誰かに書庫まで走ってもらったので、僕はちっとも実害を被らないけど、なんだか申し訳ない気もする。今度会ったら、一言なにか言ってやらなきゃ、と思っていた。

 だから、「人里」での再会は、予想外の出来事だった。
 そうは言っても、道で擦れ違う時、ちらっと木陰に横顔を見かけただけだし、なにより今になると、何をリクエストされたのだか、なにより、本当にリクエストされたのかも曖昧だし、正直、もうそんなことどうでもいい。こちらが何か勘違いしただけかもしれないし。
 「また、往っちゃったんじゃないですかあ」
と大学の後輩が笑う。
 「往っちゃった、って、なんだよ」
と返しても、何も答えない。ふん。
 でも、それは構わない。見かけた時、おそらく僕は懐かしさに微笑んでいたことだろう。

 人里の上流では、普通の民家が何件も温泉の看板を揚げている。東京の風呂屋を思えば、入浴料も安い。
 ぜひ、この中の何処かに入りたいと思ったのだけど、あいにくその日は、連れがその集落の真ん中にある、温泉センターの格安券を手に入れていた。正規なら、そんな味も素っ気もない、コンクリートの箱物なんか見向きもしないところだけど、半額以下なら、さすがに民家よりずっと安い。
 山頂で富士を見たあと、ゆったり湯に浸かった。
 みそ味の饅頭も美味かった。
 でも、なにより見事だったのは、人里(へんぼり)峠への下りで、木々の間から垣間見た、濃淡色様々な紅葉だった。

 
  哀れな「サムシィング」

 休日を「ザ・ビートルズ ディスコグラフィ」という本を眺めて過ごした。雨も降ってるし。BGMは例の如く『ライブ・アット・ザ・BBC』。
 それで初めて気付いたんだけど、おととし大騒ぎした『ビートルズ 1』の収録曲は、1982年にリリースされてる『ザ・ビートルズ_20グレイテスト・ヒッツ』のイギリス盤とアメリカ盤を、足して、二で割ったようなものだったんだな。チャート一位獲得曲ばかりとされた全27曲中、これに入ってないのは「サムシィング」のみ。あとは総て重なっている。実はこっそりアメリカで一位を取っていたことがあまり知られておらず、最大の問題点にされたイギリス・デビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」も入ってるし、それまで初のナンバーワンとされていた「プリーズ・ブリーズ・ミー」はやっぱり影も形もない。
 その約二十年前の企画盤は、「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」が10秒、「カム・トゥゲザー」が15秒、「ヘイ・ジュード」に到っては約2分も通常ヴァージョンより短く、宣伝も下手だったのか、たいして売れなかったとか。そういう難点があったにせよ、これほどの共通点に気付いてしまうと、あの『ビートルズ 1』のバカ売れは、なんだったのかなと、思ってしまうね。デジタル・リマスタリングしたからウケたわけじゃないだろう。まあ、それに乗せられて、騒いだこちらもこちらだけどさ。
 ただし、そう思わせてくれるのはアメリカ盤や日本盤での収録曲で、「イエスタディ」も「レット・イット・ビー」も「ロング・アンド・ワイディング・ロード」も「ペニー・レイン」も「カム・トゥゲザー」も入ってなかったイギリス盤『グレイテスト・ヒッツ』が売れていたら、そちらの方がどうかしてるけど。それにしても、すさまじい選曲だな。それより、よくポール・マッカートニーが発売を許可したと思う。
 しかし、今まで全然知らなかったけど、この本を読むと、僕達の青少年時代はビートルズ・ファンとしては恵まれていたのだと気付く。六十年代だと欧米はまだ遠く、音源や情報も充分には入ってはきていなかったようだし、また、現在ではガッチリ管理されて正式には表に出せない録音も、簡単に聞くことができた。僕も無意識のうちに、幾つか珍しいのを聴いていたらしい。
 解散と同時に熱が冷めた人達には、味わえない喜び。でも、リアルタイムにはリアルタイムの良さも、無論ある。
 何が幸いなのか、解らないものだね、その時代においては。そして、過ぎてしまったら、もう簡単には手が届かないんだよ、何事も。
 きのう昼飯を食べに出たら、近所は祭で、やむなく雑踏のなか、たどり着いた店で、カレーを食った。店の前では、客の呼び込みをしながら、ギター、ハーモニカ、タンバリン等を鳴らして、学生達がビートルズやディランや最近の邦楽ヒットソングを演奏している。
 その光景を見ていると、2002年は少なくとも二十世紀が続いていた、という気がしてきた。実態は、まあ、ともかく、さ。

 
  むなしかろうが

 大相撲九州場所が終わった。二横綱二大関が休場し、22才の新鋭大関が一人で独走。つまらなかった。
 プロ野球も、春先を除けば、両リーグとも結局、独走。しかも、日本シリーズはワンサイド、セの四連勝で済んだ。
 サッカーのJリーグも、磐田の独走で終了。初の第一ステージ・第二ステージ両制覇で、両ステージ勝者によるチャンピオンシップは無し。やれやれ。
 この季節になると、それでなくとも無性に寂しさを感じる。なのに、あれもこれも徹底的に盛り上がりを欠いて、なおさらむなしい冬が来た。
 来年は活性化するのだろうか。
 とりあえず、つつがなくシーズンが行なわれれば、それでいいか。某知事は「宣戦布告だ」と息巻いておられるそうですし、そうなったら、もちろん野球やサッカーどころじゃなくなってしまいかねないですしね。海の向こうでも物騒な声を張り上げているそうですが、どちらも、口先だけだったら良いんですけど。
 つまらなくとも、むなしかろうとも、試合がないよりはマシです。
 とは言っても、来場所はまた横綱不在ではとか、カープとベイスターズはレギュラーがきちんと組めるのかとか、パ・リーグに報道関係者は集まるのかとか、三年連続あと一歩までゆきながら、J2に甘んじていたJリーグの大分トリニータは、ようやく昇格をはたして燃え尽きていないかとか、不安はいくらでもあるのですが。みんな大丈夫か。そして、大量のクビ切りと、大幅な補強を成し遂げた、星野阪神に未来は。

 

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