おちゃめなアシダカグモ
今年五月このうちで初めてゴキブリを見た。キッチンの床を這っていて、すぐ冷蔵庫の裏に逃亡。
その翌日、今度は見慣れない蜘蛛が現われた。ひろげた掌よりも一回りは大きい。何処から入り込んできたのだろうと不思議に思いながらも放っておいたら、居心地が良いのか、幾日過ぎても居る。昼間は薄暗い処で休んでいるらしくなかなか目に止まらないのだけど、日が暮れると堂々と壁に張り付いている。
あまりに目立つから、ちょっと調べてみた。すると、この蜘蛛はアシダカグモといって、ゴキブリ、ハエ、ネズミを食べていると云う。
そういえば、ゴキブリを見たのはあの一度きり。まったく見ていない。
どうやらアシダカグモはそれからも毎晩ゴキブリ探査に余念がないようだった。優秀な無料ゴキブリ駆除サービス業者と同居しているようなものかと考えれば悪い気はしない。
或る夜、キッチンの天井に張り付いていた。その天井は冷蔵庫一台分ほどスペースが吹き抜けになっていて、屋根に嵌め込まれたガラス窓から空が見える。翌朝、蜘蛛はその吹き抜けに居た。
「明るいうちは陰に潜んでいるのじゃなかったのかよ」
と思っていたら、蜘蛛はそのままどんどん登っていって、とうとう四、五メートル上のガラス窓に張り付いた。
「そこからどうするつもりなんだ」
半日過ぎて、キッチンの前を通ると、床に蜘蛛が伸びていた。どうやらあそこから落ちたらしい。
「生きているのかな」
と本気で危うんだけど、数時間後いつのまにか居なくなっていた。歩行できるのなら元気なのだろう。
蜘蛛は結局十日ほど居た。それから屋内で虫の姿を見たのは、一度バッタが紛れ込んできたことぐらい。
六月、庭で段ボールを畳んでいると、床下にあのアシダカグモが居た。ネズミでも追っていたのかもしれない。
それからは静かで平穏な日々が続いていた。薄情なことにアシダカグモのことなどすっかり忘れた夏だった。
ところが、夏が終わり九月も中旬になって、またもやゴキブリが。やはりホウ酸団子など買いそろえるべきかと家人と相談していたら、その二日後やつはやってきた。
前のとは別で、今度は掌よりも一回り小さい。ひょっとすると晩春に現われたやつの子供かも。
それからゴキブリが居なくなったのも前回同様。居たとしてもこんなのが住んでいたら、見つからないよう息をひそめているほかないのかも。
小さいから子供だろうとは思っていたけど、後にあきれるほどおちゃめなやつだということが判明した。
九月にしては暖かい夜半、僕はインターネットの文章を読みながら、静かに音楽を聴いていた。部屋の物陰の何処かにやつが居るのは知っていたけど、気にならない。しだいに音楽に気持が集中して、両手はパソコンの両側に置かれたまま、目はほとんど何も見ていない。
そのとき左の掌の裏に何かを感じる間もなく、瞬時に肘、肩、首筋、そのまま右の肩、肘、手首へと何かが移動していった。机の上からフルスピードで走り去ってゆくアシダカグモの姿を見て、ようやく僕は何が起こったのかを理解したわけだ。
昆虫学者はこれに何か納得できる説明をくれるだろうか。
少なくとも僕には遊んでいるようにしか思えない。誰が何と言おうとも、だ。
外では、コオロギ、マツムシ等がたくさん鳴いている。あの唄声を減らされないことは嬉しいけど、彼等よりもこちらの害虫どもを選んだというのは、理解できない嗜好だ。
ともあれ、こういう同居生活がいつまでも快適に続くというものでもない。
なにしろ体格がこれほど違うのだ。うっかり開きドアに挟みかけたり、階段の手摺りを握ろうとしたらそこに張り付いていて、驚いたこともある。
餌を食べ尽くしたら、また何処へなりと去ってゆくのだろう。
それで善い。 |