まんすりー・こめんと  2009年7月

 
  古代蓮との縁

 七月も二週目になってから、たびたび旗上社まで蓮を見に行っている。紅い蓮はまだつぼみが多いけど、白蓮は今が盛り。池の鯉も、亀もとにかく大きい。
 旗上社は俗称・源氏池なる池の小島にひっそりとある。周囲はすべて蓮、蓮。その茎の間を魚や昆虫がすり抜けてゆくのが楽しい。
 文章を書き始めた頃の僕には「書きたいこと」がたくさんあったのに二十歳を過ぎた辺りからしだいに減って、やがてすっからかんになり、僕はどんどん好きなことが書けるようになっていった。
 改めて蓮について書くと、かつて赤橋という朱塗りの木橋を中央に置いて、西の池に紅い蓮、東の池に白蓮を植えたので、源平の旗色にちなみ西の池を平家池、東の池を源氏池と、いつしか呼ばれるようになったとか。今は中央に石造りの太鼓橋があり、源氏池には紅白の蓮がそれぞれ互いにすっくとそそり立っている。それで善い…と思っていたら、後日、平家池に行くと白蓮ばかり。赤旗の平家は源氏に蹂躙されてしまったのか? いいかげんな言い伝えもあったものだ。

 或る日、海沿いまで歩き、光明寺へ寄ると、本堂と書院をつなぐ廻廊が通る庭にも蓮池があった。たまたま案内をしてくれた俗人によれば、庭は小堀遠州の作で、書院は映画「男はつらいよ」シリーズの倍賞千恵子演じる"さくら"と笠智衆の"御前様"が面会するシーンの撮影にたびたび使われたと云う。その書院のもとに大賀蓮という古代蓮が一輪、可憐に咲いていた。
 僕が古代蓮なる物を知ったのは、十年ほど前やはりこの季節に宇治で遊んだ日、瑞光院という寺の門前に綺麗な花の写真ばかり載せているアルバムが数冊おかれていて、それが古代蓮だった。ぱらぱらめくっていると、
 「御覧になりますか」
とそこの住職らしき人に声を掛けられ、庭に寄った。 
 小さな庭の端に、これまた小さな池とも呼べない水の溜まりに、蓮がたくさん花を付けていた。花の数ならあの広い源氏池にけっして劣らない。よほど手入れが巧みなのだろう。
 「この蓮が咲いてから、ここは佳いことばかり。吉兆の花ですわ」
と彼は言った。
 当時は珍奇な物と思えたこの蓮花も、今ではそれほどでもなく、各地で広まっていると聞く。僕も府中の公園で満開の花々と再開した。
 その日以来、その写真が僕のパソコンのデスクトップを飾ってきたけど、これからはしばらく小堀遠州の庭にしよう。その一枚では古代の蓮が真ん中で咲いている。水面に広がる葉の上では二匹の亀が休んでいる。
 何処かで蝉の声がする。

 

 
  納涼会で思う

 どこの保育園でも毎年納涼会のような類いを催しているらしい。これまでそうした会に関わったことはなかったのだけど、今年は園側から再三、
 「ぜひに」
という直接の申し出があり、行き掛かり上ほうってもおけないかと、約三十分ぶらぶら園まで独り歩いて行った。
 子供はとうに園内で準備を終えていた。見慣れない服を着ている。それから、幾つかのお遊戯と、輪投げや玩具釣りのようなゲームがあった。
 盆踊りだから輪になってくれ、というアナウンスがある。知らない曲だ。子供達が大きく手を上にかざして踊る中、うちの子はただぼーっと立っているだけ。振りを知らないのだろうかと思ったけど、よく考えたら自分も幼児の頃はあんな感じだった。
 子供が生まれると、その親たちとその祖父母の仲がたちまち深まったり、険悪化したりする、それは子供と対峙することで、その親たちが自分の幼年時代に自分は親から、つまり子供の祖父母にあたる人達からどのように扱われたかと思い出すからだ、そう誰かが言った。幸多く与えてくれた親には感謝が、粗略に、愛の薄い日々をくれた親には憎悪が増すと言いたいようだ。
 正しいか否かはともかく、子供と過ごすことで自分の幼年時代を繰り返しくりかえし記憶を呼び起こすのは、確からしい。それが非健全なら回想することも非健全なのだ、きっと。
 けど、回想することで不快な思いをしたくないから子供と正面から向き合わないのだ、などという言い訳にはしたくない。それは飽くまで僕と彼との問題だ。
 もっとも、それは僕個人の思いであり、たとえば当の子供がどう感じているか、十数年後にこの日の出来事を覚えているか、はたして知れたものではないね。五年後には四歳以前の記憶なんかさっぱりだったりして…。
 それはそれで寂しいことではあるな。
 そんなことを考えながら、子供はその母親に自転車に乗せられデパートへと去って行ったので、ふたたび夜道をとぼとぼと独り歩いて戻った夏だった。

 

 

 

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