監視されてる
世の中に無用な者との自覚があってこその詩人と、頭では解っていても、これまで実際は、詩人として世の中の有用な存在であるかのような気分でいることが多かった。最近、ようやくそのまちがいが身に染みてきたものの、卑屈になりすぎて逆に相手を怒らせるのもばかばかしい、まあ、気に掛けないのが一番と、惰眠をむさぼっていた午後のこと。
喫茶店でコーヒーを飲みながら、読書をしていた。ふと視線を上げると、目の前に監視カメラが。
珍しいことではない。現代では、誰かが誰かを必ず見張っている監視社会だから、みんな多かれ少なかれ神経衰弱になって、頓着していないのは、見られるのが大好きな芸能&芸術&スポーツ等の関係者か、見られていることを気付かない精神薄弱者、うんぬんと考えたところで、それはつまり正気に遠い人間が正気ということかと、自分で混ぜ返して、吹き出した。
それにしても、少しだけ狂気に近付いてる人がいて、最も狂気に陥っている人がいるのと同様、最も正気である人だって世の中にはいるはずなのだけど、周りを見渡してもそういう人にはなかなか出会えない。ひょっとすると、多くの正気な人には最も正気な人が「自分達と同じではないから狂人」と見えているのかも。それなら気付かないはずだ。あるいは、自分こそが一番正気だから気付かないのだろうか。
どちらにせよ、残念ながら、僕はその人にまだ会えてないよ。それとも、会っているのかな。
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