墓が欲しい!
先頃、小堀杏奴が、死後は森鴎外の傍で眠りたいと言っていた太宰治が今その願いを果たし、同じ境内に鴎外と太宰の墓石があることに触れて、本当に願ったことはそれが間違ったことでなければ叶えられるのではないか、という意味のことを記しているのを読む。 かなわなかった願いというのを、ぜんぶ間違ったことだったと考えれば、その通りになるなあ。でも、たとえば、病死した人に、「完治を望んだのが間違ったことだったのです」と説いたって、何の慰めにもならないよ、まったく。逆から考えれば、これ、みな真理だ。死んじゃったら、慰めも何もない、という意見もあるだろうけど。 ともあれ、鴎外の実娘・杏奴にここまで書かれて、太宰も本望だろう。羨ましい。 俳聖・松尾芭蕉は源平合戦期の武将・木曾義仲の傍をリクエストして、今も義仲寺に芭蕉の墓はあります。やはり時代が近い方が有利なのか、現在は、太宰が鴎外を、芭蕉が義仲を、墓参の人の数で圧倒しているらしい。 けど、西行法師のそばで眠りたいと言い残し、それを実現させた人の名を知っている人は、ほとんどいないでしょう。いつもそう旨くゆかない。僕も忘れてました。ははは。 ちなみに僕が河内の弘川寺へ西行墓参をしたのは五年以上前だけど、あと五十人は傍で眠れそうな広々とした空き地だったよ。誰もいないその小山で、昼中、墓と花をめでられた。できればあのまま、誰の墓も横に置かない、静かに桜ふる山であってほしいけどね。
今の住処で少し遠出の散歩をすれば、寺山修司のユニークな墓がある霊園に至る。墓石のてっぺんに本を乗っけて、小さい犬の像が番をしている。 それにしても、この霊園には墓が多すぎる。こんな場所に葬られたら、寺山の盛名にも圧倒されて、僕の墓など、あっという間に無縁仏にされるかもしれない。遺族もまだいないからな。いつかできるのだろうか。
去年、北鎌倉へ行ってきた。鎌倉でも海岸近くは訪ねたことがあるけど、山の方は始めて。噂通り、良い所だった。 ふと、ここならさぞ安らかな眠りに就けそうだと思う。 けど、当地の代表的寺院・東慶寺などには、小林秀雄はじめ著名な文人の墓が、ずらりと並んでいる。後輩イジメで名を馳せた小林秀雄の傍では、畏れ多くて、とても安眠などできそうもない。 もっと好さそうな墓場はないか。東慶寺の近所に、敬愛する歌人・源実朝ゆかりの寺があったから、ここなら理想的だなと、いつのまにか自分の墓場捜しに熱中していた。現在の平均寿命のまだ半分にも達していないけど、死は明日来るかもしれない。予告は、高橋源一郎の小説じゃないから、おそらくない。
そんな話を知人にしたら、 「寿命が近付くとね、人って墓を欲しがるものなんだって。危ないよ」 本当だろうか。 とりあえず、長生きしなくても良いけど、死後の後始末の見通しくらい立ててから死にたいものだ。自然葬で結構と思えるほど達観もしていない。でも、いつまでも建てられなかったら、間接的に長生きを願ってることになるんだな。
釋迢空こと折口信夫も、寺山修司も、「墓はいらない」と言った。そういうのもカッコイイけどさ、結局いつか骨になるのだし、そうすると周囲の人間が扱いに困るわけだよ。 迢空は戦死した養子の息子の墓を能登に建てて、そこに共に入った。学生だった僕がその墓を訪ねた日は、ひどい霰が降っていたっけ。大阪の折口家代々之墓にも分骨が納められているのだけど、こちらはまったく案内板などがないので、一応これじゃあないかと見当をつけただけだったな。 寺山は没後、母が建てた墓に父と一緒に納められ、今は母も含めた三人が並んでいる。自分で建てないと遺族が始末をつけさせられるのだよ。 それに、僕みたいな後世の者が訪れる場所だって欲しい。生きている者の一方的な要求。それで、誰も訪れないなら、場所を占領して、邪魔なだけと、撤去されるのを想像するのも、なんだけどさ。
でも、漫画家の水木しげるって、ずいぶん前に、自分の墓、建ててなかったっけ。代表作「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターに囲まれた、ずいぶん賑やかな墓の写真を見た憶えがあるんだけど、いまだ御健在のはずですよ。 そうだ、そういう個性的なアイディアを思い付いたら、建てよう。そこまで独創的なのは無理かもしれないけど。
<附>この項、次回に続く。
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