あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2002年12月23日

 
  日付入り写真

 伊豆から自室に戻った翌週、撮ってきた写真を見たら、右下隅の日付が五月になってました。
 電池の残りが少なくて、カメラの調子がおかしかったんですね。新しい電池に入れ替えたあと、改めて設定をしなかったのが悪い。
 悲惨だ、これは。見苦しい。「五月」とあるのに、紅葉がちょっと写ってたりして。日付は初夏なのに、通行人がコート着てたりして。矛盾がいっぱい。やりきれない。

 初めて日付入りカメラを家(うち)の父が買って、写した時も、最初は大失敗。まるで違う日付だったのですけど、まだ子供だった僕が、カメラ屋に現像済み写真を受け取りに行くと、カメラ屋のおじさんは、
 「日付、おかしかったから、削っといたよ」
 風景と日付の不一致に、すぐ気付き、日付表記なしの普通の写真にしておいてくれたのです。当時は、まだ普及直後、似たようなミスをする人が、あとを断たなかったのでしょう。もちろん、まだ「現像所要時間60分」だの「40分」だのといった、画質無視のスピード競争が始まる前の、みんな手作業だった、古き良き時代の話です。
 機械は、そんなこと、やってくれない。人にやってもらいたければ、料金上乗せ? 世知辛いなあ。
 現像前にこちらが気付いてたら、対応も違ったんでしょうけどね。

 十年ほど前、冷戦崩壊まもなく、東欧からの旅行者と知り合いになった時のこと。
 彼は故国のオーソドックスな全自動式カメラを持ってきていたのですが、日本の名所・旧跡をあちこち案内していると、フィルムがなくなったので、観光地の売店にて超安物の日本製フィルムを購入。その後も何ケ所か写して歩き、やがて彼が帰国して数ヶ月、東欧から郵便物が届きました。
 あの日、撮った写真が同封されていましたが、たまげましたね。カメラは安物の旧式、フィルムもありふれた日本製。それなのに、なんて色あざやかな。
 腕が良いのか。それはそうでしょうね。でも、やっぱりシャッターを押す技術より、現像の違いでしょう。彼自身が現像したとは思えないから、普通に現像を依頼したとしか考えられないのだけど、機械で数分なんてものじゃないんだな、きっと。恥ずかしくて、こちらからは、写真、贈れませんでした。
 東欧も、資本主義化が進んでるそうだから、今は日本みたいに、安価・短時間・低画質と高価・長時間・高画質に二分されているのかな。すると、彼なんかは僕同様、安価に奔らざるえなくなっているでしょう。

 そんなことを思わせる、この写真たち。
 じつは秋口以来の食欲減退のはてに、先月末から風邪で十日ほど臥せってしまい、ほとんど病み上がり状態で、うろうろしていたのですが、写真ではまったくやつれはてた面ざし。自分でもビックリ。まるで別人じゃないかと思った。
 なのに、体重が増えているのは、どうしてなんだ。おかしいぞ、俺。

 
  クリスマス・ソングを聞きながら

 年末になると、また聞こえてきたマライア・キャリーの新曲。気付いてない人はいても、まだ聞いてない人はほとんどいないでしょう。
 今年は僕まだ一度も「恋人たちのクリスマス(All I Want For Christmas Is You)」聞いてないのに、それでも聞こえるマライア。所属会社をクビにされたときは、もう駄目かと思ったのに、しぶといな、マライア。葉月里緒菜のようだ。
 今年は何故か山下達郎の「クリスマス・イブ」も聞いてない。達郎も、新作、ヒットしてるから、良いよね。どうせ、クリスマス・ソングばかりのテレビ番組なら、曲かかってるんだろうし。

 クリス・レアやバンドエイドも健在だ。十二月にならないと聞こえてこないバンドエイド。真夏にこんなクリスマス・ソング聞く方がどうかしてるけど。
 クリス・レアって"On The Beach"ばかりと思っている人もいるそうですが、僕の耳には、"Driving home for Christmas"が、この季節、しばしば飛び込んできます。これほど渋いと、こんな御機嫌ソングでも、違和感なく聞けますけど、内容は「クリスマスに帰省する」という、およそ日本にはありえないシチュエーション。
 日本で独身者がそんなことやったら、
 「おまえ、まだ恋人の一人もできないのかい」
などと、余計な説教を聞かされそう。核家族が、クリスマスにわざわざどちらかの親の家へ行くのも、普通じゃない。
 最初から身近な設定じゃないので、却って違和感が消し去られているのでしょうか。"Driving home for New Year's Day"だったら、渋滞だらけの嘆き節とか。ははは。
 いずれにせよ、帰省先であろうが、なんだろうが、古い顔なじみ達と、ゆったり落ち着ける場所があるというのは、悪くないものなのでしょうね。たぶん。

 かくして、何処にも行かず、クリスマス・ソングを聞きながら、十二月を過ごす僕。それでも「ジングルベルはもう聞こえない」の作者です。
 いや、ジングルベルは今年も聞いてませんよ。何処なら聞けるのだろう。歳末デパートか。無縁だな。

 
  出だし悪ければ

 いつのまにか、いつのまにか今年の終わり。当サイトも、今週末、「うぃくりい・わあくす」最後の更新をしたら、おしまい。ああ。
 回想に耽(ふけ)れば。
 郵便局のおそらく学生アルバイトが、こちら宛の年賀状に「あて所に尋ねあたりません」のスタンプを捺し、すべて返送。メールで報告を受けた僕は、すぐ郵便局へ抗議に出向。
 こうして、僕のこの一年は始まりました。出だし悪ければなんとやらで、やっぱり、あんまり良い年じゃなかったな。ふん。
 去年から電子メールのみの人が増えたから、しょうがないか。べつに年始の挨拶なんぞ重要視してるわけでもないのだが、さて、来年はどうなりますか。
 とりあえず、歳末の御挨拶は、きっちりしておきましょう。
 では、みなさま、好い御年を。

 

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