富士には恋歌がよく似合う
宮内庁三の丸尚蔵館で富士図を観た。じつはどんな絵画が展示されているのか何も知らないで出かけたのだけど、二十世紀の画家達はさすがに多くの富士を描いているらしい。前世紀の俳人などは富士を素材に句をひとつも作っていない人の方が少ないだろう。そのわりに名句も少ないけど。 出品作は、横山大観の「輝く大八洲」、山元桜月「神韻霊峰」など、ずいぶんな題だけど、絵はさすが。僕か特に気に入ったのは松岡映丘の「富嶽茶園」で、同じ画家の「右大臣実朝」を初めて間近に見た時は、絵は佳いとしてもどうしてこれが実朝なのかと納得いかなかったものだけど、これはひと目で好かった。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける 山部赤人
五姓田義松の「田子之浦図」を見て、ふとこの歌を思い出す。そういえば短歌には富士の名歌が幾らもあった。これは小倉百人一首の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」の元歌。僕は現実のまだ田子の浦を知らないので、こういうふうに見えるものかと、「田子之浦図」をしばし眺める。 もっとも、古代の和歌で富士山といえば恋歌の譬喩。山頂の雪も、火口から立ちのぼる煙も恋愛感情を訴える素材に使われることが多く、赤人のような叙景歌はあまりない。たとえば、こういうふうに。
富士の嶺のけぶりもなほぞ立ちのぼる上なきものは思ひなりけり 藤原家隆
富士の山頂よりも高みへ上る煙、それよりも高く上るのが私のあなたへの思いです、とでも訳そうか。 個人的には、富士山を素材にした恋歌では、これが趣味に合う。もっともそれは、次の歌が恋歌ではない、としての話。
風になびく富士のけぶりの空に消えて行方も知らぬわが思ひかな 西行法師
『西行上人集』では「恋」の題のもとに収録されている歌だけど、『新古今和歌集』では「雑」の巻にある。たしかに恋歌とも読める。でも、この歌の意味をそんなふうには限定したくない。 この歌に難点があるとすれば、「富士見西行」としてあまりにも有名になりすぎたことかな。昔は「富士見西行」を画題にした絵も多くて、僕も何枚も観てきたけど、最近は画家の心を惹かないのか、あまり観ないね。
二十世紀の歌人の作にも富士は頻出する。中でも、神奈川県の三浦三崎と小田原に住んだ北原白秋が好い。
不尽の山れいろうとしてひさかたの天の一方におはしけるかも 北原白秋
青木繁(し)む富士の裾原風乱り行きはしる雲の絶ゆるまもなし
晩年静岡県沼津に住んだ若山牧水も、富士山を詠んだ短歌は多い。でも、牧水にしては冴えないな。まあ、晩年の牧水にとって、それは富士詠歌に限ったことではないか。
松原のしげみゆ見れば松が枝に木がくり見えてたかき富士が嶺 若山牧水
まがなしき春の霞に富士が嶺の峰なる雪はいよよかがやく
牧水は東京住まいだった若い時期にも富士山を詠んでいた。
凪ぎし日や虚(うろ)の御そらにゆめのごと雲はうまれて富士恋ひてゆく
富士見えき海のあなたに春の日の安房の渚にわれら立てりき
「富士見えき」の歌は、富士を素材にした恋歌の現代版のひとつ。あるいは「凪ぎし」の歌も。 牧水は第一歌集『海の聲』の収録歌のほとんどを第三歌集『別離』に再録した。「凪ぎし」の歌は『海の聲』に載っているのだけど、なぜか僕がいくら探しても『別離』には見当たらない。「ゆめのごと」という類型表現が引っかかって没になったのだろうか。でも、ほかの牧水の富士詠歌よりは好いとおもう。 没になった歌が必ずしも劣るとは限らない。それは他の歌人にも当てはまる。 斎藤茂吉は箱根の強羅に別荘を建ててから、たくさん富士の歌を詠んだ。でも、たいしたものはない。はじめて飛行機から富士山を見下ろしたときの歌が風変わりという程度。でも、じつはこういう歌がある。
荘厳のをんな欲して走りたるわれのまなこに高山の見ゆ 斎藤茂吉
第一歌集『赤光』初版の「宮益坂」一連に収録されていた歌。当初は末部の五句を「富士山が見ゆ」として発表されたもので、宮益坂から富士山を眺めた歌にまちがいない。現在は周辺の建物に隠されて、僕の経験によれば、宮益坂から富士など見えた試しがないけどね。ところが、この歌、『赤光』三版でカットされてしまう。茂吉富士詠歌のすべてを抹消しても、これは残して欲しかったな。 これもある意味で恋歌だろう。富士には恋歌がよく似合う、か。 でも、絵画を観るかぎりでは、そういう傾向はない。これも歌人のひとつの妄想らしいよ。 でも、悪くない妄想だよ。
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