身も心も無いものと
俳人・松尾芭蕉に関する本を読んでいたら、森川許六編集の書『風俗文選』に「西行上人ノ像讚」という芭蕉の作が掲載されていて、これは西行の和歌に芭蕉が十四文字を書き加えたものだ、と書いてあった。
全文を引くと、
すてはてて
身はなきものと
おもえども
雪のふる日は
さふくこそあれ
花のふる日は
うかれこそあれ
「花の」うんぬん以降が芭蕉の作ということらしい。芭蕉から「許六」という俳号を与えられるほど、直(じか)に接した人のお墨付き。疑えない。
これは埼玉県幸手にて西行が詠んだ歌だそうだ。幸手には今、西行の祖先である「俵藤太」藤原秀郷に討たれた平将門の首塚があるけど、東京都千代田区大手町の首塚ほど知られていない。あちこちに在る将門首塚のひとつということ。
わざわざこんなことを書いているのは、これまで僕が読んできた西行全集を含む西行関連書の何処にもこの歌は載っていなかったから。芭蕉が生きた江戸時代には、西行没後ほぼ半世紀後に生をうけた一遍上人の詠として、
すてはてて 身はなきものと 思ひしに さむさきぬれば 風ぞ身にしむ
という歌も知られていた。似ている。芭蕉は伝・一遍の歌の方は知らなかったのだろうか。
どちらも歌としてはつまらない。おもしろいのは、芭蕉の書き加えた処だけかな。
体を無い物と思っても、雪が降れば寒いし、寒くなれば風が身に染むという逸話は、哲学的ユーモア小説の題材にでもすれば笑えるかも。和歌というよりも、俳諧歌か狂歌だ。
すべて眉唾物だと思っておこう。
でも、表現が稚拙で、思考が浅薄とはいえ、古人がこのような苦悩をかかえて生きていたことだけは信じられる。おそらく芭蕉も。
現代人は僧侶ですらも「身はなきもの」とは思えず過ごしているから、なおさらつまらない歌と感じるのかもしれないな。むしろ、何処かの組織の頂点に立ち、日常に贅を尽くし、グルメに舌鼓を打ち、美女とたっぷり戯れている人の中にこそ「身はなきもの」と考えている人がいるのかも。空気を無き物と感じて生きるように。どちらにせよ、つまらない。もうちょっと楽しくならないものか。
もっとも、西行は身よりも心をこそ「なきもの」と考えていたはずなのだけどね。
こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行
おしなべて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋のはつ風
「こころなき」の歌は『山家集』に載っているのに、「おしなべて」の歌は載っていないので、これを『山家集』成立後に詠まれた作と独断すれば、西行は「こころなき身」が「あはれ」を知る不思議に直面した後、何かがそこに「心を作る」と考えるようになったと受け取れるから、心を捨てた身が「あはれ」を知るとすれば、それは心ができたからだと思っていたろう。
しかし、実際のところ、それは身体にぴったり寄り添った精神のなせるわざではなかろうか、などと二十一世紀の歌人の末裔は首をひねるのでした。どうにも思考が止まらなくて。
愚かだね。 |