まんすりー・こめんと  2009年4月

 
  木登りの話

  近所の公園でさくら祭りがあるというから、行ってみたけど、まだ咲き初め。子供たちが元気に遊具で戯れるばかり。アマチュア演奏家の音楽が響き、ウサギが子供から逃げている。
 公園には、桜を始め多くの木々が枝を伸ばしているのだけど、そちらには誰も振り向きもしない。子供等にとっては登り甲斐のありそうな木もあるのに、彼等にはまっすぐ走る折の障害物でしかないのかも。

 小学生の頃、親戚の家であまりに暇だからだったかどうか記憶が定かではないけれど、庭の木に登ってV字型の枝の間をくぐって飛び降りたら、意外におもしろいので、一人で繰り返していたら、いつしか従妹が後から同じように枝に登って飛び降りた。いつの間にか近所の子供達もやって来て、幹の前には木登りの順番を待つ子供達の列ができた。おかしな成り行きに僕は途惑うしかない。いつまでも飛び続けるのを許すうちの親ではないので、僕は途中で抜けたけれど、結局僕がその家を去る時まで絶えず誰かが飛んでいた。
 数日後に聞かされた話によれば、あれからその木はすっかり周辺の子供等らの遊び場と化して、毎日だれかが登っては飛び降りているとのことだった。僕は自分がもうそこに参加できないことがただ悔しかった。

 ふと自分の半生を顧みると、こうした事と似たようなエピソードの繰り返しであるように思える。

 でも、今の僕はこの公園の木のどの一本にも登りたいなどとは感じない。酔狂だからとかそんなことではなく、そんなことよりソメイヨシノ以外にも、華ならほかにもたくさんある。花壇の華など、そのほんの一部でしかない。
 だから、僕は木に登らない。ウサギを追わない。僕の後ろに続く誰かが群れを成したとして、それがなんだろう。彼等は僕のことなどすっかり忘れ、自分達がそれを思いついたかどうかなど気にも掛けないで、ひょっとするとすっかり自分で思いついた気にさえなって、楽しんでいるかもしれないわけだ。
 その代わり、枝から落ちて骨の一本も折ったかもしれない。僕が飛び始めたのは、自分が怪我をしない自信があったというだけで、他人のことまで考慮に入れてないから。五、六本ほど折っている人も、何処かにいるかもしれないな。
 でも、桜が満開になったら、幹に足を掛けて、細枝を一本拝借してしまうような不埒者だって現われないともかぎらないね。
 そうなったら、またここに来よう。不埒者に会いたいのではない。華が見たいから。それだけだ。きっと。

 
  海辺の町へ


 また引っ越しをした。とにかく海辺に住みたかった。
 長く引越を繰り返しながら、自分はこうして生まれた町から遠く離れて引越を繰り返さなければならないのだとはっきり自覚できたのは、僕自身それを思えばおかしいのだけど、そんなに昔のことではない。自分は絶対にしあわせにはならないと確信したのが、やっぱり昔ではないように。僕だっていつかしあわせになってしまうのではないかなどと考えて、無駄な時間を過ごした日々もあったのだ。
 それでも、無自覚のうちに引越を繰り返す、しあわせでない人生になってしまうのだから、おかしい。もっと悲惨な人生にだってなりえただろうけど、もう少しいろいろと自覚していれば、もっとマシな時間を送れたろうという思いは、なかなか晴れない。いや、一兆倍もマシだったとすら思う。でも、一兆倍もマシな文章が書けたら、どんな人生になっていたというのだろう。
 かくして、この四年ほどのあいだ何度か住む場所を求めて、海辺の町へ。そのうち意図したわけではないのだけど、出先はいつしか神奈川県に集中していった。藤沢の物件は一間が広かった。葉山の部屋は雨戸が丈夫で清潔そうだったし、江ノ島では大家と意気投合までしてほとんど借りる寸前だった。けど、何かが妨げになる。話がまとまりそうで、最後には潰えることの繰り返し。
 そして、ついに何の障害もない一軒家が見つかった。或る有名なお寺の門前近くにある、古びた屋敷。
 ところが何故か気乗りがしない。
 その家を出たあと紅葉を愛でる観光客にまぎれて歩いたというのに、年が明けて、紹介してくれた不動産屋は年賀状まで寄越し、しきりに誘いをかけてくる。でも、こちらからは音信を取らないまま、見送る形となった。
 そして今年になって、ふたたび活発に動く決心をかためたというのに、何も進展がない。逗子駅前の業者と連絡をとり、やっと見つけた悪くない間取りの一軒家は、こちらの体調、大家の都合、不動産屋の休日、JRの事故による運休などで、肝腎の家にたどり着くことさえできない始末。
 そうこうしているうちに、インターネットで東逗子にある業者のページに引かれる物件を幾つか見つけて、連絡をとったら、すぐに話がついて、翌日には、いくつか市域をまたいで、数件の実物を見ることができた。先の不動産屋は定休日だとか。とにかくこことは縁がないらしい。
 決まったのは、住もうと思えば住めたあの古びた屋敷から徒歩約十分といった所。紹介者の地元からはかなり遠い。なのに、結局この辺りに住むことになった。だからといって、あの屋敷に住んでいれば良かったということにはならないだろう。時の運という言葉もある。
 一度あの屋敷を見てみたいという気持が何処かにあるのだけど、おそらくすっかりリフォームされているだろうから、前を通っても気付かないかも。けど、たとえ家はすっかり変わっていても、横の小さな庭さえ元のままなら気付かないはずはない。そこで僕は誰かに会う。
 でも、とりあえずその前に僕は、今のあのうちとその周辺で会うべき人達に会わなければならないのだな。毎朝、高尾山を間近にうかがっていた、あの場所からこの町へと別れを告げて。ばいばい、そして、こんにちは。
 でも、肝腎の海には半時間ほども歩かなければ着かない。海辺というには少し苦しいか。まあ、いい。行きたければいつでも歩いて行ける距離だ。海は逃げない。もちろん山も。そしてあなたも。

 

 

Copyright(C),Miyake Satoru,2009
 

/

 

MAIL

 

三宅惺オフィシャルウェブサイト