ぞうさんと恋愛詩
午後九時、本を漫然と読んでいたら、二歳の子供がちょこちょことやってきて、 「オトーサン、オシゴトネ」 と言って、去っていった。 僕の「オシゴト」とは、電源の入ったパソコンの前に座ったり、紙に何か書き込んでいたり、開けた本に見入ったりすることであるらしい。正解だ。ただ「おやすみなさい」と言えないところが困ったところか。
パソコンを起動する。さて何を書こう。
検索サイト「グーグル」が地図機能にストリートビューなる街頭を撮影した写真をそのまま載せて、インターネットの世界で大いに話題を振りまいたから、僕もいろいろ思いつく住所を打ち込んでみると、あちらもこちらも写真が出てきて、驚いた。でも、記憶している住所などそれほどありはしない。 それでふと航空写真で自分がこれまで住んでいた住宅を鳥観してみることを思いついた。残念ながら、写真が不鮮明で、まだ建物が残っているかどうか、はっきりしないのもあったけど、十五年前に住んでいたオンボロ木造住宅が、屋根の一角を占める物干し場までそのままの姿をさらしている一枚には、笑ってしまう。今の部屋の約三分の一の借り賃で、隣室のテレビさえも、まる聞こえだった。もちろん全室が、老若かかわりなく男一人暮らし。今はどういう人が住んでいるのやら。 そうして自分が生まれてから今までの住まいのひとつひとつを無責任に眺めた。これまでにない、おかしな体験。まったくね。
子供の寝ている部屋から「ぞうさん」を唄う声が聞こえてきた。扉の隙間からのぞくと、去年の秋に動物園で象と撮った写真を指さして子供が笑っている。いろいろ思い出すことでもあるのだろうか。 僕は、ふと室生犀星の「象とパラソル」という詩を思い出す。象の糞の前で女の写真を撮る詩。象の糞を素材にした恋愛詩などというのは、あの時代としては空前だろう。犀星の詩には、少しだけ時代を先取りしたようなものが多いからね。 部屋に戻って、恋の歌を書いた。「相聞」ともいう。残念ながら、象は出てこない。「ぱおーん」と吼える象の声が聞こえた、ような気がした。 ぱおーん。
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