あ・はるふ・まんすりー・こめんと 2005年8月18日

 
  完全口語短歌

 「完全口語短歌」という語を僕にメールで教えてくれたのは、S氏。ようするに「文語臭を完全に洗い流した現代口語体で書かれている短歌」のことで、つまり、僕が始めた作風を一般化した概念だとか。
 誰が名付けたのかは知らないと言う。荻原裕幸氏か、穂村弘氏あたりだろうか。
 なるほど。概念化というのは便利なものだ。
 自分の詠んでいる口語短歌がそれ以前の他人の作っている短歌と違っているという自覚はあったけど、僕はそういう他人の口語混じり文語短歌を口語短歌だとはそもそも考えてなかった。そして、人に自分の作品を読んでもらうことばかりに熱心で、また、読めば他との違いが判るだろうぐらいの気持があったので、それを他人に説明しようとは考えてなかった。
 「僕の短歌は最初の完全口語短歌です」
 これで説明になっているわけだ。わかりやすい。
 僕の最初の歌集に帯があれば、こう書いてもらえば良かったんだ。もっとも、僕の最初の単行本歌集は、すったもんだの末、市販されることなく、帯文が書かれることもなかったわけだけど。だから、読んだ人は、みんなこちらからの寄贈本や、図書館からの貸し出しで読んだらしい。ただし、いわゆる「業界の人」は別です。
 ただ問題があるとすれば、「最初の完全口語短歌を作ったのは、おまえじゃない、俺だ」と主張する人が別に現われないかということで、すると僕とどっちが先かでケンカしなければならないのでしょうが、まあ、それは大丈夫でしょう。僕が知る限り、フィクションにせよ、ノンフィクションにせよ、自分の著作物でそこまではっきり断言してみせた人はいません。ならば、これからもそんな人は現われないでしょう。もしそういう人がいらっしゃっても、その人とこちらの刊本の発行年を比較すれば、すぐに真相は知れること。中には、そう受け取られかねない本を出した人もいらっしゃいますが、あるいは、これは作者の拙劣な文章力のせいでしょうか。
 それにしても、言葉というものは日々刻々と変化してゆくもので、完全口語文体を採用したといっても、それはこの平成の世でしか通用しない。平成と括っても、たとえば小説でも「ら抜き」言葉を大幅に採用した物も、「ら入り」のみで書かれた物もある。なかなか難しいものです。今もいろいろ悩みが尽きません。
 でも、そうした「創造すること」が「説明すること」を導くのですね。立派なモノがないのに説明だけがあったって無意味でしょう。それでは立派でないモノを立派に見せかけた詐欺商法になってしまいかねません。説明は作った後から、何とでもすれば良いじゃないですか。

 
  歩け

 身重の相方が切った梨を頬張りながら、あれこれお喋りしつつ、テレビの高校野球をつらつら視て、ああだこうだと書いている。これからの展開によっては、夏目漱石の小説みたいになるんだろう。「道草」とか、「野分」とか。
 詩歌の創作に専念するなら歩かなくちゃならない。詩歌なんか一日中寝ててもできるというのは間違いで、創造のためにも、また、心身の健康のためにも、歩かなくちゃならない。そうは判ってても、私小説家も、少女漫画家も、部屋から一歩も外へ出ない日の続く人が多いらしいがね。
 まあ、用がないなら、部屋でやるべきことをやってればいいのだろうけどさ。むしろ、やるべきことが部屋にあるから、出られないのだろうか。あるいは、やるべきことが今は外にないのか。
 ならば、しようがないのかなあ。こうしていると、松葉杖をつかなければ歩けない身と大差ない。いや、そこまでひどくないな。
 歩かなければ。

 
  3ホーマー

 PL学園の清原がホームランを三本打った試合を、十九歳の僕は、ラジオで聞いていた。
 自室の隣の部屋をなぜか清掃中。整理整頓を兼ねた模様替えだ。
 もちろん、やりたくてやっていたわけではない。それを言い付けた家族達は、僕にすべてを任せて、別の用事で外出中。僕は夏休みが始まる前日に足首を傷め、ようやく歩けるようになってきたばかり。松葉杖をついて通院する以外に、外へ出たのは、一月以上前だ。それで、高校野球を一人で聞いていた。
 窓を全開にしても、暑い。どれほど冷房の利いた部屋でゆっくりテレビを眺めていたいと思ったことか。
 ラジオでは、PLの猛攻が続き、清原の三本目のスタンドインを聞いた時は、もういいかげんにしてやれよと思った。それまでに清原の本塁打は何度も生中継で視ていたから、映像が目に浮かぶようだった。その快心の笑顔も。そして清原は、高校三年間に春夏合わせ甲子園球場で十三本のホームランを打った。
 夏の病人や怪我人と高校野球は、相性が良い。僕は何度も経験している。
 南の窓から夏の太陽が痛かった。

 今夏、大阪桐蔭の平田が三本目のホームランを打った時、僕は昼食直後、南東の窓からの快い涼風に吹かれていた。バックスクリーンをはるかに越えた、1点負けていたところからの逆転2ランだから、鮮烈だ。「清原以来二人目」とアナウンサーが連呼する。一日「清原」「清原」の名前を何度も聞いた。
 その日の朝刊のスポーツ欄には、「二軍落ちの巨人の清原、左膝の手術、今期は絶望」と載っている。
 今の僕には、これといって体に悪い処がない。そのうちまた歯医者に診てもらおうかとか、耳鼻科で体を洗ってもらおうかとか考えている。目に青空、耳に蝉の声、傍らのテレビで高校野球。こうしていると、あの年の夏と何も変わらない。
 ただホームランを打ったのが、清原ではなかったこと。それが、わずかなズレを引き立てている。暦の上では、すでに季節が違っていた。

 

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