あ・はる・まんすりー・こめんと 2008年4月14日

 
  ヤン・コハノフスキの子煩悩

 『ポケットのなかの東欧文学』という本の冒頭に載っているヤン・コハノフスキの詩を読んでいたら、自分の子供を「綺麗好きで、聞き分けよく、規律正しく、甘えることもせず、教えられたかのように歌い、喋り、韻をあやつり、人の辞儀や仕草をよく倣い、上手に真似て、(略)、利発で、上品で、人が好く、むやみに泣かず、善意に満ち、おとなしく、つつましく」と、このような調子で後八行くらい続くのですがそれは飛ばして九行目「それもこれも生まれて三十か月もたたぬ、年端のそらわぬうちに始めたこと」と歌ってあって、二十九か月の子供を間近で見ている僕は、驚きました。それは凄い。いや、逆に三十か月だからできたのかも、もっと大きくなったら聞かん気の強い子供に育たないともかぎらない等と余計なことまで考えました。
 ちなみに、この詩、十九篇から成る連作詩で、以前に刊行された『文学の贈物』に終篇の第十九だけが収録されていたものが、この本では第一から第十八まで載っている。さすがに第十九に匹敵するような詩はひとつもなかった。残念。でも、全篇を読めたから好いや。引用部分だけ読んだらまるで親バカだけど、全編を読めばむしろこれは子煩悩と呼ぶべきで、親としての子への情愛が染み出ていると受け取りましょう。

 ところで、この子煩悩という言葉、父と祖父には使いますけど、女性には使いませんね。その代わり、親バカな女性はいらっしゃる。
 親バカの父もいるけど、子煩悩で、しかも親バカの父となると、ほとんどバカ親かもしれない。恐い、コワイ。

 特定の人物にとらわれないで、そういう言葉とか現象ばかり突き詰めいて思い煩っていると、〈この詩では亡き母が登場して主人公を励ますからビートルズの「レット・イット・ビー」みたいだ〉なんて、どうでも善い方向に頭が走ってしまう。
 そして詩から離れて、現実に自分が親として子供に向かうと、自分の子供時代を追体験している気分になることがある。そして、中にはそれを懐かしく感じ、それを通して親への情愛を深める人があり、中には改めて過去の出来事に傷付き、苦しむことになる人がいるらしい。嫌だね。
 僕にとっては不特定の存在である、あなたはこれをどう思う? 支持してくれたら、それは嬉しい。申し分ない。

 ありきたりに言って、本を読むひとも、他人と会うことも、旅行へ出ることも、ただそれだけでは時間潰しになりこそすれ、僕個人の純粋な楽しみとはなりません。そこにはどうしても期待が混じります。これが自分に何を書かせるだろうという期待。
 読み返してみると、本を開ける前ポーランドの大詩人にかけていた期待とこの結果を比べたら、我ながら微笑ましくもなります。
 ほとんどバカですね。本当に。

 
  Everybody must get stoned

 インターネット上の情報によれば、スマップの木村拓哉氏は最近あちこちにロックシンガーのボブ・ディランの顔写真を印刷したTシャツを着てマスコミに出没しているとか。ディランTシャツを着ている人など別に珍しくもないけど、このTシャツには背中にディランのヒット曲「雨の日の女」の歌詞"Everybody must get stoned"がバックプリントされた物だそうで、僕はその写真は見ても、テレビ映像などは視ていないから、それが映ったのかどうかも知らないし、上にジャケットでも羽織っていたとすればなおさら、今時そんなことに目くじら立てる人もいないだろう。
 この歌詞を直訳すれば「みんなうたれなければいけない」といったところだろうか。歌詞の言葉だからどうとでも解釈は可能だけど、少なくとも当時この曲を耳にした多くの人たちはこれを「みんなヤク(ドラッグ)をうたれなければいけない」と聞いて、ちょっとしたトピックになった。
 曲を最初から聴けば、この一節はちょっとしたジョークとも受け取れるので、その何処まで真面目なのか判断がつかないところがこの詞の魅力のひとつなのだけど、この一文だけがこうしてぬっと抜き出されると、曲を聴いている時の自由さとか爽快さとかいったものとは違った、居心地の悪さを感じる。スキャンダラスでなくなったら、あまりに無害。薬の宣伝広告みたいだ。キャッチコピーとしても落第だろう。
 そういえば、むかし購入した某ヨーロッパ製のCDでは、この曲のタイトルまでが"Everybody must get stoned"に替えてクレジットされていた。日本だって勝手に日本語の邦題を付けているけど、英語表記のタイトルにするならそのままにすべきだと思う。わざわざ差し換える必要はない。なにより、タイトルとして、どうよ。
 このTシャツを作った人が何を感じてこの言葉を使ったのかは知らないけど、僕なら別の歌詞を選びたいな。有名な"Don't think twice, it's alright"(くよくよするなよ、それでいいのさ)とか、"How does it feel?"(どんな感じがする?)とかでも好いと思う。詩の言葉だ。

 関係ないけど、2001年のボブ・ディラン武道館公演、アンコール前のラストナンバーが「雨の日の女」だった。前奏のドラムを聴いた時の、耳を打つ大声援、胸の高まりは今でも身内に残っている。あれ日以後、ディランの来日はない。
 あの感覚をもう一度味わいたいような、あれ以上の名演は日本ではそうそうないだろうから、期待倒れになって欲しくないような、複雑な気持で来日を待っています。さすがにアメリカまで聴きに行くほどにはなれない。
 あ、次のディランのコンサートは、アメリカじゃなくカナダ公演だっけ。まあ、どちらでもいいよ。

 

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