まんすりー・こめんと  2009年5月

 
  或る発心

 歌僧・西行法師はどうして出家したのか、という昔から国文学の世界では議論の尽きないネタがある。もし歌作に専念するためという仮説を立てたにしても、それではどうしてそこまで歌作にのめり込んでしまったのか、というふうに謎は謎を呼び、話は一向に終わらない。
 十代の頃から西行の歌が好きなので僕も関心はあるのだけど、学者の人達と違ってそこまで熱心に研究していないのは、僕自身いつのまにか歌作にのめり込んでしまい、どうしてそうなったのか自分なりに仮説を立てても、いや、最初はそれは仮説ではなくそれに違いないと確信していたのだけど、書いているうちにそれは仮説のひとつに過ぎなくなり、書けば書くほど新たな仮説、それはけっして前の説を否定するものではないにしても、もっと奥深い本人も忘れていたり、気付かなかったりしていた過去や現在や未来にそれを見出し、そういうことを繰り返していると、西行だって、はたして自分がどうして出家したのか、どれほど自覚できていたか知れたものじゃないと、ついつい我田引水してしまう。

 そしてある日、無意識のうちにすべての人間関係を創作作品を中心に置いて把握している自分にふと思い当たった。相手を観察した上でよく考えてそうしているのではなく、無意識のうちに瞬間的に感じた何かで他人を分類しているようなのだ。
 たとえば、ある人は「僕の愛読者」であり、別のある人は「創作活動の支援者」であり、そのまた別のある人は「こちらの活動に無関心な人」である。書き始めた時の生活環境が自然にそういう成長を遂げるよう後押ししたとはいえ、無自覚のうちにそういう傾向を自分の中に作り出してしまったらしい。
 それを悔いてはいないし、今更それを改めるつもりもない。改めようとしたところで、できる相談でもないだろう。
 どうしてそういう成長を遂げたのか、仮説はある。自分自身のことだけど、やっぱりこれは仮説だ。でも、これにしても「今の仮説」で、近い将来に別の仮説へと至っていないと誰が予見できるだろう。僕にはできない。だから、そういう文章を記しておきたいという意欲も湧いてはこないのだ。
 と、いうわけで、次に書くことは、そういう文章ではない。

 知りたいことがたくさんある。そして、笑止なほどの微量とはいえ、知識と教養をそれなりに得たように思う。
 それが僕の人生を充実させるのに何の役に立ったか。
 快楽はない。幸福もない。知りたいことを知ることは、知ったという喜びを感じること。しかも、僕はそれを創作に換えることすらも学んだ。無知を描くことさえも。だから、あとはそのための時間を手にすれば良い。I wanna be free.
 それでも未知はある。新たな智恵への餓えがあり、狂気がある。全能の知者が(いるのならば)あざ笑っている。むしろ、そうした事が、よりいっそうクリアに迫ってくるようだ。無意識が縮小して、認識が無意味化してゆく。そして理解だけが残ったなら、頭を丸めて山寺にでも籠った方が善い、きっと。

 もちろん、それは僕自身の思いで、西行の出家とは関係ない。たとえいくらか交差する所があったとしても、だ。
 中世と近世において西行の存在があまりに巨大になってしまったため、その出家をニュースとしてあまりに大きく解釈する見方もあるけど、同時代ではたんなる摂関貴族の一家人の出家、国家レベルの事件であるはずもない。それでも、後世へのその影響力を思えば、文化史における特筆すべき事件ではあったのかな。
 発心というのは何かをしようと思い立つことで、発意とか発起とかと似たような意味だけど、少々仏臭い言葉ではある。西行の発心について書きながら、自分のことをだらだらと述べても、一向に仏臭くならないので、タイトルに使うなら発意あたりにしておくべきかもしれないけど、それでもこれは発心についての文章なのだから、最初に名付けた「或る発心」という題のままにしておいた。
 お許しを請う、としても誰に請うべきか判らないので、とりあえず君に請うておくよ。

 

 

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