まんすりー・こめんと  2009年1月

 
  初日と霊峰

 まだ闇の中、ひさしぶりに高尾山まで初日の出を見に行く。ここ数年の高尾山ブームのせいか、やはり前に登った年よりも、人は多い。外灯の下で俳句など捻っている僕を無遠慮にじろじろ眺めて行く人も、ちらほら。
 山頂に着いたら、日の出まであと一時間。太陽が現われるまで、白み始めた東の空をぼんやり眺める。ふと視線を西南へ移すと、富士山があきれるほど間近にくっきりと見えた。
 いよいよ数分前。多摩丘陵の一角が赤い。でも、枯れ木の枝にやんわり隠されている。慌てて、人込みを掻き分け場所を移し、ようやっと日の出に間に合った。前回の折は、偶然に何遮る物なく、ゆったりと初日を眺められたけど、ひょっとして枝が伸びたのだろうか。
 今一度、富士に挨拶をする。雲ひとつない晴天。ここからこんなにあざやかな霊峰が見られるとはね。
しばらくして、山を下りた。
 朝食後、散歩がてら近くの神社に寄る。
 初詣の参拝者が書いたのだろう、ぶら下がりの絵馬がずいぶん増えていた。いくつか読んでみると、「志望校合格」とか、「かっちゃんLOVE」とか、ありふれた文面の中に「早く人間になりたい」とある。くだらない。人間でないなら、人間になど成る必要はないし、成れるはずもないよ。あきらめろ。神に代わって、そう告げたい。
 無理して人間になど成ったって、ちっとも良いことなどないよ。きっと人間達だって、そう言うだろう。詩人などに成るのならば人間の方が良いのかもしれないけど。
 午後、近所の人に案内された場所には「富士見峠」という標識があった。たしかに富士の頭が山の上に小さくのぞいている。高尾山から大きな富士を見た後では、ちょっとスケールが小さいけど、じっくり眺めた。
 翌日、届いた葉書と電子メールを読み直す。
 グリーティングカードが一件。開くと、富士山があった。今年は富士とずいぶん縁があるな。一、富士、二、鷹、三、なすび。これも良い夢? いや、いや、現実です。

 
  大根の歌

  真白なる大根の根の肥ゆる頃
  うまれて
  やがて死にし児のあり     石川啄木

 子供の頃、辞書で「大根足」の項に「細い足の女性への誉め言葉」という内容の記述を読んで、首を傾げた。少なくとも僕の周囲で「大根足」という単語は足の太い女性への揶揄として使われていたから。
 歌人・石川啄木は、自分の長男が生まれたとき「大根のように太った、男らしい子供になって欲しい」と願ったという。やはり大根は太いのだ。もっとも、この赤ん坊は生まれて二十四日目に亡くなってしまうのだけど。
 今では『広辞苑』にも「太くて、ぶかっこうな女の足」と載っている。
 大根足の意味が変化するのは、前世紀の70〜80年代に首都圏で流通する大根の主流が、細い白首大根から太い青首大根に移ったからだと知ったのは、ずいぶん後のこと。東京の白首大根の中心は、もちろん練馬大根で、青首大根はもともと愛知県辺りがルーツらしい。
 とするとだ、啄木の大根はいったいどんな大根だったのだろう。大根は種類が豊富で、明治時代の岩手県出身である啄木にとって「太い大根」とは何なのか、見当もつかない。啄木には白首大根が太く見えたのか、それとも当時の岩手では早くも青首大根が普及していたのか、あるいはまったく別の種類の大根なのか。
 そんなことをつらつら考えていたら、すると,もうひとつ大根の名歌が頭に浮かぶ。

  ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも  斎藤茂吉

 これは秩父地方の大根の歌だ。大根の根ではなく葉の歌だから、根が細かろうが太かろうが大差はないけど、やっぱり気にかかる。
 そんなことを考えている暇があるのならば、もっと別のことを考えるべきか。そうだろうな。たかが大根。
 されど大根。

  宗次郎に
  おかねが泣きて口説き居り
  大根の花白きゆふぐれ     石川啄木

 

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