秋、彼岸会に
今年の秋のお彼岸は、日曜日、敬老の日、国民の祝日、秋分の日の四連休。秋の彼岸会になると、僕は父方の祖母を想いだす。春のお彼岸とお盆には、そうでもない。
僕が積木を組み立てたり、落書き帳に絵を描いたりしている横で、毎日粛々と仏壇を開き、線香と蝋燭に火を灯していた祖母が、念入りにお位牌などの仏具を乾拭きなど始めて、
「きょうはお彼岸」
と教えてくれたあの日は、秋だったのだろうか。命日ではなく、秋のお彼岸に祖母を想い出すのは、
「将来あんたがこうやってホトケサンにあげるんやで」
と話してくれたあの日が、ひょっとすると秋のお彼岸だったからかもしれない。いや、別の日のような気もする。では、どうして秋のお彼岸なのだろう。
解らないことは、自分にもいっぱいある。永遠に解らないままで終わることもたくさんあるのだろう。
殊に、人の未来はわからない。今は僕とこの仏壇との縁は切れた。
祖母が亡くなると、仏壇の部屋を寝室兼遊び場にしていた僕は、亡き祖母が暮らしていた部屋で過ごすようになる。毎日の仏事は、母が取り仕切るようになっていた。
そして祖母の法事の日。いとこ達と本殿の板敷を歩いていた僕は、一人の年下の従弟に茶化された。少なくともそれまでこの少年は、ましてや目上のものにそんなことを口走るタイプではなかったと思う。始めは彼の口調も穏やかだった。でも、その日の彼はなぜか饒舌で、言葉はしだいに辛辣になり、やがてエスカレート、ついに彼の口撃の先は、僕をかわいがってくれた祖母にまで及び、そのとき僕の目に縁先の下の小さな池が入ると、その水面に彼は腹から落ちていた。
数週間後、従弟が僕に謝るから、僕も従弟に詫びるという形で決着させる案があることを母から仄めかされたけど、実現はしなかった。事情はつまびらかでない。
その後、仏事はすべて、僕が学校なり、学習塾なりの用で「抜けるべきでない」とうちの親が判断した日に執り行なわれている。僕の父は長男だから、もちろんその日程を提案したのは父だろう。僕はうちの仏壇にも、墓にも近付くことを望まれなくなったわけだ。
二十数年後、ひさしぶりにその寺に顔を出したけど、墓のそばには行っていない。
かつての僕は、縁とは人と人、あるいは人と物事を結び付ける直接的原因そのものの意だと思っていたけど、実はそれは因縁の因の方で、本当はその結果を生じさせる間接的条件こそが縁なのだった。
だとすれば、この場合、祖母も、従弟も、池も、ぜんぶ縁ではないか。
すると、因はいったい何だろう。
いや、いくら仏壇から始まった話とはいえ、それでは抹香臭過ぎる。それでなくとも今住んでいるこの市域には、寺社が多いのだ。
あることよりもないことの方が問題。愛が足りない。そうだ、あまりにも。
それが因だ。きっと。
蛇足をひとつ。
あのひと達のことを僕は普段は完全に忘れている。頭から抜けている。でも、何かのきっかけで想い出すと、そこから記憶が芋づる式に湧き出てくることがある。
もちろん、なにも憎しみとか、嫌がらせとかで書いているわけじゃない。それが現在の僕等とどのように関わっているか、現在の僕等がどうしてこうした状況にあるのかについて書かずにはいられなくなっただけ。またすぐに頭から抜けるようなことだ。
でも、その結論だけは頭にとどめて置こう。それでなければ書いた意味もない。意味なんてなくても善いのかもしけないけどさ。 |