書かれない一行
一面あつい曇がいっぱいの空。六月だけど、雨は降りそうにない日のこと。
気分に合わせて、緑のTシャツを着た。高校の時から着ている服。我ながらよく持っている。ワイシャツなら、こうはいかない。
数カ月前に手持ちのワイシャツを全部、とは言っても夏冬用合わせてたった五着だけど、捨てた。長い間買わないでいたら、首回りたかだか1センチほど増えただけで、すべて着られなくなったから。「すべて」なんていうほどの数ではないか。
もっとも、そもそもワイシャツなんて十年以上も着ていない。ネクタイだってまっ黒とまっ白の二種類だけだ。
それにしても、どうしてこのTシャツはこんなにも長いあいだ新品同様で、僕と連れ添って来たのだろう。
たとえば、こういう話はどうだろうか。このシャツは、かつて殺されかけたこと、両親からその命を見捨てられたことを突き付け、愛されていないことを確信した、その日の想い出として、そのひとつの象徴として存在することを認められたのだ、とか。
永遠に書かれない小説の一行にしかならないな。いったい誰に「認められた」のやら。
それよりも、それほど丈夫なシャツを与えてくれた誰かに感謝しておいた方が善いのかもしれない。ついでに色と柄が美しければ、もっと感謝できたのだけど。あるいは、美しくないからこそ色褪せずにすんだのだろうか。
ならば、それもひとつの象徴だね。きっと。
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