あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2003年1月11日

 
  とりあえずサンガ、おめでとう

 また新しい年を迎えた。
 エウリペデスのような優れた詩人が短命なのは、人間不断の哀しみに疲れはてたせいだと、ワイルドは言う。自分のしぶとさに呆れつつ、新年を寿ぐ。
 とはいっても、年末年始は、典型的な現代風寝正月。つまり、テレビ漬けだった。ほとんどスポーツ中継ばかりなのが、僕の趣味ということか。

 元日は、サッカー天皇杯、常勝アントラーズVS下位リーグのJ2降格経験有りで優勝などこれまで程遠かったパープルサンガ。
 先発メンバーだけを見比べたら、全日本代表対オリンピック&ユース日本代表みたいなものだったのに、勝ったのは若いサンガ。勢いに圧されたのか、リードを許してからアントラーズがミスを連発したとはいえ、攻めまくるサンガは視ていて、爽快。そうかい。
 持っていたサンガTシャツは、もう破れ、捨ててしまったから、着られなかったけど、とりあえず気分の良い年明け。勝ったから、まるで応援していたような口ぶり。ははは。

 二日と三日は箱根駅伝。
 天皇杯決勝の倍ほども視聴率はあったらしい。これほど長時間中継、最初から最後まで画面にかじりつくように視てる人は稀だろうとしても、たいしたもんだ。僕も視てしまったわけだし。
 雪が降ってたし、ますます外出する気にはならなかったのさ。そう。

 
  アウトサイダーの話

 一冊の小説が寄贈されてきました。大学以来の知人の著書です。
 テーマは明解で、「アウトサイダー(既製集団に属さない者)への共感と憧れと幻滅」を描いた作品。
 「マジかよ、今どきそんな古臭い」
と思う人もいるでしょう。僕も、自分が幼児の頃こうした風潮が流行ったのを、後で知った部類。
 だから、そう感じるのは、ある意味で正しく、でも、ある意味では必ずしも正しくないのじゃないでしょうか。

 正しいのは、現代社会は、近世以前のように宗教組織や芸能関連などでさえもアウトサイダーの為の場所と容認せず、市民全員がインサイダー(既製集団に属する者)となることを要求しているからで、憧れたってそういう対象が現実にほとんど存在しない。稀にはありますがね。
 個人が独力で造り上げても、他人が羨むような境遇には、なかなか置いてくれません。常にそれは反社会的存在であるかのような、あやふやな場所です。それが嫌なら、インサイダーに参加を要請するほかない。そんなこと、中学生にだって、普通なんとなく解ります。学校生活が、たっぷりと教えてくれるから。
 だから、憧れるとすれば、それは過去を対象にすることが多い。だから、大抵、最後には幻滅が来るのです。過去は現在じゃないし、自分は過去にはなれない。

 にもかかわらず、必ずしも正しくないのは、まず、アウトサイダー指向というのは個人の性格にまとわりつくものだから、アウトサイダーとして生きる人間が仮にいなくなっても、アウトサイダー指向の人間を絶滅させることは不可能であること。それだけでも事は重大ですが、しかし、なにより問題は、人間の集団掌握術というのがほとんど進歩していないため、アウトサイダーを生じさせずにインサイダーを纏める方法が現実に存在していない、ということ。総ての人間がインサイダー指向で生きたとしても、集団は組織維持のため、アウトサイダーを必要とするということです。
 だから、本人の意志に関わりなく、アウトサイダーという存在は作り出されてしまう。そのため、インサイダー指向の人間は、常にアウトサイダー視されないよう、注意おこたりなく振る舞わねばならないのです。インサイダー指向の者が、アウトサイダーへとはじかれてしまうと、<いじめ>が始まります。だから、インサイダーは多かれ少なかれ精神衰弱気味。疲れるでしょう、それは。
 そして、インサイダーでいられるためのハードルを上げてゆけばゆくほど、インサイダー達の組織としての一体感は高まり、アウトサイダー達が増えてゆく。逆にハードルを下げると、組織は弱体化し、アウトサイダーは減ります。つまり、反比例です。
 この問題を解決できた組織はファシスト政権だけでしょう。アウトサイダーは全部「敵」として滅ぼそうとする。ただ、自分達の中にアウトサイダーが見い出せなくなると、自分達の外が全部アウトサイダー、つまり「敵」に見えてしまうのは避けられないんですよね。かくして、いずれ、戦争開始。南無阿弥陀部。
 インサイダーあってのアウトサイダー、アウトサイダーあってのインサイダーなんですがね。

 ちなみに、その小説では、主人公はずっと海外にいます。日本には彼がアウトサイダーになれる場所はないし、そもそも彼はそれを造り出そうと闘いもしない。そんなタイプじゃないのです。なのに、インサイダーにすんなり収まれもしない。それが、外国にいれば、それだけで外国人というアウトサイダーでいられるわけです。
 でも、長く居すぎたら、その国の住人になってしまう。インサイダー化するわけです。ほかに、はじき出された生き方もできない。だから、主人公はまたインサイダーに収まるしかないんですね。
 収まれなかったら、インサイダーたる必要条件である規律、おそらく法律と衝突するなどして、自滅するほかはないですが、そこまで荒れてるようには描かれてない。おそらく、帰国後この主人公は普通の社会人に復帰したのじゃないかな。
 だから、そんな憧れをいだくのがバカの証拠と片付けてしまっても良い。けど、こういうタイプって、まず絶滅しないんでしょう。隣の芝生は青く見えるんですよ。
 しかし、一方、死ぬまでそういう場所を造るべく闘い続けるバカも、跡を絶たないに違いありません。

 ちなみに、僕は十代なかばからこんなことを訥々と考えていたので、そういう闘いもしない漠然とした憧れってのは、今一つピンときません。だから、この主人公にはあまり共感もできませんでした。
 ただ、これまでの人生、なんとなく集団にほとんど所属しないではきましたが。これからもそうなんだろうな。きっと。
 その中で、学生時代に、この作者等と一緒に、詩歌句、小説など、二百篇以上の下手糞な作品を発表したのが、僅かな例外でしょうか。(そのうちの百五十以上は短歌でしたが)。もう一度だれかと一緒にやろうという気には、もうなりませんね。そんなのは二十歳前後だけで良い。

 そんなふうに、いろいろ考えさせてくれた著書でした。興味があれば、読んでください。高橋達矢著『旅のベンチ』です。

 

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