まんすりー・こめんと  2009年8月

 
  草食系男子とは

 数ヶ月前「草食系男子」なる語を初めて目にした折は(おそらく多くの人が同様だろうと思うけど)ステーキなど口にしないでサラダばかり食べている男のことかと思ったけど、これが「性欲にがっついている男」を肉食系と定義した上での対義語として使用されているらしく、そしてそのいわゆる草食系男子の増加が出生率減少の原因のひとつという報道のされ方に接した時は、公権力側の新たなプロパガンダか、たんなるマスコミの冗談かとも思え、でも「がっついていない」ということは「興味がない」ということとは一線を引くのだから、けっしてインポテンツのことではなく、ようするに深夜女性と一室に二人きりになっても安全な男という意味だとしたら、三流少女マンガのヒーローか、女権運動家に批判されないタイプそのもので、かつてはこれこそ理想の男性視とされかねなかった。だとしたら、そういう幻想をふりまいてきた人達の活動が実りつつあるということなのだろうか。そして、そこからの揺り戻しが始まったと受け取るべきか。ふむ。
 かくして、今や男性が女性に堂々と、
 「あなた草食系?」
などと尋ねられかねない世の中になったとか。もっとも(残念なことに)僕はまだそういう機会に恵まれない。でも、尋ねられたら、たぶん絶句する。
 自分ではそんな簡単に分類などされてたまるか、嫌な女なら見向きもしないし、好きな女ならすぐ隣に居て心おだやかでいられるものか、あたりまえじゃないかと思うけれど、もっと見境なく誰彼かまわずやれなければ肉食系になれないとでもいうのなら、草食系で結構、自分では全然そうは思わないけど。
 肉食系でも結構、自分では全然そうは思わないけど。

 実際のところ女の方から誘惑されでもしたら相手に関わらず100パーセントおちるタイプという者もいて、つらつら昔の知人を思い返すと、当然ながらそういう男は、まったく女から相手にされないか、男女関係の派手なトラブルメーカー。もちろん恋愛には常に積極的で、そういう肉食系男子が増えればいわゆる「非嫡出子」もしくは「未婚の母」が増えるだろうし、少しは出生率の増加する可能性があることは認める。
 ともあれ、「一生涯このひとだけ」と自分の配偶者一人を熱烈に愛した、貴重で、稀で、幸福な人を除けば、肉食系だろうと、草食系だろうと、それなりの数の関係を築いて人は生きなければならないのだから、過剰な順法精神、潔癖な倫理観、世間の目への強いこだわり、情熱への怠惰、そして異性からの低い好感度などが当てはまらないとすると、若死にでもしない限り、人は同じ道を行くことになる。にもかかわらず、そうはならないのだとすれば、それはその本人が「築かない」のではなく「築けない」心的問題をかかえこんでいるということ。
 でも、心配ない。そんな問題をかかえたまま長い一生を終えてしまう人は、僅かだから。
 たとえば車寅次郎のように。映画「男はつらいよ」シリーズ中で寅さんは、一室で布団をふたつ並べ心を惹かれている女性から誘われても何もできない。
 あれはフィクションだから典型になれる。現実にはなかなかそうはいかない。難しい。

 出生率を上げたいのならば、むしろいわゆる「非嫡出子」と「未婚の母」に不利な法律を改めれば良い。「妻の座」に固執するよりも好きな男の子供を身ごもることを選ぶ女性が増えて、出生率はさぞかし上がることだろう。急増とはいかないまでも。
 しかし、そこまでして出生率を上げる必要性が本当にあるのだろうか。
 僕等が人生に望んでいることは、出生率の問題ではないはず。
 では、何なのか。

 残念ながら、その問に一言で答えられるほど人生は単純にできてないらしいね。

 

 
  政権交代

 2009年8月の衆議院選挙で自民党は議席数半減の惨敗。大躍進ということで民主党中心の内閣ができることになった。歴史を見とどけるというのは、こういうことなのだろうか。
 半世紀以上議席数第一党で、数年の間隔を除けば常に与党だった政党が野党になったのだから、大きな変化なのだろう。ロシアのようにトップニュースで伝えた海外メディアもあったとか。
 でも、首相に就任することになった民主党の党首・鳩山氏は自民党初代総裁の孫だし、党内実力者の小沢氏は前世紀の自民党で圧倒的な存在感を持つ人だったわけで、自民党を脱党した人達が政権を執るだけなのだから、僕等には'90年代に村山・社会党政権ができた時ほどの変化は感じられない。ただ選挙という形で政権交代がなされたというだけ。
 思えば、つい先年に始まった小選挙区制選挙では短いキャッチフレーズで大衆の心をつかんだ者が勝つことを、小泉元総理は「郵政民営化」という決まり文句を繰り返すことで証明した。そして、今回のフレーズは「政権交代」だ。なんという解りやすさ。
 でも、端からみれば、その形こそが重要なんだろうな。有権者が政権担当者を選択したという形こそが。実質じゃなくて、あくまで形だ。さて、それが佳い方向に転ぶのだろうか。
 それも僕等には眺めているほかないのだろうね。ほかにできることといえば書くことだけ。だから、そう書いておくよ。

 

 

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